感染拡大の虚実、専門家の言わんとする事と発信される情報のギャップ

過去最多の感染状況だとメディアでは危機を煽り続け、地上波でテレビ専門家は一般市民も矛盾に気付く様な、何が何でも危機煽り発言が止まない。

筆者は、これらの専門家は本当にこんな簡単な論理すら分からず、信頼をどんどん低下させる言動を繰り返すのが不思議で仕方が無く、本当の所はどうなのだろうか知りたく、京都大学の西浦先生に問い合わせてみた。

西浦先生は、多忙を極める中、小生如きの門外漢の質問にも丁寧に、分かり易く、そして複数回のやり取りを通じて説明して頂いた。正直、これ程丁寧にお答え頂けるとは思っていなかったので感謝以外の言葉は無い。そして、ある誤解は解け、ある仮説は確信となり、小生なりに一つの結論に至っている。そして、過去の小生の論説の中に西浦先生の真意を理解せず、かなり失礼な物言いをしていた部分もあるのではないかと反省し、その事は謝罪したい。

結論から申し上げる。西浦先生のお話になられた、医療崩壊のシナリオは、データに基づき、精度の高い予測として論理性を保っている事は間違いない。但し、それを伝える表現にかなり問題があり正確に伝わっていないと断言するに至っている。今回も複数回の丁寧なご回答を頂けたので、初めて一定の理解に至ったのだ。

そして同時に、問題状況を打開する方法論の検討等、マネジメントに関しては、失礼ながら素人であるが故、周囲の感情的な誤誘導影響も受け、論理性を欠く部分もある。論理と非論理が入り混じった状態の発信なので、論理の部分も正確に伝わらないのだ。

残念ながら、専門の道を究められている方に、プレゼンテーションやコミュニケーションを期待できないし、するべきではない。それは、本来メディアの役割の筈だが、真のメッセージを届ける事よりも、捏造でも何でも、政府を批判できれば良い、或いは視聴率が稼げれば良いという風潮で、本来の責任を果たす意識が欠落していると感じる。テレビ出演の専門家も同様、自己矛盾の論を強弁する上から目線の姿勢を視聴者から見て取れる時点で、何か別の目的を持っての発言と受け取られるのは必然だろう。伝わらない焦りから悪循環しているとしても弁解の余地はない。

<医療崩壊のシナリオと対応策>

西浦先生にご説明頂いた医療崩壊のシナリオを簡単にご紹介すると、重症化や死者云々ではなく、若者の陽性者が激増する事で、一般病床が埋まり、医療崩壊に繋がるという簡単なシナリオだ。そして、重症者数や死者数が激減している事は認められており、一般病床崩壊前の重症病床の崩壊を言っている訳ではないのだ。

即ち、一般の確保病床が埋まり、医師の負荷が高まる事で、医療サービス自体の低下を招くのだが、であれば違った対策のアプローチが本来ならば検討される必要があると考える。

それを専門外の五輪が云々だとか、人流や飲食店がどうのと言い始めると、そのエビデンスを示せる訳も無く、説明に矛盾を孕むので、本来伝えるべき情報すら信頼性が欠落していくのだ。

五輪と感染の関係を示す証拠は何もないが、逆に、他のイベントの1年間の取り組みから、実効性のある対策は実績があり、感染抑止と開催を両立できる事は示されている。飲食に関しても同様、感染リスクのある行動もあれば、抑止できる対策も明確になっている。旅行や人流も同様だろう。

であれば、実はやるべき事は明確になってくるはずなのだ。

<現在の日本で取り得る対策案>

  • 若者中心に、今は大事な時期で悪い病気も流行っているので風邪をひかない様に健康管理を徹底する様に注意喚起する
  • 医療の専門家を地上波メディアに出演させない
  • 政府の分科会や医師会などの発信を地上波メディアに載せない
  • 幅広い医療の専門家の情報、経済影響・政策の専門家の情報を受け、解釈し、総合的な提言としてまとめるマネジメント経験者の組織を設置する

『風邪をひかない様に健康管理』は実は核心を突く対策なのだ。入学試験などに備え、健康管路を徹底する事は普通に言われるのだから違和感はない筈だ。その為の方策も極自然に理解しているだろう。自然免役力を高めるために、睡眠を充分に取り、栄養も充分に採る。適度な運動、ストレス発散、ビタミンD取得、日光浴等もそう。ウイルス暴露しても感染を抑える為に、手洗いうがい、洗顔で目も洗浄を徹底する。風邪のひき始め、少しの変調に早期対応を徹底する事だろう。

