有事対応の地方自治と中央集権のバランスの問題が決着

河野大臣がワクチン接種予約の初期混乱に対して、BS報道番組で混乱を発生させた原因を、自分自身の指示が甘い、ミスだったと謝罪した。

ワクチン接種の順番は様々な議論が存在した。一番公平なのは、先着順。しかし、この場合のデメリットは初期の混乱であった。何らかの順位をつけると、混乱を防ぐ効果はあるが、デメリットとして公平性の担保が難しい。

その状況で、全国一律に決める事は困難で、地域毎の事情に合わせて、バランスを取る様に政府からは指示が発せられたが、これが地域任せで充分な機能が果たせず、もっと中央から細かな指示を出すべきだったとの反省の弁なのだ。

つまり、地方自治における判断能力、執行能力に問題があり、国が権限行使し統制する形にしないとダメだと判断した事になる。百歩譲っても、有事においては中央政府が責任と権限を握って采配を振るう必要があると、問題提起しているのである。

この1年、国と地方の対立が数々指摘され、結局地方では有事対応は無理だと、一定の結論が出された事になる。この考え自体が、次期総理候補から発せられた事も重要であろう。

橋下元知事や片山元知事などは、地方の事情を熟知した知事に、もっと権限を委譲するべき趣旨の発言が多かったが、知事経験者からは確かに実権(法的根拠のある)を持たないと何もできないと言うのは分かるが、この1年間、全国を見ても執行能力の差などが顕著な状況が露呈し、無理がある事は明らかだろう。

日本のコロナ禍における最大の問題は医療崩壊である事は疑い様が無いだろう。さざ波状態の感染者数で、医療資源は世界に誇れる程豊富であるにもかかわらず、コロナ対応に割ける資源が枯渇すると言う状態である。様々な言い訳は聞こえてくるが、所詮言い訳に過ぎず、やるべき事は明確なのに、やっていない、やれない事は誰も否定できないはずだ。

医療体制の強化に関して、政府が何もしていないとメディアは騒ぐが、実行責任は地方自治側にある。都道府県、市町村と地域医療との協力体制において必要な資源配分を決める必要があるのだが、これが全く機能していない。法的強制力が無い、地域医師会が非協力的、無理強いすると次回選挙で組織票が逃げる等の問題があろうとも、有事対応はそんな平時の感覚で対応していては破綻するのは至極当然の事なのだ。

法的整備とは、各地方での具体策が検討された上で必要な整備を行うものである。実運用上の必要性を訴えて初めて俎上に上がるのだ。つまり、受け身ではダメで、現場の具体策なくして法整備など進む訳がない。

唯一、大阪府吉村知事は、集中治療センターを開設して対応強化を図ったが、結局人的資源の獲得、医療業界の協力が得られず、自衛隊の投入まで要請された事は記憶に新しい。

ワクチン接種も同様。政府の調達が成功しても、打ち手がいないと後ろ向きな姿勢が全般を締めていた。結局、政府が集中接種センターを開設し自衛隊まで投入する決断を下し、更には、超法規的措置、明らかな法律違反である歯科医にも接種をさせる方向まで覚悟を決めて打ち出し、医療業界に突き付けた形だ。

この相次ぐ措置は強力だ。抵抗勢力であった、医師会に対し、表向き全面協力を要請しながら、『非協力的であれば貴方達を充てにしなくてもやって見せるけど、どうするの?』という姿勢なのだ。そして、医師会長のパーティー事件に対しても、政治からは特段の追及は野党も含めてなく、政治資金と既得権益は維持する方向である。この状況でも非協力的、抵抗を続けている様では、自らの既得権益を根本的に失う事態も招きかねない状態にまで追い込んでいる。これで、協力しなければ身を滅ぼすだけだろう。

ここまで国がやって、地方行政は何もできない。様々な知事がパフォーマンスはご立派でも、本質的な医療体制にメスを入れる行動は出来ず、住民へのしわ寄せに終始するだけでは、地方自治は、夢のまた夢としか言い様がない。最小から国が強権発動していたら、それはそれで反発も大きかっただろうし、潰されていたかもしれないと考えると、民主主義とはかくも面倒なものだと改めて痛感する昨今である。

五輪の医療体制も、コロナ対応とは全く別の90%以上の資源で協力体制が確立しつつある。国民の命を犠牲にする医療資源を割く必要は全くなく、バブルという一種の隔離対策で、感染の抑止を行えば、五輪開催反対の理由は、元々の反対、五輪の政治利用以外に存在しなくなる。

唯一、観客をどこまで入れるかという問題はあるが、最悪無観客まで覚悟すれば、何も問題ない。医師会も左翼政治活動系団体以外は反対できないだろう。寧ろ、反対せずに、リスクを最小化する為に全面協力すると宣言すれば、立場の挽回も可能だろう。

夢の祭典を純粋に応援する。スポーツが与える感動は、文化と同様、不要不急ではなく、心を豊かにし活力をもたらす、現代社会にとって欠くことが出来ない要素である事を、もう一度、コロナ禍だからこそ、全世界に訴える、その様な意義のある大会に出来るだろう。

感染対策を実施すれば、大規模パーティー開催も安全と証明された

日本医師会中川会長のパーティー主催という文春砲で世間が騒がしい。医師会の常勤役員14人全員出席との事だ。

でも、これでようやく真の実態が垣間見える事にもなった。あらゆるコロナ渦情報を入手し、専門知識もあり、かつ、感染抑止対策としては極めて強硬論を展開する、権限を持つ人物が取った行動なのである。間違いなく裏付け、確信は持っているはずなのだ。

何故なら、万が一にもパーティーがクラスターとなって自身が感染した場合に隠し切れないから、クラスター化しない確信があったと考えるべきである。例え、今後どの様な言い訳をしようとも、その点に1点の曇りもない。

文春を甘く見た、敵を作りすぎた、スクープのリスクを考慮出来なかった等、脇の甘さは仕方がないとしても、医師会トップとして、最悪感染した場合でも言い訳できる範囲を考えての行動である事は当然だ。従って、このパーティーでは感染はしないという確信があったと考えるべき。それは、感染対策が万全だと考えたからだろう。

即ち、医療を守るために、不必要な自粛や休業、経済負担を負わされた国民としては、感染対策を万全にしさえすれば活動は容認されるべきである。但し、事はそう簡単ではなかったのだろう。

その理由は、ここまでやれば万全とのガイドラインをいくら示しても、守らない層は一定数存在するからだ。ここまで危機感を煽っても、軽い症状があっても活動する人が、7~10%存在すると言うデータもその事実を示している。筆者自身も、軽い症状の人が出歩いている事実を幾例も目撃している。それ故、無症状者ではなく、軽症状者が感染拡大のキーファクターだと昨年当初から主張し、拙著でも訴えてきたのだ。

今迄は、その様なルール破りに対処する為に、その事実を隠蔽し、専門家集団が挙って危機感を煽り、実際必要な基準よりも遥かに過剰な基準を求める世論を形成し、政治が世論に耐えられなくなり、その結果として、過剰な要求を国民に強いてきたというのが実態だろう。しかし、国民も馬鹿ではなく、ステイホームを訴えられても、その科学的合理性に疑問を持ち始め、表向きの発言は大人の発言をしながらも、それ故世論に変化はないが、行動は活発化させてきている。

今回の医師会長の事件は、良いターニングポイントとするべきであろう。実質、感染対策すれば変異株だって問題ないと周知し、その代わり、対策履行の強制力を伴う法制化、罰則化を整備すればよい。同時に、医療資源の再配分に対しても緊急時対応として政府に権限を集中することだろう。簡単である、政府が用意した、集中治療センター、集中ワクチン接種センターに医療資源を強制的に供給できる様に、その為に、開業医も含め、休業率を設定、輪番制でセンターへの人材資源供給を行える様にすることだろう。それだけでいい。抵抗勢力であった医師会も抵抗力は弱まっただろうし、組織票を気にせず、強行できるだろう。

