省庁のブラック度調査から、次期政局を考える

コロナ禍における中央省庁の残業代支払い実態調査』というプレスリリースが、株式会社ワーク・ライフバランス社より4月22日に出された。中央省庁のブラックな実態が浮き彫りになっている調査結果であり、調査自体第三者である民間が行っていると言う点で価値がある内容である。

実態調査の概略

その中で残業時間に対する実態が報告されているが、少々耳を疑う内容である。民間企業は、コンプライアンス経営を重視し、法令遵守の精神で制度改革や組織風土改革、インフラ整備などを進め『働き方改革』を進めている。この問題は投資家視点からも重要視される、現在の企業経営上必要不可欠な課題なのだ。労働基準監督署より査察を受け、是正勧告を受けてしまうと経営が行き詰まり兼ねないのだから。しかし、中央省庁は20年前と何ら変わっていない実態が明らかにされたのだ。

そして、その原因も報告の中では明確になっている。諸悪の根源は、次の2点である。

・国会議員からの質問通告時間が遅い

・デジタル化に後ろ向きな議員の存在

2番目のデジタル化の問題は、『デジタル実践議員宣言』を86人の国会議員が実施し、デジタルツールの積極的活用を宣言しており、河野大臣の押印文化のデジタル化を評価する等ポジティブな意見も多く出ており、今後、時間はかかるだろうが、改善方向にある事も確認できるので、期待を込めても良いだろう。

敢えて政党別の実態を語ると、デジタル化対応をしている議員の所属政党は、

1位 日本維新の会(18)

2位 自由民主党(14)

3位 国民民主党(10)

であり、逆にデジタル化に対応していない議員の所属政党は、

1位 立憲民主党(26)

2位 自由民主党(17)

3位 共産党(14)

自由民主党は、両方に顔を出し、積極的な議員と後ろ向き(恐らく重鎮?)な議員が拮抗しているのは、変化していく過程に感じる。一方で、立憲民主党、共産党の所謂左派政党は、デジタル化に後ろ向きで、第三極になる可能性のある、日本維新の会、国民民主党は積極的な改革志向を持っている事がうかがえる。

<質問通告に関するルール逸脱問題>

問題は、1番目の質問通告に関する件だ。この問題は、相当以前から問題視されていた。国会戦術の一手法として野党の常套戦術である事は有名だ。要は、質問に対する答弁準備の時間を与えず、政府、与党の失策を引き出す為だ。しかし、これでは建設的な議論は生まれず単なる策略に過ぎず、国益に適わない事は明白で、その影響で官庁が不夜城化してしまう。筆者自身も一時期、政府外郭団体からの企画受託経験もあり、この対応に追われたのだが、その際は、夜寝る時間は無い状態だった。そして、その殆どが無駄な待機、必要のない準備であった。その状態が、未だ何ら改善されず、悪質化している実態も示されているのだ。

質問通告2日前のルールを守っていないことが多い議員の所属政党は

1位 立憲民主党(70)

2位 共産党(61)

3位 自由民主党(5)

4位 国民民主党(3)

逆にルールを守っていることが多い議員の所属政党は

1位 日本維新の会(14)

2位 国民民主党(11)

3位 公明党(7)

4位 自由民主党(2)

これを見て明らかなのが、立憲民主党、共産党がダントツでルールを守らないという事である。この2党に関しては、この事に関して国民に向けて説明責任を果たすべきであろう。最近テレビなどで、何でも反対野党ではなく、建設的な提案野党として活動しているとアピールしている場面を多く見受けるが、国民目線では、未だに何でも反対勢力としか見えていないのが実態であり、こういう説明責任を果たす事、言い訳をせずに真摯に反省し、改善策を提示し実行する事が、国民の信託を得られる唯一の手段ではないのか。選挙戦術で候補者調整も重要だろうが、国政を担う為には、避けては通れない重大事項として対策含めた説明責任の実行を期待したい。

一方で目を引くのが、日本維新の会と国民民主党ではないだろうか。特に国民民主党は、立憲民主党と袂を分けた良い影響が現れている様にも感じる。デジタル化も含めて、前向きで合理的な対応と評価しても良く、この2党は次の選挙の台風の目と化す可能性すら感じる。国民民主党は、変に野党連合に名を連ねるよりも、第3極を担う重要なポジション、いやそれ以上に化ける期待を持てるかもしれない。期待に応えてもらいたい。

<次期政局は>

国家の一大事案として緊急事態が3度も宣言された。海外からの評価では、日本の感染症対策は、過度な人権制限もなく、感染の被害を最小限に抑えているというのが、正当な評価である。ワクチン接種が遅いのは、リスク対比で遅くて当然なのだ。しかし、それでもここに来て、例え政府の直接責任は無く、国民世論の圧力に屈した形だとしても、結果として3度も緊急事態宣言を発出した事実は大きい。普通の感覚なら、一旦下野するのが自然だろう。

