五輪を開催できない理由は全く無い

冷静に考えて欲しい。何故、これ程までに開催国である日本の与論が開催に前向きでないのだろうか、その理由は何なのか?脊髄反射的に、『コロナ禍で出来る訳がない』『公平な競技が出来ない』『そんなお金があれば補償に使うべき』などなど。私に聞こえてくる限り、合理的理由になっていない、単なる言いがかりに聞こえてくる話が殆どだ。だが、そう感じるのは少数派らしく、猛反発を食らうかもしれないが、アスリートファーストで考えた場合に、どうしても黙っていられないので語らせて頂く。

『コロナ禍で出来る訳がない』だが、何故コロナ禍では出来ないというのだろうか。既に、様々なスポーツ大会は開催されている。プロ野球、サッカーJリーグ、大相撲、卓球、水泳、体操等、その中で感染拡大の問題は聞こえてこない。海外に目を向けても大リーグ,アメフト、バスケ、テニス、ゴルフなどなど開催されている。即ち、世界的にコロナ禍において、スポーツの大会を安全に開催運営するノウハウは獲得しており、これからも最後まで知恵を結集した、より安全な運営の模索は可能である。森前会長がコロナ禍でもやると言い切ったのは、言葉足らずだったかもしれないが、それだけの安全対策、リスク低減策に手ごたえがあっての事なのだ。ましてや、北半球が夏季に向かい、ワクチン効果も少なからずあるのだから反対する理由にならない。

『公平な競技が出来ない』に関しても、確かに国ごとに感染状況が異なり、選手派遣どころではないという事情もあるかもしれない。選手選考も困窮を極めているかもしれない。しかし、そもそも今までの大会で全ての選考が公平だったと言い切れるのだろうか。ボイコットやドーピング問題だけでなく、通常の選考でも悲喜交々であり、その時の状況、環境に大なり小なり影響を受け有利不利はあっただろう。それもドラマだ。そして、今回は突然でなく1年延期しての時間的猶予もあった。出来ない理由にはならない。

『そんなお金があれば補償や医療対策に使うべき』。いやいや、それは別の問題であろう。これだけ財政出動している状況で、五輪がなくなったらそのお金が余ると考える方が間違っている。必要なお金は、赤字国債発行してでも予算を組む状況なので、全く論点がズレている。

冷静に考えて欲しい。コロナ禍以前から、根強い反対層が存在したのは事実だ。その方々は、信念を持っておられるのだろう。しかし、多くの方々は、今のメディア報道の影響を受け、感覚的な感情論、排他的な思い込みが形成されてしまい、冷静に落ち着いて様々な情報を俯瞰して考えた結果とはとても思えないのだ。冷静に考えれば、開催できない理由はことごとく解消されており、世界的に外堀も埋まっているのだ。もし、反対論が出るとすれば、政治的な利害関係が伴うものと理解するべきであり、コロナ禍は言い訳に過ぎないのだ。

思い出して欲しい、出来ないではなく、どうやれば出来るのか考えて欲しい、という魂の叫びを。アスリートの心の叫びに少しは耳を傾けて欲しいのだ。

<組織委員会会長選出でもイチャモンが多すぎる>

森会長辞任を受けた、組織委員会の会長選考に当たって、皆が納得する答え、国民をステークホルダーとする国民参加型の意思決定とプロセスの透明性担保が必要と毎日の様に報道されている。川渕氏が一時内定された様に報道されたのは、何も川渕氏が自ら発表した訳ではなく、マスコミが直撃インタビューしたスクープの結果なのに、密室での決定と言い放つ。ご本人も、正式に推薦されればと前提を置いて話していたので、候補としての意気込みや使命感を語ってくれた内容だった。人事のプロセスにおいて事前に情報が洩れると破談になる典型例だろう。なのに、透明性を担保しろという?

国民参加の透明性確保は理想論であろうが、現実的なのだろうか。国民投票でもしろというのだろうか。その様な時間の猶予が無いことぐらい分かるだろう。そもそも、各理事が国民の意見を代表して理事会で発言するべきなのだが、そこから手を付けていると、制度改革や規則改定など様々な手順が必要不可欠で、何年先の話になるのだろうか。組織が機能不順に陥り、短期間で結果を出さなければならないのであれば、強力なリーダーシップがなければ何も解決しないことは、マネジメントや組織論を少しでも理解していれば自明なのだ。権限移譲が不可欠であり、総意などあり得ないのだ。

何か答えを出したら、何かにつけてイチャモンを付けるのが今のメディアだろう。つまり、どんな答えでも納得性を失墜させる強力な力をメディアは持っている。その逆風を真っ向から受ける状況下、所謂、修羅場に身を投じて結果を出せる資質は、綺麗ごとでは身につかない。寧ろ、平時は嫌われ者で、敵の多いタイプでないと出来ない汚れ仕事なのだ。

そんな修羅場をリアルに想像できる人間は実際には殆どいないだろうから、皆の総意では組織は破綻するのは当然なのだ。

人権派の攻撃は対象の人権を蹂躙する

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の発言が国内外で炎上している。発言は撤回され謝罪をして、IOCも一旦、問題は終わったと幕引きを図ったが、人権派の攻撃は過激化し、世界的世論も背景に同調圧力も加わり、公開処刑、私刑にも似た状況になっている。

