ついに医療体制に対して強制力発動

いよいよ医療機関、医療資源に対しての政府、自治体の協力要請が始まった。遅すぎるという批判はあれども、必要で有効な策が打てる様になってきたと素直に歓迎すべきなのだ。

さざ波状態の日本の感染状況で医療逼迫が起こるという、当初からの課題でありながら、本質的な対策が打てず、国民の我慢を強いる緊急事態宣言を何度も発出するしかなかった。医療崩壊を検知する重要指標の一つである病床使用率は、分母が確保病床数、分子が入院者数なので、当たり前の対策として分子を減らす策と、分母を増やす策の両輪で検討される筈が、分子減少対策の一本足打法に終始する異常状態であった。

ようやく東京都と国が連名する形で医療体制強化策を打とうとしている。それなのに「ラクダと老夫婦」の例えの様に、批判する声は止まない。その声をざっとまとめると

・医療従事者は大変な状況なのにプラスの要請は破綻に追い込むだけ

・同様、折角頑張ってもらっているのに、公表までするのは如何なものか

・結局他の診療に犠牲を強いる事で国民の命は守られない

・政府の強権的なやり方は許せない

見事な誤認識の数々なのだが、一つ一つ確認していきたい。

まず協力要請をするのは、これまでコロナ対応の協力を拒んできた医療機関、関係者に対するものであり、現在コロナ対応に従事して頂いている方々に対するものではない。つまり、ここまで大変な思いをして支えて頂いていた医療関係者の負荷を、少しでも減少させる策、頑張っている方々を支える策なのである。

日本のコロナ対応は、これまで全病床の僅か数%の資源投入でしかなく、諸外国と比較して明らかに劣後していた。今まで何かと言い訳先行で協力が得られなかった、これは抵抗勢力と言っても過言ではない状態なのだ。国民の命と生活を守るためにようやく、ここにメスを入れ始めたのだ。

他の診療への支障だが、全体から言えば、所詮ほんの僅かの支援に過ぎない。何故なら年間1000万人罹患し1万人規模の死者が発生していたインフルエンザの医療体制があるはずなのだ。今まで新型コロナを2類相当に定めていた為に使えなかった医療資源を使えばいいだけなのだ。

それでも慎重を期して、専用病院などの箱モノを用意した方が効率的かもしれない。酸素ステーション等の箱モノも自宅療養者が本来入院まで必要がない状態で、精神不安定による不安感により、救急要請が発生している事に対するバッファ、不安の解消に効果はあるだろう。

実際に東京都議が発信しているが、都立病院のコロナ病床を増床し、近隣の医療関係者による体制を構築するとの事。NPO法人「日本ECMOネット」も全国の医師とネットワークを構築し死亡率の低さを維持するべく支えていくと協力に応じている。

昨年の大阪の専門病院に医療重視者の協力が充分に得られず、自衛隊派遣しなければならなくなった様な事態、直近での要請も全く受け入れてもらえなかった様な事態だけは避けなければならない。

そして、最後に強権的な政府のやり方に対する批判だが、一方で私権制限、強制力を伴うロックダウンの待望論、期待する声が高まっている事と矛盾、全く意味不明だ。国民生活の強制的な規制の前に、医療体制の強制的な構築の方が優先されるべきである。また、諸外国のロックダウンの効果が限定的であった事実も無視できない。この状態で、医療には強制を許さず、一般国民には強制すべきとは、支離滅裂すぎて意味不明なのだ。

<現状の新型コロナの実態>

ようやく東京都の新規陽性者の増加トレンドが変わってきた。これまでの傾向通り、感染ピークの度に、ピーク値は高まり、一定期間で自然にピークアウトする。少々特徴的なのは、予想をはるかに上回る陽性者数が検出されている事と、陽性検出者の内ワクチン接種者と未接種者の割合は1:10である事だ。

陽性者数の多さの検討は後に譲るとして、ワクチン接種の効果が陽性検出にも明らかに表れている。ワクチン接種なければ今よりも倍近くの陽性者が検出されていた可能性が高いという計算になる。更に、陽性率からの推定で、本来の陽性者数は現状ピークの4倍程度と考える事も可能なのだ。

