感染拡大と収束に関する仮説

第5波と言われるデルタ株による感染が収束してきた。専門家達は、この収束の原因を説明できない。説明できないから、注意が必要と意味不明の煽り発言まで出てくる始末だ。『5割の行動制限が必要』と言いながら、実行なく収束した事実の検証もせずにだ。

第5波に関して感染拡大時期には『制御不能だ』とも言っていた。制御できていた実績が無かったにも関わらずだ。『人流が~』と言うが、明らかに人流と感染の相関関係もない事は現実が示している。

『2週間の勝負』と言って、2週間後には前言は忘れ去って『これからが勝負』といつまでたっても金太郎あめ状態。

8月の降雨時には、『デパートは雨の日ポイントで寧ろ人が多い』と言って、感染増加の原因とし、収束し始めると『9月に入って天気が悪いので人出が抑えられた』と同一人物が言う。恥ずかしくないのだろうか?しかも、9月の天候不順の前から感染は収束し始めていたのだから、事実認識すら出鱈目すぎる。

どれだけ論破されても、次の瞬間忘れ去ってそれでも『人流が~』と言い続ける。これでは国家の危機事態に対して政策を誤らない為の適切な提言は行えない。

感染症の専門家は、スペイン風邪の終息すら理由付けができていない。風邪やインフルエンザに対する対処もこれまで有効性が高かったとは決して思えない。専門家は万能ではない証拠だ。

寧ろ素人がデータの真実に真正面から向き合い、変な専門バイアスに侵されず、普通の論理思考で分析し、仮説立てした方が真実に近い可能性があると、予てから発信してきた。昨年夏に電子出版した幣著『ファクターXの正体』で記した仮説が今も尚、論理的には成立しており、第5波のワクチン接種拡大後の陽性者数激増にも、同様の推論が成立しているのだから。

<第5波感染激増要因の仮説>

諸外国と比較して日本の感染者数が『さざ波』で収まっている、所謂『ファクターX』として、無暗にPCR検査を増やさなかった事を一番に挙げた。詳細は省くが、簡単に言うと検査の偽陰性者が間違った安心を得て、感染を拡大させるというメカニズムだ。

検査手法や科学実験の事を少しでも理解している人なら分かるはずだが、あの実験手法で白黒明確にする等無謀である。医師の臨床判断の助けとしてCT等他の検査と合わせて確定診断の為の活用、一定レベルの検疫検査、疫学調査の範囲に留めるべきだと分かるはずだ。いつでも、誰でも検査はリスク増大の方が大きいのである。

これと似た構造が、ワクチン接種者の間違った安心が今発生している。

ワクチン接種により、感染後のウイルス増殖を抑える効果があるのだから、重症化や致死率を下げる効果があるだけでなく、無症候感染や軽症の感染者を増加させる事になる。ワクチン接種有無に関係ない行動であれば、接種者の発するウイルス量はマクロで減少するのは間違いない。しかし、社会現象としてはそういう訳にはいかない。

自粛というのは、自分が感染しない為にするよりも、自分自身が感染者であると想定してウイルス拡散を抑える為に行う。そして、ワクチン接種有無は、ウイルス暴露を受ける確率に何の影響もなく、ウイルス拡散する確率にも影響はない。ならば、安心した行動がウイルス拡散に繋がるのだ。

つまり、PCR偽陰性と同様、ワクチン接種も間違った安心が感染リスクに繋がるのだ。

インフルエンザの減少をコロナ感染抑止行動である、マスク、手洗い、手指消毒等のお陰だとする考えが主流だが、筆者はそれだけではないと考えている。コロナ前後で、肌感覚で大きな変化を感じているのが、発熱、風邪症状等の人が市中や企業事務所で激減している事だ。昨年初めの頃でも、風邪症状、発熱しながら出社し、「これはコロナではなく大丈夫だ」と言い張る輩も存在したが、今は目にする事は殆どない。風邪が流行っていれば、身の回りで何人か有症状者を見かけていたのではないだろうか。今はいない。インフルエンザは発症後直ぐの感染性が高いので、有症状者が出歩かなければ、自ずと流行はしないのだ。

