何のためにオリンピックをやるのか?

何のためにオリンピックをやるのか、この問いかけが昨今実しやかに語られている。尾身会長がその様に発信し、元大阪府知事橋下氏まで同調している。この問いかけに答えられないから、国民の納得が得られないと。

<目的は皆理解しているはずだが、敢えて語ると>

スポーツや文化を目的論で語る事に、私は違和感を感じざるを得ない。心豊かな暮らしを育む為、心身ともに健康である為、人間らしく生活する為、等という言い方でいくらでも語れるし、スポーツや文化、芸術を奪われた生活を無味乾燥とは思わないのだろうか。恐らく、緊急事態だから優先順位が低いと片づけられてしまうのだろうが、本当にそれでいいのだろうか。

本当に人間が究極の危機状態に晒された時に、すがるものが必要ではないのだろうか。ある意味、宗教も同様かもしれない。人間生活において様々な苦境を乗り越え、精神的な支えとする宗教を、こんな危機状態だから意味が無いと言う人はいないだろう。何の目的で神にすがるのかはっきりさせろ、と問われても論理的回答など有り様が無いだろう。

百歩譲って、目的は百も承知だが、緊急時なので優先順位が低くなるはずだと言いたいのならば、『何のため』という、そもそもの目的を疑う様な言い方は、間違いである。

東京五輪大会関係者は、およそ10万人だが、それはスポーツ界における頂点の人達だ。その頂点で戦う姿、活躍が無ければ、底辺の拡大は成立しない。トップ選手を見て、感動し、次の世代の子供達は自分もああなりたいと夢を抱く様になる。日本女子プロゴルフ界が黄金世代やプレミアム世代と活況を示し始めているが、これは宮里藍選手に憧れた世代(親も含めて)であり、大きく影響を受けている。そして、大リーグに挑戦し成功した野茂選手の活躍があって、今の大谷選手が存在する。

トップ層だけではない。ジュニアアスリート層などへの影響、底辺の拡大、普及に確実に繋がる。当然、ジュニア世代などは、人間教育の視点も含まれるし、他の世代では、自身の参加による健康促進、観戦による心の健康促進等様々な波及効果がある。この正の連鎖現象を長い目で見て支えるのがオリンピックに他ならず、底辺含めた多くのアスリートたちが夢として目指す場所であり、社会全体にも大きな影響をもたらしている。これを奪うべきではないだろう。

勿論、その中でスポーツビジネスと言う観点での経済活動も拡大するだろうし、そうする事で、トップ層の引退後や関連企画、周辺技術等も含めた多くの雇用も生み出す。金まみれと言う批判もあるが、スポーツがビジネス化し経済効果を産み出す事は、決して悪い事ではない。悪いとすれば、その利権を既得権益層が独占する事であり、効果を産み出す構造を破壊する方向に向かうのは本質的問題解決ではなく、産業構造としての自由化、オープン化を目指す事で解決すべきなのだ。既得権益構造が存在するから、その業界をつぶせと言うのは、暴論なのだ。

<非科学的な・・・かもしれない>

ここまでの話は、反対派の皆さんには聞く耳すら持って頂けないかもしれない。自身がスポーツ文化との関わりが薄かったり、興味が無ければ尚更そうだろう。その方々に理解を求める事は出来ないだろうし、価値観を変える等と奢った考えはさらさらない。しかし、よく考えて欲しい。そういう方々は、文化や芸能にもそういった理解を示さないのだろうか。宗教に拠り所を求めたりはしないのだろうか。少なくとも、五輪を夢見、目標とし、人生をかけている人々も選手だけでなく多数存在するのであり、その存在を認め、多様性を尊重すべきではないのか。五輪悪論で苦しみ、悲しむ人達が世界中に多数存在する事を忘れないで欲しい。

反論として、人の命が優先すべきと言う論をよく聞く。命より大切なものはない、それは間違いない。それが故、五輪開催におけるリスク評価をするべきとの提言もある。全くその通りだろう、だからこそ真っ当なリスク評価を是非行って欲しいのだ。しかし、電波メディアで発言する多くの専門家と称する方々の言はリスク評価と言えるものではない事も認識しておかないと本当のリスクを見誤ると考えている。

昨年からずっと専門家と称する方々の予測が発信されているが、殆ど実現していない。それだけならまだいいが、実現しなかった事実を検証しフィードバックをすると言う、科学的アプローチが一切為されていない。『・・・かもしれない』とリスク評価をする上で絶対必要な発生確率を無視した、可能性論だけで、次から次に材料を見つけ出して、過去の反省もなく危機を煽っているのが実態だ。

この点は明確にしておきたいのだが、『可能性がある』と言うのは極めて非科学的発言で、正確に言い直すと『起こるかもしれないし、起こらないかもしれない』程度の意味でしかない。科学的にリスク評価する為には『何%の確率で起こり得る』でなければならない。この理由は明確で、『・・・かもしれない』では、根拠も論理もなく、何でも言いたい放題であり、本来は評価出来ないのだ。これを非論理的勝手理論と言う。

人流が増えて感染増と言う論理を持ち出すのならば、例えば、今迄の人流と感染の相関関係をデータとして示して論理性を担保する必要がある。『エビデンスはないが遠因になっている事は否定できない』この論理破綻が理解できない人は義務教育から学びなおすべきだろう。

反対の為の反対、多様性を認めない排他的で攻撃的な反対、根拠の無い『かもしれない』という恐怖に縛られた思考は、もう止めませんか?