しかしながら、現政権が下野した場合、第一野党である立憲民主党が前述の様な体たらくでは、国政を委ねられない。前述の問題等、しっかりと説明責任を果たし、信頼を勝ち取れば別だが、現在の自己正当化に終始する、これまでの延長では、とても政権は委ねられない。

しかし、日本維新の会と国民民主党が第3極として、キャスティングボードを握った現与党との連立政権であれば、一つの選択肢にはなり得るかもしれない。この原稿を書きながら、調べていたら、『官僚・国家公務員たちから怒りの糾弾!民間大規模調査によって、立憲民主党と共産党の恐るべき実態が明らかに…』という動画を発見した。正に、同意見、同じ視点で語ってくれている。

逆に言うと、自由民主党も前述の調査でポジティブとネガティブの双方に顔を出すのではなく、ポジティブにシフトしたら、世論に迎合するだけではない、新たなポジションを確立できるだろう。

どちらにしても、健全な民主主義の為には、政権を委ねる複数の選択肢が必要である。次回衆議院選挙までに各党、何を示せるか、注目である。

3度目の緊急事態宣言は、日本を破滅に向かわせる

日本はどうなってしまうのだろう。まるで中世ヨーロッパにいる様な気分だ。それでも地球は回っていると叫び続けたいし、いつかは冷静な判断の世論が形成できる民主主義国家になりたいと切望する。

<緊急事態宣言発出の背景>

大阪の検査陽性者は4月13日をピークに上昇トレンドが止まっている。重症者数増も同様、15日をピークに下降トレンドになっている。死亡者数は、流石に時間差があって、まだピークかは不明だが、第3波のピークは上回っていない。変異株を殊更恐怖の様に言うが、数字を見る限り、陽性者数は増えても、重症者数、死亡者数はそれ程でもない。短期間に陽性者数が増加したので一時は警戒が必要だったが、そろそろ化けの皮が剥がれてきている。

東京都は新規陽性者数が上昇トレンドではあるが、いまだ指数関数的増加とは言えない状態だ。昨年12月中旬の状態に近似しているが、変異株に置き換わっている占有率の割に、陽性者数の増加はそれ程でもない。そして、重症者数はほぼ増加していないし、死亡者数も同様だ。来週には大阪と同じ様に急激に増加をすると言い続け、未だそうならない。

そもそも、『来週にはニューヨークの様になる』『最悪死者は42万人になる』などノストラダムスの大予言よりも不確かな予言は何一つ的中していないが、それでも恐怖の予言は繰り返され、多くの人は信用し、恐れ、冷静に実態を見極める事が出来ない。

イギリスはワクチンの効果だろうか、感染が収束して一安心。現在感染状況は横ばいで4月22日時点で2728人だ。イギリスの人口は、およそ日本の半分なので、日本に当てはめると5000人強の状態なのだ。なんと、現在の日本とほぼ同じ新規感染者数で収束なのだ。何故、日本は緊急事態なのだろうか。

<本当に必要な措置は>

最初の頃なら、未知のウイルスとしてある程度の恐怖心は必要だったかもしれないが、1年以上コロナ禍を経験して、ほぼ分かってきている。対策として必要なのは、人流抑制ではなく、飛沫飛散抑制である。科学的、統計的に明らかだ。変異株は今までとは違う、というのは数字では表れていない。常に、可能性があると言っているだけで、数字は寧ろ弱毒化の可能性も考えられる状況だ。従って、飛沫飛散抑制、この実効性を高める具体策を講じるのが、科学的対策だ。人流抑制という名の人権制限の必要は全くない。

もう一つ、極めて重要な対策が、医療資源の再配分である。最近、ようやく専門家と呼ばれるテレビ出演の医師が、資源再配分、ベッド数増が思うように出来ない理由、簡単ではない事を説明し始めているが、どれも筆者には言い訳にしか聞こえない。

医療だけでなく、緊急事態で対応する措置として簡単な事は何一つ無い。それでも、1年もあれば相当の事は出来るはずで、多くの事業者は工夫を重ねてきた。医療も同様、1年あれば言い訳出来ないはずだ。イギリスなど、政府の指示で大幅にコロナ対応ベッド数を増強している。日本の医師は、国民の恐怖を煽り、政治発言を繰り返す暇があったら、自身の責任領域の対策を進めるべきではないのか。

実は、東日本大震災以降に、事業継続性の必要性を鑑み、内閣官房は国家強靭化計画を推進し、民間企業の多くは、事業継続計画に取り組んでいる。事業継続の対象には当然ながらパンデミックも含まれるのだ。これは、医療機関も絶対に必要だとして、レジリエンス認証を医療機関に広めようとキャラバンまで行っているが、殆ど医療機関は見向きもせず、対応出来ていない。(事業継続計画(BCP)の対応を怠っていた医療福祉業界の実態

