新型コロナ感染症の医療体制整備

 新型コロナ分科会は、『個人努力だけに頼るステージは過ぎた』と状況分析し、経済停滞策を提言で要請した。しかし、ここに大きな疑問を私は感じている。個人努力だけに頼るステージでなくなり、ある程度の感染拡大リスクを受容せざるを得ない状況になっている現実は同意するのだが、だから即経済停滞策実行というのは論理が飛躍し過ぎている。経済停滞策は即ち経済死というリスクに直結するのであり、どちらのリスクによる被害が大きいか比較評価なく軽々しく言うべきではないのである。しかも、他に取るべきリスク低減策はあるはずなのだから。

 今、リスク低減策として取るべき最優先の策は、医療体制強化のはずである。そんなこと既にあの手この手で実施している、という声が聞こえてきそうだが、長年企業の組織再生やⅤ字回復、事業再生、再構築を実行してきた身から言わせて頂くと、根本策に着手出来ていないと感じざるを得ないのだ。少なくとも、あらゆる手を打ち尽くしたという、数字での説明を聞いたことが無い。

 企業再生や組織改革を断行する観点で言うと、まずはあるべき姿を描く。そして現状分析の結果とのギャップを明確に認識し、数値目標を設定してギャップを無くす策を実行していくのが基本中の基本である。そうやって考えると、新型コロナ対策として必要な医療体制は、欧米諸国の2桁上の感染状況とまでは言わなくとも、インフルエンザの例年の感染数ぐらいは想定必要ではないだろうか。昨シーズンを除けば、1000万人規模の感染者を出しているインフルエンザ、その規模の新型コロナに備えるにはどうすれば良いのか、何故考えていないのだろうか。それは、政府や政治の問題でなく、医療業界の問題のはずだ。

 年間1000万人規模の新型コロナ感染者が発生した場合の医療体制を整えるために、これこれが必要だから、予算規模〇兆円必要だと提言し、体制整備の具体化を推進するのが分科会の役割であり、これが達成できない場合は、これだけのリスクが顕在化する、と数字で発信するべき。それを受けて、経済打撃と天秤にかけて判断するのが政治の役割であり、民主主義を前提にすると、国民の判断である。
 この場合の提言の数値は、非科学的、非論理的な数値ではならないのは理解できるだろう。コロナ怖いと言い続けるための、死者何十万人という奇想天外な数字は逆効果でしかない。あくまで科学的根拠と論理性のある、現実的な数値で表現する必要がある。そんなの分からない、未知の部分が多いので仕方がないというのは無責任である。あらゆる仮説は想定であり、現実的な仮説、リスク想定をして、改革を立案するのが専門家であり、出来ないのなら発信する能力はありませんと宣言しているに等しいのだ。

 さて、何故ここまで医療に対して強硬な意見を発するのかと感じられる方も多いだろうが、その理由は複数ある。

 まず一つ目は、インフルエンザの毎年の感染状況に対して、抑制策は課題とされても、医療崩壊の危機とまで言われたことは聞いたことが無い。新型コロナの場合、指定感染症の法的な違いが問題だというのであれば、インフルエンザと同等の法的医療対応にした場合、どの様な事態が発生するのか、シミュレーションした結果を出すべきで、それが議論のベースになるはずだ。
 例年のインフルエンザの場合、発熱があって受診しないと検査を受けない。新型コロナの様なクラスター追跡や濃厚接触者として検査を受けることは無いので、実際は隠れ感染者が数倍から一桁上で存在するはずなのだ。新型コロナは、多くの無症状者や非感染者まで検出しているのであり、公平に数字を比較すればインフルエンザの感染規模よりも遥かに少ないのが現実である。死者数も超過死亡まで考えれば、新型コロナの現状は、まだまだ少ないのだ。何故、医療崩壊の危機なのか、意味が分からないのである。

 二つ目は、新型コロナに対して検査の体制不足が叫ばれ続けてきたが、政府発信では、この冬には1日20万件の検査体制に強化とのことであった。この数値は、インフルエンザと同等の数値である。即ち、インフルエンザと同等の感染拡大まで想定した検査体制としているはずである。にもかかわらず、病床数など医療体制はそこまでの想定をしていないのだろうか、不思議なのである。メディアで発信される専門家の主張では、設備やベッドを増やしても人の体制は、そんなに簡単に増やせないとのこと。それはその通りかもしれないが、では検査1日20万件の受け入れ態勢を問題視せずに検査だけ増やせと言っていたのか、もしそうなら、無責任過ぎるか、計画思考が無さすぎないだろうか。

 三つ目は、そうはいっても欧米諸国と比較して、未だ感染者数、重症者数、死者数は桁違いに少ない。そして、日本の医療体制は、諸外国と比較しても間違いなく優秀であると確信している。欧米諸国で医療体制崩壊しているとはいえ、今の日本のレベルで医療崩壊云々と言うのは余りにもおかしいのではないだろうか。日本が医療崩壊寸前であれば、諸外国はとてもじゃないが今の程度の医療崩壊に止まらず、国家破綻してもおかしくないだろう。しかし、そこまでは行っていない。日本の医療キャパ、能力が、諸外国と比較して劣後していれば仕方がないが、そんな筈はないと信じている。

 四つ目が、医療機関の多くが赤字経営に陥り、経営破綻しそうだとのこと。まず、既往症や他の病気の患者の来院数が激減、入院も減少し経営難との説明があるが、本音を言うと、来院を控える患者は、本来来院の必要が無かった患者ではないのだろうか。必要以上の診療を受け、投薬を受けることで寧ろ健康を害していた可能性も指摘されており、むしろ健康国家経営に近づいており、健康保険財政面でも健全化に近づいている方向なのだ。
 そして、医療機関の収益が悪化しているというが、一般国民の感覚としてほぼ同意いただけるのは、医師は高収入であるということ。収支構造を明確にした上で経営改革の断行が必要なのかもしれない。その上で、収益を維持する為には、経営効率化やムダ取り、ロス排除できる要素が山積している様にも感じる。少なくとも、一般事業では改革無ければ継続はあり得ないのだから。

 最後に、そうはいっても数々の医療体制強化策は打っているとも言えるだろう。しかし、あるべき姿と現状のギャップから導いた施策では無く、現状ありきの出来ることを積み上げる施策、経営の世界では積み上げ施策と揶揄される策に過ぎないと感じられるのだ。策を打っても、目標に到達しないのなら、何のための施策だろうかとなる。それこそ、行き当たりばったりの、泥縄と言われても仕方がない。企業が改革できない最大の原因がこの要素であり、出来ることしか考えないで目的意識を持たないと破綻するのは至極当然なのだ。

 医療体制強化の策は、専門的見地が必要であり、その為に分科会なるものが存在する。医療先進国としての誇りを持った、データ分析と提言で、前向きで実効的、目標意識の高い、強化策に必要な投資資源を政府から引き出す動きが必要なのだ。
 それでも諸外国と比べて医療体制が脆弱なので危機は防げないのだと、論理的数値を示していうのなら、その時点で初めて経済停滞策を土壌に挙げて天秤にかけるのだろう。