『そんなこと今までもやっている』と言うのは間違いだ。今言われているのは、所詮コロナに感染しない様に、と言われているだけだ。風邪をひくなとは言われていない。この時期、例え単なる風邪であっても発熱すれば面倒臭いし、社会にも影響を及ぼす。ひいてしまったら仕方がないが、ひかない為の最大限の努力、心がけを訴えかける。社会人であれば、所属企業から、学生であれば、保護者や学校から、そういった社会構造が必要なのだ。

そして、正しく伝える事が出来ない、コミュニケーションやプレゼンのプロでない医療の専門家が政治発言を繰り返す様では、社会の混乱を招くだけだ。本来、メディアが節度を保ち、専門分野の情報も的確に解釈し、発進すべきだが、その意思も無く能力すら無い事が知れ渡ってしまった現状では、一定の情報統制も必要となるだろう。原論の自由が奪われる訳では決して無い。寧ろ、適正な言論の自由を担保する為に、ネットを最大限活用し、地上波メディアは厳格に放送法の適用をするだけなのだ。それでも反省しないなら、電波使用許諾を取り消すくらいの強硬策もありだろうし、少なくとも許認可の条件に、一定の政府発信枠や両論公平な討論、言論の情報番組の枠を確保させる事。ペーパーメディアも裏取りの無い情報発信で誤報とされた場合に強力な罰則を与える必要があるだろう。

メディアの萎縮?嫌々、これ程社会不安を煽る様では、少しぐらい委縮して頂いた方が社会の為であり、ネット空間には玉石混交だが種々の情報が入り混じる状態が存在しているのだから、言論や情報発信の健全化は図れるだろう。

そうやって情報発信が健全化されれば、本質的な問題が確実に見えてくる。

若者のコロナ陽性者で一般病床が逼迫するのであれば、最有力策は、尼崎の長尾医師の成功事例の水平展開ではないだろうか。初期医療を適切に実施し、非感染者と、無症候感染者を切り分ける。発症時に早期確認が出来る様にオンライン診療を充実させ、入院患者を未然に防ぐ。実は日本の医療体制の一番得意とする領域の筈なのだ。

それ以前に、2類感染症相当から外すだけで解決するかもしれない。インフルエンザやRSウイルス感染症と同様の対応で、重症化や死亡に至る不幸を同等に抑えられるのであれば問題ない筈だから。

西村大臣事件の真の問題性になぜ迫らない

西村大臣の法的根拠の無い酒類提供に纏わる民業圧迫発言、優越的地位の乱用は、法治国家として決して許されるべき問題ではない。しかし、責任追及、辞任要求と馬鹿の一つ覚えの批判一辺倒の野党では、国民の真の信頼獲得には程遠い。野党にとって、政権の息の根を止める絶好のチャンスなのだが、本質を突き、改善提案を展開する動きが見えてこないのが残念でならない。

真相究明が必要だ!と言うのはその通りだろうが、前後関係含めた連綿とした流れ、既にオープンとなっている情報から、構造的な欠陥と真の問題性は、ほぼ見えてきているはずだ。責任を問い、批判するのではなく、改善策を提案しなくてどうする。

<超法規的施策実行手段としての事務連絡>

少し重要事項の事実関係を深読みした整理、考察をしてみる。

一連の通達、指示内容が法的根拠を持たず、問題であるとの認識は官僚であれば周知のはずだ。もし政治家の暴走なら、『お代官様!ご乱心』と止めるはずだ。それがスルーされている。しかも『事務連絡』という手法にて行われた。『事務連絡』とは閣僚会議など経ずに行われる、まさに本当の意味での事務連絡に過ぎないが、つい先頃この手法を使った前例があった。

ワクチン接種に医師が非協力的で、打ち手不足のため、先行きが見えなかった際、超法規的措置により政府は打ち手を歯科医まで容認すると発表、更にそれでも不足の場合は、薬剤師など二の手三の手があると示した。それによって、自身の領域(権益?)が侵される危機感を感じたのか利得確保のためか、接種が加速し始めた。この時に使用した通達が『事務連絡』なのだ。

つまり、本来法改正が必要な事案に対して、目的達成の為に超法規的手段を講じる裏技的に『事務連絡』を使用する前例となったのだ。

断っておくが、ワクチン接種促進の為の超法規的措置は政府の英断であり、評価すべき政策実現だと筆者自身は思う。しかし、前例となってしまったが故に、悪用されるリスクも想定すべきであったと反省するべきだろう。