世界各国のワクチン接種優先順位を見ると、日本の様に医療従事者を最優先している国家は、筆者の知る限り存在しない。ほぼ、高齢者と高齢者施設関係者、つまりリスクの高い層が最優先なのだ。日本は、高齢者は2番目で、高齢者施設関係者は全く優先されていない。年末に医師会長が発言した、医療が全ての職業の中で最も尊いという趣旨の発言をしたと記憶しているが、職業に貴賤を付け、選別する思考なのだろうか。

<中世的措置に物申す>

東京都小池知事の次のターゲットは、路上飲酒者の様だ。確かに、モラルやマナー面では、ほめられたものではないが、感染拡大面は室内飲酒よりも遥かにリスクは低い。富岳が屋外でも飛沫飛散する事を示していると言う人がいるかもしれない。確かに飛散はするが、空間の広さ、気流などを考えると室内よりも間違いなく飛沫を浴びる確率は下がり、ウイルス暴露の量は減少し、到底感染に必要なウイルス量に届かないだろう。

要は、路上飲酒者は単なるターゲットで、見せしめの対象でしかない。思えば、パチンコ屋、新宿(and池袋)夜の街、若者など、票にはなり難い、弱い立場をターゲットに選んで、集中攻撃、晒し者にされる政策が繰り返されている。思えば、安全性が科学的に立証されていた豊洲市場を安心という概念で振り出しに戻そうとした手法と同様のパフォーマンスに過ぎない。

本来、国家が緊急事態宣言を発出する事態では、政権与党は一旦下野するべきだが、後を担う現野党が余りにもあり得なさすぎるのが日本の国家としての脆弱性かもしれない。立憲民主のゼロコロナという非科学的ファンタジー思想では医療崩壊どころか国家破綻を招くだろうし、唯一期待出来そうだった、維新+国民民主+α連合は、リーダー格の吉村知事が今回の正常とは思えぬ判断で全く期待外れになった。確かに、孤軍奮闘、攻撃に晒され、精神的に追い詰められているのだろうが、それでも国家運営は同等のプレッシャーを乗り越える必要があると考えると、極めて厳しいと言わざるを得ないだろう。

日本が国家として破綻に向かわない為には、最後の砦、一人でも多くの国民が目を覚まし、冷静に科学的、論理的思考を働かせられる様になるしかない。

学校教育の歴史的分岐点に向き合う覚悟

学校教育に関する問題点が様々な視点で指摘されている。日本は、歴史的に見ると教育先進国であった。その証拠に所謂中世期から識字率が高かったり、国民のモラルの高さとして表れていたりする。しかし、その誇るべきはずだった国家としての教育レベルに対する問題の指摘が増大している。筆者自身は戦後教育の問題が大きいと感じてはいるが、そうは言っても過去は取り返せず、不要な摩擦を生み、建設的な議論とその先の改革には繋がらないので、一旦その事は置いておき、目の前の問題に前向きに向き合う姿勢で述べたい。

いくつか整理して現状話題になっている事象を挙げてみる

  1. 不登校ユーチューバーのゆたぽん氏による『中学校に行かない宣言』
  2. 教員による児童生徒へのわいせつ行為が後を絶たず、私的SNS禁止に
  3. 『#教師のバトン』プロジェクトに対する、ネガティブな炎上

他にまだまだあるだろうが、目の前で顕在化している事象だけでもこれだけある。筆者自身、以前学校現場と深くかかわった時期に垣間見たのも、極めて閉鎖的空間で、世間の一般常識と乖離した判断が堂々と行われていながら、内部の人達はその異常さすら感じていない状態だった。時には法律すら超越する聖域と化してしまう。同様の問題意識を持っても多くの保護者は口を塞ぎ、敢えて追求しないで闇に葬られることを容認する空気感が存在する。それは、問題化する事で結局、子供達に損害が生じるからであり、僅か数年の事なので我慢すれば過去として通り過ぎるという判断によるのだろう。

しかし、事ここに及んでは、国家としての一大事であり、自分事として語っていかなければならないのだ。

<個々の問題検証>

では、個々に検討を進めたい。まずは、1のゆたぽん氏の問題提起に関してだ。

学校の闇、閉鎖的な暴力やいじめに抗い、不登校になったが、その事を若干小学生時代からユーチューバーとして発信し続けてきた。ある意味、政治活動、言論活動なのであり、彼の言うことは正論である。非論理的な校則を問題視し、ホームエデュケーショを選択する権利を主張し実践している。ある意味成功例だろう。

しかし、これを一般化するのは少々無理がある様に感じる。ゆたぽん氏の子供離れした思考回路、コミュニケーション能力とそれを支えるご両親、家庭環境があって始めて成立するホームエデュケーション事案であり、他の子供達が真似をして権利を主張しても、多くの未習熟児童が大量発生するだけだろう事は容易に想像できる。

