自民党総裁選における党員党友票取り扱いの課題

事実上の日本国総理を選出する議会制民主主義に則った権力闘争である自民党総裁選が、岸田新総裁誕生で決した。その中で見え隠れする問題の一つである、党員党友票の取り扱いに関して論じたい。

指摘されている問題点を大まかに整理すると

  • 国民の声を反映する党員党友票をもっと重視すべきでは
  • 意思を持たない党員党友の存在
  • 不正投票の疑惑

これらを一つ一つ考察したい。

<党員党友票の反映する国民の声とは>

河野候補の惨敗、過去は石破候補の逆転敗退等、党員党友票で多数から支持される候補が議員票の獲得不足で敗退する捻じれ現象が発生している。マスコミでは、この党員党友票を国民的人気の指標として伝えていて、平時から次の総理候補の支持数として宣伝し続けている。これを国民的人気と称し議員票で引っ繰り返す事を、あたかも密室政治、派閥の領袖の闊歩による悪の様に語られる風潮がある。果たしてどうなのだろう。

河野陣営の反省の弁を聞いていると、あたかも国民の声を聞かない自民党体制の組織問題を原因とする、組織が改善すべき問題との声が聞こえてくる。しかし、その反省では他責転換であり、自己反省亡くして河野さんの再起は難しいと言わざるを得ない。本質的な問題に目を向け反省する必要があるだろう。

国民的人気を形成する要素は『知名度』であり、それは直接でなくマスコミを通じた間接情報によるものだ。ある意味タレント性であり、虚像と言っても良い。タレント性であればマスコミの操作でいくらでも売り出せるし、逆に落とし込めるのも簡単だ。所謂マスコミの伝え方のバイアスがかかった虚像であり、選挙でタレント議員が圧倒的に強いのは、間違いなく政策や能力ではなく知名度なのだ。反して、議員票は、直接働きっぷりを見て、人となり、下働きも含めた実績や考え方、能力を間近で見ている人達の評価である。勿論、そこには自己の損得勘定もあるだろうが、政策実行における損得勘定であれば健全であるし、各議員は政策実効性を選挙で国民の審判を受けるので、これを否定するのは、間接民主制の否定でしかない。

国政を委ねる判断として、『人気』と『能力』のどちらを主に評価すべきかは明確ではないだろうか?この部分を河野陣営は反省する必要があるだろう。

今回、高市候補は河野候補や岸田候補と比較して知名度は圧倒的に低い状態からのスタートであった。それでもネット界隈の人気は急上昇、エコーチェンバー現象の要素も強かったが、後半はそれを凌駕するほどの人気となった。投票日が1週間後であれば結果は変わっていたかもと思わせる急追であった。議員も認める政策の確かさ、説明力、人間的魅力も評価され議員票も躍進した。それでも人気面では大きく及ばなかったのが現実である。今後マスコミ通じての露出が課題となるだろう。

この様に考えると、党員党友票の扱い事態、歴史を重ね練られた現状だとの認識が正しいだろう。国民の声だからと短絡的に重視するのは、実態軽視のポピュリズムへ向かいかねない。とは言え、国民の声を聞くことが民主主義の基本である前提で軽率に取り扱うべきでないのも事実。現時点ではバランスを保っていると判断できても、継続検討、議論が必要だろう。

<党員党友とは>

企業や組織が団体で党員申請するような事があり、個人の認識なく党員になっているケースが指摘されている。旧態依然とした組織票至上主義や党員確保ノルマ等の結果だろう。また、全く政治に興味のない人にも党員資格が与えられてもいた様だ。つまり、党員党友とは決して自民党支持者ではないと言うのが現実である。しかし、それで良いのだろうか?

基本的に現在の通常選挙の勝敗を決するのは組織票の確保が重要で、浮動票の取り込みを課題としながら、明確な取り込み戦略が不足しており、この事は国民への説明不足にも繋がる課題なのである。だから地元密着の選挙活動が必要になり、不正の温床にも成り得るのだ。

では、どうすれば良いのか。党員はともかく、党友に関しては、もっとオープンに個人参加が可能なコミュニティにするべきではないだろうか。但し、反自民活動家が混入するリスクを低減する必要はある。その方法はいくつかレベル感も含めて議論は必要だろうが、広く国民の声に耳を傾ける姿勢としては大きな意味がある。

そういう意味では広報戦略でもあるが、組織票以外の浮動層にもうったえていく効果も狙える。自民党各議員の主義主張、政策提言、議員同士の政策討論の公開、党友参加のカンファレンス、場合によっては野党とのコラボで討論等の企画をネットや専門チャネル開設で実行し充実させる。そこの有料会員を党友とする事で、メルマガ会員等に対する無味乾燥な情報提供ではない、活きた情報提供が視聴者参加型で活性化し、浮動層の取り込みも可能となる。