森会長の発言自体、今の世界的な情勢、価値観の変容を理解しているとは思えず、この様な騒ぎに発展しうるリスクを軽視し、自身の責任ある立場による影響力も軽んじたと非難されても仕方が無く、本意でなかったとしても、決して許されるものとは思えない。だからこそ、撤回し謝罪したのだろう。

日本は遅れている、認識が甘い、女性蔑視社会と国際社会に評価されてしまうマイナスは大きい。ジェンダー・ギャップ指数が121位と低迷しているが、その中でも政治分野が144位と最悪なのだ。しかし、この順位が実態を本当に反映しているのだろうか、真の問題が見えなくなっているのではないだろうか、疑問に思っている。

実際、性差別は今でもゼロではないだろう。そして、差別は性差別だけでなく他にも様々ある。人は等しく平等で、人権は守られるべきだが、何故か差別は発生する。それは自己を優等種、或いは正義とするが故にそれ以外を劣等種、悪とする、自己正当化の原理主義、排他的なエゴなのだ。

そうやって考えると、性差別自体は社会悪である事は間違いないが、同時に森会長をバッシングする事象も同様の排他的な社会現象ではないのだろうか。好き嫌いあろうとも一定のリスペクトは必要であり、今の現象は不快感を通り越して忌むべきと感じるのは私だけだろうか。謝罪会見でも、逆切れも悪いが、質問の仕方が余りに下劣なのも問題と感じる。

百歩譲って、絶対悪だとしても、弁護人もなく私刑の集中攻撃に処して良いのか。釈明の余地を与え、つまみ食いでなく全容を正確に把握し、敵対するのではなく一定の寛容性も持ち、発言に至った背景の問題性を冷静に提起し、解決策を前向きに議論すべきではないだろうか。

森会長より発言があった際に、異論を挟めない空気感も問題とされているが、逆に、今森会長擁護発言を発信出来ない空気感、同調圧力が世間で出来上がっている。発言した瞬間、女性の敵、人類の敵扱いで攻撃を受けるだろう。その空気感で、遺憾の意を表する発信も増えている。これでは、集団リンチといっても過言ではない。

野党は政府に会長に辞任を要請する様に国会で答弁している。しかし、政府に人事権は無い。人事権を有する学術会議の人事に対して攻撃しながら、人事権の無い組織への政府の人事介入を言う神経が理解できない。

何より、女性アスリートと今回の発言に何の繋がりもない。オリンピックの主役は言うまでもなくアスリートだ。アスリートファーストで考えるならば、大会直前に何かにつけて反対活動の大騒ぎをするのではなく、本当に前向きに開催に向け、応援するメンタリティが必要だ。裁くべきがあれば、後に裁けばよい。今は純粋にアスリートファーストであるべきではないか。今回の事象の被害者はアスリートである。加害者は、森会長含め日本社会だと糾弾したいのだろうが、糾弾する側もアスリートを無視した加害者になってしまっているのが残念でならない。

逆境であればあるほど、アスリートの為に、騒がず、前向きに立ち上がるべきなのだ。

<ジェンダー・ギャップの現実と課題>

少し話題を戻し、オリンピックではなくジェンダー・ギャップの問題について考えたい。

日本が最も劣っているという政治の世界を見る為、2019年に行われた参議院選挙、直近の国政選挙の数字を見てみる。全体では、当選者124人中、女性は28人、22.6%である。立候補者総数370人中、女性は104人で28.1%。その差は、5.5pであるが、これをどう評価するか。

<総務省選挙関連資料令和元年7月21日執行参議院議員通常選挙速報結果より集計>

この中で特筆すべきは、与党の女性候補者の当選確率が85%を上回っている事だ。与党から出馬すれば、ほぼ当選しているという事だ。逆に野党は20%を下回っているのだ。

この数字から結果としての男女平等に近づける為には、与党の女性候補を増やすことが有効だと分かる。しかし残念ながら、与党からの立候補者の女性比率が13%前後と低いことが課題だろう。野党は50%に近い候補を擁立していても、当選率が低く、ある意味泡沫候補で数を揃えても意味が無い事が示されている。

従って、本当に実力があり、モチベーションも高い女性候補者を少しでも多く育成していくことが最短にして最大の対策になるだろう。

大学までの教育環境で、それ程大きな性差別は数字としては無い。というより学部学科による志向の違いで発生する差はあるが、合格に対して基本的に男女差は無いはずだ。では、社会に出る際はどうだろう。基本的に雇用機会均等は進み、最近の定期採用者の女性数は激増しているはずだ。しかし、管理職候補生は、まだまだ圧倒的に男性の方が多いのが現実だろう。選考に当たってはインセンティブという名の逆差別が堂々と行われているが、それでも簡単に差は埋まっていない。ここに課題がある。

それは社会構造の課題もあるだろうが、女性自身の意識、モチベーション向上なども不可欠なのだ。そんなに簡単ではないだろうが。

臭いモノを力で封じ、正義を押し付ける、グローバル的感覚では問題は本質的に解決しない。分断を生み出し、亀裂を深めて、見えなくしているだけである。排他的な原理主義で形や数だけ合わせるのではなく、遠回りかもしれないが、本質的な意識改革が必要であり、それが可能なのは、寧ろ日本社会の方だろう。