ワクチンパスポートに潜む問題性

ワクチン接種者に対して何らかのサービスを提供するパスポートと言う考え方が海外から発信され、日本も検討に入っている。これは一種の認証制度であり、認証手段としてのワクチン接種実績の利活用は根本的にまずいと、少しでも認証に携わった経験、知識があれば感じるはずだが、世の中では感覚的で安易な論調が支配的だ。

<ワクチンの効果>

ワクチンの効果に関して、そもそも誤解が多い様なので簡単に確認しておく。

ワクチン接種により体内に抗体が生成され、感染して体内侵入を許したウイルスに対して抗体反応を起こし、増殖を抑制する事で発症、重症化を抑える。この順番、仕組みを理解すれば本来感染予防には直接の効果が無い事は理解できるだろう。

感染症は、ウイルスに曝露する所から始まるが、曝露しただけでは感染しない。この時点でもPCR検査では陽性検出されるので要注意。次の段階で、体内にウイルスの侵入を許す、これを感染として良いだろう。この段階でも発症はしていない。次に、体内でウイルスが増殖し発症、更に増殖し重症化というステップを踏む。

このステップをワクチン接種後の実社会での現象をイメージすると、感染後にウイルス増殖を抑えるという事は、発症者を減少させるはずだ。つまり、発熱外来などに訪れて検査する人は減少する。その結果、感染者数は減少する。更に、ウイルス増殖を抑える効果は市中へのウイルス蔓延を量的に減少させる効果もある筈で、市中での曝露リスクも減少し、感染数はさらに減少するという効果を生み出す。

この様に考えると、集団免疫と言う仰々しい話以前に、ワクチン接種が進むことで社会としての感染抑止効果が期待できるのであり、諸外国でそれを裏付ける結果が出ているのだ。しかし、今の考え方でPCR検査を増やすと無症候感染者、曝露非感染者を拾い上げ、陽性者数はそれ程減少していない様に見えるかもしれないが、感染者は減少するのだ。

あくまで明確にしておきたいが、個人の効果だけではなく、社会としての効果があるのだ。従って、接種判断が個人の自由であっても、一定率での接種が実現すれば、社会的には何も問題なく、接種の有無で社会的サービスに差があってはならないのだ。

一方、個人としての効果もよく考える必要がある。というのは、個人によってワクチン接種後の抗体生成量に違いがある様に、誰でも同じ効果を生み出すものではない。つまり、感染抑止の個人の安全度合いは接種完了したからと言って一様ではないという事である。あくまで個々人毎に異なる効果であり、一律でなく確率で語るべき事項なのだ。

そして、ワクチン接種していないからといって、一様のリスクを持っている訳ではなく、個々人毎、健康状態の差異もあり、感染リスクの度合いは異なるのだ。諸事情により、ワクチン接種しない場合でも、それが即、感染リスクを増大させるものではなく、あくまで確率の問題なのだ。寧ろ、初期免疫、自然免疫力の充分な人の方が感染リスク自体は低いのである。

まとめると、個人の感染リスクはワクチン接種の有無で確定するのではないのに、サービスを受ける認証に使うのは不合理かつ不適切なのだ。即ち、社会的安全性獲得状況であれば、サービス提供が均一であるべきなのだ。

しかし、これは日本国内では議論すれば良い事だが、他国の動きをどうこうできるものではなく、既に海外ではワクチンパスポートなるものは使われ始めている。日本人であっても、海外との交流、グローバルビジネスの場では、日本事情だけを押し付ける事は出来ず、海外対応時のワクチンパスポートは必要になってくる。この両面を混同せず、理解した運用に落とし込む必要があるのだ。それは、以前拙著でも語った、陰性証明書なるものの運用と同じ考え方になるのだ。

では、何故諸外国ではワクチンパスポートが必要なのだろうか。

<ワクチンパスポートの価値観背景>

この事を考えるには、欧米、聖書文化圏における、知らず知らず影響を受ける思想基盤を考慮する必要がある。唯一絶対神の下に平等で、契約により成立している文化圏では、白黒はっきりとさせないと物事が進まない社会環境にある。逆に言うと、デジタル的に判定できる基準があれば物事が前に進みやすい。それが故、PCR検査を判定のツールに求め、陰陽明確にする陰性証明書が利用され、それらも包含したワクチンパスポートが有用になるのだ。

それは基本思想の問題、論理ではない価値観なので、他国・他民族が否定する事はあり得ず、多様性の範囲として容認すべきで、彼らとの交流においては受け入れる必要があるのだ。

この事は、はっきりと意識する必要があるし、日本の基盤思想と相いれない事も了解しながらの対応が必要なのだ。逆に言うと、完全に他国基準に合わせる必要はないし、合わせるべきでもない。

日本の文化基盤を考えると、絶対神とは対極的な八百万の神を抱く多神教基盤にあり、多様性を前提として、和をもって貴しとなす、万事公論に決すべし、と連綿と連なり、個々の価値感を容認しつつ、民主的に全体の方向性を決し、個人の価値感を超越した協力体制が築けるという基盤を有するのだ。

ワクチン接種に置き換えると、個々の価値判断は容認し、その事で差別化せず、社会全体の方向性を定め進む事が出来るし、日本に相応しい。そして、海外の価値判断も同時に容認し、適合させる部分は適合させ、ある意味節操なく、柔軟に対応していく。その為に、ワクチンパスポートは必要になるだろうが、国内利用は極めて限定的である必要があると結論する。

国家や民族は、自らのアイデンティティを失うと衰退に向かう。

今、日本は国際社会から、社会不安状態に見えている。それは、公論が成立せず、論理無用の感情論が正論を打ち負かし、政府政策にまで負の影響を及ぼしているからだ。歴史的には安保闘争に似た自らの絶対正義を打ち出す暴力性、国際連盟を脱退させ好戦的に向かわせた世論を醸成した言論環境と似た状況ではないだろうか。これは危険なのだ。

絶対正義を抱く論理を超越した排他的思想は、日本の根底には本来存在しない。

一つ一つ事実に向き合い、論理的思考による是々非々の言論環境を取り戻さねばならないだろう。