<事務連絡が使われた背景?>

東京都に対する4度目の緊急事態宣言においては、客観的に見ると酒類制限以外に制限措置は無いと言っても過言ではない。しかし、その措置自体、精神論であって、科学的根拠がなく、強制力もない為に実効効果に乏しいのも現実。巷では協力金の充実、早期支給があればという言われ方をするが、それは規制に対するダメージ軽減策でしかなく、措置の効果を有効化する手段ではない。

緊急事態宣言発出自体に科学的根拠が無い状態なので、納得感のある有効な手が無く、手詰まり状態で、苦肉の策として魔が差して血迷った方法論に向かってしまったと考えるべきだろう。

では『事務連絡』の利用、今回の措置のアイデアは西村大臣発のものだったのだろうか。もしそうなら、前例のワクチン接種と異なり、官僚の様々なブレーキが働くと考えるのが通常だろう。官僚側から見ると、少なくとも分かっていてスルーさせた、もしくは意図して仕掛けた可能性も否定できないと感じている。

それは、政権運営の基盤が揺らぎだした所で、官邸主導の状態から官僚主導に揺り戻したいという力が強まり、前例ある超法規的措置実行手段としての『事務連絡』利用を企てた。政治関与を弱めた政策強行手段としての活用、万が一発覚しても問われるのは政治であり、更なる政治弱体化を産み出せれば、官僚主導への回帰が加速でき、活用におけるリスクは低い。こう考えた企てだと考えるのは考え過ぎだろうか。

財務官僚幹部とテレ朝の社員との関係、情報リークに関して堂々と番組でも語られる事も含め、政治に対する官僚の攻勢が強まっているのは、事実だろう。

そして、もう一つの観点。この『事務連絡』の文書は自治体でもスルーされているという事だ。自治体で、これはおかしいと、抵抗があって然るべきだが、何事もなくスルーされている。

一部の話では、自治体の責任回避、国家への責任転嫁等、政治利用できる強力なネタとして使えるので握りつぶしてスルーしたという説も語られている。

<では、どうするべきか?>

どちらにしても、大臣の首を取ったり、責任を追及、真相解明という事が進んでも、国民には何の利益もない。改善策案を明示し、実効性を担保する方法を指し示すことが国民の利益に繋がり、信頼を勝ち取る唯一の方法だ。そして、政治主導の体制をもう一度作り上げるのか、官僚主導とするのか、バランス再考するのか、その議論が重要だろう。

個人的には、やはり民主的に選出された議員を主導とする政治主導とするべきと考えるが、ポピュリズム等で民主的に間違った選択に偏った場合の最低限のセーフティガードの為に官僚にも一定の力が必要だろうし、そうでないと国家運営における有能な人材、能力が育ってこない。従ってバランスだろうが、議論を重ね、固定化せずに一定の振幅幅での柔軟な体制変更で継続できる構造が必要だろう。

そして、やはり超法規的措置は、放置していては良くないだろう。従って、ワクチン接種の打ち手は、後付けとなっても法的裏付けを備えるべき。同時に、今の法制度では有効な手が打てず、手詰まりになる現実があるのだから、有効な措置が打てる法的整備が急務である。

4回目の緊急事態宣言に科学的根拠が無い事も問題だろう。有効な措置を発令する条件、緊急事態発令の根拠として、科学的根拠に基づく論理性を保った背景説明を必須要件とするべきだろう。

科学的条件は、一部の専門家と称する偏った意見に支配されずに、多様な意見の元に政治決断できる様にするべき。一部の専門家に権限が集中してしまうと、バランスが取れなくなりやすく、政治判断まで求められる事態に発展してしまう。

緊急事態時の措置において、補償は必要だが最優先ではなく、論理性を保った納得感のある条件設定の方が最優先なのだ。

まとめると

・政治主導の官僚統制体制の再構築、バランスの見極め

・既に発した超法規的措置(ワクチン接種)の法的裏付け構築

・科学的多様性のある見解の議論の場を整理し、政治判断に活かす体制の検討

・緊急事態の定義、科学的根拠と条件設定の法制整備

簡単ではないだろうか。法的根拠を作る事でしかない。立法府の皆さんが、法的根拠を作る事に全力を投じず、小手先の協力金や責任追及しかやらないのは、職務放棄に等しいのではないだろうか。