ここまで増えると市中感染、ウイルス蔓延で、ほぼウイルス常在環境にあり、曝露は相当な確率で起こり得ると言っても過言では無い。

風邪やインフルエンザでも経験があるだろう。ウイルス暴露状態にあったから全員が感染する訳では無い。特に風邪は、感染したという意識よりも不摂生等の原因の方が感覚的には強いだろう。つまり、ウイルス暴露状態において、人間の初期免疫が負けた時に感染して発症するのであり、人間は風邪のひき始めを実感し、その時に徹底ケアをすれば概ね発症を防げるのだ。新型コロナでも同様ではないのか。

デルタ株の論文には、症状が従来と異なり、鼻風邪症状に似ているとの報告が為されている。コロナと思わない軽い症状が多数になるとどういう事が発生するか常識的に考えてみよう。今まで以上に初期症状状態、軽症者による市中のウイルス拡散が広まるのは自明だろう。感染力の強化を否定する訳では無いが、軽症状者による感染拡大と考えるのも今の陽性者数の多さを説明する妥当性があるのだ。

もう一つの傾向は、陽性者数と重症者数がほぼ同時に増減している。今まで、陽性検出から時間差をおいての重症者発生なのだが少し様子が異なる。重症化率は大幅減だが、陽性者数が大幅増なので絶対数としては増えており、重症病床使用率は東京都で70%近い状態だ。しかし、確保病床補償金詐欺でも無ければ満床では決してなく、重症者数が増えても死者数は増えない、陽性者数比で0.2%と諸外国と比べて今まで以上にさざ波なのだ。

これは、重症化しても死に至り難い傾向であり、これまでの重症者と少々状況が異なる。結局、初期医療が受けられる体制と不幸にも入院が必要な程の悪化をしてしまった場合の治療の医療資源拡充が為される事が、対策の全てと言っていいだろうから、今回の政策は大きな前進なのだ。

<自己防衛方法>

この状態でPCR検査をすれば陽性率は上がるのは当たり前だろう。常在しているのだから当然なのだ。それだけ、ウイルスは蔓延し、ほぼ常在化、誰でもウイルス暴露環境に居ると言っても過言ではなく、風邪と同様にコロナも普通に感染しうる状態なのだ。

その環境下で個々人が心がけるのは、今まで以上の「手洗いうがい励行」と「体調管理」であり「症状のある時は活動自粛」で、「風邪をひくな、うつすな」に尽きるのだ。

その上で発症してしまった場合も、必要以上に不安にならず、診察を受け、指示に従って療養する事だ。不安は身体に悪いのは間違いないのだから。

インフルエンザでかかりつけ医の診察、投薬を受け、家で寝ている際に高熱で苦しんでいても、不安に苛まれることはそれ程ないだろう。それは、インフルエンザと分かっていて、数日で収まると確信しているからだ。

コロナの場合、同じ症状でも不安に陥るだろう。報道から流れる情報は、最悪の事態ばかりだからだ。現実には、最悪の事態はほんの一部であり、レアケースである事を認識しておけば良いのだが、最悪のケースを標準の様に思わされていると、入院など必要のない状態でも入院を嘱望する様な不安を抱かされる事だろう。結果、メンタル面の影響での症状悪化だけでなく、医療逼迫に繋がってしまうのだ。

従って、正しい情報を正しく判断する事が自己防衛には必要不可欠なのだ。

総務省発表の「令和3年情報通信白書 コロナ禍における情報流通」によると、新型コロナに関して偽情報を入手した先として、ダントツ1位が「テレビ」で58.2%にも及ぶのだ。2位が「ニュース配信」の27.2%、3位は「SNS」の23.2%だが、その次の4位に「新聞」が19.4%と続くのだ。要は、ネット配信も含めたマスメディア発信情報にフェイクニュースが多いので、情報リテラシーを高め、騙されず、自分で調べ自分で考える能力育成が、不必要な不安を抱かず、正しく恐れ、自分自身を守る事に繋がるのだ。

米国大統領選挙という権力抗争

 トランプ大統領の敗北宣言が為されず、未だ混沌とする米国大統領選挙だが、ニュースは相変わらず真実を伝えるのではなく、印象操作のフェークニュースに終始し、トランプ氏のダーティーで往生際が悪いという印象を発信し続けている。司法長官は、『重大な選挙不正の証拠なし』と発信したが、各種メディアは、あたかもトランプ氏の主張が言いがかりで不正はなかったと言わんばかりの裏付けとする報道に終始しており、聞きかじりの人は騙されてしまうだろう。では、この言葉の意味するところは何か冷静に考えて見よう。