良く考えて欲しい。あれだけ危機感を煽っているが、テレビ出演のコメンテイターでマスクをしている人は存在しない。アクリル板1枚で、大声で過激な発言を繰り返し、危機を煽り続けている。見ていて、可笑しい、言っている事と行動が矛盾すると誰も思わないのだろうか。

筆者は、決してコロナは何の問題もなく、安心だとは言わない。しかし、今の日本の騒ぎ方が異常だという事はデータから明らかである。然るべき、事実を周知している人物、組織の行動を見ても明らかだ。その事に気付き、多くの人が目を覚ます事を期待したい。

安全ではないから、症状のある人は出歩くべきではない。その様な事は出来ない、会社は休めない、ではなく、有症状者が出歩く行動こそが、最悪の行為だという事を認識するべき。

そして、感染対策の実行を強制化し、通常の活動は解禁。但し、ルール違反には休業勧告を実行。チェック体制として口コミを1次的に利用し、怪しきは行政検査だろう。

そして、高齢者施設(職員・出入り業者含む)に対する、ワクチン接種最優先化、感染対策の強化は、今出来ていないのが不思議だが、確実に実行すべきだ。

加えて、正確なデータを判断基準とする為にも、PCR検査のCT値は25~30までに再設定。感染力のない陽性者を無暗に増やさない。死者数も、直接死因に限定したカウントに変更するべきだろう。

最後に、病気なのだから、自己防衛が基本である事を忘れてはならない。ワクチン接種による獲得免疫の前に、自然免疫の強化が最重要個人課題である。その為にも睡眠や栄養補給に加え、日中の外出による日光浴でビタミンD生成は重要と考える。特に今の時期、紫外線量が増え、免疫強化される時期なのだから、決して巣ごもりしては、ならないのだ。

他説を封殺するのではなく、受け入れないと議論にはならない

違和感の塊。この閉塞した、重苦しい空気感が息苦しすぎる。

さざ波発言に対する攻撃は過激化している。グラフを見れば、FACTは諸外国と比較して明らかに平穏な状態である事をデータが示している。さざ波という表現に何も間違いはない。但し、最後の(笑笑)という表現が不謹慎で、不適切という感情論的指摘はあるだろう。しかし、攻撃はその範囲を大きく逸脱し人格攻撃に至っている。これは中世の魔女裁判だ。

<アスリートが発信し始めた内容の一部解釈>

アスリート達も声を出しつつある。錦織選手は、人が死んでまで五輪を開催させるべきでないと言う趣旨の発言、新谷選手は、アスリートは特別な存在でなくワクチン接種優先される事への違和感を語った。

人がバタバタ死んでいく様な状況では、その通りだろうし、欧米の感染ピーク時ならば考える必要があるだろう。しかし、日本はデータを冷静に比較するとワクチン接種が進み活況に沸いている英国などの状況と同レベルなのだ。逆に、だからこそ、この状態で医療逼迫となる脆弱性が一番の問題なのだが。

流石に1人も死なない状況でないと開催できないとは言わないだろう。そんなことを言っていたら、車に乗る事すら出来ない、いや、外出など出来様がないからだ。入浴中の溺死が年間5000人発生している現状では、風呂すら入れない事にもなる。

ワクチン接種の優先順位も確かに日本は少々疑問を感じざるを得ない。

医療従事者が最優先と、日本では誰も疑問を持たないし、発言できない空気がある。しかし、国際的には、この基準は日本だけであり、百歩譲って医療体制の事を考えると、10%もいないコロナ対応医療従事者が最優先とするべきなのだ。

日本の医療資源の数%しかコロナ対応していない。ワクチン接種も、政府が調達に成功しても、今度は接種に非協力的、非建設的な発言がメディアで吹聴されている。90%以上のコロナ非対応の医療従事者が協力すれば可能だろうし、少なくともワクチン接種者は協力するべきだろう。一般企業で社長からトップダウンの指示があったら、無理と言わずに、やる方法を徹底的に工夫しイノベーションを起こすべく努力する。何故、その姿勢が取れないのか。

高齢者も順番が違う。データから見れば明らかで、ぴんぴんしている高齢者よりも高齢者施設に入所している高齢者の方が明らかに致死率が高い。大阪などはその典型例なのだ。つまり、全ての高齢者を公平に接種するのではなく、施設入所者と施設への出入り関係者を優先接種すれば効果は大きい筈だ。実は、多くの国はこの考え方を取っている。

アスリートも優先接種の対象ではあり得ない。しかし、水際対策でバブル対応を実施したとしても確保できるのは安全であり、安心を確保する為には、入国者をワクチン接種者に限定すると考えれば、論理性が高い。そういう意味での優先接種なのだ。

新型コロナを恐れる必要は無いとは思わない。正しく恐れるべきなのだが、今の風潮は、恐怖で煽られ、事実に目を向けず、他説に対して排他的で攻撃的に絶対正義を押し付ける、極めて危険な状況なのだ。

正しく恐れるためには、正しく事実に目を向けて、他説にも耳を傾け、冷静な議論・考察を繰り返し、対処を判断していく必要がある。まさしく、冷静な議論が必要なのだが、国会審議でも排他的絶対正義での糾弾しかなく議論にならない。冷静な議論に必要なのは、データが示すFACTであり、そこから論理的、科学的考察を行う必要があるのだ。

<オープンデータが示す日本の感染状況>

日本の2021年5月10日時点での状況を、NHKのサイトから確認する。

累計感染者数は646,699人、死亡者が10,981人、重症者が1,152人である。

しかし、まず感染者数というのは大きな嘘である。正確に表現すると、検査陽性者である。正確に表現しているサイトもあるが、メディアなどは全く出鱈目なのだ。何が違うのか。感染に関わるステップを時系列で示すと下図の様になる。

つまり、公表されている感染者数というのは、ウイルス暴露以降の人の数を示しており、正確に言うと検査陽性者なのだ。陽性者とは、感染すらしていない人や感染後も無症状のまま発症しない人も含むので、実際の感染者より相当数多い数字になる。また、感染後も発症直前までは他人に感染させるリスクは極めて低い、逆説的に言うと、近い将来発症する人でないと他人に感染させないのだ。

ここで他のデータも確認する。2021年4月29日に朝日新聞デジタルで報道された世田谷区の実態調査である。無症状者に感染力のある人が存在したと騒いでいるが、その実態は、21,710人を対象に検査した結果、117人が陽性(陽性率0.54%)。その無症状陽性者78人の内、約3割の27人が感染力のある状態である事が分かった。つまり、0.18%の人が感染リスクを持っていると言う計算だ。

よく言われる無症状者からの感染リスクとは、この僅かの近い将来発症する人だけであり、その他大勢の無症状者を対象とした検査は不効率極まりない事が理解できるだろう。

次に死亡者数だが、これは厚生労働省の定義を示す必要がある。それは、陽性者で死亡した人であり厳密な死因を問うていない。極論言うと、ウイルス暴露しただけで陽性判定されれば、他の死因で死亡した場合もコロナ死に含まれるのである。当初は正体不明の為、広く確認する必要があったのだろうが、例年のインフルエンザ死者とは定義範囲が異なるのだ。インフルエンザ死者は、直接死因の死者がおよそ3,000人、関連死含めると10,000人である。コロナは関連死よりも更に定義範囲は広いので、現状の10,000人でもインフルエンザと同等以下であることになる。

では、実際の直接死者数はどうなのだろう。推定する情報があった。それは、日本COVID-19対策ECMOnet、COVID-19重症患者状況の集計の数字を流用する。ECMO治療成績の2021年5月4日現在の累計数では、

ECMO離脱  339件

死亡     194件

ECMO実施中 61件

この数字は、日本のおよそ80%をカバーしているとの事なので、ECMO装着後死亡に至ったのは、194÷0.8で243人が推定値となる。

そして人工呼吸治療の累計は

軽快  3046件

死亡   877件

実施中  520件

同様に80%カバーなので、人工呼吸治療後の死亡者は、877÷0.8で1096人。

ECMOと人工呼吸器を合わせると、1,339人が推定値となる。

1万人を超える死者をカウントしているのに、重症化からの死者がたったの1,339人なのだ。例外的に重症化せずに死に至るケースもあるが、それにしてもカウントされている死者数は多すぎる。これは何を意味するのか。