いずれ訪れるネット選挙。その場合、必ず投票率が増える。浮動層の参加率が高まるだろうからだ。しかし、その分政治は不安定になり得る。今から、健全な情報提供環境整備を進める事はあらゆる意味で有意義だ。法的整備が必要かもしれないが、ネット社会においてあるべき法整備ではないだろうか。

そして何よりも、偏向報道に毒されない情報発信チャネルが確保され、支持率等の指標もより正確な数値分析が可能となるので次なる施策判断の基盤ともできるだろう。

<投票のセキュリティ確保>

米国大統領選挙にて、バイデンジャンプと呼ばれる事象が発生し、不正投票疑惑が囁かれた。筆者も当時論考しているが、本当に不正があったかどうかは知り得る訳は無いが、確実に言える事は、『やる気になればいくらでも不正が可能な投票であった』事である。そして、発生しているデータを自然発生の条件と照らし合わせて統計的に不自然な部分が否定できない事も示した。

だからと言って、不正があったとは言わない。しかし、不正が出来ない様に制度改革、仕組み改善する必要性があると共に、日本の選挙制度ではあり得ないと論じた。ところが、今回の自民党総裁選挙は、同様の疑惑が持てる仕組みであった。そうノンセキュリティの郵便投票だったのだ。

自民党総裁選の党員党友投票で不正があったかどうかは不明である。しかし、不正が起こらない、起こせない仕組みに改善する必要性はあるだろう。

今後、必ずネット投票や郵便投票などに向かう事は間違いないだろう。自民党内でまずはデジタルセキュリティを確保した投票の仕組みを構築すべきだろう。そんな何年かに1回の為に投資をするのかというネガティブ思考ではなく、日本の将来に先駆け先陣を走るデジタル投資として。前述の専門チャネルの認証と連携する形で構築すれば良い。当然、個人認証とする事で、反自民活動家による活動を防ぐ事にも通じる。

自民党総裁選挙が示す日本の課題

自民党総裁選が公示され、連日論戦が戦わされている。本当に幅広い政策議論が新鮮で、それが故に数々の問題意識が呼び起こされている。

年金問題としながら、高負担高福祉路線の提案をする河野候補。過去に議論され、大幅増税の必要性から現実的でなく、現状の年金改革になっていると訴える他の候補。

エネルギー基本政策に現実的なバランスを考慮した原発の必要性を訴える岸田候補、更に新たな技術への開発投資に言及する高市候補、あくまで再可能エネルギーを主流とする脱原発路線を訴える河野候補。

国防問題で、敵基地無力化の必要性を訴える高市候補、岸田候補、『昭和の概念』と揶揄する河野候補。更に経済安全保障面含めた医療、サイバー、量子技術、半導体等積極投資まで踏み込む高市候補。

多様性、弱者差別問題解消を訴える野田候補、弱者に寄り添い問題視しつつ野党等提案の法案に潜む問題、選択的夫婦別姓法案における子供の人権、LGBT法案に対する性自任と差別禁止に潜む性犯罪増加リスクを訴え、慎重な議論が必要とする高市候補。

などなど、多くの国民の理解を呼びかけ、問題提起しながら、国民一人一人の思考を促している。気付かされるのは、議論の幅の広さだろう。

河野候補の極めてリベラル色の強い政策思考、人権や差別問題を重視するリベラル色の強さは野田候補。保守と思われていた岸田候補も国民の声に寄り添う姿勢を重視し、中道左派とでも言うべきだろうか。右翼だ、タカ派だと一時揶揄された高市候補の政策理念の幅の広さは右というよりは保守中道からリベラル的政策提言まで幅広いポジションだろう。

<総裁選の議論は本来国会で戦わされるべき>

本来であれば、この論争、議論は通常の国会で行うべきものだが、今の国会は、粗探しの足の引っ張り合い、レッテル貼りによる誹謗中傷、スキャンダルの追及に終始し、まともな政策論争が為されていない。野党勢力は否定するだろうし、批判するだけでなく対案も出していると主張するだろうが、国民に伝わっていないのは事実だ。最近の野党の発信は更に極めつけで、ダブルスタンダード、批判の為の批判、支離滅裂な非論理の繰り返しで、この人達が国会に居座り続ける限り、真面な議論が国会では出来ないと諦めざるを得ない気持ちにならされる。

しかし、自民党総裁選挙は一般国民に参政権は無い。広く政策を示し、国民の声を聞いた党員が間接的に候補者を選択し投票する事で決せられると同時に、今回の論争で既に発生しているが、お互いの候補の政策のいいところ取り等で方向性を修正していく手順で担保されているが、それでも直接民意を反映とはならない。

この構造、実は55年体制の自民党政権下で中選挙区制度に近い。民意により、政権交代は起きないが、路線修正を求める国民の声を示す方法があった。しかし、小選挙区制になって、投票行動で現実に政権交代が起き得る状態になっている。そうなると、方向性の修正を求めるが、政権交代ではなく政策シフトを求める国民の意思の反映方法が失われている。