 まず『重大な』であるがこれは、結果を覆すか否かが判断基準で、確認できている不正を合計しても結果が覆らない規模であることを意味する。例えば票差が1000票あったとして、不正が確認されたのが200票であれば、結果は覆らないということだ。
 そして『証拠なし』と言っているのは、証拠が確認できていないだけで、不正がなかったとは一言も言っていない。そもそも、証拠を押さえて確認する捜査が行われているかというと甚だ疑問であり、捜査していなければ証拠が確認出来ないのは当然である。
 原告側がいくら訴えても、原告側が掴める証拠など氷山の一角に過ぎず、本格的操作が大々的に行われない限り、覆す証拠は出るはずがないのだ。

 冷静に考えて欲しい。こういう話を客観的に事実検証する際の思考方法は、逆の立場で考えてみる事だ。トランプ陣営の不正が指摘され、一部、それ程大きな規模でなくとも発覚した場合を想定するのである。恐らく、メディアはこぞって、トランプ批判に徹底するだろう、発覚しているのは氷山の一角であり、一部でも不正が発覚したのであれば、選ばれる資格は無いと。

 えー、だったら不正で選ばれたバイデンは、大統領としては認められないじゃあないか、というのも間違いで、極論言えば、どんな不正をしようが、結果の選挙人獲得数で上回れば勝ちなのである。綺麗ごとではない、権力闘争、昔なら殺し合いなのだから。法的にも、立証できる不正で逆転できない時点で、現代の権力闘争では、それが結果であり、決定となる。

 事実として、数々の不正は立証されている。死者や不在者の名義での投票があったり、投票数が有権者数を上回っていたり、明らかな不正だが、結果を覆す規模ではないだけなのである。私が以前出稿した原稿でも、統計的な根拠と推論を書かせて頂いたが、ほぼ間違いなく、郵便投票が無ければトランプ氏が圧勝していたと推定できる。しかし、郵便投票なるものの実施を防げなかった時点で、この選挙、いや権力闘争の勝敗は決したのである。共和党陣営としては、極論を云うと、リアルの投票で有権者総数の過半数を獲得しない限り勝てないのだ。いや、ひょっとすると過半数を超えても、何故かそれ以上の郵便投票が作り出されるかもしれない。

 そもそも、郵便投票を大規模実施させた時点で、民主党の勝利なのだが、今回は新型コロナ感染抑止を口実に導入を阻止できなかった。しかし、この勝ち方が出来るのなら、あの手この手を使って、郵便投票の制度定着化が叫ばれるだろう、尤もらしい理由を付けて。投票率が格段に向上できたことを成果とするなど、民巣主義として進化出来る方法だとか、何とでも理由は付けられる。

 従って、4年後の大統領選挙、権力闘争は既に始まっており、トランプ氏のうったえは、その入り口に過ぎない。早ければ、来週早々にも4年後に向けての宣戦布告が発信されるのではないだろうか。敗北宣言ではない、次への宣戦布告として。

日本は、他国の出来事と達観するのではなく、そのことを前提に、自国の進む道、戦略を見極め、戦術を立てることを考えるべきだ。次期米国大統領は、日本人の感覚における、民主主義に則った、公平な投票制度で選ばれた政権ではないことだけは間違いなく、目的のために手段を択ばない政権を相手にすることになる。しかし、世界では、民主主義的に選ばれた為政者の方が少ないとも言えるのであり、綺麗ごとでなくその現実を前提とするべきだ。尤もらしく、メディアも使って、法的にも外堀を埋めてくる相手と、それでも同盟国として振舞いながら水面下での攻防は熾烈になる。それは国家レベルだけでなく、民間も含めてだろう。そして、一般国民も、米国メディアの発信がどれだけ偏向しているか、という現実を認識して鵜呑みしない、同時に、米国メディアをニュースソースとして発信する国内メディアも同様であり、鵜呑みせず、自らの頭で考える必要性が高まってきた、そういう時代なのだ。

アメリカ大統領選挙の混乱を鎮める緊急提案

 アメリカ大統領選挙は、バイデン候補の当選確実と報道されており、勝利宣言もなされた。しかし、通常の手順で言うならば、トランプ大統領の敗北宣言があって、初めて勝利宣言が出来るはずだが、まだ敗北宣言は無い。