<医療の自己防衛による分断構造>

日本のコロナ禍における緊急事態とは医療崩壊を防ぐ事が主目的だ。世界に誇る医療体制の、ほんの2%~程度しかコロナ対応をしていないのだから、例えば5%に上げるだけで危機は大きく減じる。ロックダウンを経験した様な先進国は一説では、約20%の医療資源を柔軟に再配分して、医療崩壊を避けたとの事。

確かに新型コロナが単なる風邪でない事は、高齢者の致死率等のデータから見れば明らかだ。しかし、逆に言えば高齢者、基礎疾患者、若者でも肥満や糖尿病患者などリスクの高い人達へのケア、重症化抑止対応を強化すれば、緊急事態は回避できるだろうし、その他大勢は、経済を回し、社会を活況化することが出来る。オリンピックも同様だろう。

専門家と称する医療従事者は、国民に我慢を強いる前に、医療体制強化を本気で拡充する事が職業上の責務ではないのか。現時点で、コロナ対応に追われ、日夜戦っている医療従事者の方々は、国民に我慢を強いる前に、大規模パーティーや寿司会食に興じる同業の責任者とその組織を徹底的に糾弾するべきではないのか。

今、スポーツ業界と医療業界が分断して何も良い事は無い。

スポーツ業界は、その価値を高めつつ、課題となっている既得権益構造に各団体、組織等、本気で向かうべきだが、そういう意味では組織委員会の組織改革などは一つの大きな前進であり、大会規模種縮小や関係者への様々な規制も前向きに受け入れている。

医療業界も、どう言い訳しようとも、先進諸国と比較して脆弱で劣後している事は間違いなく、本気で向き合う必要がある。政府や制度の責任にしてはいけない。業界の責務として、政治への影響力も強いのだから。

それぞれが、それぞれの役割と責任を全うし、他に迷惑を掛けず、他を支え、そして別ステージではあっても競い合う。そうあるべきだろう。

大坂なおみ選手の全仏棄権問題に見るアスリートとメディアの関係式

テニスの4大大会、全仏オープンテニスの会見拒否から、心の健康を理由に棄権となった。各メディアやトップアスリートがそれぞれの立場でコメントを発しているが、ワイドショーという環境に守られた無責任コメンテイター達は相変らず、どこかポイントがズレている発言が多く感じる。

<心の健康は現代社会の問題>

この問題は、決してトップアスリートに限った問題事象ではないし、テニス特有の問題でもない。現代の社会問題なのである。

まず、棄権に関してだが、複雑に考える必要は無く、物事は単純化して整理するべきだし、そうでないと本当の問題は見えてこない。

大会の場は、大坂なおみ選手にとって職場であり、そこでの仕事は試合だけでなく、記者会見などのメディア対応、ファン対応なども含めて全て仕事である。その仕事を責任持って実行する事が出来ない健康上の事由が発生して、棄権(休暇)するという事だ。

心の病気も病気であるし、職場を離れざるを得ない立派な事由である。従って、しっかりと療養し治癒させ、復帰プログラムを経て復帰できることを心待ちにしたい。否、こういう期待も心の病の回復には障害に成り得るので静かに見守るべきだろう。メディアも朝から晩まで報道するのではなく、事ここに及んでは静かにするべきだろう。

確かに、会見拒否から、棄権声明のSNS発信など、正直叩かれてもおかしくない表現もいくつかあるが、そこは心の病が故の所作と考えて大目に見ても良いだろう。

これは、アスリートの世界特有の現象ではなく、一般の社会、企業でも多数発生している現象であり心の健康を取り戻すべく対応する以外にないだろう。

会見なしで、プレーだけ出来る様に周囲で配慮、時代遅れの規則を見直すべき等と無責任に言う向も多いが、それは根本的に違う。会見に耐えられない病状で、プレーのストレスに耐えられるとは到底思えない。プレーであっても、自身の思う通りに行かない厳しい場面に出会うだろう、そのプレッシャー、ストレスを乗り越えて、正常にプレーを続け様とする事も、病状を悪化させる要因になり得るのだ。

繰り返すが、プレーと会見等セットで仕事であり、その一部が耐えられない状態であれば、その原因に向き合い、まずは適応できる様に回復を目指すべきなのだ。

<アスリートとメディアの関係>

トップアスリート故のメディア対応の負担だとか、記者会見で浴びせられる心無いインタビューの数々、それらの問題性を殊更極大化して取り上げるのも、本質的ではない。

念のため断っておくが、筆者はメディアの姿勢に関しては、問題性を孕んでいると、憤りを隠せない。数々の上から目線で自身が絶対正義であるかの様な振る舞い、言葉狩、揚げ足取り、人格攻撃等も多く見受けられ、人間的にも、社会的にも決して許されるものではないと感じている。それでも、今回の件で記者会見の方法論や、ルール化等に安直に結びつけるのは、論点のすり替えであり、本質的な問題解決に向かわず、筋が違う論点と考えている。

メディアの問題姿勢に対しては、問題提起はしつつ、自分自身が変える事の出来ない社会悪として、その存在を認識し、自己防衛をする事で対処する必要があるのだ。事実、トップアスリートだけでなく、ジュニアアスリート時代から、メディア対応は教育訓練の対象になっている。

ジュニアアスリートによる、大人から見たら問題発言に思える、天狗の様な発言、振る舞いに対してメディアが総攻撃する事案が過去に幾例も発生していた。ある程度、年齢を重ね、社会に出れば、コミュニケーションの方法や不必要に事を荒げない振る舞いは自然と身に付いてくるが、ジュニアアスリートはその力を備える前にメディア等に晒されるリスクがある。

ジュニアアスリートに対しては、学校やチームの代表としての認識、責任感を持たせ、普段の振る舞いから、メディア対応等も教育している。筆者が代表としてコーチを務めていたクラブチームの選手達も同様に教育を受けていた。学生アスリートなどがテレビのインタビューで、『そうですね・・・』と、決まり言葉から入る事を意識された事はあるだろうか。突拍子もない質問が飛んでくる事も想定し、いきなり答えるのではなく、同意を示しながら、冷静に考える時間を稼ぐ手法、身を守る手法の一つなのである。

ジュニアが自己防衛せざるを得ないという問題は孕んでいるものの、今回の大坂なおみ選手の件とは別次元で検討する必要があるだろう。

<スポーツ普及における共存共栄関係>

スポーツの普及には、底辺の拡大とトップ選手の養成、その両輪が必要不可欠だ。底辺が拡大普及してこないと、トップ選手は出て来ない。トップ選手が活躍しないと底辺の拡大が図れない。そして、選手自ら、地域密着、ファンサービス、普及活動や広報活動にも前向きに取り組む事で競技自体の普及が図れ、それによってアスリート自身の活動の場が確保できるという繋がりがあるのだ。

アスリートだって、他の仕事と同様、全て自分の自由になる訳ではない。思い通りにいかない事も多いだろう。上に行けば行く程、周囲に対する責任も重くなる。それは至極自然の事ではないだろうか。

また、スポーツの普及の為にはメディアの力は必要不可欠だ。ネットの拡販力も相当高まってきてはいるが、まだまだ電波系メディアには敵わない。従って、アスリートとメディアは利害関係者であり、共存共栄が必須の関係なのだ。

そして、昨今の社会問題でメンタルヘルスの問題は更に拡大してきており、アスリートも例外でなくなっているのだろう。これは、別次元で対応するべき問題なのだ。例え、自分自身と思想信条や主義主張が異なろうとも、多様性も尊重し、リスペクトする事が重要。その上で、記者会見も含めた言論空間では、論理性を保つと言う最低限のルールの上、スポーツ競技に関しては競技ルールに則って、遠慮なく全力で戦うべきなのだ。

オリンピックはできるのに、なぜ僕らの運動会はできないの?