学校に行かなくても学べる環境を構築するまでには、まだ道のりは遠く、集合教育も必要不可欠だろうし、効果的な教育の浸透の為にはこの先も集合教育が主要となるべきだろう。しかし、中には別の方法の選択を容認しても良いケースも今後増加するだろうから、テストケースとして細かくトレースしながら、容認する条件や確認方法など検討を進めれば良いだろう。

次に、2の教員の資質に関する問題だ。

集合教育が必要不可欠だと言っても、それを支える教員がこの体たらくでは足元から崩れてしまう。そして、対応方針として耳を疑うのが、SNSなどでのやり取りの禁止だ。今の世の中、SNSぐらい使って、コミュニケーションを取る事は必須であり、わいせつ行為の要因と安易に判断するべきではない。あおり運転を撲滅する為に、車を全廃しようとは言わないだろう。わいせつ行為、性犯罪に及ぶのは再犯性の高い犯罪でありある意味病気とも言える。子供に教える資質の欠落は、SNSを禁止しても問題は解決しない。

3の『#教師のバトン』プロジェクトは別途投稿(『#教師のバトン』プロジェクトに見る教育界の改革策)しているが、教員の環境がネガティブ一色に染まっており、子供達ステークホルダー視点の要素に乏しく、とても前向きな改革に向かう空気感は生まれないだろう。

まとめると、資質の無い教員が多く、ネガティブな感情に支配された状態で、自分の頭で考えないロボットを再生産するだけの場所になってしまっている事になる。かなり厳しめの表現だが、学力は学校の授業時間は休憩して時間外に塾で身に着ける。スポーツなどの技能は、クラブチームなどで指導を受ける。コミュニケーション力や集団行動連携力などは、時代遅れの校則で縛らないと統制できない環境で育成出来様はずがないのだ。

<前向きな改革の方向性>

八方塞がりだが、前向きな改革なしに国としての発展はあり得ない。前向きな改革方法案をいくつかのカテゴリに別けて提案したい。

基本の5教科に関しては、徹底的にコンテンツのDX化を進めるべきだ。教師個人の教え方ノウハウで差が出るようではダメで、均質化する必要がある。また、児童生徒の能力や習熟状況に応じて徹底的にカスタマイズされた指導、個別課題の提示、習熟度確認が必要だ。その実現方法がDX化に他ならない。教師は、コンテンツクリエイターとなり、個々のカスタマイズのノウハウを積み上げる要員として機能してもらえば良いのだ。

上記以外に、問題に向き合い解決策を模索し実行する能力の育成も教育には不可欠な要素であり、その為に必要なのは、訓練である。グループディスカッションや議題のまとめ実践、時にはディベートやプレゼンテーションなども論理形成力を養う上で効果があるだろう。問題は、実施をどの様にするか、単純なカリキュラムで下して出来るものではない。これらは、民間の人材を活用する必要があるだろう。企業の定年が伸びるとはいえ、シニア世代に次の活躍の場、社会に貢献できる場を求める層は多い筈であり、この層をフルに活用すればよい。

部活動、芸術やスポーツなど特殊技能系の分野も同様に、民間の人材、クラブチームや地域社会との連携にて構造的に体制を確立するべきだろう。

これらの対策は、個々学校単位で行えるものではない。しかし、学校が抵抗勢力になっても改革は進まない。一般の業界で起こってきた、統廃合と同様、ある程度の規模感と統制力を持った体制に構造の再構築が必要だろう。

未来の日本を支えるのは、間違いなく、子供達である。今、子供達を主人公とした教育の抜本的改革を本気で目指す必要があり、その為には内部の力だけでは困難で、外圧でのスクラップ&ビルドがなければならないだろう。即ち、教育の歴史的分岐点に向き合う覚悟を全国民が持つ必要があるのだ。

まん延防止等重点措置が拡大、コロナ騒動はどこまで続くか

まん延防止等重点措置が大阪、兵庫、宮城に続き、東京、沖縄、京都などにも適用された。

吉村大阪府知事や橋下元知事などは、マスク会食を対策の要として、要は飛沫飛散を抑える事を重点的に実施する事を強調している。まさにその通りなのだが、その様な事は昨年当初から明らかだったのに、多くの専門家や野党の政府批判、メディアの煽り報道が、人流が問題と言い続け、PCR検査の強化が感染予防対策だとも言い続け、本質論から遠ざかっていただけではないのか。

<拡散された誤った認識とは>

どれだけ人が動こうが、飛沫を飛散させなければ感染は起き様がない事は、常識的に考えれば自明だ。勿論、呼吸で発生するエアロゾルもリスクがゼロではない。腸内感染の報告もあり、排泄物からの感染も報告されており、インドなどはその影響も疑われている。しかし、リスクの大小で言うならば、飛沫感染が最も大きく、接触感染等他の感染経路も飛沫飛散が無ければ起き様がないので比較的リスクは小さい。つまり、飛沫飛散を減少させる事が、最大の感染対策である。