 それもそのはずで、今回の選挙における郵便投票は想像以上に問題が多い。6500万票もの投票が郵便にて行われたとのことだが、これはトランプ大統領が7100万票、バイデン候補が7500万票とすると40%以上も占めることになるのだ。それなのに、過去の郵便投票の様な限定的利用の枠ではなく、正常に実施するために必要不可欠な対策を充分に講じることなく、コロナ禍という言い訳の元、見切り発車で行われている。日本ではあり得ないだろう。従って、実際に不正があったかどうかではなく、やる気になれば不正はやりたい放題だったのだ。そして、事実不正があっても、ほぼ露呈はしないだろう。

 その状況で、郵便投票が開票される前まで圧勝であったのに、郵便投票で逆転されてしまったのだから、文句を言いたくなるのは当然である。本来であれば、バイデン側、もしくは選挙管理運営側が、公正性を証明するのが筋なのであり、トランプ大統領の訴訟を根拠ない言いがかりと言う誹りは、実は適切でない。

 それでも、郵便投票を法的に有効と認めて実施してしまったことを前提にすると、法的には証拠不十分とされてしまる。その結果、泥仕合になって混乱が継続すると、アメリカの無政府状態が及ぼす世界への影響は計り知れなくなる。

 また、トランプ氏に投票した7100万票の有権者の意思は絶対に無視できない。バイデン候補は、戦い終わってノーサイドの様に、一つになろうと宣言したが、そんな単純ではなく、実は極めて危険な発言なのである。まず、絶対に一つにはなれないのだから。

分断を生んだのがトランプ氏の様に一方的に悪者扱いして、除外するような物言いは、7100万の意思を逆なでする。分断はトランプ氏が生んだのでなく、以前からあり、そこを掘り起こして、目を向け、見える化したのであり、むしろトランプ氏の功績なのだ。今や見えていて隠せないので、臭いモノに蓋は出来ないのだ。一つには決してなれない、多様性を認めて、尊重し、マネジメントする以外に混乱を鎮める方法はないのだ。

 この7100万人の意思を鎮め、混乱を避け、前向きかつ建設的な方向に向かわせるのは、バイデン氏では絶対にできない、唯一出来るのはトランプ氏だけだろう。

 トランプ氏に、その方向に向かわせるモチベーションを持ってもらう方法論は簡単ではない。家族などの説得も噂されているが、その様な次元ではないだろう。極めて自己犠牲を伴う政治的で、未来創造的で、ビジョンを持った説得が必要不可欠だ。

 私の緊急提案は、それが出来るのは、安倍前首相以外に、世界中見渡して他にいないのではないだろうか、ということだ。

 負けを認めさせるのではない。選挙では勝った、アメリカ国民の選択はトランプ氏であったことを認め、その上で、政争上の権力闘争、政争に敗れたと伝える。アメリカ国民の為、世界の為にトランプ氏の名を勇退として残して一旦退き、この問題構造を是正し正常化させることは、貴方しかできない役割だと説得できるのは、安倍前首相しかないだろう。

 アメリカの為、世界の為、そして日本の為に、緊急提言が政府に届くことを期待して止まない。

郵便投票のセキュリティ管理思考

 アメリカ大統領選挙の当確が出され、バイデン次期大統領への祝意が各国から発信され、敗北宣言をしないトランプ現大統領の往生際の悪さを非難する声一色に世の中は染まっている。両論あれば問題視しないが、日本のマスコミ、識者含めて、ほぼ一色であることが異様である。郵便投票やそのプロセスに対する疑問は実際にあるのだから、異論がないことが奇怪で仕方がない。

 客観的に、セキュリティ管理の常識の観点から言うと、今回の選挙における郵便投票は適切とは決して言えず、不正の有無に関わらず無効との主張に一定の論理性がある。
 とは言え、各国の国内法、この場合はアメリカの州法も含めた法制度において、問題なしと判断されたから実施されているのであり、国内法の理念が優先されるべきで、選挙結果は覆らないのも事実であろう。しかし、それは中国共産党1党支配による選出(選挙とは言わなくとも)を民主的手段での選出とは言わないが、他国から異論を挟めないことと同義であるに過ぎない。
 つまり、アメリカ国内の法的解釈問題であり、他国から口出しは出来ないが、客観的かつ民主的妥当性が担保されている事とは全く違う話なのだ。

