ざわつく世間、危機煽りの限界露呈 冷静になれば為すべきことは明確だ

 東京都の新規感染者数が800人を超えて、この世の終わりの様な報道、感染拡大を政府の責任する無責任な専門家発言が相次ぐ。どうしたらいいか、政府のメッセージが欲しい、強力な対策が必要だ、と言い続けるメディアだが、同時に若者にはメッセージが届かないと責任を転嫁する。パニック状態の収拾がつかないデマが世の中を覆う危機的状態。ここは、冷静に原点に返るべきだ。原点とは、感染症対策の学術的原点ではなく、日本が当初より示した対応方針の原点である。

 感染症対策の学術的常識は、感染ゼロ化、完全封じ込めを目指すのが前提である。それは、致死率が高い、最悪の感染症を前提にするから当然と言えば当然だ。しかし、新型コロナ感染症は、感染力は高くとも、致死率は低いという事実は既に周知であるし、実は日本は当初より、その実態を見抜き、完全封じ込めでなく、管理抑制方針、つまりWithコロナを目指している。

 この管理抑制方針と完全封じ込め方針は根本的に異なるが、メディアの殆どは完全封じ込めから抜けられず、メディアで発信する専門家の多くも同様の発信に明け暮れている。国民目線から見て、分かり難いのは当たり前だ。この二つの違いで平行線となり、実際に取るべき策と、メディアから流れる情報が異り、交わるところが無いからだ。訳が分からない、どうしたらいいか分からないと、危機感を感じるのは当然と言えば当然なのだ。この二つの違いは、学閥、派閥の違いが強く影響を及ぼしているとの説もあり興味深いが、それは後日考察するとして、今現在、各個人はどういう行動を心がけるべきかを簡単に示したい。極めて簡単、次の二つを心がけるだけで良いのだ。

① 自分自身が感染者である前提で他人に感染させない予防策を実行する
② 市中どこにでもウィルスが存在する前提で、自身が感染・発症しない様に予防策を実行する

 この二つに尽きるのだ。上記2点を前提にすれば、会食はどの様に対応すれば良いか、普段の行動はどうするべきか、どういう店を選べばいいか、各個人が責任感を持った行動を心がければ良い。何をすればいいか分からない、というのは無責任と認識し責任ある行動を取る事。こんなこと既にやっている、というのであれば、今まで以上に継続すれば良い。

 この感染症は、感染力が高いと言っても、それ程無尽蔵に感染するものではないことも分かってきている。勿論、上記の行動を完全に実施しても、不幸にも感染してしまう可能性がゼロではない。世の中でゼロリスクはあり得ないのだから仕方がない。しかし、限りなくゼロに近くリスク低減する努力は出来る。それが上記2通りの行動指針だ。

 それでも、世の中は法律すら守らない事件も発生する。国民全てが良識ある行動を取る訳が無い。それ故、一定の不正行為のリスクは存在し、それ故の感染は発生するだろう。それは社会リスクとして一定受容しなければならないだろう。人権制限に及ぶ程の強制的な行使を実行しない限り防げないのだから。

 ワクチン接種がアメリカや欧州で始まった。まだ、安全性確認が不十分な状態でも、背に腹は代えられない状況で一定のリスクを受容することを国民も了解して始まっている。日本では、このリスクは取れないだろう。何故なら、ワクチン接種のリスクを受容する程、感染拡大のリスクが高まっていないからだ。この事実からも、日本の現時点の感染拡大状況は大騒ぎする状況ではないことを冷静に理解しなければならない。もし、本当に危機だというのなら、ワクチンを特別認可して年内にでも接種開始する様に各方面から迫るべきだろう。その気がないのなら、煽るべきではない。

 では、東京都の800という数字はどう考えるべきか。実は、忘れているかもしれないが、小池都知事は1か月前に1日1000人の新規感染を想定した医療体制整備を語っていた。肉薄してはいるが、そこからはまだ8割である。実は私の予測でも、東京都で1日1000、全国で5000というピークを想定していた。しかし、現実は拡大の中途で一旦収束に向かう兆候を確実に示した。そこから再拡大を示し、少しだけピークシフトした状態で現時点の東京都800という数値になった。このことは事実だ。