もう一つ大きな勘違いは、PCR検査では感染は防げない事だ。中国など検査は関係なく、否応ない隔離で抑止しているだけで、検査自体で抑止出来ている訳ではない。無暗な検査で無症状感染者を発見できる確率は僅かであり、非効率で効果が薄い事は諸外国が実証している。寧ろ、偽陰性という誤った安心というリスクを膨大化させてしまう。有無を言わさぬ隔離で防げても、検査では防げないのは正常な思考回路があれば理解できる事なのだ。

<飛沫飛散防止が最大の対策>

神戸市などは、マスク会食に対して、マスクに付着しているウイルスからの接触感染リスクを訴えていたが、そのリスクよりも飛沫飛散を抑える効果の方が大きいという判断は出来る。但し、マスク着脱時の接触感染リスクを甘く見る事は間違いであり、注意は必要なのだ。ならば、会食時にマスク着脱でなく、一般的な咳エチケットと同様にハンカチ利用や手マスクも効果はある。あまり大仰に考えず、飛沫飛散を抑える目的思考を持つべきだろう。

ある番組で一部の専門家は、マスク着脱による接触感染リスクは問題ではないと言い切っていたが、耳を疑うしかない。いくら何でも、言い過ぎであり、そこまで言うのならば、今までの、マスクの着脱方法指導や手洗い、手指消毒励行なども全否定に繋がりかねない勝手な論理であり、やはり専門家の言うことは、余りにご都合主義過ぎて鵜呑みにできないと改めて確信させられる。

<数字を冷静に見れば分かる事>

感染抑止対策としては、飛沫飛散防止に絞られる訳だが、現実として抑えられないシーンが数々ある。その筆頭が、食事時であるので、マスク会食は、方法論はともかく、対策としての方向性は妥当である。

そして、食事以外では、マスク着用が困難な老人や小児なのだが、リスクとして考えると重症化リスクの高い老人施設の対策が実は最大の本丸なのだ。なので、各国ワクチンの優先順位として、出入り業者含めた老人施設関係者を対象としている。何故、日本は優先順位を上げないのだろうか不思議だが。

日本はワクチン後進国とメディアで叩かれている。確かに自国産ワクチン開発は後塵を拝しているが、軍事研究を忌避し、ワクチンの安全性に疑いを持ち、何年も安全確認が必要とされていたのではないだろうか。感染爆発している各国は、少々のリスクはあっても背に腹は代えられず、抑止効果を優先する考え方で先行しているだけで、同じ考え方を日本は持てるのだろうか。もしも、日本での接種が進んでいて、アストラゼネカ社製での血栓被害が日本で発生していたら、メディアは黙っている訳がないだろう、安全性を無視した勇み足と。

そもそも、イギリスなどワクチンの効果なのか、感染が収まりつつあるが、その状態で、今の日本とほぼ同じ感染状態だという数字の現実に何故目を向けないのだろうか。ワクチンの効果、90%や95%でようやく日本と同じ状態なのだ。米国CDCはワクチン接種で当人同士はマスクが不要だとまで言っている。つまり、日本の状態であればマスク不要と言うに等しいのだ。そもそも、日本の感染者数では治験すら十分な数の対応が困難であり、その事は即ち緊急性も低いという証左に他ならないのだ。

海外のメディアまで日本の感染対策がまずいと言うのは、日本のメディアの報道が政府攻撃に終始している情報をソースにしているに過ぎない。日本は客観的に見て、感染症対策としては上位にランクする結果を残している。

<自分が感染しない為には>

人に感染させない対策としては、飛沫飛散を徹底的の抑える事、それは感染の有無に関係なく、全員が対象だ。そして、同時に自分が感染しない対策も必要だ。飛沫を浴びないソーシャルディスタンス確保、手洗いうがい手指消毒などだが、何よりも個々人の健康管理が最大にして最高の対策なのだ。人間、元気であれば少々のウイルスは撃退する免疫力を持っている。だから栄養補給、睡眠などで所謂風邪をひかない対策が最重なのだ。そういう意味で、心配なのは、春に向けて温かくなってきて日差しが強くなってくる季節に、巣ごもりして、紫外線を浴びてビタミンDを生成するチャンスを逸する事だ。昨年、この時期に巣ごもりをすることで、夏季にも感染は収まらなかった。検証はされていないが、この時期に日に当たらない事はリスクとしか言いようが無いと筆者は確信している。

<いい加減に目を覚ませ>

人流が増えても、飛沫を飛散させなければ、物理的に感染は発生しない。しかし、日に当たらなければ、体内でのビタミンD生成が不足する事は自明であり、ビタミンD不足は免疫力低下をもたらす。従って、不要不急の巣ごもりは害なのであり、皆、飛沫飛散抑止を心がけた上で、青空の下、出かけるべきなのだ。

42万人死ぬと恐怖を煽った結果はどうだっただろうか。最悪のシナリオ想定に過ぎないと云うのなら、感染状態のステージの考え方として、42万人死ぬ状況の1歩手前がステージ4になる筈だが、異次元の低さの数字を管理値としている。