 なのに、日本国内でも、郵便投票の全てをカウントすることが正義だと言う主張をそのまま民主主義の正義として伝え、不正の温床である郵便投票は無効だと言う主張は言いがかりで民主主義への冒涜だと、一方的に正義と悪を仕分けし決めつけている。これは決してフェアな構造ではない。

 誤解しないで頂きたいので繰り返すが、今回の大統領選挙の勝者は、民主党バイデン候補である。例え、フェアでない構造化での勝利であろうとも、結果としての勝利は覆らないだろう。それが権力闘争であり、アメリカの国家としての選択なのだからとやかく言わない。
 しかし、日本のマスコミ、識者が、トランプを悪、郵便投票も含めた手法が正しいかの様に伝えるのは、根本的に間違いである。

 日本としては、正確な分析をするべきで、真相は分からなくとも、正義の為に手段を択ばない国家の姿勢が示されていることを冷静に今後の判断の基礎にするべきなのだ。今の日本のマスコミ報道が偏向して、国民への正しい判断基準の情報提供を阻害しているのであれば、国民として今まで以上にメディアリテラシーを高める必要性がある。おかしいことにはおかしいと思い、自身で考え、調べる力が必要になってくる。

その観点で、本題の郵便投票のセキュリティ管理視点での考察を行う。

 まず、真っ先に断言すべきは、郵便投票の不正の証拠を示す必要があると言うのは、言いがかりである。不正が行えない、管理運用体制を説明する責任が運営側にあるのであり、疑義が挟まれたら、第三者監査含めた確認を受けてでも、正当性を示さねばならない。

 例えば、クレジットカードをスキミングされ、悪用されてしまった際に、利用者はスキミングされた事実の証拠を示し立証しなければ、不正を訴えられないと言っている様なものなのだ。そんな立証責任を求められたら、泣き寝入りするしかないだろう。
 この場合、ログとして残っている利用履歴、利用実態を確認し、不正の有無を確認するのは運用側の責任だ。運用側にデータがあり、それだけの情報を取り扱い、不正させないサービス環境を維持管理する責任があるからだ。

 選挙でも同様だ。本人確認の手順、不正として考えられる手段に対する防止策とその実施記録。郵便投票で言うならば、有権者登録から郵送した投票券が、戻ってきた際の真贋判定機能。受付から、集票までの処理の中で不正の入り込む隙間の無い運用手順とその運用実態、トレーサビリティログの開示。ここまでやっていれば大丈夫と言わせられるかどうかが一つの勝負だ。
また、郵便投票受付の有効期間延長や共和党の立ち合いをNGとした判断を下した事由と、その際に予め予測できる不正リスク指摘に対するリスク低減策の実施内容、判断の適正さ、等。

 郵便投票における不正防止が充分でなく、接戦において訴訟に発展するリスクは以前から予測されていた。にも関わらず、その点の対応策を講じておらず、強引に押し通している様にしか私には見えない。まさか、極一般的なセキュリティ管理の思考回路が存在しないとは思わないし、思いたくもない。
 繰り返すが、アメリカ国内的に押し通すのは口出ししない。しかし、日本の立場で、この状況で、トランプ氏が単に駄々をこねているだけでなく、ある意味正当な主張をしていることも理解しておく必要がある。その両面を伝えないマスコミは罪深いとしか言い様がない。

 その程度の正当性もなくして、7000万票以上の空前の得票を得ることなどあり得ないし、アメリカ国民はそんなバカではない。これが分断なら、分断と言う事実は多様性という意味で現実に存在していて、分断を認めリスペクトすることが重要だ。この分断には、時には厳しく、時には寛容に、是々非々で対応していくことで乗り越えていけるのだ。
 アメリカ的に言えば、選挙が終われば、一つになる、というのは幻想であり、多様性がある中での舵取りをするのが民主主義政権の責務だ。
 日本側からは、アメリカの多様性を正確に見極め、その判断基準などを分析し、その情報を国民に伝え、同盟国としての外交に活かせる様にすべきだろう。