自民党のリベラル色が強まっているのは、この小選挙区制において国民が望まない政権交代が一時のブームで発生するリスクを回避する為に、受け皿として幅が広まったのだろう。要は、現野党が真面な議論も出来ない、他を批判し、自身を絶対正義とする傲慢が故、政権を任すのは危険すぎるという層が多数であり、ここの是正が本質的には日本の政治の課題なのだろう。

事態脱却の唯一の光は、日本維新の会が地方政党色を脱却し、全国的なパワーを持つ事。或いは、国民民主がふらふらせずに、健全野党としての道を究めてパワーを付けていく事だろうか。その場合、本来的には現自民党の河野候補の様なリベラル色の強い議員は、外に出て戦う事なのかもしれない。

ただ、本音を言えば、同じことを繰り返しそうな想像しか生まれない。であるならば、中選挙区制に戻すのが、日本にとって民主主義を守る最大にして最高の方法かもしれない。

<偏向報道で情報弱者大量生産>

次に指摘する課題はマスコミ報道の姿勢である。

告示前、誰が立候補するか等の情報が、マスメディアとネット空間の両方で発信されていたが、内容が全く異なっていた。結論から言うと、正しい情報はネット空間側で、マスメディアの情報はガセと言ってもいい程だった。その後のマスメディアの報道姿勢も意図的と言っていいほどの偏向を極めている。

典型的は、日本記者クラブの候補者討論会だが、質問時間に偏りがあり、『4候補に聞いても良いか』という確認が小声で為された事からも意図的に時間配分を操作していた事が発覚している。当然認めないだろうが、結果の時間が全てである。支持率の調査も余りにも数字が違い過ぎて、どれだけ意図的な誘導が行われた結果の数字か窺い知れるのだ。

情報に普段から貪欲で、自分自身であらゆる手段を尽くして情報取得している人間であれば、より正しい情報入手は可能だろうが、現状では多くの人がマスメディアの情報以外に触れていないだろう。逆に言うと、マスメディアは多くの人に公平な情報を伝える責任があり、地上波メディア等は放送法で規定されているが、全く守られていないのが実態である。

偏向情報、所謂フェイクニュースは、ネットではなくマスメディアの方が悪質なのだ。

巷では、ネットの情報をフェイクと言い、騙されるなと注意する。これ自体フェイクニュースだ。ネットの情報は玉石混淆である事は間違いない、つまり嘘も入り混じる。だが、受け取る側の情報力で見極めれば良質の幅広い情報が入手できる。というより今や正しい情報はネットから取得する以外に方法はなく、しかも便利だ。

マスメディアの報道手法として、関係者へのヒアリングで特ダネを入手しリーク報道をする事がある。予ては、例え特ダネを入手しても、裏取りして正しいか確認するのだが、最近殆ど行っていないのではないだろうか。特ダネが、自分達が報じたい方向に適合していれば、無条件で発信する事でフェイクニュースが生まれる。

更に、誤報であった反省もしないで、繰り返していると常態化してしまい、無い話も少々盛りながら伝える事も横行し、遂には自分達の考えの方向に沿いそうでない情報は見て見ぬ振り、不都合な話を発信しそうな人には聞かない、という状態が現在ではないだろうか。

高市候補がNHKの改革を表明したが、総務大臣経験者でもあり電波法制にも手を付ける、或いは法律の厳格な運用を推進する事が必要な世の中になってしまっている。

恐らく、既得権益者の抵抗が厳しくなり、偏向報道が激しく批判に向くだろうが、この種の煽り批判が実現した事が無い事実を思い起こすべきだ。安保法制で戦争法案と揶揄、若者が徴兵、等は実現しただろうか。寧ろ、あれではまだ生易しく、アフガンの現地法人救出が失敗したのが現実だ。諜報活動も先進諸国と足並みが揃えられず、未だ不充分なのも一因だろうが、これも秘密保護法制の誤解で踏み込みが甘い妥協が故だ。

マスメディアからの情報しか入手できていない人は要注意だ。鵜呑みにせず、出来るだけネットなどの情報にも幅広く触れる様に心がけるべきだろう。

従来からネット情報を取得できている人は、更に幅広く、自身の思想信条に反する情報にも触れるべきだ。更に活字情報に触れると、切り取りでない深い情報が得られる。危険なのは、エコーチェンバー状態なのであくまで多様な情報に触れて、自身の頭で思考する事が重要になる。

首相公選制などの直接選挙を訴える人も多いが、現状では危険だろう。総裁選決選投票の党員党友票を1対1にするという案もこれに近しく、誤った道を選択する危険が増すだろう。国家の宰相は人気でなく、指し示す政策の方向性とそれを実行する個人の執行能力とリーダーシップによる組織牽引力のバランスで選ぶべきだ。一人でできる事は限られるが、リーダーシップがあれば組織で難題もクリアでき、政策も柔軟に実情に適合出来るからだ。