新型コロナ感染症の医療体制整備

 新型コロナ分科会は、『個人努力だけに頼るステージは過ぎた』と状況分析し、経済停滞策を提言で要請した。しかし、ここに大きな疑問を私は感じている。個人努力だけに頼るステージでなくなり、ある程度の感染拡大リスクを受容せざるを得ない状況になっている現実は同意するのだが、だから即経済停滞策実行というのは論理が飛躍し過ぎている。経済停滞策は即ち経済死というリスクに直結するのであり、どちらのリスクによる被害が大きいか比較評価なく軽々しく言うべきではないのである。しかも、他に取るべきリスク低減策はあるはずなのだから。

 今、リスク低減策として取るべき最優先の策は、医療体制強化のはずである。そんなこと既にあの手この手で実施している、という声が聞こえてきそうだが、長年企業の組織再生やⅤ字回復、事業再生、再構築を実行してきた身から言わせて頂くと、根本策に着手出来ていないと感じざるを得ないのだ。少なくとも、あらゆる手を打ち尽くしたという、数字での説明を聞いたことが無い。

 企業再生や組織改革を断行する観点で言うと、まずはあるべき姿を描く。そして現状分析の結果とのギャップを明確に認識し、数値目標を設定してギャップを無くす策を実行していくのが基本中の基本である。そうやって考えると、新型コロナ対策として必要な医療体制は、欧米諸国の2桁上の感染状況とまでは言わなくとも、インフルエンザの例年の感染数ぐらいは想定必要ではないだろうか。昨シーズンを除けば、1000万人規模の感染者を出しているインフルエンザ、その規模の新型コロナに備えるにはどうすれば良いのか、何故考えていないのだろうか。それは、政府や政治の問題でなく、医療業界の問題のはずだ。

 年間1000万人規模の新型コロナ感染者が発生した場合の医療体制を整えるために、これこれが必要だから、予算規模〇兆円必要だと提言し、体制整備の具体化を推進するのが分科会の役割であり、これが達成できない場合は、これだけのリスクが顕在化する、と数字で発信するべき。それを受けて、経済打撃と天秤にかけて判断するのが政治の役割であり、民主主義を前提にすると、国民の判断である。
 この場合の提言の数値は、非科学的、非論理的な数値ではならないのは理解できるだろう。コロナ怖いと言い続けるための、死者何十万人という奇想天外な数字は逆効果でしかない。あくまで科学的根拠と論理性のある、現実的な数値で表現する必要がある。そんなの分からない、未知の部分が多いので仕方がないというのは無責任である。あらゆる仮説は想定であり、現実的な仮説、リスク想定をして、改革を立案するのが専門家であり、出来ないのなら発信する能力はありませんと宣言しているに等しいのだ。

 さて、何故ここまで医療に対して強硬な意見を発するのかと感じられる方も多いだろうが、その理由は複数ある。

 まず一つ目は、インフルエンザの毎年の感染状況に対して、抑制策は課題とされても、医療崩壊の危機とまで言われたことは聞いたことが無い。新型コロナの場合、指定感染症の法的な違いが問題だというのであれば、インフルエンザと同等の法的医療対応にした場合、どの様な事態が発生するのか、シミュレーションした結果を出すべきで、それが議論のベースになるはずだ。
 例年のインフルエンザの場合、発熱があって受診しないと検査を受けない。新型コロナの様なクラスター追跡や濃厚接触者として検査を受けることは無いので、実際は隠れ感染者が数倍から一桁上で存在するはずなのだ。新型コロナは、多くの無症状者や非感染者まで検出しているのであり、公平に数字を比較すればインフルエンザの感染規模よりも遥かに少ないのが現実である。死者数も超過死亡まで考えれば、新型コロナの現状は、まだまだ少ないのだ。何故、医療崩壊の危機なのか、意味が分からないのである。

 二つ目は、新型コロナに対して検査の体制不足が叫ばれ続けてきたが、政府発信では、この冬には1日20万件の検査体制に強化とのことであった。この数値は、インフルエンザと同等の数値である。即ち、インフルエンザと同等の感染拡大まで想定した検査体制としているはずである。にもかかわらず、病床数など医療体制はそこまでの想定をしていないのだろうか、不思議なのである。メディアで発信される専門家の主張では、設備やベッドを増やしても人の体制は、そんなに簡単に増やせないとのこと。それはその通りかもしれないが、では検査1日20万件の受け入れ態勢を問題視せずに検査だけ増やせと言っていたのか、もしそうなら、無責任過ぎるか、計画思考が無さすぎないだろうか。

