第3波到来に適切に対応する考え方

 ここしばらく、毎日どこかの道府県で過去最高の検査陽性検出数が報告され、本日ついに東京都も過去最高をマークした。マスコミはこぞって危機感を煽り、医師会は次の3連休の自粛要請を発信した。

 検査陽性数に一喜一憂するべきでないと言っていたはずだが、大騒ぎである。しかし、冷静に数字を見極めてもらいたい。過去最高と言いながらも、全国でも1000の桁、10の3乗オーダーでしかない。欧米の第3波と比較して相変わらず2桁違う状態は、何も変わっていない。確かに、増加傾向にある事は間違いないが、どこかの番組で1週間前に連呼していた様な指数関数的増加では決してない。10の4乗、5乗と変化するのが指数関数であるのだから、今の増加は以前から言い続けている、1次関数的増加に過ぎないのだ。

 1次関数とは、y=ax+bで表され、第1波より第2波、第2波より第3波の定数bの値が徐々に大きくなっているのだ。つまり、基本的にウィルスの市中蔓延度合いが高まって、基礎数が高まっていると言うことだろう。市中蔓延状態にありながら、この増加傾向ということは、それ程大騒ぎするべき状態ではないとも言えるだろう。

 そもそも、寒くなり、乾燥環境になると、普通に上気道感染症のリスクが高まるのは自然の摂理である。諸外国との比較ではなく、例えば日本の過去との比較で語っても、例年のこの時期から流行し始めるインフルエンザの患者数と比較して、今年の新型コロナ+インフルエンザの総数で見ても、まだまだ少ないのが現実だ。
 インフルエンザの患者数は、新型コロナと違って発熱して医療機関の受診を受けなければ数にカウントされない。実際は、無症状、軽症状の患者も多数発生していることは、経験的にも理解できるが、その数はカウントされていない。その数字よりも、必要以上に検査を実施し多くの無症状者もカウントする今年の新型コロナ+インフルエンザの数は少ないのだ。

 インフルエンザとの同時流行リスクも噂されたが、これも何を根拠に言っているのか疑わしい。経験則から考えて欲しい。冬の初めはA型が流行し、A型が終息してから次はB型が流行するなど、入れ替わりで流行するのではないだろうか。若干のオーバーラップはあっても、大きく同時流行と言う経験は余りないのではないだろうか。そういう話が為されないのは何故だろう。だから、新型コロナが蔓延しつつある状況でインフルエンザは流行していないのだろう。

 そして何より、陽性者数が問題ではなく、重症者数や死者数を問題視するべきなのだ。ここで注意すべきなのが、公表されている死者数の定義であろう。新型コロナの死者数は、死に至る要因ではなく、死者が陽性者かどうかでカウントされている。しかし、通常の致死数と言うのは、死の主要因でカウントされるものである。例年のインフルエンザの死者数は、通常通りのカウントだが、何故か新型コロナは違う。この要素を考え合わせると、例年のインフルエンザの致死数と同等かそれ以下だとする見解がある。数字が公開されていないので断言はできないが、どちらにしても、大騒ぎする程の状況では決してないのだ。

 勘違いしないで頂きたいが、新型コロナであろうと、インフルエンザであろうと、はたまた流行性感冒であろうとも、病気であることは間違いなく、健康を維持するための努力は絶対にするべきなのだ。その為に、マスク着用や手洗いうがい、3密回避、ソーシャルディスタンス確保などの努力はするべきであろう。健康のために。しかし、GoToキャンペーンを諸悪の根源とする説には賛同できない。

 GoToキャンペーンが感染拡大の要因になっていると言う統計的根拠はどこにも存在しない。マスコミやマスコミで専門家として語る方々は、根拠はないかもしれないが、人の移動が感染リスクだと言い続け、休止を提言する。エビデンスは無いが、きっかけになったのは間違いないと根拠なく言うのは科学者としては如何なものだろう。
 不正の確固たる証拠を示せていないトランプ氏を非難するマスコミが、同じ口で、根拠を示せないのにGoToをやめろと言う。ダブルスタンダード、自分の都合のいい勝手論理とは気付かないのだろうか。