<第5波が収束した原因仮説>

昨年末頃の論考で、新型コロナの感染傾向を自然現象と論じた。拡大時期や、波と考えた際の幅、サイクルがほぼ一定で、ピークだけが異なる波形を示すのだ。つまり、人流に関係なく拡大する時は拡大し、一定サイクルで収束する。これを繰り返している。

人の社会的活動範囲は、実はある限られた空間でしかない。時空間を越えた活動をする訳でなければ、その空間内で飽和すれば収束するのが自然現象だ。下図をご覧頂きたい。

各領域範囲内で個人の活動が行われ、人との接種はこの範囲内のグループに限られる。濃い中心(最小が家庭)が密で、薄い周囲へ行く程、疎となる活動範囲があり、他の領域との共通範囲、重なりは僅かなのだ。この僅かを遮断するのが検疫ではあるが、すべて遮断するのは人間の社会活動上極めて困難なので、飛び火は一定数有り、伝搬していく。しかし、それもその範囲で飽和すれば自然に収束する現象だ。

活動範囲に大きな変化は無く、飽和するスピードも一定となるので、収束に転じる波の幅もほぼ一定になるとの仮説だ。あくまで仮説ではあるが、他に説明できる仮説が無く、否定できない限り仮説としては成立し得る。

<Withコロナ>

そうやって考えると、第6波は必ず訪れるだろう。そして、ピーク値は予測できないが、ワクチン接種が更に進む状況からは、ピークが高くなる可能性もあるだろう。しかし、確実に言える事は、それでも重症化率、致死率は大幅に減少する事だろう。

であれば、今までの様に必要以上に不安にならず、正しく恐れて正しく対処するべきである。

交通事故死を減少させる為に、車を廃止、或いは減少させるとは決して言わない。正しく、車には安全機能を開発し装備する。道路交通法で飲酒運転の厳罰化や煽り運転の罰則規定を法整備する。当たり前に行っている事を、新型コロナでも実行するだけだ。

ワクチン、治療薬の開発、国産化を進め、通常医療で診療できる様に5類相当に位置付け初期医療を強化する。それでも感染拡大に伴い重症者が絶対数として増加する場合にも備え、医療資源の全体最適が柔軟に且つ速やかに行える様にインフラと法規制を整備する。医療業界には自浄能力を高める為に事業継続やレジリエンス体制強化を義務化すると同時に実効能力の無い医師会組織解体、厚労省医系技官や自治体保健所等の体制も再構築。何と言っても、煽り一辺倒のメディアを電波法に基づく厳格対応を実行。2~3年なんて待てない、今直ぐ着手すべきだ。

それで国民は通常の社会生活を取り戻せるだろう。

2度目の民主主義の危機的緊急事態宣言発出直前

 世論調査という数字で、緊急事態宣言発出するべきという意見が60%を上回った様だ。民主主義体制における政権では、発出する以外に手が無くなってきた。例えどんなに意味が無く、効果が薄く、その癖、副作用による打撃は確実に国民が被るのに、正しい判断が出来ない感情論の数値が過半数を上回ってしまった。日本が好戦的な国内世論に圧され、軍部が台頭してきた歴史の繰り返しの様に、民主主義は時に論理性を欠いた、冷静とはとても思えない感情論に支配され、誤った道を選んで、自ら墓穴を掘る。どれだけ政府が懸命に抵抗しようとも、何を発信しても上から被せる様なメディアの情報という連続射撃で消され、発信力が無いと非難される。この場合の『発信力が無い』というのは、自分達と同じ意見の発信が無いことを云い、他の情報発信は全て間違いで血迷っていると否定され発信と見做さない事によって生じる現象。メディアという情報権力による有無を言わさぬ暴力的な政策誘導でしかない。

 自分達と異なる意見の発信には、馬鹿にしてスルーする。問われた質問にも答えず、一方的に断定して捲し立てる。そして、未だにそんな事を云う奴がいると上から目線で見下して一方的に話を断定的に進める。こうすると、確固たる自信を持っていない、自己判断を論理的に独自思考できない大多数は、この意見に従わなければ、周囲から冷たい目で見られると言う強迫観念を抱いて同調させられてしまう。