 三つ目は、そうはいっても欧米諸国と比較して、未だ感染者数、重症者数、死者数は桁違いに少ない。そして、日本の医療体制は、諸外国と比較しても間違いなく優秀であると確信している。欧米諸国で医療体制崩壊しているとはいえ、今の日本のレベルで医療崩壊云々と言うのは余りにもおかしいのではないだろうか。日本が医療崩壊寸前であれば、諸外国はとてもじゃないが今の程度の医療崩壊に止まらず、国家破綻してもおかしくないだろう。しかし、そこまでは行っていない。日本の医療キャパ、能力が、諸外国と比較して劣後していれば仕方がないが、そんな筈はないと信じている。

 四つ目が、医療機関の多くが赤字経営に陥り、経営破綻しそうだとのこと。まず、既往症や他の病気の患者の来院数が激減、入院も減少し経営難との説明があるが、本音を言うと、来院を控える患者は、本来来院の必要が無かった患者ではないのだろうか。必要以上の診療を受け、投薬を受けることで寧ろ健康を害していた可能性も指摘されており、むしろ健康国家経営に近づいており、健康保険財政面でも健全化に近づいている方向なのだ。
 そして、医療機関の収益が悪化しているというが、一般国民の感覚としてほぼ同意いただけるのは、医師は高収入であるということ。収支構造を明確にした上で経営改革の断行が必要なのかもしれない。その上で、収益を維持する為には、経営効率化やムダ取り、ロス排除できる要素が山積している様にも感じる。少なくとも、一般事業では改革無ければ継続はあり得ないのだから。

 最後に、そうはいっても数々の医療体制強化策は打っているとも言えるだろう。しかし、あるべき姿と現状のギャップから導いた施策では無く、現状ありきの出来ることを積み上げる施策、経営の世界では積み上げ施策と揶揄される策に過ぎないと感じられるのだ。策を打っても、目標に到達しないのなら、何のための施策だろうかとなる。それこそ、行き当たりばったりの、泥縄と言われても仕方がない。企業が改革できない最大の原因がこの要素であり、出来ることしか考えないで目的意識を持たないと破綻するのは至極当然なのだ。

 医療体制強化の策は、専門的見地が必要であり、その為に分科会なるものが存在する。医療先進国としての誇りを持った、データ分析と提言で、前向きで実効的、目標意識の高い、強化策に必要な投資資源を政府から引き出す動きが必要なのだ。
 それでも諸外国と比べて医療体制が脆弱なので危機は防げないのだと、論理的数値を示していうのなら、その時点で初めて経済停滞策を土壌に挙げて天秤にかけるのだろう。

感染経路不明とは

 感染経路不明が増えているという。どこで感染したか思い当たる節が無い、と言われており、そのことは、感染が拡大し危機的状況であると専門家の多くは言い続けている。
 しかし、この事には異論がある。日本語の表現として間違ってはいないが、誤解を生む表現である。感染経路不明とは、一部の例外を除いて、感染経路に思い当たる節が多すぎて、どれか判別できない、というのが正しいだろう。そして、危機的状況というのも一概には言えず、事実とは異なることも多いのだ。

 私自身も、感染予防は万全に行っているつもりだ。それでも、いつ感染してもおかしくないと思っている。いつウィルスに曝露されるかは分からないし、100%防ぐことは不可能、ウィルスに曝露している前提で、感染しない様にいつも以上に体調管理を行うこと、最悪感染してしまっても、発症しない様に体調管理を心がけることに徹底しているし、家族には同様のことを言い続けている。それこそが万全な対策であると確信しているし、拙著『ファクターXの正体』シリーズでもこの点は強調して、Withコロナの基本としてうったえているつもりだ。

 さて、では感染経路とは何を言うのかだが、ウィルスに暴露された場所であり環境を特定することに他ならない。クラスターであれば分かり易いが、今や市中のどこにでもウィルスは存在している。その状態で、例えば電車に乗れば、吊革を触り、エスカレータの手摺を触り、次に手を洗うまでの時間にウィルスはどう移動しているか計り知れない。近くで咳をした飛沫、会話時の飛沫を浴びていないとは断言できない。そこまで言い始めたら1歩も家を出られない。嫌、家にいたところで、あらゆる外部との接触を遮断することは事実上不可能だろう。つまり、現状の状態は、感染抑止行動を採っていても、ウィルス暴露は一定のリスクとして存在し、受容しなければならない状態なのだ。