感情に論理が負ける日常が社会不安定を招く

スーパーコンピューター富岳による東京五輪で国立競技場に観客1万人入れても感染リスクは僅かだという、シミュレーションが報告されたが、あるテレビ番組で医療の専門家が、観客を入れたらリスクがある事は間違いない、と全否定した。正確に言うと、この専門家の発言は論理的には何も間違ってはおらず、富岳はリスクは僅かと結論しているがゼロだと言っている訳ではなく、リスクがある事は間違いないと言うのであり、何も矛盾しない。

しかし、ゼロリスクを前提とした論理を専門家の発言力によって発信する事は、誤誘導を発生さ、多くの人は安全ではないと頭では違うと理解していても、感情的に妄信してしまう。人の心理として危機を煽る方がインパクトが大きく、冷静にリスク論を論理的に、数字を使って語っても、心には届き難くなるからだ。つまり、社会不安を醸成する問題行為なのだ。

ゼロリスクとは、リスクが僅かでもあれば安心が得られないと強弁する事であり、医療の専門家はどうしても安心側から話をするという自己弁護を繰り返すが、これは自己矛盾を起こしている。スタジオでマスクもせずに強弁する行為、各地から放映の為にテレビ局に移動する行為に感染リスクがゼロとは言えないからだ。

その他にも数々のダブルスタンダード、言行不一致を繰り返す状況では、発言の正当性が失われている事に気付く必要がある。何故、その場のコメンテイターはこう追求しないのか『では、感染対策を実施したパーティーや寿司会食とどちらの方の感染リスクが高いのですか?』この質問の意図は、科学で語らないのなら、感情論で語っても納得ある説明が出来ないでしょうと気付かせる事だ。

この非科学的論理破綻の感情論の担い手は、いくつかの層に分類される。

一つは、確信犯的層。それは、

  • ① ネット言論空間で跋扈する活動家
  • ② 政府批判を目的とする野党勢力
  • ③ 地上波メディアで危機煽り発言を繰り返す専門家
  • ④ 権力の監視・批判が役割で目的達成の為に手段は問わなくて良いと誤解するマスコミ

等であろう。しかし、数的には本来少数派の筈なのだ。①は数年前からSNS利用の反対意見つぶし等目に余る行為もあるが所詮マイノリティであり、②もだからこそマイノリティで野党なのだ。しかし、③④の力は絶大であり、①②と連動する事で影響力拡大、第四の権力としての実効力を持つに至っている。しかし、そのもの自体はそれでも少数である事は疑い様が無い。この①~④に影響を受け扇動される層、従来であればサイレントマジョリティであったはずの層が影響を受け、感情論のマジョリティを形成している現象であり、この層の特徴をいくつか挙げる

  • ① 文章を読まない、或いは読めない。全文読まず、単語の切取りで分かった気分になる。
  • ② 書いてもいない事を印象で決めつけレッテル貼りする。
  • ③ 事実やデータから目を背け、否定する。自分で調べる事もせず、論拠がない。
  • ④ 論破されても次から次へと論点を変えるだけで、論理的な反論が出来ない。
  • ⑤ 著名人を呼び捨てにする等相手に対する敬意を持てない。異論を認めない。

これは、情弱そのものであり、この様な状態でまともな議論が出来る訳がなく、意思決定が健全に行えるとは思えない。SNSの書き込みや記事へのコメントなど気分が悪くなるくらい酷い内容が多い。結果として、ネット空間での集団リンチ、言論弾圧が平気で行える不健全な環境を産み出すのである。これが世論形成に影響を及ぼす規模に発達すると社会は不安定化してしまう。

感情論の危険性は、法治国家を揺るがす私刑、同調圧力に発展させてしまう事は疑い様がなく、民主主義の意思決定にまで及べば民主主義が破綻する。これに対抗し健全性を取り戻す為には、論理的な議論を活発化させる、その為の言論空間を整備することだろう。

反対意見を排除する為の報告利用は論外であり、直接言論弾圧なので法的罰則も必要だろう。そして、同時に言論の自由は無制限ではなく、一定のルール・マナーも必要だろう。

  • ① 異論に耳を傾け、敬意を払い、正当に解釈する寛容性を持つ事。
  • ② 持論の展開は事実を前提とし、裏付けと、論理性を保つ事。
  • ③ 反論の場合は尚更、ポイントを整理した上で論理性を保つ事。
  • ④ 不必要に議論を拡散、散漫させず、一つ一つ是々非々で決する。

であり、これは即ち読み書き算盤の基本、社会人として最低限のマナーなのである。

文章を読み、読解力を身に付け、科学的な知識を前提に、事象の検証の為に裏付け確認を怠らず、数字の意味を読み解く力を育成する。難しく書いたが、義務教育において獲得するべき基礎能力である。