 最近ようやく、GoToのお陰で経済が回り始め、何とか耐え凌げている状況で、もし休止でもしようものなら、もう耐えられないという声が大きい。致死率の低い感染リスク対策の為に経済死の増加は決して容認できないのだ。
 無責任なコメンテイターは、行動制限を実施して、その分の補償をすれば良いと言うが、それもおかしいのだ。GoToで投下する税金は投資であり、投資であるからサービス開発、事業拡大等にもつながる回転を生み、経済効果としては何倍にもなるのである。休業させて補償しても、その額で一時は凌げてもジリ貧である事には変わりがない。つまり、同じ額で同じ効果ではなく、同等に語るべき性格のものではない。補償はセーフティネットでしかなく、経済復興を支える効果として語るべきではない。

 不思議なのは、強制的に休業させると言うことは、明らかに人権侵害であるのだが、何故か人権問題にうるさいリベラル系の方が人権侵害すべきと言う傾向が強い。奇怪に感じるのは私だけだろうか。

 そもそも、春の緊急事態宣言の効果検証、振り返りが何故か行われていない。統計的、数学的検証を真っ当に行えば、緊急事態宣言による感染抑止効果は極めて限定的であったと結論されるはずだ。だからこそ、政府は悪影響の方が大きいと言う予測からだろうか、緊急事態宣言発出には当時後ろ向きで、慎重であった。それでも、マスコミが煽り続け、世論が形成され、民主主義の政府としては、宣言を発出せざるを得ない状況に追い込まれたのが現実だろう。だから政府としては、第3波に対してもGoToを止めようとはしないのであり、1本筋が通っている。

 春の緊急事態宣言の総括を行えば、効果の無かった事実に対して政府は糾弾されるかもしれないが、上述のプロセスを考えれば理解は得られるだろう。むしろ、総括して困るのは、それでも危機を煽り続ける勢力でしかないはずだ。

 最後に新型コロナが死に至る病ではない、風邪と同等とまでは言わずとも、インフルエンザと同等かそれ以下のリスクである事実を示したい。スウェーデンの対策と結果が示しているのである。
スウェーデンでは行動制限などの対策は行わず経済を回し続け、集団免疫獲得を目指した。当初は感染者数の爆発的増加と死者数の多さに問題視する声も多かったが、結局、死者数は欧米他国と同等レベルに収まっている。そして、何より、多くの死者が発生したにも関わらず、平均寿命に影響が出ていないのである。つまり、言葉を選ばずに言うと、それほど遠くない将来に寿命を全うする運命の老人が少しだけ寿命が縮まっただけと考えないと辻褄が合わないのだ。

 今の市中蔓延状態は、ウィルス常在に近づいているのは間違いない。ウィルス常在と言うのは、流行性感冒の原因である旧型のコロナウィルスも常在しているが、常に風邪を患う訳ではない。同様に、新型コロナ常在状況で、感染予防、体調管理が徹底できると、比較的安全に集団免疫にも近づく。

 この冬を乗り越えるポイントは、風邪をひかない様な体調管理の徹底である。
 変な行動制限は、経済への悪影響だけでなく、不必要なストレスによる健康影響のリスクが高いので良いとは思えない。風邪をひかない為に、栄養を適切に取り、睡眠・休息を十分に取り、日に当たり、適度な運動を行う。その上で、基本的な手洗いうがい、マスクなどの感染対策。それ以上でも、それ以下でもない。

感染症に関する情報発出の規制

 8月末電子出版発売を目標に執筆し、なんとか目標達成の8月31日にAmazonのKindle版として発売出来た。題名は『ファクターXの正体:新型コロナウィルス感染症の日本における感染実態_多田芳昭著』。http://www.amazon.co.jp/dp/B08H1JGVYQ