 そんな大変な?と思われる方も大勢いらっしゃるかもしれないが、私は、全く逆だと言わせて頂きたい。だからこそ、少しは安心しても良いのだと。

 ウィルスは本来宿巣である人類を絶滅させるものではなく、共存するものなのだ。従って、強毒性のウィルスは蔓延する程、感染拡大しない。感染したらすぐに死に至り、感染させる暇がないからだ。逆に、潜伏期間が長く、感染リスク期間も相当に長いウィルスは概して毒性は弱い。今の状態は蔓延状態でもあるので、ウィルスの毒性は決して強くないことを証明している様なものなのである。

 生物化学兵器として、潜伏期間が長く、感染力が高い状態で、毒性が強いウィルスが開発できれば、無敵だ。もちろん、ワクチンとセットでないと兵器として使えないが、ウィルスが出来れば一定期間でワクチン開発は可能だ。しかし、この様な強力な化学兵器が開発されたとは聞こえてこないのが現実なのだ。

 インフルエンザと風邪(ウィルス性感冒)を比較して、どちらが感染経路を認識しやすいだろうか。明確ではないだろうか。風邪を感染性と思っている人は、多くないかもしれない。それ程、原因ウィルスは常在しており、共存している。だからと言って、病気である事に違いは無く、風邪は万病の元であることも忘れてはならない。

 年初は、新型コロナウィルスの挙動も毒性も、発症する症状も未知の部分が多かったが、人類の医療は捨てたものではなく確実に様々な対処を学んで来て、医療成績は格段の進歩を遂げている。

 新型コロナを恐れるな、とは言わない。病気である事は間違いないのだから、恐れるべきである。しかし、必要以上の恐怖心、非論理的で目的意識の無い行動自粛は不要になってきたのであり、適切に恐れ、適切な対応、行動をすれば良いのである。

 感染経路不明や家族感染の率が増えたということは、他の感染経路は対策して防止しており、クラスター発生抑止も出来ている、成果が出ていると自信を持って良いのだ。

 この状態で、感染抑止の最大の策は、個人の健康管理に他ならない。栄養を十分にし、ストレスもほどほど、睡眠含めた休息も取り、日光も浴び、ビタミンDなどの摂取も心がけ、体調を保ち免疫力を高める。

 そして、人体の中での感染経路も意識する。即ち、喉や鼻、目などの粘膜を常に綺麗に保つ為に、うがいや鼻洗浄を徹底する。そこにウィルスを運ぶ媒介となる手も洗う。人体侵入の感染経路を意識して最大限防ぐことだ。

 但し、世の中は良識的な人達だけで構成されている訳ではない。無防備、無対策で行動する人も一定数現実に存在し、その結果、一定の感染拡大に繋がっていることも事実だろう。どれだけ、社会的責任、社会的要求があろうとも、法的責任すら守らない行為も実社会では決してゼロにはならない。
 その事を容認しろとは言わないが、事実としてそういう人達も存在する前提で、自らの身を守る意識を持つことが大切なのだ。罪を憎んで人を憎まずの精神で、人の事をどうこう言うのではなく、その事に影響を受けず、自分の行うべき事を自信を持って行うべきなのだ。

新型コロナを正しく恐れよ

 11月の3連休、私は日本国民の賢明さを確信した。あれだけメディアで不安と恐怖を煽り、行動自粛しなければ破滅でもしそうな勢いと喧伝し、それがモラルだと言わんばかりに煽り続けていた。日本医師会会長まで医療の範囲を超えて経済停止を直接国民に求める越権行為の自粛要請発言までしたが、3連休の人出は陰らなかった。ニュースで報じる人出の状況、私自身が繁華街で感じた肌感覚でも、鵜呑みにしていない行動だと感じられる。少しだけ安心した。

 これだけ感染者数が増えている、毎日の様に過去最高をマークしているのに、何故その様に呑気な行動がとれるのかと言う声が聞こえてきそうだが、正しく情報を読み取れば、行動制限に大きな意味は無く、感染予防さえしっかり実施すれば行動しても大丈夫、であれば、経済復興のためにも、経済テコ入れ策であるGoToはフルに活用するべきなのだ。