 結論から言うと、新型コロナは怖い病気である事は事実だが、即死亡とか、根治不可能の難病、いつ急変して死に至るか分からないといった類の病気ではない。だからこそ、正しく恐れなくてはならないのだ。そして、ゼロ化は出来ない事も理解する必要がある。

 どれだけ強制力のある抑止政策を実施して一旦ゼロにしても、再び感染は拡大する事は世界で実証されている。日本は、その事をいち早く理解し、Withコロナ施策に舵を切っており、正しく感染予防行動を行い、バランスの取れた現実的な政策実行を目指していた。それなのに、諸外国で失敗している、ゼロ化政策を絶対神の様に語り続けるのは、余りにも酷すぎる。

 ゼロ化絶対、PCR絶対信者は、欧米で無症状者に対しても無暗に検査を実施した結果、日本より桁違いに多い感染者数をマークしている現実を無視してはいけないし、全員検査を主張するなら、その原因を説明する責任がある。同じ様に検査を無症状者に拡大して同じ轍を踏むことを日本は避けなければならない。欧米の場合は、避けては通れない宗教的行動基盤のため、白黒はっきりさせないと前に進めない為に分かっていても悲劇を招いているとの仮説の説得力が高いのだ。

<医療崩壊は起こり得ない、本当に怖いのは2極化現象である>

 医療崩壊も日本では起こり得ない。何故なら、日本の新型コロナに割いている医療資源は、たかだか全体の3%に過ぎないからだ。ドキュメンタリー調で、ミクロな現場を放映すれば、その現場の厳しさは視聴者には伝わる。厳しいのは当然だ、医療現場なのだから。それは、他の病気治療現場でも同様の厳しさがある事を忘れてはいけない。

 この3%は、たった1ポイント医療資源を割り振るだけで、4%になる。この時点で占有率80%という数字は、60%に減るのは簡単な算数の問題だ。ましてや、昨年比較で、インフルエンザ激減、上気道感染系の肺炎は半減以下、他の肺炎も減少、という状況で、昨年比では余裕があるはずで、それを回すだけで、平気で6%までは可能なはずだ。そうすれば占有率は40%なのだ。そこまで資源再配分は不要だろう、地域ごとに最適な配分を断行すれば良いだけなのだ。それを許さないのが現在の医療業界の既得権益構造であるならば、有事の危機管理対応として法制化すれば良いだけだ。

 それよりも医療業界の構造を問題視するべきだろう。メディアの電波に出て、医療崩壊を訴えるのは、綺麗ごとではなく、医師会長ポストなどの勢力争いの売名行為や、自身の勢力範囲、例えば開業医の領域を守るためであったり、政治的には政治家の票固めであったり、様々な裏側の視点も考慮する事が必要だ。上記の医療崩壊の謎に、正面から答えないで、これまで感染症の経験が無かったことを理由にした体制整備の問題にすり替えているのは、論理すり替え、矛盾と見極める必要がある。

 だからと言って、繰り返しになるが、新型コロナは怖い病気である事は間違いなく軽視できない。しかし、世の中に出回るデマの多さに、騙されるか、あまりの酷さに聞く耳を持たずに軽視するかの2極化現象が最も恐れる危機なのだ。

 感染力は間違いなく強い、そして、肺炎や血栓症などに繋がり一定の重症化リスクも伴う。それに従って致死率も現状でも1%前後の数字を示している。無症状の、感染非確認者が一定数存在する事も想定できるが、実際の感染者が10倍までだろうと想定すると、致死率も0.1%までしか下がらない。風邪と同等には出来ない理由がここにある。

 しかし、風邪と同様の対応方法で抑止は確実にできる。これを正しく伝えられない原因は電波系メディアによって生じている2極化現象なのだ。どれだけ、正しいメッセージを伝えても、言う事を聞かない一定の率は絶対に存在する。それは民主主義国家では、少数意見という云われ方もするし、犯罪がゼロ化出来ない理由かもしれない。それはある程度は、社会悪として受け入れる必要があるが、デマでかき回された結果、多数を占めると危険なのである。