もう一つ他のデータだが、第三波の大阪における死亡事例をまとめたデータを見てみる。2021年4月13日時点の集計で、36,065人の陽性者中、重症で入院療養対象となったのが1,148人で内、229人が死亡している。その他の重症化していない入院療養者から704人が死亡しているのだ。入院して、重症者にカウントされる前に死に至るとはどういったケースなのだろうか。仮説として考えられるのが、看取りではないだろうか。

ここまでのFACTから想定できるのは、日本の新型コロナ感染者数は、60万人より遥かに少なく、最大でも感染率0.2%程度で、全人口で考えると25万人以下と想定できる。直接死因の死者数は、直接死因と推定である1,339人に、残念ながら天寿を全うした看取りの方が、その3倍4,000人程度、足すと、およそ5,300人という推計が算出できる。

メディアの多くは情報が少ない、説明が少ないと言うが、それは自分達の意見と異なる説明に対しては批判に終始し、感情的に攻撃するからであり、オープンデータは転がっている。ここに示した様なデータは、誰でも入手できるし、説明も繰り返されているが、何故か聞く耳を持たれていない。メディアを主流とする、一方通行の情報統制となっているのである。

<コロナ対策の基本>

それでも、問題なのは、この様な(敢えて使うが)さざ波状態でも、医療崩壊が起きている事が最大の問題である。

従って、筆者の自説では医療資源の緊急事態、有事対応における強制的資源再配分が可能な法整備が最大にして最高の対策になるのだが、時間もかかる事から(協力体制もしくは強制力を持てば今すぐにでも比較的容易にできると確信はしているのだが、現実は抵抗勢力の岩盤は厚いのだろう)、感染抑止対策が重要になる。

これも他の投稿で多く語っているが、人流抑止は直接の抑止力にならない。

まず第一に、各人の免疫力向上が最大にして最高の対策だろう。ワクチンによる獲得免役ではなく、自然免役である。個々の健康管理、自己防衛、昔から言う、風邪をひかない様に徹底的に養生する事だ。適切な運動、睡眠、栄養補給などなど。

そうはいっても、個々人の健康度は異なるので、社会的な対策も必要になる。

何と言っても、飛沫感染対策だろう。決して人流抑制ではない。即ち、感染抑止対策を実施している施設は営業を行っても良く、逆に、どういった施設であろうとも、飛沫飛散抑止の対策が不充分であれば、強制的に休業させるというメリハリを利かせた法整備が必要だ。そんなのチェックできない、というのは大きな間違いだ。例えば、スピード違反や飲酒運転は全てをチェックしている訳ではない。抜き打ちで確認するだけでも、飲酒運転などは罰則の厳しさから相当減少している。同様で良いのだ。

加えて、口コミサイトでの対策の公開と利用者による口コミ投稿、そして怪しい所への役所立ち入り確認だろう。

新たな情報で、飛沫感染以外に排泄物からの接触感染のリスクの高さを示す情報がある。確認は出来ていないが、このことが事実であれば、実際に今まで感染経路的に不明だった事もある程度の説明が出来る。この場合、マスク会食も接触感染リスクが高いことになる。笑い事ではなく、神戸市長の主張が正しくなるのだ。

やはり、究極の対策は、手洗いうがい、手指消毒なのだろう。

路上飲み、若者、夜の街、新宿・池袋、パチンコなど、非科学的にターゲットにして攻撃するのは、本質的な対策が疎かになってしまう。

そういった意味で、五輪はバブル対策を実行するとの事であり、これは隔離と同様なので、選手団から一般国民への感染抑止対策としては有効であろう。この方式であれば、理論的には周囲の感染状況が逼迫していても関係なく、大会運営が可能だ。後は、その理論的な対策が、現実の運用でどこまで可能かの検証であろうし、そういう意味でテスト大会による、シミュレーションと課題のフィードバックは重要なのだ。

五輪テストマッチに対する批判は国益毀損行為である

札幌で五輪マラソンのテストマッチが開催され、沿道メッセージ等でも批判が殺到した。政治利用や国益棄損を目的としている意思を持った行動は仕方がないだろうが、危機と煽られ、脊髄反射的に踊らされている人達は目を覚まして欲しい。それは、いじめに加担する無自覚・無責任層と同じ、加害者でしかないからだ。そこには、反対する論理的理由も持たず、その事により、アスリート個人を苦しめ、日本に大きな国際的悪影響をもたらす事を理解して欲しい。

恐らくここまでで、脊髄反射的に反論、暴論が発生し、以降は全く聞く耳を持たない、読みもしない誹謗中傷が、ワンセンテンスで飛び交うかもしれないが、まずは、冷静になって読んでもらいたい。

まず、最初に語るべきは、五輪開催は日本の国際公約である事。そして、開催の是非を決める権限は日本になく、IOCにある。つまり、日本の勝手な理由で五輪開催準備を滞らせる事は、国際公約を守らない、信用できない国になる事に等しいのだ。従って、現段階では粛々と開催に向けて準備を進める責任が日本にはある。

勿論、国内事情的にも感染対策を万全に行い、万が一にもクラスターを発生させない事を前提で、実際の大会時のシミュレーションをしっかりこなし、成功させるための準備にあたる必要がある。

3回目の緊急事態宣言において、プロ野球やサッカーなど、無観客や一部中止も発生しているが、機構側はあくまで決定には従うものの、感染対策は1年間のノウハウの積み上げもあり、観客を入れての開催にも自信を持っており、抗議の姿勢も示している。実際、実績としても感染拡大には繋がっていない。海外のスポーツイベントに関しても同様のノウハウの積み上げがある。これは、論文が出されていなくても、科学的実証と呼べるものであり、中止する科学的、合理的理由は存在しないのだ。

更に、五輪開催まで2か月ある。今、緊急事態宣言下である事は、先の中止の理由として説得力に欠け、ましてや感染状況の数字的にも、ワクチン接種が進み収束してきている国と同レベルの状況に過ぎない。こんな状態で、医療崩壊と騒いでいると、諸外国から嘲笑され兼ねないのだ。

『2週間後にはニューヨークと同様の状態になっている』、『死者は42万人になる』等、脅され続けてきたが、これまで何一つ実現していない。今度は、変異株の猛威で、『従来の対策では全く効果が無い』と危機を煽っているが、そろそろ化けの皮が剥がれてきた。思えば、昨年の緊急事態宣言1回目も変異株であり、繰り返される自然現象だが、初めて発生した脅威の様に危機を煽っている。報道にある様に、人流はそれ程減少していないが、爆発的に感染拡大している訳ではなく、均衡状態、下降トレンド推移が実態だ。変異と淘汰は自然現象であり、イコール脅威ではない。

それよりも、準備を怠り、実際の大会開催時に問題を起こす方が余程問題が大きくなる。少なくともIOCが中止と決定するまでは、準備を怠らず、開催に向けて努力する義務があるのだ。

その準備の足を引っ張る行為は、即ち、国益棄損に繋がり兼ねない事を理解するべきだろう。

そして何より、主人公であるアスリートは悩み、傷付いている。国民世論が反対しているという報道は、少なからずアスリートの心を傷付けているのだ。彼らは、不用意な発言が出来ず、とは言え、自分の人生をかけた戦いに臨むべく準備を進めている。外野の雑音を無くし、静かに専念出来る環境を提供するのが、開催国としての責務だろう。

今回の緊急事態宣言において、政府は人流抑制を前面に押し出した。それは、1回目の宣言と同様である。しかし、人流は報道にある通り、1回目と同様の減少は起きていない。

この理由は筆者には明確に思える。報道や専門家が言う、気の緩みや、もう我慢できないと言うのとは少し違って、人流抑制による具体的効果、合理的な必要性の説明が無く(非科学的でエビデンスが無いので説明のしようがない)、納得性が無い事だと思っている。賢明な国民の多くは、感染抑止のノウハウを1年積み上げてきた。情報不足時には盲目的に従ったが、今では8割削減の必要性が無いと判断しているのだ。

