ワクチン接種証明書無くとも経済活動再開は可能

新型コロナ分科会の尾身会長が「接種証明 議論の時期迫る」と以下の様に発信した。

・9月の末、10月中頃には希望者へのワクチン接種が完了する

・ワクチン接種が国民の7割になっても感染が下火になる事は絶対にない

・ワクチン接種や陰性証明書できた人の経済活動再開

まず、ワクチン接種完了はその通りだろう、今でもおよそ1日100万回のぺースの基本的な接種と、そこに職域接種の上積みが継続実施されている。マスコミや一部の自治体の言う、ワクチンが止まっている、という事はマクロ視点では一切発生していない。

8月18日時点で2回接種完了が49百万人38.8%、1回接種が64百万人50.3%、つまり2回目待ちが15百万人と言う計算だ。この後、仮に1日100万回とすると、10月中旬まで60日間で6000万回接種可能なので、単純に1回目2回目均等とすると2回目接種79百万人62.2%、1回目94百万人74.0%となる。これでほぼ希望者は完了でしょう。

ワクチンの作用は体内にウイルスが侵入した後の抗体反応であるならば、感染後のウイルス増殖反応を抑制する効果なので、メカニズム的には感染が下火になる事はない。その通りなのだ。

感染後の発症を抑え、重症化予防になる事は間違いないが、PCR検査では陽性検出され、マスコミ報道の新規感染者数に数えられるのだから、下火にならないのは自明だ。

但し、発症を抑えるという事は、他人に感染させるウイルス量以下に抑え、実行再生産数としては減少させる効果もあり、結果としての感染縮小、正確に言うと陽性検出数縮小になる事は予想される。

しかしよく考えて欲しい、インフルエンザも例年1000万人規模の感染者が報告されていた。それはPCR検査ではなく、発症した人が診察を受け、抗原検査の結果なのだ。もし、コロナと同様のPCR検査をしていたら、その何倍の陽性者が検出されるだろうか、計り知れない。夏季でもひょっとすると大流行があったかもしれないのだ。

以上の様に考えると、尾身さんの話はここまでは同意できる範囲だろう。しかし、次のワクチン接種や陰性証明書の出来た人の経済活動再開には真っ向異論がある。

<ワクチン接種証明書の目的は>

科学的に言うと、ワクチン接種しての効果は抗体生成量に依存するのであり、個人差がある。ワクチン接種は、YorNのデジタル判定だが、抗体生成量はアナログ値であり経時変化もある。だから、本来YorNで判定してはならないのだ。

従って、個々人のワクチン接種有無で経済活動への参加承認とするのは非科学的で非論理的なのだ。諸外国がワクチン証明やPCR陰性証明などを求めるは、宗教的文化的背景を考慮すれば、判断基準に曖昧さは許されず、白黒判定を求めるからだと理解すべきだ。しかし、日本は全く異なるはずだ。国際交流に必要だというのは分かるが、国内の施策に転用する意味が不明なのだ。

民間事業者が顧客を選別する事は営業の自由だ。従って、「喫煙者の来店お断り」「ドレスコードを守らない方の入店拒否」等は一般的にも行われており、差別ではない。それと同様に「ワクチン接種者のみ入店可能」とする考え方を主張する人もいる。それは自由だろうが、何の意味があるのか首を傾げるだけなのだ。

喫煙やドレスコードは顧客サービスの一環としての環境保全となるが、ワクチン接種有無は果たして感染リスク低減の環境保全になるのか。前述の様に、感染は抑えられないのだから意味が無いのだ。

この辺りの簡単な論理を取り違えるのは、自分が感染するリスクと他人に感染させるリスクを混同してしまう事、社会的規制と民間のサービス制限と混同してしまう事が原因だろう。はっきりと分けて考えないとリスク対応等語れないのだ。

間違って欲しくないのは、筆者の主張は、ワクチン接種証明など無くとも、普通に経済活動を再開させるべきだと考えている。それが出来るだけの効果がワクチン接種にある事は、重症化率や死者数のデータから明らかになっているのだからである。社会としての安全性は確保されるのであり、安心の為だけに非論理的にワクチン証明を求めるのは弊害が無視できなくなるのだ。

<他との比較でないと実態は見えない>

新型コロナに関して、他の病気と比較して語られるべきである。これまでは正体不明だったかもしれない。しかし、今やほぼ正体は見えており、臨床実績も積み上がっているので、他の病気と比較できるはずだ。

コロナだけ特別視している例は数限りなくあるが、いくつか確認してみる。「急激な悪化」がその一つである。当初は恐れられたが、肺炎症状がステルス性で進行し自覚症状少なく悪化してしまうというメカニズムも報告された。つまり、急変ではなく、悪化を自覚し難いというのが正確だ。ならば、自覚症状ではなく進行状況を正確に把握する事が必要になる。

対策としてパルスオキシメーターで酸素飽和度を観察、尿検査で確認する等の対策が報告されている。何より、医師が診察し適切な判断を下すのが何より最善策なのだ。ところが、未だに必要以上に「急速な悪化」と必要以上に正体不明と煽り続けているのは良くないのだ。

患者の意思での入院希望を優先する声が大きい。恐怖に煽られ、精神的にも弱った状態で、自覚症状が悪化すれば人間は弱気になる、症状も更に悪化しかねない。しかし、他の病気ではあくまで医師の判断の筈だ。

だから、町医者が普通に診療し、様子見なのか、投薬なのか、緊急入院なのか判断する必要があるのであり、素人の判断ではない。それが日本の医療体制の強みの筈だ。それを実践されているのが尼崎の長尾先生であり、この対応を後押しする為に5類相当への変更が有効なのだ。反対するのは患者視点が欠落していると言っても過言ではない。

そして「PCR検査絶対主義」も未だ特別視の典型事例だ。

PCR検査とは疫学的調査や科学分析に使われる分析実験手法であり、決して臨床診断に使われるものではなかった。確かに、強毒性の感染症の様に、隔離政策が基本になる場合は、有効なのだろう。しかしあくまで治療目的ではなく隔離目的である事を忘れてはならない。

これまで確定診断として臨床に使われていたのは、感染力のある発症者が保有するウイルス量に反応する抗原検査であり、新型コロナの初期はどちらかというと症状の進行を確認するCTが使われている。現場の臨床にPCR検査は必要ないのだ。「PCR検査絶対主義」の弊害で、患者への医療措置が遅れるのである。ここでも、抗原検査で早期に確定診断し投薬等の措置を行えば、確実に早期医療となり、他の病気と同様在宅療養で重症化も防げるのだ。

<終息に向けて>

それでも、冬季にはまた感染が拡大するだろう。発症すれば医者にかかり、抗原検査で判定され、医師の判断で治療される。発症者は、出勤や活動は一定期間停止する。などなど、現行のインフルエンザと同様の対応にすればよい。

ワクチン接種で、重症化、致死率は大幅低下している。感染が爆発的に拡大しても、現時点の数で言うなら年間1000万のインフルエンザやそれ以上の風邪と同等以下である。致死率もインフルエンザと同等以下になってきた。ならば、ワクチン接種証明書なんて不要、普通に社会活動を活性化させるべきなのだ。

そして、3回目のブースター接種というよりも、ある程度の定期的接種の目途が立つだろう。インフルエンザと同様の体制になれば、変異やワクチンの効果期間など関係なく、収束でなく終息となるだろう。