 私は不思議で仕方がなかった。一旦収束を示しながら、再拡大を示し始めた要因が必ずあるはずだと。それがあったのだ。そして、そのことを事実と受け止めた瞬間、愕然とした。私が『ファクターXの正体』でテーマとした事象が発生しているのだ。ここのところ民間の検査機関がビジネスとしてPCR検査をかなりの規模で始めている。そして、私はある場所で、GoToを利用した宿泊所でどんちゃん騒ぎをする団体と遭遇した。話を聞いてみると、全員PCR検査で陰性だから大丈夫だと言っていた。これなんだ、最大のリスクは、と確信した。

 症状の無い人は、本来検査など必要なく、自身が感染している前提で行動をすれば問題ない筈だが、陰性という大義名分を与えると、人とは弱い動物であり、大なり小なり緩みが発生する。その中に偽陰性者が存在する限り感染リスクが増大するのは当たり前なのだ。陰性という大義名分があれば、症状があろうとも大丈夫と思い、無理をする。だから、無暗なPCR検査は今すぐやめるべきなのだ。海外とのビジネス等、必要に迫られる場合に限り必要悪として認めるとしても、少なくとも陰性という結果は全員偽陰性と思え、ぐらいの注意喚起が必要だろう。だから、全員感染している前提の行動が必要なのだ。

 数字に話を戻そう。800という数字に恐怖を感じる。しかし数字とは怖いもので、何が危機となる基準なのか、曖昧で感情に影響されてしまう、その原因は、目標としての設定数値、基準としての数値が設定できていないからだ。いやいや、ステージを分ける数値設定はしていると言われるかもしれない。しかし、その数字をよく見て欲しい。危機的状態を想定して設定したものではなく、その時点の数値を基準に、少し増やしたところの数字設定をしているに過ぎない。経営を少しでもかじった人ならお分かりだろうが、客観的理由のある目標数値設定ではなく、現状からの見えている範囲で積み上げた数値を目標にしてはならないのである。

 では、本来ステージ4などの危機的状態の数値をどう定めるべきか。現状ありきではダメで、諸外国の危機的状態から導いた数値設定にするべきなのだ。勿論、そこまでは行きたくない方針の元、諸外国の状況の半分や3割減などに設定すればよい。現状からすれば、遥かに余裕のある数値となるが、危機との差はそれだけ余裕があると言う現実を理解するために必要な数値なのだ。それでは、その前に医療体制が崩壊するというのなら、崩壊しないぎりぎりはどういう数値になるのか、を基準にしても良い。病床数、医師数は諸外国と比較して最優良なポジションを示す医療先進国である日本が、本当にどういう数値で医療崩壊が起きるのか、そこを数値設定すればよいのだ。

 医療崩壊、逼迫していると危機感を煽る。事実、医療の現場は大変だろう。箱モノを整えても、対応できる人間の数が少ないと専門家は言う。だから、現時点で既に医療崩壊なのだと。

 100歩譲って、今の状態で医療崩壊ということを認めてみよう。それは諸外国と比較して医療後進国、脆弱な体制である証になるだけなのだ。その事実に、真摯に向き合って、強化対策を計画するのは政府ではなく、医療業界の務めではないのだろうか。これは強力な皮肉だが。

 今、医療崩壊を防ぐ方法は簡単だ。大阪の様に、専門病院を作る事。そして、そこの医師や看護師を調達する強制力を政治が持つことだろう。任意で希望者を集めようと言う通常時の考え方では無理なのは当たり前で、危機管理状態であれば、危機対応に相応しい強制力が必要なだけだ。絶対数は不足していないのだから全体としては賄えるはずだ。現状ある病院の病床を少しずつ、コロナに割り当てて確保するのでは簡単に崩壊するのは当たり前だ。

 もう一つの方策は、高齢の入院患者、要介護状態の患者の介護を担当する介護師も雇用することだ。医療の聖域として、看護師が介護まで担当する様では、看護師の負荷が膨大に増えるだけでなく、サービス面の不備にもつながる。これは実は重要なポイントでもある。

 医療崩壊だ、とメディアで吹聴するのではなく、この様な対応をすればここまでキャパを拡大できると提案する役割を担うのが専門家ではないのか。他責を追求する前に、自責の範囲を全うする、或いは更に前向きに提案することが経営視点では生き残りの条件なのだから。