日本人は、それ程馬鹿ではない。本当に人流抑制が必要だと信じていれば、補償はなくとも、苦労してでも自粛する。人流がそれ程減少していないのは、必要性の乏しさを察知しているからに他ならない。声として聞こえてこないのは、同調圧力で本音を言えないだけであり、世論調査と実際の行動に矛盾が生じているのだ。政治は、声に出せない多数の声に耳を傾けないと政策を誤ってしまうだろう。

それでも盲目的に危機感だけ抱き、正しい恐れ方が分からなくなっている層は、一定数存在する。その中の一部がボーカルマイノリティとして、声を上げ、攻撃的で過激になっているに過ぎない。正しい恐れ方が分からないという事は、正しく感染抑止行動が出来ないという事であり、感染拡大の最大の要因となる。

諸外国から嘲笑されない様に、自爆だけは避けたいものだ。

省庁のブラック度調査から、次期政局を考える

コロナ禍における中央省庁の残業代支払い実態調査』というプレスリリースが、株式会社ワーク・ライフバランス社より4月22日に出された。中央省庁のブラックな実態が浮き彫りになっている調査結果であり、調査自体第三者である民間が行っていると言う点で価値がある内容である。

実態調査の概略

その中で残業時間に対する実態が報告されているが、少々耳を疑う内容である。民間企業は、コンプライアンス経営を重視し、法令遵守の精神で制度改革や組織風土改革、インフラ整備などを進め『働き方改革』を進めている。この問題は投資家視点からも重要視される、現在の企業経営上必要不可欠な課題なのだ。労働基準監督署より査察を受け、是正勧告を受けてしまうと経営が行き詰まり兼ねないのだから。しかし、中央省庁は20年前と何ら変わっていない実態が明らかにされたのだ。

そして、その原因も報告の中では明確になっている。諸悪の根源は、次の2点である。

・国会議員からの質問通告時間が遅い

・デジタル化に後ろ向きな議員の存在

2番目のデジタル化の問題は、『デジタル実践議員宣言』を86人の国会議員が実施し、デジタルツールの積極的活用を宣言しており、河野大臣の押印文化のデジタル化を評価する等ポジティブな意見も多く出ており、今後、時間はかかるだろうが、改善方向にある事も確認できるので、期待を込めても良いだろう。

敢えて政党別の実態を語ると、デジタル化対応をしている議員の所属政党は、

1位 日本維新の会(18)

2位 自由民主党(14)

3位 国民民主党(10)

であり、逆にデジタル化に対応していない議員の所属政党は、

1位 立憲民主党(26)

2位 自由民主党(17)

3位 共産党(14)

自由民主党は、両方に顔を出し、積極的な議員と後ろ向き(恐らく重鎮?)な議員が拮抗しているのは、変化していく過程に感じる。一方で、立憲民主党、共産党の所謂左派政党は、デジタル化に後ろ向きで、第三極になる可能性のある、日本維新の会、国民民主党は積極的な改革志向を持っている事がうかがえる。

<質問通告に関するルール逸脱問題>

問題は、1番目の質問通告に関する件だ。この問題は、相当以前から問題視されていた。国会戦術の一手法として野党の常套戦術である事は有名だ。要は、質問に対する答弁準備の時間を与えず、政府、与党の失策を引き出す為だ。しかし、これでは建設的な議論は生まれず単なる策略に過ぎず、国益に適わない事は明白で、その影響で官庁が不夜城化してしまう。筆者自身も一時期、政府外郭団体からの企画受託経験もあり、この対応に追われたのだが、その際は、夜寝る時間は無い状態だった。そして、その殆どが無駄な待機、必要のない準備であった。その状態が、未だ何ら改善されず、悪質化している実態も示されているのだ。

質問通告2日前のルールを守っていないことが多い議員の所属政党は

1位 立憲民主党(70)

2位 共産党(61)

3位 自由民主党(5)

4位 国民民主党(3)

逆にルールを守っていることが多い議員の所属政党は

1位 日本維新の会(14)

2位 国民民主党(11)

3位 公明党(7)

4位 自由民主党(2)

これを見て明らかなのが、立憲民主党、共産党がダントツでルールを守らないという事である。この2党に関しては、この事に関して国民に向けて説明責任を果たすべきであろう。最近テレビなどで、何でも反対野党ではなく、建設的な提案野党として活動しているとアピールしている場面を多く見受けるが、国民目線では、未だに何でも反対勢力としか見えていないのが実態であり、こういう説明責任を果たす事、言い訳をせずに真摯に反省し、改善策を提示し実行する事が、国民の信託を得られる唯一の手段ではないのか。選挙戦術で候補者調整も重要だろうが、国政を担う為には、避けては通れない重大事項として対策含めた説明責任の実行を期待したい。

一方で目を引くのが、日本維新の会と国民民主党ではないだろうか。特に国民民主党は、立憲民主党と袂を分けた良い影響が現れている様にも感じる。デジタル化も含めて、前向きで合理的な対応と評価しても良く、この2党は次の選挙の台風の目と化す可能性すら感じる。国民民主党は、変に野党連合に名を連ねるよりも、第3極を担う重要なポジション、いやそれ以上に化ける期待を持てるかもしれない。期待に応えてもらいたい。

<次期政局は>

国家の一大事案として緊急事態が3度も宣言された。海外からの評価では、日本の感染症対策は、過度な人権制限もなく、感染の被害を最小限に抑えているというのが、正当な評価である。ワクチン接種が遅いのは、リスク対比で遅くて当然なのだ。しかし、それでもここに来て、例え政府の直接責任は無く、国民世論の圧力に屈した形だとしても、結果として3度も緊急事態宣言を発出した事実は大きい。普通の感覚なら、一旦下野するのが自然だろう。

しかしながら、現政権が下野した場合、第一野党である立憲民主党が前述の様な体たらくでは、国政を委ねられない。前述の問題等、しっかりと説明責任を果たし、信頼を勝ち取れば別だが、現在の自己正当化に終始する、これまでの延長では、とても政権は委ねられない。

しかし、日本維新の会と国民民主党が第3極として、キャスティングボードを握った現与党との連立政権であれば、一つの選択肢にはなり得るかもしれない。この原稿を書きながら、調べていたら、『官僚・国家公務員たちから怒りの糾弾!民間大規模調査によって、立憲民主党と共産党の恐るべき実態が明らかに…』という動画を発見した。正に、同意見、同じ視点で語ってくれている。

逆に言うと、自由民主党も前述の調査でポジティブとネガティブの双方に顔を出すのではなく、ポジティブにシフトしたら、世論に迎合するだけではない、新たなポジションを確立できるだろう。

どちらにしても、健全な民主主義の為には、政権を委ねる複数の選択肢が必要である。次回衆議院選挙までに各党、何を示せるか、注目である。

3度目の緊急事態宣言は、日本を破滅に向かわせる

日本はどうなってしまうのだろう。まるで中世ヨーロッパにいる様な気分だ。それでも地球は回っていると叫び続けたいし、いつかは冷静な判断の世論が形成できる民主主義国家になりたいと切望する。

<緊急事態宣言発出の背景>

大阪の検査陽性者は4月13日をピークに上昇トレンドが止まっている。重症者数増も同様、15日をピークに下降トレンドになっている。死亡者数は、流石に時間差があって、まだピークかは不明だが、第3波のピークは上回っていない。変異株を殊更恐怖の様に言うが、数字を見る限り、陽性者数は増えても、重症者数、死亡者数はそれ程でもない。短期間に陽性者数が増加したので一時は警戒が必要だったが、そろそろ化けの皮が剥がれてきている。

