リスクを取らない事が最大のリスクだ

話題のCM『UQUEEN』のワンフレーズ『リスクを取らない事が最大のリスクだ』は、マーク・ザッカーバーグの名言を捩ったものであり、リスク管理の視点では究極の課題でもある。

実は、巷で吹聴される『ゼロリスク』志向の問題は、このリスクを取らない事によるリスクなのである。リスクというと後ろ向きのイメージを持ちがちだが、チャンスを掴むためにはリスクは必ず付随し、リスクゼロは、即ちチャンスゼロを意味する。また、リスクは一通りでなく、複数のリスクが共存し、そのバランスで全体最適を図る必要がある。一つのゼロリスクで語るのは愚の骨頂なのだ。

国家運営や企業、組織経営において、リスクは決して単一ではない。複雑に絡み合った環境で複数のリスクが相互関係も持ちながら存在するのである。従って、単一のリスクをゼロ化した所で、その結果生じる他のリスク増要因も現実に存在するのだ。本来であれば全体最適思考で全リスクを総合評価し、バランスが取れたリスク対応計画が必要になるのだ。

<ゼロリスクの弊害実例>

現在の新型コロナ対策を前に進ませない最大の負の要因が『ゼロコロナ』思考と言われている。政府分科会は、感染リスクばかり殊更喧伝し、行動制限、私権制限、自粛の必要性ばかり吹聴するが、一方で発生する経済リスクに関して一切論じない。言葉を選ばず言うと、『自粛させても金さえ渡しておけば良い』とでも言わんばかりに聞こえる。

実際、政府分科会は経済リスクなども総合的に分析する為に、経済の専門家も途中から加わっている。筆者は、この経済専門家が巷に発信するのが感染抑止策ばかりで、経済影響等の発信が無い事を批判してきた。しかし、最近になってこの経済専門家より、分科会で経済リスクに関して発言すると、「それは他でやって欲しい、ここは感染リスクを話し合う場だ」と言われ相手にされなかったと漏らしている。つまり、経済専門家は加わっていても意見の言えない状態で検討のバランスを欠いていたのだ。

経営の立場で考えて欲しい。自らの経営判断を行う為の、情報分析、整理する部門が偏った志向でバランスを欠く状態であれば、信頼できる情報とならず経営判断を誤るだろう。偏っている事を問題視し、バランスを図る為の人材を投入する人事を発動しても、抵抗勢力に囲われ期待の働きが出来ない状態であれば次に何をするべきか。

この抵抗勢力への対峙の仕方は、それだけで何冊も本が書ける内容でもあり、簡単に語れる訳では無いが、どちらにしても対峙して解消するのが最大の経営課題となる。

そして、休業した場合のリスクは決して金銭だけで賄えるものではない事ぐらい素人でも分かるはずだ。固定客の離反や取引先との信頼関係、設備の保全や老朽化防止、事業しているからこそ見える課題も埋もれてしまう等、事業を回しているからこそリスク対応ができる事項も多いのである。

政府分科会に話を戻すと、『コロナ感染リスク』だけを検討するだけでなく、『経済リスク、経済死』等もバランス良く評価する機能が必要になる。今の分科会がその機能を果たせないなら、権限者の行うべきは、人事刷新か組織改革でしかない。ましてや現組織構成員の様々な不正疑惑と説明責任を果たさない不誠実な姿勢が露呈しており、私であればスクラップアンドビルドして、判断できる分析情報が上がる状態に舵を切るだろう。

<日本型マネジメントPDCAがリスク管理でも必要>

リスク管理とは、考えられるリスクを評価する所から始まる。重要なのは、発生確率と発生時の被害であり、出来うる限り数値で夫々算定し、その積をリスクスコアとする。リスクスコアが一定数値を上回った時点で自動的にリスク対応計画を求め、リスク低減策が実行される。このリスク低減策には、当然ながら発生確率を下げる策と、発生時の被害を縮小する策と二通り存在する。低減策が実行された結果として、実際にリスクがどの様に変化したか再評価し、残ったリスクを残留リスクとして更なる低減策が必要か判断する。これがリスク管理のマネジメントサイクルでありPDCAなのだ。

勿論、これはマネジメントであるので、要所要所での経営判断、経営レビューが必要となり、時には経営の意思として、リスクスコアが低く評価されていてもリスク対応計画を求める事もある。これは経営の方針であるので、その様な判断がある事が寧ろ健全なのである。

この観点で新型コロナ対策を考えると、最大の間違いは、リスク評価を誤っている事だろう。特に問題なのは、発生確率を一切評価していない事だ。『かもしれない』ばかりで、可能性があるだけで、あたかも発生確率が高い様に訴え続けている事。これではリスク評価を間違いなく誤る。

同時に、リスク低減策を実行した場合の新たな発生リスク(経済リスク等)を同じテーブルで評価していない。そして極めつけは、PDCAのC、チェックを一切実行できていない事だろう。

実は、このPDCAサイクルとは日本的マネジメント手法である。それは、終わりなく、常に改善しながら回り続ける、季節感で言う春夏秋冬、死生観で言う輪廻転生なのだから、文化的にも日本文化が馴染みやすい筈である。大局的にある、終末思想、マルクスなど究極の理想郷を追求する思考とは根本的に異なるのである。

巷では、エドワーズ・デミングが提唱したとされているが、実態は、日本科学技術連盟が確立し、品質保証などの分野で日本型経営として定着させ、トヨタ生産方式、カイゼンを普及させ、『JAPANasNO1』で激賞されるなど世界の先頭を走ってきた。

その後、ISO認証取得の運用形骸化という問題もあったが、マネジメント運用に問題がある訳ではなく、マネジメントサイクルを回す事自体は見直されてきている。

資本主義社会として、成長を続けるために、経営の意思を込めたPDCAを回し続ける事こそ、新たなイノベーションも生み出し、継続成長を促し、同時にリスク対応も確実に行える基礎となるだろう。