米国大統領選挙という権力抗争

 トランプ大統領の敗北宣言が為されず、未だ混沌とする米国大統領選挙だが、ニュースは相変わらず真実を伝えるのではなく、印象操作のフェークニュースに終始し、トランプ氏のダーティーで往生際が悪いという印象を発信し続けている。司法長官は、『重大な選挙不正の証拠なし』と発信したが、各種メディアは、あたかもトランプ氏の主張が言いがかりで不正はなかったと言わんばかりの裏付けとする報道に終始しており、聞きかじりの人は騙されてしまうだろう。では、この言葉の意味するところは何か冷静に考えて見よう。

 まず『重大な』であるがこれは、結果を覆すか否かが判断基準で、確認できている不正を合計しても結果が覆らない規模であることを意味する。例えば票差が1000票あったとして、不正が確認されたのが200票であれば、結果は覆らないということだ。
 そして『証拠なし』と言っているのは、証拠が確認できていないだけで、不正がなかったとは一言も言っていない。そもそも、証拠を押さえて確認する捜査が行われているかというと甚だ疑問であり、捜査していなければ証拠が確認出来ないのは当然である。
 原告側がいくら訴えても、原告側が掴める証拠など氷山の一角に過ぎず、本格的操作が大々的に行われない限り、覆す証拠は出るはずがないのだ。

 冷静に考えて欲しい。こういう話を客観的に事実検証する際の思考方法は、逆の立場で考えてみる事だ。トランプ陣営の不正が指摘され、一部、それ程大きな規模でなくとも発覚した場合を想定するのである。恐らく、メディアはこぞって、トランプ批判に徹底するだろう、発覚しているのは氷山の一角であり、一部でも不正が発覚したのであれば、選ばれる資格は無いと。

 えー、だったら不正で選ばれたバイデンは、大統領としては認められないじゃあないか、というのも間違いで、極論言えば、どんな不正をしようが、結果の選挙人獲得数で上回れば勝ちなのである。綺麗ごとではない、権力闘争、昔なら殺し合いなのだから。法的にも、立証できる不正で逆転できない時点で、現代の権力闘争では、それが結果であり、決定となる。

 事実として、数々の不正は立証されている。死者や不在者の名義での投票があったり、投票数が有権者数を上回っていたり、明らかな不正だが、結果を覆す規模ではないだけなのである。私が以前出稿した原稿でも、統計的な根拠と推論を書かせて頂いたが、ほぼ間違いなく、郵便投票が無ければトランプ氏が圧勝していたと推定できる。しかし、郵便投票なるものの実施を防げなかった時点で、この選挙、いや権力闘争の勝敗は決したのである。共和党陣営としては、極論を云うと、リアルの投票で有権者総数の過半数を獲得しない限り勝てないのだ。いや、ひょっとすると過半数を超えても、何故かそれ以上の郵便投票が作り出されるかもしれない。

 そもそも、郵便投票を大規模実施させた時点で、民主党の勝利なのだが、今回は新型コロナ感染抑止を口実に導入を阻止できなかった。しかし、この勝ち方が出来るのなら、あの手この手を使って、郵便投票の制度定着化が叫ばれるだろう、尤もらしい理由を付けて。投票率が格段に向上できたことを成果とするなど、民巣主義として進化出来る方法だとか、何とでも理由は付けられる。

 従って、4年後の大統領選挙、権力闘争は既に始まっており、トランプ氏のうったえは、その入り口に過ぎない。早ければ、来週早々にも4年後に向けての宣戦布告が発信されるのではないだろうか。敗北宣言ではない、次への宣戦布告として。

日本は、他国の出来事と達観するのではなく、そのことを前提に、自国の進む道、戦略を見極め、戦術を立てることを考えるべきだ。次期米国大統領は、日本人の感覚における、民主主義に則った、公平な投票制度で選ばれた政権ではないことだけは間違いなく、目的のために手段を択ばない政権を相手にすることになる。しかし、世界では、民主主義的に選ばれた為政者の方が少ないとも言えるのであり、綺麗ごとでなくその現実を前提とするべきだ。尤もらしく、メディアも使って、法的にも外堀を埋めてくる相手と、それでも同盟国として振舞いながら水面下での攻防は熾烈になる。それは国家レベルだけでなく、民間も含めてだろう。そして、一般国民も、米国メディアの発信がどれだけ偏向しているか、という現実を認識して鵜呑みしない、同時に、米国メディアをニュースソースとして発信する国内メディアも同様であり、鵜呑みせず、自らの頭で考える必要性が高まってきた、そういう時代なのだ。