東京都で、直ぐに1日4000人の感染のリスクがあるとのシミュレーションが公表された。可能性はあるという言い逃れは成立しない。不要不急の外出を避けろと非科学的に言い続けるのはいい加減にするべきだが、聞く側もいい加減に目を覚ますべきだ。交通事故死を無くすために世の中から車を無くせと行っている様なものだと、そろそろ気付くべきだろう。

『#教師のバトン』プロジェクトに見る教育界の改革策

教育が国家繁栄に必須の事業であることは誰も疑わないだろう。方法論として、学歴至上主義から、ゆとり、脱ゆとりなど、これまでの過程は迷走している様にも見えるが、目指す方向性は、国際社会で活躍できる人材の育成である事は間違いないだろう。即ち、成果につながる方法論が未だ確立できていないというのが現実なのだ。

ところが教育界は,かつてのあこがれの先生像から、成り手が集まらない不人気職業になってしまっている。残業が多いブラック業務、雑音が多く本来の業務に集中できない、本来業務と異なる対応に忙殺されると多くの教育関係者はうったえている。その現れとして、文科省の『#教師のバトン』プロジェクトが炎上してしまった。前向きな問題解決への1歩だったはずが、ネガティブな炎上に終始してしまうのが実態なのだ。

問題事象は、本質的な病巣とその要因に言及しない限り、改善はあり得ないのだが、巷の論は、殆ど現象に対して表面上の対策が多い様に感じる。業界のど真ん中にいる人達だけでは、本質に目が行かないのだろうかと疑ってしまうのだ。

産業界で永年様々な課題に向き合って前向きに乗り越え解決してきた経験と、縁あって部活動やジュニア指導を通じて、垣間見えた問題事象も踏まえて考察してみる。ある意味、教師の方々には耳が痛く、聞きたくないと言う反応、時にはネガティブな攻撃反応も予想されるが、攻撃的であればあるほど、病巣が深く、客観的に自分達の足元が見えていないと断ずる他ないと思っている。

<教育業界の病巣の考察>

まず、マネジメントや経営のプロの視点が教育業界には乏しく、ガバナンスが一方通行で機能していないと感じざるを得ないのだ。その証拠に『#教師のバトン』で集約された意見は、以下の内容だ。

・長時間労働の改善

・部活動の負担、顧問制度の廃止

・給特法の改正

・教職員定数の改善

・免許更新制度の廃止

ほぼ教員の待遇改善に終始しており、本来の主役である生徒に目線が行っていない。教師の成り手を増やす為に待遇改善は必要だろうが十分条件ではなく、その前に教員になる志を前面に出すべきであり、時代環境に適応した教育を充実させる観点が必要不可欠なのだが。

世の中の変化に適応し、ステークホルダである生徒や保護者の利害を考え、その上で社会の要求、矛盾する課題をマネジメントし最適解に導いていかねば改善はない。現場目線だけでは、どうしても被害者意識と自己正当化で偏ってしまいがちだ。気付かずに現場が抵抗勢力化していると言っても言い過ぎではないだろう。

この状況は、いつの時点から発生したのだろうか。筆者は、モンスターペアレント対応で他の業界と真逆に向かってしまったと分析している。

20世紀末から21世紀初頭、品質第一を掲げて顧客満足というキーワードと共に、クレーム対応を重要戦略と捉え、ステークホルダを意識したアカウンタビリティ(説明責任)が求められてきた。どんなヘビークレームもチャンスと考え、新たな経営課題にも前向きに真正面から対処してきた。そうする事が、企業が生き残る唯一の方策であったからだ。

同じ時期、教育業界では何が起こったか。モンスターペアレントを問題視し、本質的でない単なる言いがかりと遠ざける動きが強まった。テレビドラマなどでも、殊更その問題性を誇張して自己弁護に励み、その結果、建設的な意見も遠ざけ、改善していくチャンスを逸してしまった。ステークホルダである、生徒や保護者の意見が無視され、教育現場の聖域化が進んだのだ。

現場にいる人間にとっては、極自然で当然の正当性ある対応と感じても、世間の常識と乖離していったのである。確かに、ヘビークレームや現場を知らない無理難題等、相手にしていても仕方がないと言うのも正論だが、それに向き合い、本質的な視点で改革してきた業界と比較すれば明らかな差が生じてしまったのだ。

<問題の解決に向けての検討>

こうなってしまった原因は、教育現場を支える教師は専門職であり、マネジメントや経営を学び経験を積む機会がないことが大きいだろう。管理職になればという反論もあるかもしれないが、それでも一般企業でいうCSR的な機能、外向きの視点が極めて弱い。