残念ながら、この基礎能力に問題があるか、或いは能力はあっても、基本事項を無視する層が存在する。この層は、昔なら民主主義の意思決定には、浮動層の一部としては機能してきたが、ネット普及により多数世論を形成出来るマジョリティになり得る様になり、結果として社会不安定性が高まっている。

世界史的に国家や組織の統治方法として、国民、組織構成員への教育を充実させず、上記基礎能力を持たない人間で多数派形成し、情報操作で都合の良い方向に扇動し都合の良い安定化を図るという考え方もあったが、現代では通用しない。それはネットによるオープンデータが事実を知らせる効果を持つからだ。

幸いな事に、日本は有史以来上記の方法を採用する様な考えを為政者が持たず、国民への教育は文化発展と共に充実させてきており、識字率など古くから世界トップクラスを誇っていた。それでも、明治維新で西欧列強に肩を並べる為には、国民の基礎学力の支え、強化が必要であり、『学問のススメ』が提唱されたりもした。

世界的に情弱による社会不安、民主主義の崩壊が進みかねない状態において、現代版『学問のススメ』の考え方は復刻するべき事項と思える。

ワクチンパスポートに潜む問題性

ワクチン接種者に対して何らかのサービスを提供するパスポートと言う考え方が海外から発信され、日本も検討に入っている。これは一種の認証制度であり、認証手段としてのワクチン接種実績の利活用は根本的にまずいと、少しでも認証に携わった経験、知識があれば感じるはずだが、世の中では感覚的で安易な論調が支配的だ。

<ワクチンの効果>

ワクチンの効果に関して、そもそも誤解が多い様なので簡単に確認しておく。

ワクチン接種により体内に抗体が生成され、感染して体内侵入を許したウイルスに対して抗体反応を起こし、増殖を抑制する事で発症、重症化を抑える。この順番、仕組みを理解すれば本来感染予防には直接の効果が無い事は理解できるだろう。

感染症は、ウイルスに曝露する所から始まるが、曝露しただけでは感染しない。この時点でもPCR検査では陽性検出されるので要注意。次の段階で、体内にウイルスの侵入を許す、これを感染として良いだろう。この段階でも発症はしていない。次に、体内でウイルスが増殖し発症、更に増殖し重症化というステップを踏む。

このステップをワクチン接種後の実社会での現象をイメージすると、感染後にウイルス増殖を抑えるという事は、発症者を減少させるはずだ。つまり、発熱外来などに訪れて検査する人は減少する。その結果、感染者数は減少する。更に、ウイルス増殖を抑える効果は市中へのウイルス蔓延を量的に減少させる効果もある筈で、市中での曝露リスクも減少し、感染数はさらに減少するという効果を生み出す。

この様に考えると、集団免疫と言う仰々しい話以前に、ワクチン接種が進むことで社会としての感染抑止効果が期待できるのであり、諸外国でそれを裏付ける結果が出ているのだ。しかし、今の考え方でPCR検査を増やすと無症候感染者、曝露非感染者を拾い上げ、陽性者数はそれ程減少していない様に見えるかもしれないが、感染者は減少するのだ。

あくまで明確にしておきたいが、個人の効果だけではなく、社会としての効果があるのだ。従って、接種判断が個人の自由であっても、一定率での接種が実現すれば、社会的には何も問題なく、接種の有無で社会的サービスに差があってはならないのだ。

一方、個人としての効果もよく考える必要がある。というのは、個人によってワクチン接種後の抗体生成量に違いがある様に、誰でも同じ効果を生み出すものではない。つまり、感染抑止の個人の安全度合いは接種完了したからと言って一様ではないという事である。あくまで個々人毎に異なる効果であり、一律でなく確率で語るべき事項なのだ。

そして、ワクチン接種していないからといって、一様のリスクを持っている訳ではなく、個々人毎、健康状態の差異もあり、感染リスクの度合いは異なるのだ。諸事情により、ワクチン接種しない場合でも、それが即、感染リスクを増大させるものではなく、あくまで確率の問題なのだ。寧ろ、初期免疫、自然免疫力の充分な人の方が感染リスク自体は低いのである。

まとめると、個人の感染リスクはワクチン接種の有無で確定するのではないのに、サービスを受ける認証に使うのは不合理かつ不適切なのだ。即ち、社会的安全性獲得状況であれば、サービス提供が均一であるべきなのだ。