 でも不安だ、という方々に正確に状況を把握してもらうために、数字も示しながら確認していきたい。

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 まず、現在までの新型コロナの感染者状況を全国と東京都に別けて2本の折れ線グラフで示す。縦軸は、新規感染者数の移動平均値だが人口10万人あたりの数字にしている。細かいグラフの遷移から数々の読み取れる事実があるのだが、それは拙著『ファクターXの正体』をご覧頂ければと思うが、ここではピークの期間を読み取りたい。ウィルスが人と共存していく知恵なのだろうか、ピークが永遠に続くと言う訳ではなく、一定期間でピークアウトして流行が収束していくのだ。グラフから見て取れるのは、およそ2か月が流行の期間だと言うことだ。このことは、過去のインフルエンザなどの流行を見ても、ほぼ同様の傾向が見られるのである。

 即ち、最初の感染ピークが減少したのは、緊急事態宣言のお陰ではなく、自然の摂理なのだ。であれば、この冬の感染拡大もおよそ2か月で一旦収束を見るだろうと推測できる。あくまで予測だが、12月上旬から中旬に向けてピークとなり、1月上旬から中旬に落ち着いてくるのだろう。では、ピーク時の感染者数はどのぐらいなのだろう。1波、2波とピークは上昇傾向にあるため、当然ながら3波のピークは更に高くなるだろう。

 ここで、過去のインフルエンザの感染状況を確認してみたい。厚生労働省発表のインフルエンザ報告数は2020年11月9日から11月15日までの1週で、23人だが、昨年同期は9107人なのだ。お気付きだろうか、今年の新型コロナと昨年のインフルエンザは感染開始時期と感染者数が、ほぼ同じなのだ。昨年のインフルエンザの場合で1日1万人から2万人程度の感染者が記録されているが、その程度までは今年の新型コロナでも可能性があると思われる。

 それは大変なことだ!と思う人もいるかもしれないが、重症化率や致死率など公平に比較してインフルエンザとの差がないのも事実である。唯一、違いがあるとすれば、法律上の取り扱いであり、新型コロナと診断されると原則入院が必要となり、医療機関を逼迫させてしまうことだろう。これは早急にインフルエンザと同等レベルにする法改正を行うか、少なくともホテル療養や自宅療養を普通にすることは必要だろう。急速に悪化する傾向があると不安視する向きには、パルスオキシメータで血中酸素濃度をトレースしておけば大丈夫だと言うことを理解して欲しい。急速な悪化と言う現象のカラクリは拙著『ファクターXの正体』で詳述している。

 1日1万以上なんて、と言う前に、既に昨年その数字は経験しており、更にその前年はその倍以上の感染者数を経験している。しかし、誰もインフルエンザで緊急事態宣言が必要だとか、行動自粛だとか、人権制限を容認し、経済を停滞させ貧困に向かわせる様な考えは持っていなかったはずだ。新型コロナでも同様に考えれば、この程度の数字で一喜一憂する必要は無いのだ。

 本日は勤労感謝の日。確かに医療関係者の努力には感謝をするべきだが、旅行業者や飲食店経営者の努力にも感謝するべきであり、勤労に違いは無い。その感謝の気持ちを持てば、折角戻りつつある状況で、簡単に行動自粛など言えないだろう。

 もう一つ予測しておくと、今年度のインフルエンザは、新型コロナの3波がピークアウトした頃に、感染開始し遅れてピークが来るのではないだろうか。コロナと入れ替わりでの流行と想像している。例年で言うと、B型が先に流行し、入れ替わりでA型が流行する様に、新型コロナとインフルエンザが入れ替わるのでは無いだろうか。これはあくまで予想であって、状況を確認してみたい。

 各国の状況を見ても、新型コロナ感染症は根絶させることは出来ないウィルスである。あれだけ見習えと言っていた韓国でも現在同様に流行が始まっている。つまり、ほぼウィルスは常在しており、環境要因などで流行が発生するタイプの感染症であることは間違いないだろう。人の移動を制限して感染が抑止できるのは、ウィルスが常在していないからであり、常在している状況では人が動こうが関係ない。つまり流行る時には流行るし、健康管理を怠り抵抗力が低下すると感染するのだ。