東京都は新規陽性者数が上昇トレンドではあるが、いまだ指数関数的増加とは言えない状態だ。昨年12月中旬の状態に近似しているが、変異株に置き換わっている占有率の割に、陽性者数の増加はそれ程でもない。そして、重症者数はほぼ増加していないし、死亡者数も同様だ。来週には大阪と同じ様に急激に増加をすると言い続け、未だそうならない。

そもそも、『来週にはニューヨークの様になる』『最悪死者は42万人になる』などノストラダムスの大予言よりも不確かな予言は何一つ的中していないが、それでも恐怖の予言は繰り返され、多くの人は信用し、恐れ、冷静に実態を見極める事が出来ない。

イギリスはワクチンの効果だろうか、感染が収束して一安心。現在感染状況は横ばいで4月22日時点で2728人だ。イギリスの人口は、およそ日本の半分なので、日本に当てはめると5000人強の状態なのだ。なんと、現在の日本とほぼ同じ新規感染者数で収束なのだ。何故、日本は緊急事態なのだろうか。

<本当に必要な措置は>

最初の頃なら、未知のウイルスとしてある程度の恐怖心は必要だったかもしれないが、1年以上コロナ禍を経験して、ほぼ分かってきている。対策として必要なのは、人流抑制ではなく、飛沫飛散抑制である。科学的、統計的に明らかだ。変異株は今までとは違う、というのは数字では表れていない。常に、可能性があると言っているだけで、数字は寧ろ弱毒化の可能性も考えられる状況だ。従って、飛沫飛散抑制、この実効性を高める具体策を講じるのが、科学的対策だ。人流抑制という名の人権制限の必要は全くない。

もう一つ、極めて重要な対策が、医療資源の再配分である。最近、ようやく専門家と呼ばれるテレビ出演の医師が、資源再配分、ベッド数増が思うように出来ない理由、簡単ではない事を説明し始めているが、どれも筆者には言い訳にしか聞こえない。

医療だけでなく、緊急事態で対応する措置として簡単な事は何一つ無い。それでも、1年もあれば相当の事は出来るはずで、多くの事業者は工夫を重ねてきた。医療も同様、1年あれば言い訳出来ないはずだ。イギリスなど、政府の指示で大幅にコロナ対応ベッド数を増強している。日本の医師は、国民の恐怖を煽り、政治発言を繰り返す暇があったら、自身の責任領域の対策を進めるべきではないのか。

実は、東日本大震災以降に、事業継続性の必要性を鑑み、内閣官房は国家強靭化計画を推進し、民間企業の多くは、事業継続計画に取り組んでいる。事業継続の対象には当然ながらパンデミックも含まれるのだ。これは、医療機関も絶対に必要だとして、レジリエンス認証を医療機関に広めようとキャラバンまで行っているが、殆ど医療機関は見向きもせず、対応出来ていない。(事業継続計画(BCP)の対応を怠っていた医療福祉業界の実態

世界各国のワクチン接種優先順位を見ると、日本の様に医療従事者を最優先している国家は、筆者の知る限り存在しない。ほぼ、高齢者と高齢者施設関係者、つまりリスクの高い層が最優先なのだ。日本は、高齢者は2番目で、高齢者施設関係者は全く優先されていない。年末に医師会長が発言した、医療が全ての職業の中で最も尊いという趣旨の発言をしたと記憶しているが、職業に貴賤を付け、選別する思考なのだろうか。

<中世的措置に物申す>

東京都小池知事の次のターゲットは、路上飲酒者の様だ。確かに、モラルやマナー面では、ほめられたものではないが、感染拡大面は室内飲酒よりも遥かにリスクは低い。富岳が屋外でも飛沫飛散する事を示していると言う人がいるかもしれない。確かに飛散はするが、空間の広さ、気流などを考えると室内よりも間違いなく飛沫を浴びる確率は下がり、ウイルス暴露の量は減少し、到底感染に必要なウイルス量に届かないだろう。

要は、路上飲酒者は単なるターゲットで、見せしめの対象でしかない。思えば、パチンコ屋、新宿(and池袋)夜の街、若者など、票にはなり難い、弱い立場をターゲットに選んで、集中攻撃、晒し者にされる政策が繰り返されている。思えば、安全性が科学的に立証されていた豊洲市場を安心という概念で振り出しに戻そうとした手法と同様のパフォーマンスに過ぎない。

本来、国家が緊急事態宣言を発出する事態では、政権与党は一旦下野するべきだが、後を担う現野党が余りにもあり得なさすぎるのが日本の国家としての脆弱性かもしれない。立憲民主のゼロコロナという非科学的ファンタジー思想では医療崩壊どころか国家破綻を招くだろうし、唯一期待出来そうだった、維新+国民民主+α連合は、リーダー格の吉村知事が今回の正常とは思えぬ判断で全く期待外れになった。確かに、孤軍奮闘、攻撃に晒され、精神的に追い詰められているのだろうが、それでも国家運営は同等のプレッシャーを乗り越える必要があると考えると、極めて厳しいと言わざるを得ないだろう。

日本が国家として破綻に向かわない為には、最後の砦、一人でも多くの国民が目を覚まし、冷静に科学的、論理的思考を働かせられる様になるしかない。

学校教育の歴史的分岐点に向き合う覚悟

学校教育に関する問題点が様々な視点で指摘されている。日本は、歴史的に見ると教育先進国であった。その証拠に所謂中世期から識字率が高かったり、国民のモラルの高さとして表れていたりする。しかし、その誇るべきはずだった国家としての教育レベルに対する問題の指摘が増大している。筆者自身は戦後教育の問題が大きいと感じてはいるが、そうは言っても過去は取り返せず、不要な摩擦を生み、建設的な議論とその先の改革には繋がらないので、一旦その事は置いておき、目の前の問題に前向きに向き合う姿勢で述べたい。

いくつか整理して現状話題になっている事象を挙げてみる

  1. 不登校ユーチューバーのゆたぽん氏による『中学校に行かない宣言』
  2. 教員による児童生徒へのわいせつ行為が後を絶たず、私的SNS禁止に
  3. 『#教師のバトン』プロジェクトに対する、ネガティブな炎上

他にまだまだあるだろうが、目の前で顕在化している事象だけでもこれだけある。筆者自身、以前学校現場と深くかかわった時期に垣間見たのも、極めて閉鎖的空間で、世間の一般常識と乖離した判断が堂々と行われていながら、内部の人達はその異常さすら感じていない状態だった。時には法律すら超越する聖域と化してしまう。同様の問題意識を持っても多くの保護者は口を塞ぎ、敢えて追求しないで闇に葬られることを容認する空気感が存在する。それは、問題化する事で結局、子供達に損害が生じるからであり、僅か数年の事なので我慢すれば過去として通り過ぎるという判断によるのだろう。

しかし、事ここに及んでは、国家としての一大事であり、自分事として語っていかなければならないのだ。

<個々の問題検証>

では、個々に検討を進めたい。まずは、1のゆたぽん氏の問題提起に関してだ。

学校の闇、閉鎖的な暴力やいじめに抗い、不登校になったが、その事を若干小学生時代からユーチューバーとして発信し続けてきた。ある意味、政治活動、言論活動なのであり、彼の言うことは正論である。非論理的な校則を問題視し、ホームエデュケーショを選択する権利を主張し実践している。ある意味成功例だろう。

しかし、これを一般化するのは少々無理がある様に感じる。ゆたぽん氏の子供離れした思考回路、コミュニケーション能力とそれを支えるご両親、家庭環境があって始めて成立するホームエデュケーション事案であり、他の子供達が真似をして権利を主張しても、多くの未習熟児童が大量発生するだけだろう事は容易に想像できる。

学校に行かなくても学べる環境を構築するまでには、まだ道のりは遠く、集合教育も必要不可欠だろうし、効果的な教育の浸透の為にはこの先も集合教育が主要となるべきだろう。しかし、中には別の方法の選択を容認しても良いケースも今後増加するだろうから、テストケースとして細かくトレースしながら、容認する条件や確認方法など検討を進めれば良いだろう。