この子供の疑問、問いかけに応えられないと、ネットで語られ、メディアでも多くのコメンテイターが同調している。嘆かわしい、大人の責任放棄としか言い様がない。筆者ならこう応える。

子「ねえ、オリンピックはできるのに、なぜ僕らの運動会は中止になったの。僕、楽しみにしていたのに。」

親「そうだね、楽しみにしていたのに残念だけど、今のコロナの状況だと、仕方がないね、もう少しの辛抱だよ。オリンピックはバブルというコロナが広がらない対策をするからできるんだよ。」

子「ふーん。じゃあさあ、運動会もバブルってやつ、やって欲しいなあ。」

親「ははは、そうだね、バブルができたらね。バブルっていうのは、泡って言う意味で、オリンピックの間中は関係者がその泡の中に入って、泡の外の人たちとは接触をしないんだ。だから、泡の外の人たちにはコロナが広がらないんだよ。もちろん、泡の中は毎日のように厳重に検査もするし、自由な行動は出来ないように制限するんだ。運動会でそこまでのことはできないよね。」

子「へえー、バブルってすごいんだ。」

親「そうだね、同じことを運動会でもしやったら、運動会の2週間ほど前から泡の中に入って、運動会の後もすぐには出れないんだよ。その間、家に帰れないし、お父さんたちにも会えない。習い事も出来ないし、お友達とも遊べない。そこまでできないよね。」

子「僕、バブルの中に入るのいやだ。でもさあ、オリンピックの選手たちは、いやじゃあないの。」

親「そうだね、うれしくはないと思うよ。でもね、選手たちは、自分のがんばりたいことを見つけて、ずっと前からがんばり続けて、ようやく世界の1番を決める場所でがんばることができるんだから、少々のことはがまんする意味があるんだよ。○○も何かがんばれることが見つかれば、将来できるかもね。でも、まずはいろいろ経験して、勉強も、運動も、習い事もがんばって、がんばれるものが見つかるといいね。」

子「うん、僕がんばる。でもさあ、お友達の△△君も言ってたんだけど、オリンピック反対だって言う人が多いのはなぜなの。」

親「そうだね。このバブルというルールをみんなが守ってくれるのか、本当にできるのか、心配なんだよ。」

子「ふーん。そういえば説明もないって言ってたよ。」

親「説明がないというのは間違いだね。プレイブックと言うルールブックが発表されていて、今でももっときびしくする必要があるかもって見直し続けているんだ。」

子「そうなんだ」

親「教科書にも書いてあって、授業でも教えてもらって、わからなかったら聞いていないと言ったらだめだよね。」

子「それはずるいね。復習しないとだめだって教わったよ。」

親「バブルのルールは、選手たちは守らないと試合に出れなくなるから、守ると思うんだけど、心配なのは新聞記者だとかマスコミだね。」

子「あ、僕知ってる。よく、人の家にまで押しかけたり、取材ってやってる人でしょう。確かに、あの人たち、ルールを守りそうにないね。」

親「そう、他にも守らなそうな人たちもいるんだけど、そういった人たちの人数を少なくするとか、ルールをもっときびしくするとか、最後まで考えているんだよ。」

子「でもさあ、大人なんだから、ルールは守らなくちゃ恥ずかしいよね。」

親「あとね、バブルっていうのは、今回が初めてではないんだよ。」

子「え、そうなの」

親「コロナが流行って最初は分からないことが多かったから、何もできなかったんだけど、この1年間でいろいろ試して、少しずつ、こうやれば感染を防いで、スポーツの試合ができるって分かってきたんだ。」

子「そうだよね。野球だとか、他の試合も今はやっているもんね。昨日、ジャイアンツの岡本選手のホームランすごかったなあ。」

親「そう、プロ野球などは完全なバブルではないけど、一部の選手でコロナを見つけたら、広めないルールを決めて、観客も入れてできているんだよ。サッカーだってワールドカップ予選とか国際大会もやれているよね。世界中で、いろいろ試していて、感染を広めないやり方は分かってきてるんだ。それに、オリンピックの他の種目もテスト大会をして本当にどこまでできるか確認してるんだよ。だから、他の試合と比べてもきびしいルールでやるんだよ。」

子「それなら安心だね」

親「それでも完全ではないし、絶対ではないから、最後まで、もっと安全にするにはどうすればいいか、考えているんだよ。」

子「わかった。それなら楽しみだね。」

親「うん、スポーツや文化は、人を元気にしてくれるよね。コロナの最初の頃は、不要不急ってひとくくりで言ってたけど、最近はスポーツや文化は人のくらしの中でとっても大切だって言われて、みんなが知恵を出しているんだよ。だから、緊急事態って言ってもイベントやスポーツの大会は感染対策を工夫して行われているんだ。」

子「ぼく、お芝居とかも好きだよ。おもしろかったり、楽しかったり、泣けたりするもんね。」

親「まだ、飲食店とかお医者さんとか大変なんだけど、もう少し、ワクチンが世界中に広まれば他のことも順番にできるようになってくるよ。そうすると、運動会もできるようになるね。じゃあ、まずは世界中の選手のがんばりを見て、応援して、元気になろうね。」