 医療的な対処ノウハウも既に蓄積されており、医療成績は格段に向上している。無駄に病院のベッドさえ占有しなければインフルエンザと大きな違いは無い。インフルエンザでも死に至るリスクの保有者が、同様に新型コロナでもリスクが高いだけなのである。
 但し間違ってはいけないのは、インフルエンザだって感染を少しでも抑え、致死率を下げるのは国家課題であるのと同様、国民目線でも安易に考えるべきではない。健康経営が企業の経営課題であるのと同様、国家運営上も国民の健康が最優先されるべき事項なのであり、国民一人一人の責任でもある。従って、今回会得したニューノーマルの感染抑止行動は、確実に定着させ、国家のノウハウとするべきである。

 更に人類がたくましいのは、この状況でも医療は進歩し、メッセンジャーRNAという新しいタイプのワクチンが開発された。これまで開発に向けた話は聞いたことがあるが、遠い未来の様に聞こえていたのが、新型コロナのお陰と言ってもいいだろう、開発が一気に進んだ。まだ、安全性や保存性などの問題は山積だろうが、この様な上気道感染症に対してではなく、がん等他の病気への対応力として大きな価値ある進歩を遂げたと感じている。良い意味で緊急事態を利用したと前向きに考えて良いだろう。

 こういう混乱期は、後ろ向きに、思考停止状態で、不安を煽る声を鵜呑みにして不安だと言うのでなく、状況を冷静に捉え、情報を自ら選別し、前向きに対処していく、そういう姿勢が必要不可欠であり、その結果が大きな飛躍につながるのだ。

第3波到来に適切に対応する考え方

 ここしばらく、毎日どこかの道府県で過去最高の検査陽性検出数が報告され、本日ついに東京都も過去最高をマークした。マスコミはこぞって危機感を煽り、医師会は次の3連休の自粛要請を発信した。

 検査陽性数に一喜一憂するべきでないと言っていたはずだが、大騒ぎである。しかし、冷静に数字を見極めてもらいたい。過去最高と言いながらも、全国でも1000の桁、10の3乗オーダーでしかない。欧米の第3波と比較して相変わらず2桁違う状態は、何も変わっていない。確かに、増加傾向にある事は間違いないが、どこかの番組で1週間前に連呼していた様な指数関数的増加では決してない。10の4乗、5乗と変化するのが指数関数であるのだから、今の増加は以前から言い続けている、1次関数的増加に過ぎないのだ。

 1次関数とは、y=ax+bで表され、第1波より第2波、第2波より第3波の定数bの値が徐々に大きくなっているのだ。つまり、基本的にウィルスの市中蔓延度合いが高まって、基礎数が高まっていると言うことだろう。市中蔓延状態にありながら、この増加傾向ということは、それ程大騒ぎするべき状態ではないとも言えるだろう。

 そもそも、寒くなり、乾燥環境になると、普通に上気道感染症のリスクが高まるのは自然の摂理である。諸外国との比較ではなく、例えば日本の過去との比較で語っても、例年のこの時期から流行し始めるインフルエンザの患者数と比較して、今年の新型コロナ+インフルエンザの総数で見ても、まだまだ少ないのが現実だ。
 インフルエンザの患者数は、新型コロナと違って発熱して医療機関の受診を受けなければ数にカウントされない。実際は、無症状、軽症状の患者も多数発生していることは、経験的にも理解できるが、その数はカウントされていない。その数字よりも、必要以上に検査を実施し多くの無症状者もカウントする今年の新型コロナ+インフルエンザの数は少ないのだ。

 インフルエンザとの同時流行リスクも噂されたが、これも何を根拠に言っているのか疑わしい。経験則から考えて欲しい。冬の初めはA型が流行し、A型が終息してから次はB型が流行するなど、入れ替わりで流行するのではないだろうか。若干のオーバーラップはあっても、大きく同時流行と言う経験は余りないのではないだろうか。そういう話が為されないのは何故だろう。だから、新型コロナが蔓延しつつある状況でインフルエンザは流行していないのだろう。

 そして何より、陽性者数が問題ではなく、重症者数や死者数を問題視するべきなのだ。ここで注意すべきなのが、公表されている死者数の定義であろう。新型コロナの死者数は、死に至る要因ではなく、死者が陽性者かどうかでカウントされている。しかし、通常の致死数と言うのは、死の主要因でカウントされるものである。例年のインフルエンザの死者数は、通常通りのカウントだが、何故か新型コロナは違う。この要素を考え合わせると、例年のインフルエンザの致死数と同等かそれ以下だとする見解がある。数字が公開されていないので断言はできないが、どちらにしても、大騒ぎする程の状況では決してないのだ。