次に、2の教員の資質に関する問題だ。

集合教育が必要不可欠だと言っても、それを支える教員がこの体たらくでは足元から崩れてしまう。そして、対応方針として耳を疑うのが、SNSなどでのやり取りの禁止だ。今の世の中、SNSぐらい使って、コミュニケーションを取る事は必須であり、わいせつ行為の要因と安易に判断するべきではない。あおり運転を撲滅する為に、車を全廃しようとは言わないだろう。わいせつ行為、性犯罪に及ぶのは再犯性の高い犯罪でありある意味病気とも言える。子供に教える資質の欠落は、SNSを禁止しても問題は解決しない。

3の『#教師のバトン』プロジェクトは別途投稿(『#教師のバトン』プロジェクトに見る教育界の改革策)しているが、教員の環境がネガティブ一色に染まっており、子供達ステークホルダー視点の要素に乏しく、とても前向きな改革に向かう空気感は生まれないだろう。

まとめると、資質の無い教員が多く、ネガティブな感情に支配された状態で、自分の頭で考えないロボットを再生産するだけの場所になってしまっている事になる。かなり厳しめの表現だが、学力は学校の授業時間は休憩して時間外に塾で身に着ける。スポーツなどの技能は、クラブチームなどで指導を受ける。コミュニケーション力や集団行動連携力などは、時代遅れの校則で縛らないと統制できない環境で育成出来様はずがないのだ。

<前向きな改革の方向性>

八方塞がりだが、前向きな改革なしに国としての発展はあり得ない。前向きな改革方法案をいくつかのカテゴリに別けて提案したい。

基本の5教科に関しては、徹底的にコンテンツのDX化を進めるべきだ。教師個人の教え方ノウハウで差が出るようではダメで、均質化する必要がある。また、児童生徒の能力や習熟状況に応じて徹底的にカスタマイズされた指導、個別課題の提示、習熟度確認が必要だ。その実現方法がDX化に他ならない。教師は、コンテンツクリエイターとなり、個々のカスタマイズのノウハウを積み上げる要員として機能してもらえば良いのだ。

上記以外に、問題に向き合い解決策を模索し実行する能力の育成も教育には不可欠な要素であり、その為に必要なのは、訓練である。グループディスカッションや議題のまとめ実践、時にはディベートやプレゼンテーションなども論理形成力を養う上で効果があるだろう。問題は、実施をどの様にするか、単純なカリキュラムで下して出来るものではない。これらは、民間の人材を活用する必要があるだろう。企業の定年が伸びるとはいえ、シニア世代に次の活躍の場、社会に貢献できる場を求める層は多い筈であり、この層をフルに活用すればよい。

部活動、芸術やスポーツなど特殊技能系の分野も同様に、民間の人材、クラブチームや地域社会との連携にて構造的に体制を確立するべきだろう。

これらの対策は、個々学校単位で行えるものではない。しかし、学校が抵抗勢力になっても改革は進まない。一般の業界で起こってきた、統廃合と同様、ある程度の規模感と統制力を持った体制に構造の再構築が必要だろう。

未来の日本を支えるのは、間違いなく、子供達である。今、子供達を主人公とした教育の抜本的改革を本気で目指す必要があり、その為には内部の力だけでは困難で、外圧でのスクラップ&ビルドがなければならないだろう。即ち、教育の歴史的分岐点に向き合う覚悟を全国民が持つ必要があるのだ。

まん延防止等重点措置が拡大、コロナ騒動はどこまで続くか

まん延防止等重点措置が大阪、兵庫、宮城に続き、東京、沖縄、京都などにも適用された。

吉村大阪府知事や橋下元知事などは、マスク会食を対策の要として、要は飛沫飛散を抑える事を重点的に実施する事を強調している。まさにその通りなのだが、その様な事は昨年当初から明らかだったのに、多くの専門家や野党の政府批判、メディアの煽り報道が、人流が問題と言い続け、PCR検査の強化が感染予防対策だとも言い続け、本質論から遠ざかっていただけではないのか。

<拡散された誤った認識とは>

どれだけ人が動こうが、飛沫を飛散させなければ感染は起き様がない事は、常識的に考えれば自明だ。勿論、呼吸で発生するエアロゾルもリスクがゼロではない。腸内感染の報告もあり、排泄物からの感染も報告されており、インドなどはその影響も疑われている。しかし、リスクの大小で言うならば、飛沫感染が最も大きく、接触感染等他の感染経路も飛沫飛散が無ければ起き様がないので比較的リスクは小さい。つまり、飛沫飛散を減少させる事が、最大の感染対策である。

もう一つ大きな勘違いは、PCR検査では感染は防げない事だ。中国など検査は関係なく、否応ない隔離で抑止しているだけで、検査自体で抑止出来ている訳ではない。無暗な検査で無症状感染者を発見できる確率は僅かであり、非効率で効果が薄い事は諸外国が実証している。寧ろ、偽陰性という誤った安心というリスクを膨大化させてしまう。有無を言わさぬ隔離で防げても、検査では防げないのは正常な思考回路があれば理解できる事なのだ。

<飛沫飛散防止が最大の対策>

神戸市などは、マスク会食に対して、マスクに付着しているウイルスからの接触感染リスクを訴えていたが、そのリスクよりも飛沫飛散を抑える効果の方が大きいという判断は出来る。但し、マスク着脱時の接触感染リスクを甘く見る事は間違いであり、注意は必要なのだ。ならば、会食時にマスク着脱でなく、一般的な咳エチケットと同様にハンカチ利用や手マスクも効果はある。あまり大仰に考えず、飛沫飛散を抑える目的思考を持つべきだろう。

ある番組で一部の専門家は、マスク着脱による接触感染リスクは問題ではないと言い切っていたが、耳を疑うしかない。いくら何でも、言い過ぎであり、そこまで言うのならば、今までの、マスクの着脱方法指導や手洗い、手指消毒励行なども全否定に繋がりかねない勝手な論理であり、やはり専門家の言うことは、余りにご都合主義過ぎて鵜呑みにできないと改めて確信させられる。

<数字を冷静に見れば分かる事>

感染抑止対策としては、飛沫飛散防止に絞られる訳だが、現実として抑えられないシーンが数々ある。その筆頭が、食事時であるので、マスク会食は、方法論はともかく、対策としての方向性は妥当である。

そして、食事以外では、マスク着用が困難な老人や小児なのだが、リスクとして考えると重症化リスクの高い老人施設の対策が実は最大の本丸なのだ。なので、各国ワクチンの優先順位として、出入り業者含めた老人施設関係者を対象としている。何故、日本は優先順位を上げないのだろうか不思議だが。

日本はワクチン後進国とメディアで叩かれている。確かに自国産ワクチン開発は後塵を拝しているが、軍事研究を忌避し、ワクチンの安全性に疑いを持ち、何年も安全確認が必要とされていたのではないだろうか。感染爆発している各国は、少々のリスクはあっても背に腹は代えられず、抑止効果を優先する考え方で先行しているだけで、同じ考え方を日本は持てるのだろうか。もしも、日本での接種が進んでいて、アストラゼネカ社製での血栓被害が日本で発生していたら、メディアは黙っている訳がないだろう、安全性を無視した勇み足と。

そもそも、イギリスなどワクチンの効果なのか、感染が収まりつつあるが、その状態で、今の日本とほぼ同じ感染状態だという数字の現実に何故目を向けないのだろうか。ワクチンの効果、90%や95%でようやく日本と同じ状態なのだ。米国CDCはワクチン接種で当人同士はマスクが不要だとまで言っている。つまり、日本の状態であればマスク不要と言うに等しいのだ。そもそも、日本の感染者数では治験すら十分な数の対応が困難であり、その事は即ち緊急性も低いという証左に他ならないのだ。

海外のメディアまで日本の感染対策がまずいと言うのは、日本のメディアの報道が政府攻撃に終始している情報をソースにしているに過ぎない。日本は客観的に見て、感染症対策としては上位にランクする結果を残している。