トランプ絶体絶命の構造

 2日前に勝利宣言の原稿を投稿したが、翌朝から状況が一変した。ここに至って、木村太郎さんも、9分9厘トランプの負けを宣言したし、事実上敗戦は間違いないだろう。しかし、今回の大統領選挙の構造を仮説推論すると、見えてくるものがある。一部では今回の選挙を『機会の平等』と『結果の平等』の対決と称していたが、ある意味、バイデン勝利でアメリカは見た目の『結果の平等』を確立すべく、不都合な事実は見せない、知らせない、闇に葬る。正義の為には、採るべき手段は正当化される。まさに、中世ヨーロッパの様な世界観に突き進む危険性すら感じる。

 断っておくが、私自身はトランプ支持者では決してない。彼の出鱈目な物言い、乱暴な言動など決して支持は出来ない。しかし、客観的に見て今回の選挙はとてもフェアとは思えないものだった。郵便投票をトランプは不正の温床と言い続けたが、マスコミは往生際の悪さや、民主主義に従わない品性を非難し続けている。

 私のビジネス経験上からはっきり申し上げる、他国の選挙制度だから非難は出来ないが、日本であれば絶対にこの様な郵便投票は採用できない。それはセキュリティ管理上、公正を保つことが不可能だからだ。トランプが不正と言っているのは、実は極めてまともな発言であり、もし日本で同様の郵便投票が法案として出てくれば、不正の温床と叩きまくられるのは間違いないのだ。詳細までは記さないが、あの方法なら、何とでも票を操作することが可能である。いくらでも不正の方法は思いつくのだ。

 前日まで70万票リードして、残り未開票が100万票だったのに、夜が明けると、差は60万票に縮まり、未開票が140万票に増えた。つまり50万票どこかから増えたのだ。そして、結果逆転となった。
 投票数を見ても、トランプは大方のマスコミの予想、世論調査を覆し、歴代最上位にランクされる程の得票を得た。しかし、郵便投票でバイデンが後から上回った。
 負けていれば、どこまでも後から票を積み増せる様に見える。最終的に投票率が100%超えない限り問題にはならないだろう。

 それでも、郵便投票を公正な1票として、民主主義に従えと非難される。事実は、郵便投票では公平な民主主義が維持できないのだが。これは公平では決してない。
 不正の根拠、証拠を示せとトランプは非難される。しかし、その論理は、騙しとおせたら何をやっても正義だと言っているに等しい。不正の証拠が示せ、発覚するのは、氷山の一角でしかないのだから。これだけ穴だらけの精度であれば、1票の正当性を示す責任があると考える方が真っ当なのだ。

 トランプがアメリカ社会の分断を生み出した様に言われるが、実は、分断している実態を見える化しただけであり、既に分断はあり、隠蔽されていた様に見える。そして、いわゆるフェイクニュースが不都合な真実を隠し、不都合な異端児を攻撃する構造に見えて仕方がない。その結果、分断が無くなってしまうと、『統制された結果の平等』の完成である。それは、決して望む形ではないはずだ。

 今回の大統領選挙の構造を『トランプvs反トランプ』と2日前に称したが、『トランプvs反トランプ+マスコミ(情報)』という構造が垣間見えるのだ。

 トランプが勝利宣言をしたとマスコミは叩きまくったが、その前にバイデンが同様の宣言をしているが批判は皆無。バイデンの宣言は、勝利を宣言しつつ、最後の1票が開くまで敗北宣言しないと言っている。これも、負けている立場で、ある意味往生際が悪い姿勢だが、非難されず、逆転されたトランプは往生際が悪いと責められる。

 確かにトランプは非難を受ける言動が多いし、子供じみた発言もある。しかし、今回の選挙に関しては、同情を禁じ得ない。反トランプが完全正義として情報が統制されている。むしろ、論理的に真っ当なことを言っているのはトランプに見えるが、勝てば官軍、負ければ賊軍でしかない。

 今回の大統領選挙は勝負あったとすると、マスコミという反政府勢力が勝ったことになるが、これまでのアメリカは政権交代があろうとも政策の継続性があったが、今回はどうだろう。

 そして、日本も他人事ではいられない。今回の大統領選挙の日本における報道は、アメリカとほぼ同じ調子で行われている。つまり同じ構造である。であるならば、情報を鵜呑みにできない状態であり、素のデータから個々に分析し読み取っていく力がなければ、生き抜けない世の中だと認識しなければならないだろう。