しかし、これは日本国内では議論すれば良い事だが、他国の動きをどうこうできるものではなく、既に海外ではワクチンパスポートなるものは使われ始めている。日本人であっても、海外との交流、グローバルビジネスの場では、日本事情だけを押し付ける事は出来ず、海外対応時のワクチンパスポートは必要になってくる。この両面を混同せず、理解した運用に落とし込む必要があるのだ。それは、以前拙著でも語った、陰性証明書なるものの運用と同じ考え方になるのだ。

では、何故諸外国ではワクチンパスポートが必要なのだろうか。

<ワクチンパスポートの価値観背景>

この事を考えるには、欧米、聖書文化圏における、知らず知らず影響を受ける思想基盤を考慮する必要がある。唯一絶対神の下に平等で、契約により成立している文化圏では、白黒はっきりとさせないと物事が進まない社会環境にある。逆に言うと、デジタル的に判定できる基準があれば物事が前に進みやすい。それが故、PCR検査を判定のツールに求め、陰陽明確にする陰性証明書が利用され、それらも包含したワクチンパスポートが有用になるのだ。

それは基本思想の問題、論理ではない価値観なので、他国・他民族が否定する事はあり得ず、多様性の範囲として容認すべきで、彼らとの交流においては受け入れる必要があるのだ。

この事は、はっきりと意識する必要があるし、日本の基盤思想と相いれない事も了解しながらの対応が必要なのだ。逆に言うと、完全に他国基準に合わせる必要はないし、合わせるべきでもない。

日本の文化基盤を考えると、絶対神とは対極的な八百万の神を抱く多神教基盤にあり、多様性を前提として、和をもって貴しとなす、万事公論に決すべし、と連綿と連なり、個々の価値感を容認しつつ、民主的に全体の方向性を決し、個人の価値感を超越した協力体制が築けるという基盤を有するのだ。

ワクチン接種に置き換えると、個々の価値判断は容認し、その事で差別化せず、社会全体の方向性を定め進む事が出来るし、日本に相応しい。そして、海外の価値判断も同時に容認し、適合させる部分は適合させ、ある意味節操なく、柔軟に対応していく。その為に、ワクチンパスポートは必要になるだろうが、国内利用は極めて限定的である必要があると結論する。

国家や民族は、自らのアイデンティティを失うと衰退に向かう。

今、日本は国際社会から、社会不安状態に見えている。それは、公論が成立せず、論理無用の感情論が正論を打ち負かし、政府政策にまで負の影響を及ぼしているからだ。歴史的には安保闘争に似た自らの絶対正義を打ち出す暴力性、国際連盟を脱退させ好戦的に向かわせた世論を醸成した言論環境と似た状況ではないだろうか。これは危険なのだ。

絶対正義を抱く論理を超越した排他的思想は、日本の根底には本来存在しない。

一つ一つ事実に向き合い、論理的思考による是々非々の言論環境を取り戻さねばならないだろう。

経済安全保障、日本は本気になれるのだろうか?

『経済安全保障』という言葉を最近よく耳にする。その現れだろうか、日本企業に対しての影響が出始めている。

ソフトバンクは、ファーウェイとの関係で国際的5Gへの参入障壁をなかなかクリアできなかった。楽天は、テンセントとの資本提携で米国防省含めた監視対象、日本からも外為法違反等で日米両国からの監視対象となってしまった。ユニクロは、新疆(しんきょう)ウイグル自治区の強制労働をめぐるアメリカ政府から輸入禁止を受け、直近ではフランス政府から捜査を受けている。勿論、日本企業だけではないが、この様な事例が現実化している事から目を背ける事は出来ない。

ところが、日本の政治は訳の分からない迷走を繰り返している。

対中国非難決議が見送られたドタバタ劇は記憶に新しい。与党である公明党が慎重であったが、立憲民主党までが賛成に回り、慌てた自民党親中派の動きでドタバタ劇が演じられ決議されなかった。これだけでも国際社会の中で、日本はどうするのだろうかと疑問に思った矢先に更に上回る事案が発生した。

それは、中国共産党100周年記念に対して祝意を、筆者の知る限りでは、立憲民主党の枝野幸男代表・小沢一郎衆議院議員、自民党の二階俊博幹事長、河野洋平元衆院議長から寄せられたのだ。これは確実に政治利用されるだろうし、G7等国際社会に対してどの様に説明できるのだろうか、甚だ疑問だ。