<正しく恐れて、正しい抑止行動が重要>

 自分が感染者のつもりで、人に移さない様に行動を心がける。うつさないと言うのは、まずは、飛沫を飛散させない事。通常時はマスク着用だろうが、勿論、話さない、クシャミや咳をしなければ飛沫は飛ばないのでマスクは不要。逆に、食事中の会話は飛沫飛散に繋がる最大のリスク、という事を理解した行動を徹底すればよい。そして、何よりも、風邪気味の時に、通常以上に気を付ける事。当たり前だろう、飛沫にウイルスが含まれる確率が増えるのだから。

 この点を忘れがちなのだ。無症状者全員に検査をして隔離するなんて非現実的な事よりも、ウイルスの拡散リスクの高い人の行動抑制、無症状者含めた全員に自分がウイルスを保有しているつもりでの行動抑制以上の感染抑止は存在しない。無症状者全員に検査をする意味などないのである。ましてや、検査結果の陽性の内、30%~40%が偽陰性であれば、安心してはいけない人に安心させてしまい、寧ろ、リスクが高まるのである。

 そして、何よりも、ウイルスの真っただ中にいても感染を防ぐ行動を心がける事が重要なのだ。マスクは無いよりも有るに越したことはないが、予防効果は万能ではない。それよりも、小まめな手洗いうがい、手指消毒の方が有効だ。それよりも大切なのは体調管理だ。受験勉強中、試験直前のケアは相当のレベルで実行しているはずだ。同様以上のケアをすれば良い。まず、初期免疫を高めるためのビタミン摂取、水分摂取で喉や鼻を常に潤す、マスクはこの保湿効果に有効だ。僅かな変調に敏感になることも大切。早めのケアで自分を守る。

 それでもゼロはあり得ない。不幸にも感染してしまうこともあるだろう、発症する事も100%は防げない。その場合は、発熱外来、保健所やかかりつけ医に相談をして対応を決めるのは義務である。自分の勝手な判断で、医療と関係ない検査を受けても義務は果たせない。素人判断ではなく、医師の判断を仰ぎ、指示に従う以外にないのだ。

旅行もOK、会食もOK、但し、前述の注意事項を守ることが前提で。

 ここまでのことを考慮すると、特措法で定める強制力のある措置として必要なのは、第一に医療資源の再配分に関する強制力。第二は、医療以外の検査で誤った認識を持たせない様に制限する検査の統制管理。第三は、情報の統制である。休業要請の強制力と補償など4番目以降で充分。

 よく考えて欲しい、マスコミの無い時代に、新型コロナが流行したら果たして、パンデミックになっただろうか。感染力が高いと言っても、身の回りでの患者数はどれほどだろう。無症状や軽症状が殆どであれば、普通の風邪と見極めることは出来ないのではないか。毎日、感染者数最高と言われ続けるから、必要以上に恐れているだけではないだろうか。実際に患者が発生していると言っても、新型コロナは実は2019年に既に上陸していたとの説もあるぐらい見極めがつかないのだから。全く、マスコミが感染状況を伝えなければ、同じ様に緊急事態宣言を出すべきに60%もの人が賛同するだろうか。

 今の感染状況が収束するとは、どういう状態を指すのだろう。誰も、恐れず、騒がなくなると、メディアは視聴率が取れないので必要以上に危機を煽るのをやめるだろう。メディアが報じなくなると皆は忘れていくだろう。鶏が先か、卵が先か。そのトリガーになるのがワクチンであり、治療薬であった。ワクチンや治療薬に効果は必要なかった、その存在で安心をして必要以上に騒がなくなる効果の方が高い。インフルエンザに対する意識がその事を示している。現状の新型コロナ以上の感染者数、死者数を毎年出していても、ワクチンと治療薬の存在で何故か精神的安定を得ている。よく考えて欲しい、ワクチンと治療薬が揃っていて、新型コロナよりも死者数が多いのだ。何故、安心できる?何故、新型コロナは必要以上に恐れる。

 つまり、ワクチン開発で新型コロナの精神的安心を得て、必要以上に騒がなくなり、結果メディアも報じなくなっていき、収束に向かう。例え、同様の感染者数、重症者数、死者数が発生したとしてもだ。

 しかし、緊急事態宣言やむなしの状況では、それまでに払う代償はとてつもなく大きい。懸命に、情報を見極め、冷静に論理考察できれば、払う必要のない代償なのだから、残念でならない。