 しかし、発売までに一山二山あって、痛感させられたのが、この旬のネタは有象無象の出所不明、意味不明、論理矛盾の情報があまりにも多すぎるということだ。

 この情報氾濫の結果、現在では、基本的に、公式に発表された情報以外の発出を規制する動きがあり、情報発出は厳しい状況である。そのため、本書も当初は発刊を断られていたのである。確かに、情報氾濫による混乱を起こさせないためには必要なのだろう。しかし、その判断基準が不明である。想像でしかないが、医療系の肩書のない人間からは基本的に内容確認などせずに、いい加減な内容と勝手に判断されて審査さえされない。ましてや、無名の著者の著作物であれば相手にしないのだろう。

 今回発売した『ファクターXの正体』は、使っているデータは、厚生労働省や都道府県の公式データであり、そのデータを冬から蓄積し、独自に集計したものである。加えて、医大や研究所、マスコミなどの公式発表データも参考にしている。その上で、著名人の説や、論文などの考え方も検討させて頂いている。統計処理自体は著者の独自視点も加わり、論理展開して仮説を立て、検証するという極めて科学的なアプローチを主とさせて頂いている。
 つまり、どこからどう言われても、公式でない情報を元にしていると言う謂れはないと胸を張れるのだ。もちろん、科学には反論、異説が存在してしかるべきだが、他の意見を意味もなく排除する姿勢は、絶対に良い状態とは思えないし、科学的ではないのである。
 その結果、再審査して頂き、無事出版にこぎつけられたのだ。

 本書で展開されている説の多くは、一般的には異論があるかもしれない。であれば、議論を戦わせれば良いだけではないだろうか。むしろ、出鱈目な感情論に支配されている事態を憂いて筆を執っている内容なので、感情論で封殺せずに、議論を戦わすことは好ましい事態なのである。

 簡単に申し上げる。諸外国は、日本より桁違いに多くのPCR検査を実施したのは事実である。そして、感染者数・死者数は日本より桁違いに多かったのも事実。この二つの事実を原因と結果の因果関係と結び付けただけである。
 この状態で、多くの識者、モーニングショーなどの報道は、日本でPCR検査を諸外国と同じ様に増やして、徹底検査を実施しなければ、感染を抑え込めないと言う。PCR検査を増やせば感染を抑え込めると信じて疑っていないのだ。これを論理破綻と思わない方が不思議で仕方がない。
 PCR検査は医療目的で医師が診療方針を確定させるために行うのが基本だ。それ以外にも、クラスター対策など濃厚接触者の追跡には有用だろうし、日本ではこの必要とされる検査体制すら整っていなかったのも現実であった。そのための検査体制強化は当然必要である。しかし、諸外国のPCR検査はそこに留まっていない。PCR検査をして安心したい、と多くの人は言うが、検査で安心は決して勝ち取れない。

 常識という枠で、極めて感情的・情緒的に論理矛盾を無理に通す。検査という方法、手段の科学的事実を曖昧にしてしまい、極めて感覚的な安心と結び付けるのは、間違っている。この姿勢に異を唱えたのである。巷で感情的に危機感を煽る情報は、ウィルスや細菌に曝露される状態と感染との違いすらごちゃまぜにされて、時により都合よく使い分けている様にしか見えない。PCR検査は、そこにウィルスが存在することは検出できても、感染の有無は分からないと言っても、聞く耳を持ってすらもらえない。

 本書内では、PCR検査を増やすことによる影響を、様々な視点で分析し、結果としてオーバーシュートに至ってしまうからくりも解明している。それでも、検査を増やさざるを得なかった諸外国の事情を、単純な感染症の視点だけでなく、人間が活動する上での判断の基準となる宗教や文化・文明の影響も考慮して解明している。実は、日本と諸外国を論じる際に、この相違点を考慮しなければならないのだ。
 そして、感染状況の予測として提唱されている『K値』の改良版として『T値』を提唱してみたり、現状のデータの不足、不備から、トレーサビリティシステムやデジタル化運用の考えなども広範囲な視点で紹介させて頂いている。

 論より証拠、一度読んだ結果のご意見を頂き、議論に繋がることを期待しております。http://www.amazon.co.jp/dp/B08H1JGVYQ