安部元首相暗殺事件は安全保障の観点で語るべき

安部元首相暗殺事件に関して安全保障の観点で語るメディアがほとんど皆無だ。なぜだろう。

日本の周辺環境は言わずと知れた一触触発の状況である。中露の日本周辺海域での軍事行動は激増している。北朝鮮のミサイル実験も今年に入り増加しており、ロシアの代理実験も含まれるとの憶測もある。とても平和ボケしていられる状況ではない。

その様な状況下で、国際社会に大きな影響力を未だ持ち続ける安部元総理が暗殺されたのだ。その客観的事実をつなげた調査分析は必須であろう。

もちろん、現段階で特定する様な情報はないかもしれないが、決して陰謀論ではなく、現実の安全保障観点で考えれば、最大のリスクとして想定し、徹底的に調査・情報分析し、その可能性がなければそれはそれで良しとするべき事態である。それがインテリジェンスであろう。

もちろん、特定の国家に限らず、国際社会におけるあらゆる過激組織、国内における反体制組織団体関与の可能性を否定せず捜査する必要があるのだ。

恐らく国家としてはその様な視点での捜査は実行しているのだろうと期待している。当然関連国、例えば米国なども全力で調べているはずだ。当然だろう、自国の安全保障に影響を及ぼしかねない事態なのだから。

その構造を考えれば、奈良県警が捜査を担っているのはほんの一部でしかなく、犯人からの聴取が全てでは決してないのだ。その一部がリークされメディアで実しやかに動機や真相と伝えられているが、全く現実の全体像とはかけ離れている様にしか感じられないのが現実だ。国際的影響力のある政治家の暗殺を個人的な怨恨による殺人事件の様に矮小化して報道するのは、私には奇怪にしか感じない。

<メディア報道のどこがかけ離れているか?>

まず動機だが、メディアの伝える動機は、母親が統一教会に入信し破産し、自身の生活も崩壊し恨みを持っていることである。しかし、それは20年も前の話でありその後の時間経過の中で恨みが増長し犯行に至るまでのつながりが薄すぎる。そしてなぜか恨みの対象が宗教団体の人間ではなく、安倍元総理に向いたのかの説明もビデオメッセージだけでは根拠薄弱過ぎる。しかも衝動的な犯行ならまだしも、計画的犯行なのだから、それを支える強い動機が必要と考えるのが自然だろう。

冷静に考えて欲しい、この種の恨みを動機とするならば、日本中に他にどれだけの犯人予備軍が存在するか計り知れないだろう。それでも大多数は犯行には及んでいないのだ。

筆者自身も複数事例、身近で見て来た。学生時代の先輩が統一教会に洗脳後拉致されたのだ。親御さん及び周辺の関係者の方々が奪還作成を実行し、救出後逆洗脳した事件を目の当たりにしている。また別の事例では、統一教会ではないが、クラブの後輩がある宗教に入信し、クラブ活動が信仰上の事由で困難になる事態に陥った。その時、宗教団体の本部に乗り込んだが、「神の思し召し」とか繰り返されるだけ、暖簾に腕押し状態で、彼のクラブ活動復帰には至らなかった。

この様に、世の中には、少なからず、宗教による生活への悪影響の側面、被害者が存在する事実は理解しているつもりだ。

繰り返すがこれが動機なら、他に有象無象の犯人予備軍が存在する。しかし、恨みを持つことと、犯行に及ぶことには大きな隔たりがある。犯行に及ぶには、何か協力に背中を押す何かがなければ人はなかなか犯行には及ばないのだ。計画的犯行となれば尚更だ。その背中を押す何かが、真の犯行の動機のはずだ。

今のメディアが伝える宗教による被害を殊更喧伝する事は、犯行の真因を紛らわし、安部元首相が宗教法人に関わった事が悪の様に印象操作をし、被害者のはずの要人を貶める様にも見えてくる。『アベガー』『アベシネ』『安部は人間でない』『安部が安部である限り許さない』など、生前繰り返された事実無根の誹謗中傷、暴力的なヘイトの延長線上にあるとさえ思える。

国際社会の反応が、改めて安部元首相の偉大さ、為してきた偉業、国際社会での影響力を物語っているのだが、なぜか日本のメディアや一部過激な人達は決して認めたくないらしい。

百歩譲って、その様な方々も思想信条は自由なので(暴力的なヘイト、根拠の無い誹謗中傷は許されないが)仕方がないが、私の周辺にも、根拠もなく『安倍さん嫌い』という人は一定数存在する。根拠もなく、印象だけであり、説明しても聞く耳持たず感情的に『そんなの知らない』と言う。少なくともこの種の人は目を開いて、自分の頭で考えて欲しいのだが。

さて話を戻そう。今回の暗殺事件だが、東スポが関連団体の存在をスクープした。正直、事の是非は現時点で不明であり、情報源も分からない。それでも、この種の可能性を一つ一つつぶし、シロならシロとする作業が絶対必要不可欠だろう。

大勢存在する実行犯予備軍を上手く取り込み、時には洗脳し、背中を押す事で自らの手を汚さずに犯行が成し遂げられたのならば、これは反体制勢力としては方法論として見逃さないだろうし、日本も国家としての大きな脆弱性になる。敵対国家も見逃さないだろう。だからこそ、そのスキームを解明し対処する事が必要なのだ。

<その他も同様の問題構造にある>

安部元首相の演説に暴力的妨害が常態化していることはよく知られている。しかし、それに対処したら言論弾圧として警備側が敗訴する様な判例も生まれてしまっている。この様な暴力的妨害に異を唱える一般人が撮影していたスマホを破壊するような暴力事案も聞こえてくる。この様な状況では要人の警護は覚束ないだろう。

何より最優先するべき、安全保障の観点で事に当たらないと、本当に国家の脆弱性が高まるばかりだろう。

確かに要人警護の観点で言えば今回の暗殺を防げなかったのは大失態である。抜本的な対策のみならず、責任追及は必要だろう。しかし、本当に実効力のある要人警護を実施するために反省しなければいけないのは警護体制だけではなく、暴挙を許す土壌にもメスを入れる必要があるだろう。

『アベシネ』『安部は人間でない』『安部が安部である限り許さない』などの暴力的言動を例え権力者に対してでも容認してしまう社会環境は決して建設的にはなれないだろう。

そういう意味で、日本にもインテリジェンスの機能強化は必要不可欠だろうし、スパイ防止やテロを計画段階で本気で防ぐための法整備、体制構築は待ったなしなのだ。