子「僕、◇◇を応援するんだ。メダル取れるかな?」

有事対応の地方自治と中央集権のバランスの問題が決着

河野大臣がワクチン接種予約の初期混乱に対して、BS報道番組で混乱を発生させた原因を、自分自身の指示が甘い、ミスだったと謝罪した。

ワクチン接種の順番は様々な議論が存在した。一番公平なのは、先着順。しかし、この場合のデメリットは初期の混乱であった。何らかの順位をつけると、混乱を防ぐ効果はあるが、デメリットとして公平性の担保が難しい。

その状況で、全国一律に決める事は困難で、地域毎の事情に合わせて、バランスを取る様に政府からは指示が発せられたが、これが地域任せで充分な機能が果たせず、もっと中央から細かな指示を出すべきだったとの反省の弁なのだ。

つまり、地方自治における判断能力、執行能力に問題があり、国が権限行使し統制する形にしないとダメだと判断した事になる。百歩譲っても、有事においては中央政府が責任と権限を握って采配を振るう必要があると、問題提起しているのである。

この1年、国と地方の対立が数々指摘され、結局地方では有事対応は無理だと、一定の結論が出された事になる。この考え自体が、次期総理候補から発せられた事も重要であろう。

橋下元知事や片山元知事などは、地方の事情を熟知した知事に、もっと権限を委譲するべき趣旨の発言が多かったが、知事経験者からは確かに実権(法的根拠のある)を持たないと何もできないと言うのは分かるが、この1年間、全国を見ても執行能力の差などが顕著な状況が露呈し、無理がある事は明らかだろう。

日本のコロナ禍における最大の問題は医療崩壊である事は疑い様が無いだろう。さざ波状態の感染者数で、医療資源は世界に誇れる程豊富であるにもかかわらず、コロナ対応に割ける資源が枯渇すると言う状態である。様々な言い訳は聞こえてくるが、所詮言い訳に過ぎず、やるべき事は明確なのに、やっていない、やれない事は誰も否定できないはずだ。

医療体制の強化に関して、政府が何もしていないとメディアは騒ぐが、実行責任は地方自治側にある。都道府県、市町村と地域医療との協力体制において必要な資源配分を決める必要があるのだが、これが全く機能していない。法的強制力が無い、地域医師会が非協力的、無理強いすると次回選挙で組織票が逃げる等の問題があろうとも、有事対応はそんな平時の感覚で対応していては破綻するのは至極当然の事なのだ。

法的整備とは、各地方での具体策が検討された上で必要な整備を行うものである。実運用上の必要性を訴えて初めて俎上に上がるのだ。つまり、受け身ではダメで、現場の具体策なくして法整備など進む訳がない。

唯一、大阪府吉村知事は、集中治療センターを開設して対応強化を図ったが、結局人的資源の獲得、医療業界の協力が得られず、自衛隊の投入まで要請された事は記憶に新しい。

ワクチン接種も同様。政府の調達が成功しても、打ち手がいないと後ろ向きな姿勢が全般を締めていた。結局、政府が集中接種センターを開設し自衛隊まで投入する決断を下し、更には、超法規的措置、明らかな法律違反である歯科医にも接種をさせる方向まで覚悟を決めて打ち出し、医療業界に突き付けた形だ。

この相次ぐ措置は強力だ。抵抗勢力であった、医師会に対し、表向き全面協力を要請しながら、『非協力的であれば貴方達を充てにしなくてもやって見せるけど、どうするの?』という姿勢なのだ。そして、医師会長のパーティー事件に対しても、政治からは特段の追及は野党も含めてなく、政治資金と既得権益は維持する方向である。この状況でも非協力的、抵抗を続けている様では、自らの既得権益を根本的に失う事態も招きかねない状態にまで追い込んでいる。これで、協力しなければ身を滅ぼすだけだろう。

ここまで国がやって、地方行政は何もできない。様々な知事がパフォーマンスはご立派でも、本質的な医療体制にメスを入れる行動は出来ず、住民へのしわ寄せに終始するだけでは、地方自治は、夢のまた夢としか言い様がない。最小から国が強権発動していたら、それはそれで反発も大きかっただろうし、潰されていたかもしれないと考えると、民主主義とはかくも面倒なものだと改めて痛感する昨今である。

五輪の医療体制も、コロナ対応とは全く別の90%以上の資源で協力体制が確立しつつある。国民の命を犠牲にする医療資源を割く必要は全くなく、バブルという一種の隔離対策で、感染の抑止を行えば、五輪開催反対の理由は、元々の反対、五輪の政治利用以外に存在しなくなる。

唯一、観客をどこまで入れるかという問題はあるが、最悪無観客まで覚悟すれば、何も問題ない。医師会も左翼政治活動系団体以外は反対できないだろう。寧ろ、反対せずに、リスクを最小化する為に全面協力すると宣言すれば、立場の挽回も可能だろう。

夢の祭典を純粋に応援する。スポーツが与える感動は、文化と同様、不要不急ではなく、心を豊かにし活力をもたらす、現代社会にとって欠くことが出来ない要素である事を、もう一度、コロナ禍だからこそ、全世界に訴える、その様な意義のある大会に出来るだろう。

五輪テストマッチに対する批判は国益毀損行為である

札幌で五輪マラソンのテストマッチが開催され、沿道メッセージ等でも批判が殺到した。政治利用や国益棄損を目的としている意思を持った行動は仕方がないだろうが、危機と煽られ、脊髄反射的に踊らされている人達は目を覚まして欲しい。それは、いじめに加担する無自覚・無責任層と同じ、加害者でしかないからだ。そこには、反対する論理的理由も持たず、その事により、アスリート個人を苦しめ、日本に大きな国際的悪影響をもたらす事を理解して欲しい。

恐らくここまでで、脊髄反射的に反論、暴論が発生し、以降は全く聞く耳を持たない、読みもしない誹謗中傷が、ワンセンテンスで飛び交うかもしれないが、まずは、冷静になって読んでもらいたい。

まず、最初に語るべきは、五輪開催は日本の国際公約である事。そして、開催の是非を決める権限は日本になく、IOCにある。つまり、日本の勝手な理由で五輪開催準備を滞らせる事は、国際公約を守らない、信用できない国になる事に等しいのだ。従って、現段階では粛々と開催に向けて準備を進める責任が日本にはある。