政治がこの状況で、経済界が本気で経済安全保障と言う名の、サプライチェーンの再構築、市場再構築が出来るのだろうか。

<CSR調達とは>

CSR調達と言う言葉はご存じだろうか。

CSR(Corporative Social Responsibility)は企業の社会的責任という意味であり、CSR調達とは、調達先の選定や条件の設定において、コンプライアンスや環境・人権への配慮を行い、調達先を選定すると同時に、調達先にも同様の社会的責任を果たす様に求める活動であり、多くの企業でかなり前から経営課題とし活動が既に定着している。

つまり、自社がコンプライアンス問題や環境破壊、人権問題に繋がる事業活動を行わないだけでなく、調達先企業にも同様の活動を求める。即ちその調達先企業もその先の調達先企業に求めると言う連鎖を生み出し、サプライチェーンとしてCSRを実現する事になる。

しかし、本当に定着しているのならば、前述の企業摘発の様な問題が発生する訳がない。企業は収益拡大の目的で、安い賃金を求めて生産体制や部材調達を低コストで実現し、価格競争力を構築する経済活動を企業は行っている中で、先の先まで厳格に調査し条件とする厳しさを持っていれば起きないし、誤った場合も必ず正常復帰のマネジメントが働くはずだ。この経済活動自体、企業の競争力の為に否定されるべきではないが、先の先までに至る厳格さに問題があり、甘かったと言う以外に表現は無いだろう。

言葉を選ばず極論を言えば、調達先企業が『大丈夫だよ』と言えば、性善説ではないだろうが、鵜呑みにする方が波風もたたないし、敢えて厳しく追及する事無く、アリバイ造りの形式的なCSR調達が完成している可能性がある。

現実に目を向けると、実はそれほど簡単でもない事も分かるのだ。

トランプ政権時代に中国IT企業からの調達を規制する大統領令により、日本政府もファーウェイ社やZTE社等から新規の政府調達は行わない決定を下しており、各企業も政府系関連事業などの受注条件も踏まえ、調達状況を一斉に確認に動いている。しかし、現実は既に切っても切れないぐらい、入り込んでいる事が判明している。新規調達は制限できるかもしれないが、保守なども含めて関係を断つことは簡単ではないのだ。

企業として、この簡単ではない事を推し進めれば経済的な損失が大きくなる。その対価を払っても推し進めるには、国家としての明確な指針が必要であり、守らなかった時のリスクの高さを自覚した上で、経営上の覚悟が必要なのだ。

<グローバルマーケットビジネスは国家間のWinWinが条件>

10年以上前だろうか、筆者は同僚と海外ビジネスに関して議論を戦わすシーンがあった事を記憶している。社会的には、安い労働力を求める海外展開に先行き限界が見えてきて、グローバルビジネスは本来、地産地消が成立しなければ意味が無いと言われ始めていた頃だ。

その中で、同僚は中国マーケット進出を更に強化する事を主張していたが、筆者はカントリーリスク面も含め、目先の利益にはなるし連結上の効果はあるが、最終的にその成果がどこに行くのか疑問を投げかけていたが、回答は成果を現地で出せれば持ち帰れなくともよいという趣旨の説明を同僚から受けたのであった。その同僚は、その後中国マーケットのビジネス拡大に携わり、一定の成果を上げる結果を出した。

恐らく多くの企業が同様の成果を上げているのだが、その結果が今の中国でもあると言う見方もある。間違いなく中国は大きな経済発展を遂げ、覇権国家を伺う状況にまで成長しているのだから。

企業が現地で成果を出すという事は、間違いなくその国家は繁栄するのである。つまり、グローバルで見る限り、WinWinの関係式が国家間に成立している事が、必要条件になるのではないだろうか。

<日本は本気になれるのだろうか>

対中国非難決議が議論される状況、中国国内でも反外国制裁法のリスクなどを考慮すると、企業としても覚悟を決める時代になってきたのかもしれない。しかし、この経営判断は皆で揃って同じ方向に向かえれば良いが、抜け駆けして上手く立ち回れば独り勝ちも可能で、その場合の目先の利益は大きくなる。その利益を取らずにいばらの道を選ぶには、国家としての明確な方向性、指針が欲しいのだ。それこそ、抜け駆けを許さない、抜け駆けをする方がリスクが大きいと経営者に思わせるだけのものが必要なのだ。

ところが、媚中派、親中派が厳然と存在し、政治的には一定の力を持っている事が見えている。この構造がある限り、経済界から見た時にうまく渡り合うバランス対応が可能ではないかと疑うのも道理なのだ。それこそ、莫大なコストを払って、経済安全保障対応を確立しても、梯子を外されるリスクすら感じる政治状況に見えるのだ。まるで、お隣の国の米中日和見対応に似て見えるのだから。