その機能を外部の教育委員会や文科省に委ねるのはあり得ない。一般の業界で経産省やお役所に経営を委ねる事はあり得ないのと同じで、あくまで個々の事業責任で、経営改革、マネジメントは担う必要がある。しかし、学校単体でその機能を担う人材は到底用意できないだろう。であれば、一般の業界で起きている、統合再編の動きが必要なのだ。公立であろうと、私立であろうと、グループ化など経営統合、マネジメント統合などの構造改革による経営効率化、そして情報公開、説明責任能力向上が必要不可欠ではないだろうか。

その上で現場の改革としては、専門技能の向上と均質化を目指す必要がある。現状は、個々の教師の個人ノウハウに頼りすぎているがために、肝心の生徒へのサービスとしては均質ではなく、不公平なのだ。あの先生の授業は分かり易い、では困るのである。

専門職としての教師は、あくまで専門職としての技能を磨くことに専念してもらい、そのノウハウのDX化を進めるべきなのだ。個々の習熟度に応じて教えるポイント、躓きをクリアする要点等をDXで均質サービス化を目指す。教師のノウハウによる個々の状況に対応したインプットとDXによるアウトプットが積み上がっていく事で、サービス品質向上、均質化、きめ細やかなパーソナライズ化と同時に教師の省力化も実現できるだろう。まとめると以下の2点だ。

1.学校の経営統廃合による、経営マネジメント・ガバナンス機能の強化

2.基本教科のDX化でサービス品質向上(均質化、パーソナル化)、業務の省力化

現実に、上記を進めるためには、他業界からの人材を積極的に登用する必要があるだろう。それは、一般企業のOB、経営や管理職経験者を活用すれば比較的簡単だ。

また、学校教育は、基本教科を教えるだけではなく、未来の社会で活躍する人材を育成する必要がある。

知識は基礎知識さえ入っていれば、社会人になってから、いくらでも勉強できる。勉強するモチベーションさえあればだ。それよりも、問題に直面した時に、自ら思考し、解決策を導き出し、実行する力とモチベーションを維持向上させる力、そして何よりも人間力の方が重要なのだ。

その力を養うのは、勉強と言うよりも訓練なのだ。学生時代にその様な訓練を積めば最強だ。課題遂行型の調査・実習・実験やプレゼン・ディベートなどによる論理形成力・計画実行力訓練が必要だろう。組織で共通の目標に協力して向かう訓練は部活動が有効だ。これらは、カリキュラム整理で対応できるものではない。何故なら、訓練に寄り添うコーチング経験が重要で、ここも企業OB人材が必要だろう。つまり、以下に集約される。

3.他業界交流、異業種人材交流による必要人材資源の獲得

<未来人材育成を目指す学校教育像>

確かに教育現場は改革が進んでいない。その事には同意する。しかし、それは誰の責任だろうか。国の責任、自治体の責任、文科省の責任、と言いたいのだろうが、当事者である現場教師の責任は棚の上なのだろうか。

一般企業の事業との比較で言わせて頂く。働き方改革の問題は、どの業界でも共通だ。労基が入り、超過労働の指導を受けると事業継続が困難に陥るので、何が何でも労働時間抑制が至上命題になる。同時に残業隠し、サービス残業も絶対禁止は当然なのだ。だからと言って、仕事の手を抜いて良いとは誰も言わない。サービス品質を下げず、むしろ競争品質を確保する事も至上命題として、相矛盾する事項に向き合い、創意工夫、効率改善して、生き残れるのだ。

どんな改革プランでも、現場が後ろを向いて抵抗勢力になれば前に進まない。前述の様な策をいくら検討しても、例え実行しても、前に向かなければ前に進まない。前に進まないことを、他責にしても何も事態は変わらない。現場の教師がネガティブ一色では抵抗勢力になってしまうのだ。

今の教育現場は、極めて閉鎖的だ。もっと広く透明化し、異業種交流や他の業界との人材交換などで実施して、前向きな意識改革が必要だろう。

筆者の教え子達、ジュニアチームの卒業生からも複数名が教師になっているし、後に続く志望者も複数名いる。彼ら彼女らは、志を抱き、問題に対しても前向きに向き合うメンタリティを持っていると確信している。彼ら彼女達が存分に活躍できる、ポジティブな現場になることが、まずは第一歩ではないだろうか。

今年のJLPGAプロテストが注目だ

日本の女子ゴルフ界が活況に沸く。トップは、世界で通用する事を証明した畑岡奈紗、渋野日向子。そして同じ黄金世代の小祝さくら、原英莉花、河本結、勝みなみ、新垣比菜、吉本ひかる、山路昌、臼井麗香、浅井咲希など。ミレニアム世代の古江彩佳、西村優菜、安田祐香、吉田優利、山口すず夏。その他にも同年代に、稲見萌寧、成人後は日本国籍を予定しているという笹生優花、ベテラン層も上田桃子、鈴木愛、渡邊彩香、菊地絵理香、原江里菜、有村智恵、柏原明日架、藤田光里などまだまだ健在、挙げだしたらキリがなく、群雄割拠で大変楽しみな状況なのだ。