<自分が感染しない為には>

人に感染させない対策としては、飛沫飛散を徹底的の抑える事、それは感染の有無に関係なく、全員が対象だ。そして、同時に自分が感染しない対策も必要だ。飛沫を浴びないソーシャルディスタンス確保、手洗いうがい手指消毒などだが、何よりも個々人の健康管理が最大にして最高の対策なのだ。人間、元気であれば少々のウイルスは撃退する免疫力を持っている。だから栄養補給、睡眠などで所謂風邪をひかない対策が最重なのだ。そういう意味で、心配なのは、春に向けて温かくなってきて日差しが強くなってくる季節に、巣ごもりして、紫外線を浴びてビタミンDを生成するチャンスを逸する事だ。昨年、この時期に巣ごもりをすることで、夏季にも感染は収まらなかった。検証はされていないが、この時期に日に当たらない事はリスクとしか言いようが無いと筆者は確信している。

<いい加減に目を覚ませ>

人流が増えても、飛沫を飛散させなければ、物理的に感染は発生しない。しかし、日に当たらなければ、体内でのビタミンD生成が不足する事は自明であり、ビタミンD不足は免疫力低下をもたらす。従って、不要不急の巣ごもりは害なのであり、皆、飛沫飛散抑止を心がけた上で、青空の下、出かけるべきなのだ。

42万人死ぬと恐怖を煽った結果はどうだっただろうか。最悪のシナリオ想定に過ぎないと云うのなら、感染状態のステージの考え方として、42万人死ぬ状況の1歩手前がステージ4になる筈だが、異次元の低さの数字を管理値としている。

東京都で、直ぐに1日4000人の感染のリスクがあるとのシミュレーションが公表された。可能性はあるという言い逃れは成立しない。不要不急の外出を避けろと非科学的に言い続けるのはいい加減にするべきだが、聞く側もいい加減に目を覚ますべきだ。交通事故死を無くすために世の中から車を無くせと行っている様なものだと、そろそろ気付くべきだろう。

『#教師のバトン』プロジェクトに見る教育界の改革策

教育が国家繁栄に必須の事業であることは誰も疑わないだろう。方法論として、学歴至上主義から、ゆとり、脱ゆとりなど、これまでの過程は迷走している様にも見えるが、目指す方向性は、国際社会で活躍できる人材の育成である事は間違いないだろう。即ち、成果につながる方法論が未だ確立できていないというのが現実なのだ。

ところが教育界は,かつてのあこがれの先生像から、成り手が集まらない不人気職業になってしまっている。残業が多いブラック業務、雑音が多く本来の業務に集中できない、本来業務と異なる対応に忙殺されると多くの教育関係者はうったえている。その現れとして、文科省の『#教師のバトン』プロジェクトが炎上してしまった。前向きな問題解決への1歩だったはずが、ネガティブな炎上に終始してしまうのが実態なのだ。

問題事象は、本質的な病巣とその要因に言及しない限り、改善はあり得ないのだが、巷の論は、殆ど現象に対して表面上の対策が多い様に感じる。業界のど真ん中にいる人達だけでは、本質に目が行かないのだろうかと疑ってしまうのだ。

産業界で永年様々な課題に向き合って前向きに乗り越え解決してきた経験と、縁あって部活動やジュニア指導を通じて、垣間見えた問題事象も踏まえて考察してみる。ある意味、教師の方々には耳が痛く、聞きたくないと言う反応、時にはネガティブな攻撃反応も予想されるが、攻撃的であればあるほど、病巣が深く、客観的に自分達の足元が見えていないと断ずる他ないと思っている。

<教育業界の病巣の考察>

まず、マネジメントや経営のプロの視点が教育業界には乏しく、ガバナンスが一方通行で機能していないと感じざるを得ないのだ。その証拠に『#教師のバトン』で集約された意見は、以下の内容だ。

・長時間労働の改善

・部活動の負担、顧問制度の廃止

・給特法の改正

・教職員定数の改善

・免許更新制度の廃止

ほぼ教員の待遇改善に終始しており、本来の主役である生徒に目線が行っていない。教師の成り手を増やす為に待遇改善は必要だろうが十分条件ではなく、その前に教員になる志を前面に出すべきであり、時代環境に適応した教育を充実させる観点が必要不可欠なのだが。

世の中の変化に適応し、ステークホルダである生徒や保護者の利害を考え、その上で社会の要求、矛盾する課題をマネジメントし最適解に導いていかねば改善はない。現場目線だけでは、どうしても被害者意識と自己正当化で偏ってしまいがちだ。気付かずに現場が抵抗勢力化していると言っても言い過ぎではないだろう。

この状況は、いつの時点から発生したのだろうか。筆者は、モンスターペアレント対応で他の業界と真逆に向かってしまったと分析している。

20世紀末から21世紀初頭、品質第一を掲げて顧客満足というキーワードと共に、クレーム対応を重要戦略と捉え、ステークホルダを意識したアカウンタビリティ(説明責任)が求められてきた。どんなヘビークレームもチャンスと考え、新たな経営課題にも前向きに真正面から対処してきた。そうする事が、企業が生き残る唯一の方策であったからだ。

同じ時期、教育業界では何が起こったか。モンスターペアレントを問題視し、本質的でない単なる言いがかりと遠ざける動きが強まった。テレビドラマなどでも、殊更その問題性を誇張して自己弁護に励み、その結果、建設的な意見も遠ざけ、改善していくチャンスを逸してしまった。ステークホルダである、生徒や保護者の意見が無視され、教育現場の聖域化が進んだのだ。

現場にいる人間にとっては、極自然で当然の正当性ある対応と感じても、世間の常識と乖離していったのである。確かに、ヘビークレームや現場を知らない無理難題等、相手にしていても仕方がないと言うのも正論だが、それに向き合い、本質的な視点で改革してきた業界と比較すれば明らかな差が生じてしまったのだ。

<問題の解決に向けての検討>

こうなってしまった原因は、教育現場を支える教師は専門職であり、マネジメントや経営を学び経験を積む機会がないことが大きいだろう。管理職になればという反論もあるかもしれないが、それでも一般企業でいうCSR的な機能、外向きの視点が極めて弱い。

その機能を外部の教育委員会や文科省に委ねるのはあり得ない。一般の業界で経産省やお役所に経営を委ねる事はあり得ないのと同じで、あくまで個々の事業責任で、経営改革、マネジメントは担う必要がある。しかし、学校単体でその機能を担う人材は到底用意できないだろう。であれば、一般の業界で起きている、統合再編の動きが必要なのだ。公立であろうと、私立であろうと、グループ化など経営統合、マネジメント統合などの構造改革による経営効率化、そして情報公開、説明責任能力向上が必要不可欠ではないだろうか。

その上で現場の改革としては、専門技能の向上と均質化を目指す必要がある。現状は、個々の教師の個人ノウハウに頼りすぎているがために、肝心の生徒へのサービスとしては均質ではなく、不公平なのだ。あの先生の授業は分かり易い、では困るのである。

専門職としての教師は、あくまで専門職としての技能を磨くことに専念してもらい、そのノウハウのDX化を進めるべきなのだ。個々の習熟度に応じて教えるポイント、躓きをクリアする要点等をDXで均質サービス化を目指す。教師のノウハウによる個々の状況に対応したインプットとDXによるアウトプットが積み上がっていく事で、サービス品質向上、均質化、きめ細やかなパーソナライズ化と同時に教師の省力化も実現できるだろう。まとめると以下の2点だ。

1.学校の経営統廃合による、経営マネジメント・ガバナンス機能の強化

2.基本教科のDX化でサービス品質向上(均質化、パーソナル化)、業務の省力化

現実に、上記を進めるためには、他業界からの人材を積極的に登用する必要があるだろう。それは、一般企業のOB、経営や管理職経験者を活用すれば比較的簡単だ。

また、学校教育は、基本教科を教えるだけではなく、未来の社会で活躍する人材を育成する必要がある。

知識は基礎知識さえ入っていれば、社会人になってから、いくらでも勉強できる。勉強するモチベーションさえあればだ。それよりも、問題に直面した時に、自ら思考し、解決策を導き出し、実行する力とモチベーションを維持向上させる力、そして何よりも人間力の方が重要なのだ。