勿論、国内事情的にも感染対策を万全に行い、万が一にもクラスターを発生させない事を前提で、実際の大会時のシミュレーションをしっかりこなし、成功させるための準備にあたる必要がある。

3回目の緊急事態宣言において、プロ野球やサッカーなど、無観客や一部中止も発生しているが、機構側はあくまで決定には従うものの、感染対策は1年間のノウハウの積み上げもあり、観客を入れての開催にも自信を持っており、抗議の姿勢も示している。実際、実績としても感染拡大には繋がっていない。海外のスポーツイベントに関しても同様のノウハウの積み上げがある。これは、論文が出されていなくても、科学的実証と呼べるものであり、中止する科学的、合理的理由は存在しないのだ。

更に、五輪開催まで2か月ある。今、緊急事態宣言下である事は、先の中止の理由として説得力に欠け、ましてや感染状況の数字的にも、ワクチン接種が進み収束してきている国と同レベルの状況に過ぎない。こんな状態で、医療崩壊と騒いでいると、諸外国から嘲笑され兼ねないのだ。

『2週間後にはニューヨークと同様の状態になっている』、『死者は42万人になる』等、脅され続けてきたが、これまで何一つ実現していない。今度は、変異株の猛威で、『従来の対策では全く効果が無い』と危機を煽っているが、そろそろ化けの皮が剥がれてきた。思えば、昨年の緊急事態宣言1回目も変異株であり、繰り返される自然現象だが、初めて発生した脅威の様に危機を煽っている。報道にある様に、人流はそれ程減少していないが、爆発的に感染拡大している訳ではなく、均衡状態、下降トレンド推移が実態だ。変異と淘汰は自然現象であり、イコール脅威ではない。

それよりも、準備を怠り、実際の大会開催時に問題を起こす方が余程問題が大きくなる。少なくともIOCが中止と決定するまでは、準備を怠らず、開催に向けて努力する義務があるのだ。

その準備の足を引っ張る行為は、即ち、国益棄損に繋がり兼ねない事を理解するべきだろう。

そして何より、主人公であるアスリートは悩み、傷付いている。国民世論が反対しているという報道は、少なからずアスリートの心を傷付けているのだ。彼らは、不用意な発言が出来ず、とは言え、自分の人生をかけた戦いに臨むべく準備を進めている。外野の雑音を無くし、静かに専念出来る環境を提供するのが、開催国としての責務だろう。

今回の緊急事態宣言において、政府は人流抑制を前面に押し出した。それは、1回目の宣言と同様である。しかし、人流は報道にある通り、1回目と同様の減少は起きていない。

この理由は筆者には明確に思える。報道や専門家が言う、気の緩みや、もう我慢できないと言うのとは少し違って、人流抑制による具体的効果、合理的な必要性の説明が無く(非科学的でエビデンスが無いので説明のしようがない)、納得性が無い事だと思っている。賢明な国民の多くは、感染抑止のノウハウを1年積み上げてきた。情報不足時には盲目的に従ったが、今では8割削減の必要性が無いと判断しているのだ。

日本人は、それ程馬鹿ではない。本当に人流抑制が必要だと信じていれば、補償はなくとも、苦労してでも自粛する。人流がそれ程減少していないのは、必要性の乏しさを察知しているからに他ならない。声として聞こえてこないのは、同調圧力で本音を言えないだけであり、世論調査と実際の行動に矛盾が生じているのだ。政治は、声に出せない多数の声に耳を傾けないと政策を誤ってしまうだろう。

それでも盲目的に危機感だけ抱き、正しい恐れ方が分からなくなっている層は、一定数存在する。その中の一部がボーカルマイノリティとして、声を上げ、攻撃的で過激になっているに過ぎない。正しい恐れ方が分からないという事は、正しく感染抑止行動が出来ないという事であり、感染拡大の最大の要因となる。

諸外国から嘲笑されない様に、自爆だけは避けたいものだ。

今年のJLPGAプロテストが注目だ

日本の女子ゴルフ界が活況に沸く。トップは、世界で通用する事を証明した畑岡奈紗、渋野日向子。そして同じ黄金世代の小祝さくら、原英莉花、河本結、勝みなみ、新垣比菜、吉本ひかる、山路昌、臼井麗香、浅井咲希など。ミレニアム世代の古江彩佳、西村優菜、安田祐香、吉田優利、山口すず夏。その他にも同年代に、稲見萌寧、成人後は日本国籍を予定しているという笹生優花、ベテラン層も上田桃子、鈴木愛、渡邊彩香、菊地絵理香、原江里菜、有村智恵、柏原明日架、藤田光里などまだまだ健在、挙げだしたらキリがなく、群雄割拠で大変楽しみな状況なのだ。

もともと、アマチュアゴルファーにとって、男子プロの異次元の世界のゴルフも楽しみではあるが、自身の距離感と近く、コースの攻め方、持つ番手など参考にもなり、それでいながら好スコアを出してくるプレーは、見ていても親近感を覚え、楽しめるので人気があった所に世界での活躍が後を押したのだ。

そして、昨年中止されたプロテストの延期扱いのプロテストが今年行われているが、大変注目を集めつつ、筆者は1アマチュアゴルファーとしても、大問題も抱えていると感じているのだ。

注目させてくれている要因は、コロナ禍におけるYouTubeによるゴルフ動画の拡散拡大と考えている。その中でも、プロの卵(この表現は正確には間違いである事を後述する)自身が発信する動画や、応援する企画等が目白押しなのだ。『白金台女子ゴルフ部』や『3284TV』、BSまで入れると『ゴルフサバイバル』『激芯ゴルフ~93期生への道~ 』などがその例であろうし、地上波でも珍しく不人気番組であった『日曜ゴルフっしょ』に代わる『ゴルフのキズナ』などにも企画として波及し始めた。それらの番組では、ツアープロと対等に戦える力を持ち、素晴らしいプレーを見せてくれながら、プロテスト合格を目指す姿が映し出されている。キャラも前面に出しつつ、直向きに目標に向かう姿は、自然と応援したくさせてくれるのだ。

しかし、別の視点で考えると、ここまでの注目を集め、企画として成立する背景を考えると、問題性を感じざるを得ないし、改善を期待したいのだ。その問題の根本は余りにも狭き門である事なのだ。