政治的にアジアの大国との関係を絶つ事はありえないが、是々非々の厳しい対応が必要な局面である事も間違いない。政治的にそれが示されるべきだろうし、その方向に民主的な選択で政治家を選択できるぐらいでないと、いつ梯子を外されるか分からないリスクを考慮せざるを得ないだろう。即ち政治と国民の覚悟無くして、経済界が本気で経済安全保障に向かえないのだが、如何なものだろう。

女子プロテスト結果と今後

今年の女子プロテスト、正確に言うと昨年行う筈だったテストの代替として行われた今年のプロテスト前半戦が終了した。先日、注目として『白金台女子ゴルフ部』『DSPEプロジェクト』『三嘴門下生』などから挙げた中からは、僅か2人の合格に留まった。流石に狭き門、厳しい戦いであった。

何はともあれ、その中から見事合格を勝ち取った、植手桃子プロ、篠崎愛プロ、おめでとうございます。この先のレギュラーツアーでの活躍を心から期待し全力で応援致します。そして早速今週、資生堂レディスオープン(戸塚CC)に主催者推薦での出場決定、今回のプロテスト合格者22名中9名も参加、プロテストの調子を維持していれば予選通過、上位争いも期待できるだろう。頑張って欲しい。

プロテストの話に戻るが、最終テストの舞台、静ヒルズは難関コースだが、トップスコアが14アンダーとトンデモナイスコア、合格カットラインも4アンダーとレベルの高い戦いであった。

先に挙げた2人は最終日、合格ラインギリギリの状態で気が許せないスタートだったが、両名とも良い立ち上がりではなかった。植手選手は、2番、4番でボギーというボギー先行、篠崎選手は、更に悪く、1番、2番で連続ボギーとして、合格カットライン以下に一旦落ちている。本来であれば精神的にも追い込まれ、悪循環し兼ねない状況だが、篠崎選手は3番でバンスバック、4番も連続バーディーで振り出しに戻している。植手選手も7番、9番でバーディーとして前半で当日イーブンに戻している。これは、レギュラーツアーで戦う強さに繋がると感じているのは私だけではないだろう。

資生堂レディスでも頑張って欲しい。両名にとってレギュラーツアーは初めての経験でもなく、制度変更さえなければQTから臨むレベルの選手なので、プロテストの方がプレッシャーは大きかっただろうから伸び伸びと力を発揮して欲しい。

篠崎プロの豪快なショット、植手プロの安定感、この二人のプレースタイルは、両極と言ってもいいぐらい違うが、1ファンとして楽しみでならない。

さて、若干エピソードを紹介すると、篠崎愛選手はプロテスト直前にスイングの大幅改造を行っている。YouTubeのビフォーアフターを見れば明らかで、素人目に見ても大きく違う。しかし、普通はこの改造は大事な試合の直前に行えない。素人であってもスイング改造は一旦ボロボロになってからの再スタートになるのであり、プロテストの場で自信を持ってそのスイングをするまで仕上げるのは並大抵ではない。この偉業を成し遂げたのは、三嘴プロトの2人3脚の信頼関係なくしてあり得ないだろう。凄い事だと感動したし、必ずレギュラーツアーでの結果にも繋がるメンタリティだと確信している。

さあ、息つく間もなく今年の本来のプロテストが8月末から始まる。今回残念だった選手たちもリベンジを果たし狭き門をこじ開けるべく臨んでくれるだろう。

引き続き注目する選手を改めて挙げておきたい。

『白金台女子ゴルフ部』から、井上莉花、荒川侑奈、稲葉七海、佐久間夏美、楠本綾乃、岡田唯花、八巻聖良、江口紗代、山下美樹。『三嘴門下』から幡野夏生、瀬戸瑞希、瀬賀百花、今綾奈。『DSPEプロジェクト』からは、柴田香奈、小林瑞希、田邊美莉、平塚新夢、五月女栞雛、西山沙也香、立浦琴奈、鈴木絢賀、新真菜弥、諸西諭里、四村彩也香、須江唯加。

その中でも特に注目したいのが、井上莉花選手、豪快なショットはレギュラーツアーでも注目に値するプレーが期待できる。幡野夏生選手はキャラクターがプロとして魅力を発揮するだろう。瀬賀百花選手は絶対に曲げないショット力が魅力。諸西諭里選手は、何故最終テストで落選したのか不明な程の実力者。

ファンとしての楽しみは広がる。