 勘違いしないで頂きたいが、新型コロナであろうと、インフルエンザであろうと、はたまた流行性感冒であろうとも、病気であることは間違いなく、健康を維持するための努力は絶対にするべきなのだ。その為に、マスク着用や手洗いうがい、3密回避、ソーシャルディスタンス確保などの努力はするべきであろう。健康のために。しかし、GoToキャンペーンを諸悪の根源とする説には賛同できない。

 GoToキャンペーンが感染拡大の要因になっていると言う統計的根拠はどこにも存在しない。マスコミやマスコミで専門家として語る方々は、根拠はないかもしれないが、人の移動が感染リスクだと言い続け、休止を提言する。エビデンスは無いが、きっかけになったのは間違いないと根拠なく言うのは科学者としては如何なものだろう。
 不正の確固たる証拠を示せていないトランプ氏を非難するマスコミが、同じ口で、根拠を示せないのにGoToをやめろと言う。ダブルスタンダード、自分の都合のいい勝手論理とは気付かないのだろうか。

 最近ようやく、GoToのお陰で経済が回り始め、何とか耐え凌げている状況で、もし休止でもしようものなら、もう耐えられないという声が大きい。致死率の低い感染リスク対策の為に経済死の増加は決して容認できないのだ。
 無責任なコメンテイターは、行動制限を実施して、その分の補償をすれば良いと言うが、それもおかしいのだ。GoToで投下する税金は投資であり、投資であるからサービス開発、事業拡大等にもつながる回転を生み、経済効果としては何倍にもなるのである。休業させて補償しても、その額で一時は凌げてもジリ貧である事には変わりがない。つまり、同じ額で同じ効果ではなく、同等に語るべき性格のものではない。補償はセーフティネットでしかなく、経済復興を支える効果として語るべきではない。

 不思議なのは、強制的に休業させると言うことは、明らかに人権侵害であるのだが、何故か人権問題にうるさいリベラル系の方が人権侵害すべきと言う傾向が強い。奇怪に感じるのは私だけだろうか。

 そもそも、春の緊急事態宣言の効果検証、振り返りが何故か行われていない。統計的、数学的検証を真っ当に行えば、緊急事態宣言による感染抑止効果は極めて限定的であったと結論されるはずだ。だからこそ、政府は悪影響の方が大きいと言う予測からだろうか、緊急事態宣言発出には当時後ろ向きで、慎重であった。それでも、マスコミが煽り続け、世論が形成され、民主主義の政府としては、宣言を発出せざるを得ない状況に追い込まれたのが現実だろう。だから政府としては、第3波に対してもGoToを止めようとはしないのであり、1本筋が通っている。

 春の緊急事態宣言の総括を行えば、効果の無かった事実に対して政府は糾弾されるかもしれないが、上述のプロセスを考えれば理解は得られるだろう。むしろ、総括して困るのは、それでも危機を煽り続ける勢力でしかないはずだ。

 最後に新型コロナが死に至る病ではない、風邪と同等とまでは言わずとも、インフルエンザと同等かそれ以下のリスクである事実を示したい。スウェーデンの対策と結果が示しているのである。
スウェーデンでは行動制限などの対策は行わず経済を回し続け、集団免疫獲得を目指した。当初は感染者数の爆発的増加と死者数の多さに問題視する声も多かったが、結局、死者数は欧米他国と同等レベルに収まっている。そして、何より、多くの死者が発生したにも関わらず、平均寿命に影響が出ていないのである。つまり、言葉を選ばずに言うと、それほど遠くない将来に寿命を全うする運命の老人が少しだけ寿命が縮まっただけと考えないと辻褄が合わないのだ。

 今の市中蔓延状態は、ウィルス常在に近づいているのは間違いない。ウィルス常在と言うのは、流行性感冒の原因である旧型のコロナウィルスも常在しているが、常に風邪を患う訳ではない。同様に、新型コロナ常在状況で、感染予防、体調管理が徹底できると、比較的安全に集団免疫にも近づく。

 この冬を乗り越えるポイントは、風邪をひかない様な体調管理の徹底である。
 変な行動制限は、経済への悪影響だけでなく、不必要なストレスによる健康影響のリスクが高いので良いとは思えない。風邪をひかない為に、栄養を適切に取り、睡眠・休息を十分に取り、日に当たり、適度な運動を行う。その上で、基本的な手洗いうがい、マスクなどの感染対策。それ以上でも、それ以下でもない。