トランプ大統領事実上の勝利宣言

 アメリカ大統領選挙の投票が行われ、早々にトランプ大統領による事実上の勝利宣言が為された。まだ確定できていない激戦州で郵便投票の開票がまだなので逆転もあり得ると多くのマスコミは未だに言い続けており、多くの識者もこの時点での敗北宣言の無い事実上の勝利宣言を発したトランプ大統領にフライングだとの批判を集中している。しかし、バイデン候補もほぼ同様の勝利宣言まがいの発信を先にしているのだが、そちらの批判は聞こえてこない。

 当初予想では当日開票で少しのリードをしたトランプ大統領が、郵便投票で逆転される接戦状態で、なりふり構わず郵便投票の開票停止を求める訴訟を起こすなどの対応が予測されていたが、実際は大きく異なり郵便投票完全開票を残した状態ではあるが、ほぼ逆転不可能なレベルの大差を付けているのが実態だろう。
 多くのマスコミは、大差の事実を受け入れることが出来ず、勝利宣言をしたトランプ大統領に対する批判に終始している。このこと自体が問題を露呈していることに一体どれだけの人が気付いているだろうか。私の知る限り、木村太郎さんぐらいだろうか。冷静にこの状況を予測し、現時点でのトランプ勝利を確信していたのも同氏である。(実は私も同様の予測であった)

 今回のアメリカ大統領選挙は、『トランプvs反トランプ』の構造であった。決して『トランプvsバイデン』ではなかったのである。民主党の代表がバイデンになった瞬間、私は、民主党は勝つ気がないのか、と疑った。そして、選挙戦を戦う内に、その構造が『トランプ+反バイデンvs反トランプ』に変異してきた。最後まで、バイデン推しはなかった。その証拠がレディー・ガガの最後の応援演説にも現れており、反トランプしか言っていない。この時点で、接戦だろうが、トランプ大統領優勢に動いていたのが現実だろう。
 そして、バイデンの目指す国家像、ビジョン、夢が押し出されない状態で政策論争もなく大統領になったらアメリカ国民は不幸だろうし、流石にその点は見透かされ、反バイデンが発生したのだろう。その時点で、勝負あった、トランプ大統領の勝利が決まったようなものだ。

 4年前のトランプ大統領勝利の際も、今回も、マスコミの多くは『隠れトランプ支持』を理由にしていたが、私は事実と反すると考えている。トランプ大統領が良く使う『フェイクニュース』が全てと考えている。支持率調査や、世論調査など、調査する分母を恣意的に選択し、アンケートの聞き方を工夫するだけで、簡単に事実と異なるデータに見せかけることが可能だ。アメリカの主要マスコミ(FOXを除く)の多くはリベラル系に偏向しており、報道内容を鵜呑みにできないのが実態であり、それを『フェイクニュース』と非難していたのである。速すぎる勝利宣言でも、バイデンは批判されず、トランプ大統領だけが批判されるのもその表れである。
 断言しよう、隠れトランプによる逆転などではなく、トランプvs反トランプの構造でトランプ支持が上回り、そこに反バイデンが加わって想定外の大差が付いたと見るべきだ。

 日本のマスコミも多くはリベラル系に偏向しており、この事実は絶対に認めないだろう。だからこそ、木村太郎さんの発言が貴重なのだ。しかし、トランプ大統領が露わにしたフェイクニュースの構造を認めない限り国民の目線は騙せなくなっていることも認識しなければこの先存在価値が無くなってくるだろう。

 マスコミの使命として『政権の監視』との時代錯誤の認識を持つ限り、保守ではなくリベラルに傾向するのだろう。しかし、民主主義を確立させ定着させていく過程ではそうかもしれないが、既に成熟した民主主義の時代において、マスコミの最大の役割は『事実を事実のまま客観的に伝える』であるはずだ。その先の判断は国民の判断なのである。もちろん、事実を伝えた上で、マスコミ各社の独自の見解として伝えることは良いが、事実の歪曲や操作は、例え政権監視の大義名分あっても許されるべきではない。

 そして、その批判構造に乗って、独自のビジョンなく、批判に終始する政治勢力は淘汰される。マスコミが偏向しようとも、判断が出来る国民に成熟しつつある状況下での批判勢力への裁定を下すだろう。今回の大統領選挙がそうであり、日本でも国民民主が袂を分けて一旦勢力を落としても、次回以降の選挙で維新と共に勢力を拡大し、健全な選択肢を国民に提供してくれる勢力に成長するだろう。その縮図が示された歴史的な1日であった。