2度目の民主主義の危機的緊急事態宣言発出直前

 世論調査という数字で、緊急事態宣言発出するべきという意見が60%を上回った様だ。民主主義体制における政権では、発出する以外に手が無くなってきた。例えどんなに意味が無く、効果が薄く、その癖、副作用による打撃は確実に国民が被るのに、正しい判断が出来ない感情論の数値が過半数を上回ってしまった。日本が好戦的な国内世論に圧され、軍部が台頭してきた歴史の繰り返しの様に、民主主義は時に論理性を欠いた、冷静とはとても思えない感情論に支配され、誤った道を選んで、自ら墓穴を掘る。どれだけ政府が懸命に抵抗しようとも、何を発信しても上から被せる様なメディアの情報という連続射撃で消され、発信力が無いと非難される。この場合の『発信力が無い』というのは、自分達と同じ意見の発信が無いことを云い、他の情報発信は全て間違いで血迷っていると否定され発信と見做さない事によって生じる現象。メディアという情報権力による有無を言わさぬ暴力的な政策誘導でしかない。

 自分達と異なる意見の発信には、馬鹿にしてスルーする。問われた質問にも答えず、一方的に断定して捲し立てる。そして、未だにそんな事を云う奴がいると上から目線で見下して一方的に話を断定的に進める。こうすると、確固たる自信を持っていない、自己判断を論理的に独自思考できない大多数は、この意見に従わなければ、周囲から冷たい目で見られると言う強迫観念を抱いて同調させられてしまう。

 結論から言うと、新型コロナは怖い病気である事は事実だが、即死亡とか、根治不可能の難病、いつ急変して死に至るか分からないといった類の病気ではない。だからこそ、正しく恐れなくてはならないのだ。そして、ゼロ化は出来ない事も理解する必要がある。

 どれだけ強制力のある抑止政策を実施して一旦ゼロにしても、再び感染は拡大する事は世界で実証されている。日本は、その事をいち早く理解し、Withコロナ施策に舵を切っており、正しく感染予防行動を行い、バランスの取れた現実的な政策実行を目指していた。それなのに、諸外国で失敗している、ゼロ化政策を絶対神の様に語り続けるのは、余りにも酷すぎる。

 ゼロ化絶対、PCR絶対信者は、欧米で無症状者に対しても無暗に検査を実施した結果、日本より桁違いに多い感染者数をマークしている現実を無視してはいけないし、全員検査を主張するなら、その原因を説明する責任がある。同じ様に検査を無症状者に拡大して同じ轍を踏むことを日本は避けなければならない。欧米の場合は、避けては通れない宗教的行動基盤のため、白黒はっきりさせないと前に進めない為に分かっていても悲劇を招いているとの仮説の説得力が高いのだ。

<医療崩壊は起こり得ない、本当に怖いのは2極化現象である>

 医療崩壊も日本では起こり得ない。何故なら、日本の新型コロナに割いている医療資源は、たかだか全体の3%に過ぎないからだ。ドキュメンタリー調で、ミクロな現場を放映すれば、その現場の厳しさは視聴者には伝わる。厳しいのは当然だ、医療現場なのだから。それは、他の病気治療現場でも同様の厳しさがある事を忘れてはいけない。

 この3%は、たった1ポイント医療資源を割り振るだけで、4%になる。この時点で占有率80%という数字は、60%に減るのは簡単な算数の問題だ。ましてや、昨年比較で、インフルエンザ激減、上気道感染系の肺炎は半減以下、他の肺炎も減少、という状況で、昨年比では余裕があるはずで、それを回すだけで、平気で6%までは可能なはずだ。そうすれば占有率は40%なのだ。そこまで資源再配分は不要だろう、地域ごとに最適な配分を断行すれば良いだけなのだ。それを許さないのが現在の医療業界の既得権益構造であるならば、有事の危機管理対応として法制化すれば良いだけだ。

 それよりも医療業界の構造を問題視するべきだろう。メディアの電波に出て、医療崩壊を訴えるのは、綺麗ごとではなく、医師会長ポストなどの勢力争いの売名行為や、自身の勢力範囲、例えば開業医の領域を守るためであったり、政治的には政治家の票固めであったり、様々な裏側の視点も考慮する事が必要だ。上記の医療崩壊の謎に、正面から答えないで、これまで感染症の経験が無かったことを理由にした体制整備の問題にすり替えているのは、論理すり替え、矛盾と見極める必要がある。

 だからと言って、繰り返しになるが、新型コロナは怖い病気である事は間違いなく軽視できない。しかし、世の中に出回るデマの多さに、騙されるか、あまりの酷さに聞く耳を持たずに軽視するかの2極化現象が最も恐れる危機なのだ。

 感染力は間違いなく強い、そして、肺炎や血栓症などに繋がり一定の重症化リスクも伴う。それに従って致死率も現状でも1%前後の数字を示している。無症状の、感染非確認者が一定数存在する事も想定できるが、実際の感染者が10倍までだろうと想定すると、致死率も0.1%までしか下がらない。風邪と同等には出来ない理由がここにある。