先に『プロの卵』と表現したが、実は彼女たちは既に夫々にプロフェッショナルなのだ。実は、プロのトーナメント(下部ツアーなど)を優勝する力も持ち、上位成績を収めている選手は多い。ステップアップツアーの優勝コメントで次の目標を『プロテスト合格』と話したのを聞いたこともある。QTをクリアしてレギュラーツアーでの活躍も見たことがある。つまり、賞金を稼ぐツアープロ選手であり、その実力があるのだ。

プロテストに合格しても、シード権を取得できず、QTランキングでも上位になれず、試合に出場できない選手は沢山いて、その選手たちとの違いは、プロテストに合格しているか、いないかだけなのだ。

確かに、ある一定の技量をプロの条件とするのは当然の事だろうが、1年に20人の枠は少な過ぎるだろう。昔と異なり、底辺は拡大しており、これだけの群雄割拠状態であれば、それに応じて枠も拡大させて、更なる普及による底辺拡大を目指す事が、世界と戦い勝負する為のレベルアップにも通じる必要条件なのだ。

そもそも、今の時代、プロテストに意味があるのか疑問である。ツアーで戦う技量の担保は、QTやステップアップツアーが担っており、ツアーのレベルは保っているのではないだろうか。プロテストを狭き門にする必要が無いのだ。プロになっても稼げず、稼ぐためには、ツアーに出る権利を獲得しなければならないからだ。

今までは、プロテスト未合格者もツアーに出る戦いをクリアし戦っていたのだが、プロテスト合格者でないとQTにすら出場できない様にルールが改正された。これで、多くのプロテスト難民が発生したのだ。

よく考えて欲しい、アメリカツーにはプロ資格制度は無い。誰でも、出場権を獲得すれば、試合に出場できる。門戸を開きながら、政界最高峰のレベルが担保できている。

現在の女子ゴルフ界の活況は、宮里藍選手に憧れた年代の底辺拡大より繋がっている。黄金世代、プレミアム世代と繋がり、次世代に更に底辺拡大し、ゴルフ界を盛り上げ、世界で戦うレベルアップを果たすためには、今、枠を広めないと、逆行させてしまい、シュリンクする方向に向かうのではないだろうか。

ゴルフ界の繁栄の為にも、今年のプロテストへの注目を更に高め、普及へのギアチャンジを協会に託すべく、拡散できれば幸いである。少なくとも、今年の合格枠は延期であるならば、倍の40名に今からでも増枠を検討するのが筋ではないのだろうか。

最後に筆者の応援する期待の選手を全く私感ではあるが、挙げておく。

『白金台女子ゴルフ部』から、先日の1次予選を通過した、井上莉花、荒川侑奈、稲葉七海、佐久間夏美、楠本綾乃、岡田唯花、八巻聖良、江口紗代、同じく昨年最終予選進出条件で臨む、篠崎愛、植手桃子、山下美樹。その他三嘴門下、幡野夏生、瀬戸瑞希、瀬賀百花、今綾奈。その他にも、DSPEプロジェクトからは、柴田香奈、小林瑞希、田邊美莉、平塚新夢、五月女栞雛、西山沙也香、立浦琴奈、鈴木絢賀、新真菜弥、諸西諭里、四村彩也香、須江唯加・・・・軽く20人を超えてしまう。本当に頑張って欲しい。

五輪を開催できない理由は全く無い

冷静に考えて欲しい。何故、これ程までに開催国である日本の与論が開催に前向きでないのだろうか、その理由は何なのか?脊髄反射的に、『コロナ禍で出来る訳がない』『公平な競技が出来ない』『そんなお金があれば補償に使うべき』などなど。私に聞こえてくる限り、合理的理由になっていない、単なる言いがかりに聞こえてくる話が殆どだ。だが、そう感じるのは少数派らしく、猛反発を食らうかもしれないが、アスリートファーストで考えた場合に、どうしても黙っていられないので語らせて頂く。

『コロナ禍で出来る訳がない』だが、何故コロナ禍では出来ないというのだろうか。既に、様々なスポーツ大会は開催されている。プロ野球、サッカーJリーグ、大相撲、卓球、水泳、体操等、その中で感染拡大の問題は聞こえてこない。海外に目を向けても大リーグ,アメフト、バスケ、テニス、ゴルフなどなど開催されている。即ち、世界的にコロナ禍において、スポーツの大会を安全に開催運営するノウハウは獲得しており、これからも最後まで知恵を結集した、より安全な運営の模索は可能である。森前会長がコロナ禍でもやると言い切ったのは、言葉足らずだったかもしれないが、それだけの安全対策、リスク低減策に手ごたえがあっての事なのだ。ましてや、北半球が夏季に向かい、ワクチン効果も少なからずあるのだから反対する理由にならない。

『公平な競技が出来ない』に関しても、確かに国ごとに感染状況が異なり、選手派遣どころではないという事情もあるかもしれない。選手選考も困窮を極めているかもしれない。しかし、そもそも今までの大会で全ての選考が公平だったと言い切れるのだろうか。ボイコットやドーピング問題だけでなく、通常の選考でも悲喜交々であり、その時の状況、環境に大なり小なり影響を受け有利不利はあっただろう。それもドラマだ。そして、今回は突然でなく1年延期しての時間的猶予もあった。出来ない理由にはならない。

『そんなお金があれば補償や医療対策に使うべき』。いやいや、それは別の問題であろう。これだけ財政出動している状況で、五輪がなくなったらそのお金が余ると考える方が間違っている。必要なお金は、赤字国債発行してでも予算を組む状況なので、全く論点がズレている。

冷静に考えて欲しい。コロナ禍以前から、根強い反対層が存在したのは事実だ。その方々は、信念を持っておられるのだろう。しかし、多くの方々は、今のメディア報道の影響を受け、感覚的な感情論、排他的な思い込みが形成されてしまい、冷静に落ち着いて様々な情報を俯瞰して考えた結果とはとても思えないのだ。冷静に考えれば、開催できない理由はことごとく解消されており、世界的に外堀も埋まっているのだ。もし、反対論が出るとすれば、政治的な利害関係が伴うものと理解するべきであり、コロナ禍は言い訳に過ぎないのだ。