その力を養うのは、勉強と言うよりも訓練なのだ。学生時代にその様な訓練を積めば最強だ。課題遂行型の調査・実習・実験やプレゼン・ディベートなどによる論理形成力・計画実行力訓練が必要だろう。組織で共通の目標に協力して向かう訓練は部活動が有効だ。これらは、カリキュラム整理で対応できるものではない。何故なら、訓練に寄り添うコーチング経験が重要で、ここも企業OB人材が必要だろう。つまり、以下に集約される。

3.他業界交流、異業種人材交流による必要人材資源の獲得

<未来人材育成を目指す学校教育像>

確かに教育現場は改革が進んでいない。その事には同意する。しかし、それは誰の責任だろうか。国の責任、自治体の責任、文科省の責任、と言いたいのだろうが、当事者である現場教師の責任は棚の上なのだろうか。

一般企業の事業との比較で言わせて頂く。働き方改革の問題は、どの業界でも共通だ。労基が入り、超過労働の指導を受けると事業継続が困難に陥るので、何が何でも労働時間抑制が至上命題になる。同時に残業隠し、サービス残業も絶対禁止は当然なのだ。だからと言って、仕事の手を抜いて良いとは誰も言わない。サービス品質を下げず、むしろ競争品質を確保する事も至上命題として、相矛盾する事項に向き合い、創意工夫、効率改善して、生き残れるのだ。

どんな改革プランでも、現場が後ろを向いて抵抗勢力になれば前に進まない。前述の様な策をいくら検討しても、例え実行しても、前に向かなければ前に進まない。前に進まないことを、他責にしても何も事態は変わらない。現場の教師がネガティブ一色では抵抗勢力になってしまうのだ。

今の教育現場は、極めて閉鎖的だ。もっと広く透明化し、異業種交流や他の業界との人材交換などで実施して、前向きな意識改革が必要だろう。

筆者の教え子達、ジュニアチームの卒業生からも複数名が教師になっているし、後に続く志望者も複数名いる。彼ら彼女らは、志を抱き、問題に対しても前向きに向き合うメンタリティを持っていると確信している。彼ら彼女達が存分に活躍できる、ポジティブな現場になることが、まずは第一歩ではないだろうか。

今年のJLPGAプロテストが注目だ

日本の女子ゴルフ界が活況に沸く。トップは、世界で通用する事を証明した畑岡奈紗、渋野日向子。そして同じ黄金世代の小祝さくら、原英莉花、河本結、勝みなみ、新垣比菜、吉本ひかる、山路昌、臼井麗香、浅井咲希など。ミレニアム世代の古江彩佳、西村優菜、安田祐香、吉田優利、山口すず夏。その他にも同年代に、稲見萌寧、成人後は日本国籍を予定しているという笹生優花、ベテラン層も上田桃子、鈴木愛、渡邊彩香、菊地絵理香、原江里菜、有村智恵、柏原明日架、藤田光里などまだまだ健在、挙げだしたらキリがなく、群雄割拠で大変楽しみな状況なのだ。

もともと、アマチュアゴルファーにとって、男子プロの異次元の世界のゴルフも楽しみではあるが、自身の距離感と近く、コースの攻め方、持つ番手など参考にもなり、それでいながら好スコアを出してくるプレーは、見ていても親近感を覚え、楽しめるので人気があった所に世界での活躍が後を押したのだ。

そして、昨年中止されたプロテストの延期扱いのプロテストが今年行われているが、大変注目を集めつつ、筆者は1アマチュアゴルファーとしても、大問題も抱えていると感じているのだ。

注目させてくれている要因は、コロナ禍におけるYouTubeによるゴルフ動画の拡散拡大と考えている。その中でも、プロの卵(この表現は正確には間違いである事を後述する)自身が発信する動画や、応援する企画等が目白押しなのだ。『白金台女子ゴルフ部』や『3284TV』、BSまで入れると『ゴルフサバイバル』『激芯ゴルフ~93期生への道~ 』などがその例であろうし、地上波でも珍しく不人気番組であった『日曜ゴルフっしょ』に代わる『ゴルフのキズナ』などにも企画として波及し始めた。それらの番組では、ツアープロと対等に戦える力を持ち、素晴らしいプレーを見せてくれながら、プロテスト合格を目指す姿が映し出されている。キャラも前面に出しつつ、直向きに目標に向かう姿は、自然と応援したくさせてくれるのだ。

しかし、別の視点で考えると、ここまでの注目を集め、企画として成立する背景を考えると、問題性を感じざるを得ないし、改善を期待したいのだ。その問題の根本は余りにも狭き門である事なのだ。

先に『プロの卵』と表現したが、実は彼女たちは既に夫々にプロフェッショナルなのだ。実は、プロのトーナメント(下部ツアーなど)を優勝する力も持ち、上位成績を収めている選手は多い。ステップアップツアーの優勝コメントで次の目標を『プロテスト合格』と話したのを聞いたこともある。QTをクリアしてレギュラーツアーでの活躍も見たことがある。つまり、賞金を稼ぐツアープロ選手であり、その実力があるのだ。

プロテストに合格しても、シード権を取得できず、QTランキングでも上位になれず、試合に出場できない選手は沢山いて、その選手たちとの違いは、プロテストに合格しているか、いないかだけなのだ。

確かに、ある一定の技量をプロの条件とするのは当然の事だろうが、1年に20人の枠は少な過ぎるだろう。昔と異なり、底辺は拡大しており、これだけの群雄割拠状態であれば、それに応じて枠も拡大させて、更なる普及による底辺拡大を目指す事が、世界と戦い勝負する為のレベルアップにも通じる必要条件なのだ。

そもそも、今の時代、プロテストに意味があるのか疑問である。ツアーで戦う技量の担保は、QTやステップアップツアーが担っており、ツアーのレベルは保っているのではないだろうか。プロテストを狭き門にする必要が無いのだ。プロになっても稼げず、稼ぐためには、ツアーに出る権利を獲得しなければならないからだ。

今までは、プロテスト未合格者もツアーに出る戦いをクリアし戦っていたのだが、プロテスト合格者でないとQTにすら出場できない様にルールが改正された。これで、多くのプロテスト難民が発生したのだ。

よく考えて欲しい、アメリカツーにはプロ資格制度は無い。誰でも、出場権を獲得すれば、試合に出場できる。門戸を開きながら、政界最高峰のレベルが担保できている。

現在の女子ゴルフ界の活況は、宮里藍選手に憧れた年代の底辺拡大より繋がっている。黄金世代、プレミアム世代と繋がり、次世代に更に底辺拡大し、ゴルフ界を盛り上げ、世界で戦うレベルアップを果たすためには、今、枠を広めないと、逆行させてしまい、シュリンクする方向に向かうのではないだろうか。

ゴルフ界の繁栄の為にも、今年のプロテストへの注目を更に高め、普及へのギアチャンジを協会に託すべく、拡散できれば幸いである。少なくとも、今年の合格枠は延期であるならば、倍の40名に今からでも増枠を検討するのが筋ではないのだろうか。

最後に筆者の応援する期待の選手を全く私感ではあるが、挙げておく。

『白金台女子ゴルフ部』から、先日の1次予選を通過した、井上莉花、荒川侑奈、稲葉七海、佐久間夏美、楠本綾乃、岡田唯花、八巻聖良、江口紗代、同じく昨年最終予選進出条件で臨む、篠崎愛、植手桃子、山下美樹。その他三嘴門下、幡野夏生、瀬戸瑞希、瀬賀百花、今綾奈。その他にも、DSPEプロジェクトからは、柴田香奈、小林瑞希、田邊美莉、平塚新夢、五月女栞雛、西山沙也香、立浦琴奈、鈴木絢賀、新真菜弥、諸西諭里、四村彩也香、須江唯加・・・・軽く20人を超えてしまう。本当に頑張って欲しい。