 しかし、風邪と同様の対応方法で抑止は確実にできる。これを正しく伝えられない原因は電波系メディアによって生じている2極化現象なのだ。どれだけ、正しいメッセージを伝えても、言う事を聞かない一定の率は絶対に存在する。それは民主主義国家では、少数意見という云われ方もするし、犯罪がゼロ化出来ない理由かもしれない。それはある程度は、社会悪として受け入れる必要があるが、デマでかき回された結果、多数を占めると危険なのである。

<正しく恐れて、正しい抑止行動が重要>

 自分が感染者のつもりで、人に移さない様に行動を心がける。うつさないと言うのは、まずは、飛沫を飛散させない事。通常時はマスク着用だろうが、勿論、話さない、クシャミや咳をしなければ飛沫は飛ばないのでマスクは不要。逆に、食事中の会話は飛沫飛散に繋がる最大のリスク、という事を理解した行動を徹底すればよい。そして、何よりも、風邪気味の時に、通常以上に気を付ける事。当たり前だろう、飛沫にウイルスが含まれる確率が増えるのだから。

 この点を忘れがちなのだ。無症状者全員に検査をして隔離するなんて非現実的な事よりも、ウイルスの拡散リスクの高い人の行動抑制、無症状者含めた全員に自分がウイルスを保有しているつもりでの行動抑制以上の感染抑止は存在しない。無症状者全員に検査をする意味などないのである。ましてや、検査結果の陽性の内、30%~40%が偽陰性であれば、安心してはいけない人に安心させてしまい、寧ろ、リスクが高まるのである。

 そして、何よりも、ウイルスの真っただ中にいても感染を防ぐ行動を心がける事が重要なのだ。マスクは無いよりも有るに越したことはないが、予防効果は万能ではない。それよりも、小まめな手洗いうがい、手指消毒の方が有効だ。それよりも大切なのは体調管理だ。受験勉強中、試験直前のケアは相当のレベルで実行しているはずだ。同様以上のケアをすれば良い。まず、初期免疫を高めるためのビタミン摂取、水分摂取で喉や鼻を常に潤す、マスクはこの保湿効果に有効だ。僅かな変調に敏感になることも大切。早めのケアで自分を守る。

 それでもゼロはあり得ない。不幸にも感染してしまうこともあるだろう、発症する事も100%は防げない。その場合は、発熱外来、保健所やかかりつけ医に相談をして対応を決めるのは義務である。自分の勝手な判断で、医療と関係ない検査を受けても義務は果たせない。素人判断ではなく、医師の判断を仰ぎ、指示に従う以外にないのだ。

旅行もOK、会食もOK、但し、前述の注意事項を守ることが前提で。

 ここまでのことを考慮すると、特措法で定める強制力のある措置として必要なのは、第一に医療資源の再配分に関する強制力。第二は、医療以外の検査で誤った認識を持たせない様に制限する検査の統制管理。第三は、情報の統制である。休業要請の強制力と補償など4番目以降で充分。

 よく考えて欲しい、マスコミの無い時代に、新型コロナが流行したら果たして、パンデミックになっただろうか。感染力が高いと言っても、身の回りでの患者数はどれほどだろう。無症状や軽症状が殆どであれば、普通の風邪と見極めることは出来ないのではないか。毎日、感染者数最高と言われ続けるから、必要以上に恐れているだけではないだろうか。実際に患者が発生していると言っても、新型コロナは実は2019年に既に上陸していたとの説もあるぐらい見極めがつかないのだから。全く、マスコミが感染状況を伝えなければ、同じ様に緊急事態宣言を出すべきに60%もの人が賛同するだろうか。

 今の感染状況が収束するとは、どういう状態を指すのだろう。誰も、恐れず、騒がなくなると、メディアは視聴率が取れないので必要以上に危機を煽るのをやめるだろう。メディアが報じなくなると皆は忘れていくだろう。鶏が先か、卵が先か。そのトリガーになるのがワクチンであり、治療薬であった。ワクチンや治療薬に効果は必要なかった、その存在で安心をして必要以上に騒がなくなる効果の方が高い。インフルエンザに対する意識がその事を示している。現状の新型コロナ以上の感染者数、死者数を毎年出していても、ワクチンと治療薬の存在で何故か精神的安定を得ている。よく考えて欲しい、ワクチンと治療薬が揃っていて、新型コロナよりも死者数が多いのだ。何故、安心できる?何故、新型コロナは必要以上に恐れる。

 つまり、ワクチン開発で新型コロナの精神的安心を得て、必要以上に騒がなくなり、結果メディアも報じなくなっていき、収束に向かう。例え、同様の感染者数、重症者数、死者数が発生したとしてもだ。

 しかし、緊急事態宣言やむなしの状況では、それまでに払う代償はとてつもなく大きい。懸命に、情報を見極め、冷静に論理考察できれば、払う必要のない代償なのだから、残念でならない。