もともと、アマチュアゴルファーにとって、男子プロの異次元の世界のゴルフも楽しみではあるが、自身の距離感と近く、コースの攻め方、持つ番手など参考にもなり、それでいながら好スコアを出してくるプレーは、見ていても親近感を覚え、楽しめるので人気があった所に世界での活躍が後を押したのだ。

そして、昨年中止されたプロテストの延期扱いのプロテストが今年行われているが、大変注目を集めつつ、筆者は1アマチュアゴルファーとしても、大問題も抱えていると感じているのだ。

注目させてくれている要因は、コロナ禍におけるYouTubeによるゴルフ動画の拡散拡大と考えている。その中でも、プロの卵(この表現は正確には間違いである事を後述する)自身が発信する動画や、応援する企画等が目白押しなのだ。『白金台女子ゴルフ部』や『3284TV』、BSまで入れると『ゴルフサバイバル』『激芯ゴルフ~93期生への道~ 』などがその例であろうし、地上波でも珍しく不人気番組であった『日曜ゴルフっしょ』に代わる『ゴルフのキズナ』などにも企画として波及し始めた。それらの番組では、ツアープロと対等に戦える力を持ち、素晴らしいプレーを見せてくれながら、プロテスト合格を目指す姿が映し出されている。キャラも前面に出しつつ、直向きに目標に向かう姿は、自然と応援したくさせてくれるのだ。

しかし、別の視点で考えると、ここまでの注目を集め、企画として成立する背景を考えると、問題性を感じざるを得ないし、改善を期待したいのだ。その問題の根本は余りにも狭き門である事なのだ。

先に『プロの卵』と表現したが、実は彼女たちは既に夫々にプロフェッショナルなのだ。実は、プロのトーナメント(下部ツアーなど)を優勝する力も持ち、上位成績を収めている選手は多い。ステップアップツアーの優勝コメントで次の目標を『プロテスト合格』と話したのを聞いたこともある。QTをクリアしてレギュラーツアーでの活躍も見たことがある。つまり、賞金を稼ぐツアープロ選手であり、その実力があるのだ。

プロテストに合格しても、シード権を取得できず、QTランキングでも上位になれず、試合に出場できない選手は沢山いて、その選手たちとの違いは、プロテストに合格しているか、いないかだけなのだ。

確かに、ある一定の技量をプロの条件とするのは当然の事だろうが、1年に20人の枠は少な過ぎるだろう。昔と異なり、底辺は拡大しており、これだけの群雄割拠状態であれば、それに応じて枠も拡大させて、更なる普及による底辺拡大を目指す事が、世界と戦い勝負する為のレベルアップにも通じる必要条件なのだ。

そもそも、今の時代、プロテストに意味があるのか疑問である。ツアーで戦う技量の担保は、QTやステップアップツアーが担っており、ツアーのレベルは保っているのではないだろうか。プロテストを狭き門にする必要が無いのだ。プロになっても稼げず、稼ぐためには、ツアーに出る権利を獲得しなければならないからだ。

今までは、プロテスト未合格者もツアーに出る戦いをクリアし戦っていたのだが、プロテスト合格者でないとQTにすら出場できない様にルールが改正された。これで、多くのプロテスト難民が発生したのだ。

よく考えて欲しい、アメリカツーにはプロ資格制度は無い。誰でも、出場権を獲得すれば、試合に出場できる。門戸を開きながら、政界最高峰のレベルが担保できている。

現在の女子ゴルフ界の活況は、宮里藍選手に憧れた年代の底辺拡大より繋がっている。黄金世代、プレミアム世代と繋がり、次世代に更に底辺拡大し、ゴルフ界を盛り上げ、世界で戦うレベルアップを果たすためには、今、枠を広めないと、逆行させてしまい、シュリンクする方向に向かうのではないだろうか。

ゴルフ界の繁栄の為にも、今年のプロテストへの注目を更に高め、普及へのギアチャンジを協会に託すべく、拡散できれば幸いである。少なくとも、今年の合格枠は延期であるならば、倍の40名に今からでも増枠を検討するのが筋ではないのだろうか。

最後に筆者の応援する期待の選手を全く私感ではあるが、挙げておく。

『白金台女子ゴルフ部』から、先日の1次予選を通過した、井上莉花、荒川侑奈、稲葉七海、佐久間夏美、楠本綾乃、岡田唯花、八巻聖良、江口紗代、同じく昨年最終予選進出条件で臨む、篠崎愛、植手桃子、山下美樹。その他三嘴門下、幡野夏生、瀬戸瑞希、瀬賀百花、今綾奈。その他にも、DSPEプロジェクトからは、柴田香奈、小林瑞希、田邊美莉、平塚新夢、五月女栞雛、西山沙也香、立浦琴奈、鈴木絢賀、新真菜弥、諸西諭里、四村彩也香、須江唯加・・・・軽く20人を超えてしまう。本当に頑張って欲しい。