思い出して欲しい、出来ないではなく、どうやれば出来るのか考えて欲しい、という魂の叫びを。アスリートの心の叫びに少しは耳を傾けて欲しいのだ。

<組織委員会会長選出でもイチャモンが多すぎる>

森会長辞任を受けた、組織委員会の会長選考に当たって、皆が納得する答え、国民をステークホルダーとする国民参加型の意思決定とプロセスの透明性担保が必要と毎日の様に報道されている。川渕氏が一時内定された様に報道されたのは、何も川渕氏が自ら発表した訳ではなく、マスコミが直撃インタビューしたスクープの結果なのに、密室での決定と言い放つ。ご本人も、正式に推薦されればと前提を置いて話していたので、候補としての意気込みや使命感を語ってくれた内容だった。人事のプロセスにおいて事前に情報が洩れると破談になる典型例だろう。なのに、透明性を担保しろという?

国民参加の透明性確保は理想論であろうが、現実的なのだろうか。国民投票でもしろというのだろうか。その様な時間の猶予が無いことぐらい分かるだろう。そもそも、各理事が国民の意見を代表して理事会で発言するべきなのだが、そこから手を付けていると、制度改革や規則改定など様々な手順が必要不可欠で、何年先の話になるのだろうか。組織が機能不順に陥り、短期間で結果を出さなければならないのであれば、強力なリーダーシップがなければ何も解決しないことは、マネジメントや組織論を少しでも理解していれば自明なのだ。権限移譲が不可欠であり、総意などあり得ないのだ。

何か答えを出したら、何かにつけてイチャモンを付けるのが今のメディアだろう。つまり、どんな答えでも納得性を失墜させる強力な力をメディアは持っている。その逆風を真っ向から受ける状況下、所謂、修羅場に身を投じて結果を出せる資質は、綺麗ごとでは身につかない。寧ろ、平時は嫌われ者で、敵の多いタイプでないと出来ない汚れ仕事なのだ。

そんな修羅場をリアルに想像できる人間は実際には殆どいないだろうから、皆の総意では組織は破綻するのは当然なのだ。

中井学、飛ぶ鳥跡を濁してのUUUM退所に物申す

UUUMゴルフは私も楽しく視聴させて頂いているYouTubeメディアである。看板娘のなみきちゃんの100切挑戦、としみんの白ティーから70台挑戦、こころちゃんのミッドアマ挑戦、進藤大典プロキャディとなみきちゃんペアによるスクランブル競技挑戦、プロバド、各種レッスンなどなど、豊富な企画がウリだ。

そのUUUMゴルフと立ち上げ時期から3年間契約していた中井学プロが、昨年末契約を継続せず、独自のチャンネルを立ち上げた。円満退所、ではなく、3年間の不満を曝露した動画を投稿したのだ。その内容に対して、UUUMゴルフ側は事実と反するとして、法的措置も検討すると発表した。

新たな中井学チャンネルには驚異的な登録者(13日時点で15万人超)が集まっているとのことだ。しかし、ゴルフを愛する立場から、そして、危機管理経営の観点から言わせてもらうと、中井学プロは、早急にUUUMゴルフに対して謝罪し、謝罪動画を投稿して円満に和解するべきだ。争って得られるものは感情面以外に何もなく、失うリスクは計り知れない。

逆に、UUUMゴルフの立場から言うと、この言われ様には黙っている訳にはいかないだろう。明らかな損害が生じるだろうからだ。実際、既に何万という登録減が発生している様だ。

では、正しい認識の為にも、中井学プロの言い分を動画からの情報で客観的に検証してみよう。

<退所を決断した理由>

  • 本当に苦しい3年間だった、苦しみの方が勝ってしまった
  • やりたい仕事が出来ない、やりたいレッスンが出来ない
  • ゴルフの楽しさを伝えて、ゴルフに恩返しがしたいが、理想から離れていく

ゼロからの立ち上げに賛同して、協力した立場としての苦悩が推し量れる。創業から軌道に乗っていく過程でありがちなビジョンや方向性の乖離なのだろう。この内容だけなら、新たなステージに向けて双方とも理解し合って、リスペクトした状態での独立はあり得る。

<3年間の契約内容>

  • 契約は専属マネジメント契約であった
  • 対価の条件は固定給でインセンティブはなし

事実関係は、これだけだ。従って、チャンネル立ち上げのリスクを中井学は被らないが、逆にどれだけ成果が上がろうとも、その成果はUUUM側にあるという、ありがちな契約であり、文句の付け様は無い。途中、契約内容変更の話し合いはあった様だが、結論としてこの契約を更新している限り、固定給以外にインセンティブが無いのは当然である。

<契約変更の協議とその心情的背景>

  • 2年弱で赤字は解消したが、中井学はその事実を知らされなかった
  1. リスクのない固定給契約相手に知らせる義務は無いので問題は無い
  2. 累積損失解消しこれから収益拡大基盤に乗せる時期に、黒字化したから即インセンティブをよこせと言うのは虫が良すぎる
  • 頑張った事を認めてもらえなかった、ありがとうの感謝もない
  • お金の面は我慢していた、言い出せない空気感があった
  1. 極めて感情的で、真偽の程は定かではなく、立証も困難?
  • イベントなどの仕事の依頼は3年間で数件のみ
  1. このことで何が言いたいかは不明だが、動画制作の仕事は多数ある
  • マネージャーは付いていなかった
  1. 専属マネジメント契約だからと言って、必ずマネージャーが付いている必要性は無いはず
  2. 赤字立上げ、固定給で了解し契約していることからも了解の上に思える
  • 個人のスポンサー契約の一部もUUUMに共有を要求された
  • アドセンス、案件動画の収入は受け取らない条件で折り合う
  1. 専属マネジメント契約とは、事務所に所属した芸人の芸能活動を支援する一方、権利等の帰属を事務所側が持つ事が多いので、個人のスポンサー契約と言い切れるかどうかは協議が必要
  2. 対価は個々の交渉事項であり、固定給のみの契約もあり得る。
  3. どちらにしても、契約締結時点で双方了解している事項のはず
  • 3年間収入減、UUUMを敵対視するメディアが多く他の仕事が減少
  1. 事実としても、UUUM側に責がある事項ではない

まとめ

総論として、契約事項に関して、様々な協議はあったかもしれないが、少なくとも3年間に関しては、双方合意の契約として締結されているので、契約不履行などの問題性は感じられない。

勿論、今後の契約条件で合意できず、契約できない事はあり得るが、それは過去の契約に遡らない。従って、契約が合意に至らず、円満退所、というのは通常の話なのだ。

中井学プロは、UUUMとの契約前から知名なレッスンプロである。しかし、少なからずこの3年間、UUUMの中井学プロというブランドは確立されている。合意に至らずとも、静かに独立すれば、良かっただけなのに、周囲には賢明なアドバイスをする人間がいなかったのだろうか?残念である。

よくある専属マネジメント契約でのトラブルは、契約破棄後の権利の帰属に関する事が多い。契約時のブランドである芸名の使用禁止などである。しかし、今回その様な訴えはUUUM側から聞こえてきていない。中井学プロさえ、あんな告発をしなければ、少なくとも表面上は円満であり、双方に損害は生じなかったはずだ。

しかし、実際にUUUMは登録数が減少し、損害を被ってしまった。偽計業務妨害として訴える事も可能に思える。係争になって、どちらが勝つかまでは不明だが、争えば、間違いなく双方に悪印象、ダメージが残ることになる。そう、裁判の勝敗に関わらず、中井学ブランドもUUUMブランドも毀損する、いや、既にあの動画で一定の毀損はしているのだ。

ここに至っては、まずは、中井学プロからの謝罪が望ましいだろ。その上で、スポット契約でなみきちゃんの100切企画を継続し最後までやり遂げれば、双方のブランド力も回復するのではないだろうか。1ファンとしてなみきちゃんの100切は見てみたく、期待して止まない。

我が娘、競技ゴルフデビュー、スクランブルゴルフで発進

コロナ禍で素振り特訓に明け暮れ、飛躍的に競技力を伸ばした光里の競技デビューとして、本日スクランブルゴルフのウィンターWinterOpen予選大会に私と組んで出場。なんと、光里を最初に教えてくれたワンダーゴルフの支配人、チーチングプロの大坪さんと再会した。大会の競技役員として来られていた様で、声をかけて頂いた。なんとも、ゴルフ界は広い様で狭い、こんな所で再開できるなんて。今後も時々出場させて頂くつもりだが、また再会できそうだ。

競技はミックスダブルス戦、ティーショットを最低でも7回セレクトしなければいけないのが最大の関門だったが、それは簡単にクリア。肝心の成績だが、午前中は、1バーディー、3ボギーの2オーバー。午後は1バーディー、4ボギーの3オーバー。トータル77で6位。4位までが決勝進出なので残念ながら予選敗退。でも、初競技でダブルスとはいえ、77は、まずまず。と思っていたら、光里は、相当悔しそう。家族も、なんだ77か?という反応。いやいや、77は相当頑張っているはずなんだけど・・・・・。

私にとっても、今年のゴルフ、打ち初め。朝の練習時は手が悴む状態で、練習グリーンがカチンコチン、これではスコアをまとめるのは相当困難と思ってのスタートだったので、まずまずと思っている。確かに、アプローチはこの様な状況で、寄らなかった。風も強く、2クラブ以上の影響もあって、縦の距離感に苦労した。その状況でも凌げたのは、ドライバーの調子が良かったお陰だろう。

光里も本来初競技で緊張するはずだが、朝一のティーショットぐらいだろうか、緊張の影響があったのは。つま先下がりのライを選ばざるを得なかった時も、確実にグリーンをとらえたり、超ロングパットを沈めたり、最終ホールのバーディーパットを沈めるなど、結構貢献してくれた。

光里は、これで、自信もついてくれただろうし、悔しさも味わった。どこかでリベンジできるだろう。そして、個人としてもパーソナルベスト更新、90切は年内に達成できるだろう。楽しみだ。

コロナ禍での我が家のゴルフ成果

コロナ禍で緊急事態宣言まで発出された1年であったが、巣ごもりの我が家の暇つぶし、ゴルフ一家として春に購入した練習用マットが、およそ9か月でこの様なズタボロ状態までなった。わずか、9か月である。

それ程、素振りに明け暮れた1年であった。それはそうだろう、打ちっぱなし練習場すら休業する状況なのだから。我が家の家族にとって身体動かさないのは、コロナに感染するよりも重症に陥ってしまうのだ。常に動いていないと死んでしまう回遊魚的な性質を持つ一家なのだ。

そして、怪我の功名とも言えるのだろうか、家族全員がパーソナルベストを更新、大幅レベルアップが果たせたのだ。

妻は、昨年まで年3回~程度のラウンドで、100を切れないゴルファーだった。しかし、今年は目標の100切を達成、どころかベスト91まで達成できた。ゴルフになってきた、面白くなってきた。来年は90切達成は確実るだろう。

光里は、陸上を引退し、ファンランも激減し、ゴルフに邁進した1年で、初心者の域から、100切をウームゴルフのなみきちゃんに先んじて達成、ベスト93、ハーフベスト43をマークした。陸上で鍛えた体幹と地面をとらえ反力を伝えるスウィングを習得、飛躍的な上達を成し遂げた。来年、同様に90切は当然、この先父さんと本気の勝負が出来るまで頑張って欲しい。

有美香は、大学最終年度、就職活動や卒業研究などでラウンド数は限られたが、それでもベスト102と100切に肉薄。そして何よりも、豪快なスウィング、ヘッドスピードで40に迫るパワーを持って、220ヤードドライブを実現。この力は、何よりも貴重でこの先の伸びしろはトンデモナイ、期待の星だ。

最後に私自身も、本年パープレイ、72を達成。生涯目標のエージシュートを本気で目指せる年齢まであと12年余り、それまでに更なるレベルアップと体力維持が課題。本年、クラブ競技の中止が前半特に相次いだためか、月例等では不調だったが、来年は確実に狙いに行く。

コロナ禍での基礎トレーニング、素振り。この大切さを実感し、来年は2代目素振りマットの登場となる。我が家の躍進は止まらない。