ワクチン接種後のマスク着用に関して

ワクチン接種先行国では、接種後はマスク着用義務の免除と言い出し、最近のバイデン大統領はマスク姿でなくなってきた。ファウチ氏疑惑問題等も含めて、大統領選挙戦術でしかなかったとも疑われる掌返しにも思える。本音では余程マスク着用したくなかったのだろうとも想像でき、外す言い訳が欲しかったのであり、少なくとも科学的な検証結果とは思えないのだ。

一方で、日本のテレビ出演する専門家達は、ワクチン接種後も100%感染を防ぐのではなく、暫くはマスクを外すべきではないと、相変わらずのゼロリスク神話に基づく非科学的な見解を発信している。結局、ワクチン接種が進み、感染者が季節性感染症と比較しても桁違いに少なくなってからでないと怖くて怖くてマスクは外せないというのが主旨の様だ。

今や、インドも感染が収束に向かい、結局変異株の強毒化はデータでは否定された。つまり、感染力が高まる自然の変異は発生しても、未だ強毒化を示すデータは無く、日本でも決して重症化率は高まっておらず(寧ろ重症化率は低下傾向にある)、『・・かもしれない』『・・の可能性がある』という根拠のない煽りは、相変わらず何一つ実現していない。

8割おじさんが再び、夏に緊急事態宣言の事態に陥る可能性があるとの発表を行ったが、よく聞くと、大阪で起こった感染拡大と同じ事が東京で発生した場合との前提であった。2週後はニューヨークになる、と言われ続け、確か今回の緊急事態宣言発出時も『東京は大阪と同様になる可能性があるので様子を見たい』だったはずだが、その様な事は起こらなかったのに、また大阪と同じ状況になるとは、正気とは思えない。

数学的には、パラメータが間違っていると言えるのだが、もう少し現実的なパラメータ設定でないとこの様な出鱈目が続くだろう。素人は騙せても、少し数学や物理が理解出来れば何が間違っているか一目瞭然なのだから。

結局、この様な社会情勢では、掌返しが起こらない限り、永遠にマスク着用は非科学的同調圧力として継続されるだろう。掌返しとは論理性を持たない行為なので、予測不能である。それでは検討が何もできないので、これらの事情を除外して科学的論理性を元に、ワクチン接種後マスク着用が必要かどうか検討してみる。

<前提条件の設定>

ワクチン接種後のマスク着用の必要性を議論する前提として、次の二つの要素は検討から除外する。それは、そもそもマスク不要論とマスク絶対論の両極の論である。この両極の論に与した瞬間に、全ての検討は無になり議論が先に進まなくなる。あくまで現在マスクを着用せざるを得ない状態であり、かつ出来うるならば着用による悪影響も考慮に入れ、マスク着用しないに越した事はないという前提に立ちたい。

その場合、そもそもマスク着用が必要になっている理由、言い換えると、マスク着用の効果から整理する必要がある。

マスクの効果として、自分が感染しない為の予防と自分が無症候感染者である前提で他人に感染させない予防と言う二つの側面がある。実は、巷の意見はこの二つの側面をごっちゃごちゃにしている事が多い。事実、以前の筆者の投稿に対するご意見もいつの間にか、この二つが入れ替わってしまう言われ方があったと記憶している。それでは論理性が一気に欠落してしまうので、明確に分けて検討したい。

<他人へ感染させるリスク低減効果面>

まず、自分が無症候感染者である前提で感染を広めない効果に関して検討する。

この場合、感染力のあるウイルスを大量に含んだ飛沫を撒き散らす事を防ぐ効果がマスクにはある。勿論、ゼロ化出来る訳ではないが一定の比率で飛沫の飛散量を減少させるので感染抑止に効果があるのだ。

この事を仮に数値で示すと、0.1%の市中感染率と想定した場合、無症候感染者はおよそ0.09%と想定出来、1人平均1日100万のウイルスを発散させるとすると、マスク着用でウイルス30万に減少させる事が出来る。ウイルス飛散指標値として、30万×0.1%=300となり、有症者が出歩かない前提だと、270まで減少する。

ではワクチン接種が進みどう変化するか。基本的メカニズムから考えても、感染を抑止するのではなく、感染してもウイルスの増殖を抑え、重症化を低減する。つまり、感染率は同様の0.1%であるが、有症状者が10分の1に減少すると考え、無症候感染者は0.099%に高まるだろう。

また、ワクチンの効果はウイルスの増殖を抑える訳で、1人平均1日に発散するウイルス量も減少するのが当然だ。この数値を仮にワクチンの効果で試算すると、ウイルスの飛散量は10万に減少させることが出来る。ワクチン接種100%とすれば、10万×0.1%=100となり、有症者が出歩かない前提では、99となる。接種率が80%とすれば、1000×20%+99×80%=279.2、有症状者が出歩かない前提で276.4まで減少する。

1年間の知見では、有症状者が出歩かない想定は無理があると考えられるので、その場合ワクチン接種でマスク着用以上の感染抑止が可能であり、例え有症状者が出歩かない前提でも大差はない。つまり、少なくとも全員マスク着用の必要性はなくなる。

かなり仮の設定の部分もあるが、8割おじさんよりは妥当性のある設定だと自負している。

<自分が感染するリスク低減効果面>

次に、自分が感染をしない予防観点での検討だ。

ウイルス暴露環境において、マスクがウイルスの吸引を防ぐのは、飛散と同様で70%削減出来るとしよう。但し、この一旦防いだウイルスはマスクに吸着されている。短時間の厳格なマスク着用運用が為されていれば良いが、1日中着用の現行ルールでは、大部分の人は、マスク表面に手で触れて接触感染のリスクを増大させている。折角、防いだマスクがウイルスのアンテナとなってしまうリスクがある。従って、実はマスク着用の効果は元々極めて限定的なのである。

一方で、ワクチン接種効果の方は、ウイルス曝露時に感染抑止にはならないが、無症候で気付かず治癒する確率が高まり、結果として見た目の感染率も減少する。つまり、マスク無くとも大丈夫といって良くなる。

<結論としてのマスク着用の必要性>

この様に考えると、ワクチン接種が相当な率で進めば、基本的に全員マスク着用は必要ない筈だ。但し、インフルエンザと同様に、有症状者は感染有無関係なく出歩かせない、止むない場合も少なくともマスク着用を義務化、感染者検出場所やその近辺の領域など疑わしい場合には一定期間のマスク着用など、現行のインフルエンザルールを応用する必要はあるだろう。

筆者の周辺でもよく見かけたが、有症状でありながら平気で外出、活動したり、マスク着用を指摘されても自分は大丈夫と拒否する人を許さない事の方が余程重要だろう。そして、マナーとしての咳エチケット、手洗いうがいの励行を継続すればマスクを手放す事は科学的には可能だろう。

注意する必要があるのは、ワクチンパスポート等の行動の許認可にワクチン接種の有無を用いてはならない事だろう。接種不可の人も存在し、接種のリスク判断も個人により異なるのだから、これは絶対にやるべきではないのだ。従って、マスクも社会としてのワクチン接種率の状況での判断であり、個々人の接種有無の判断に委ねては決してならない。マスクも全員マスク不要が基本なのだ。

既得権益に血眼な医療系専門家の危機煽りと、メディアの世論誘導による同調圧力、一部の政治利用勢力の非科学的政府攻撃活動さえなければマスクから逃れられる日は遠くないだろうが、実はこの3要素は障壁としては極めて高い。これを乗り越えるのは、世論として形成する国民の声が、冷静に、科学的論理性を以って、自分の頭で考えるという基本行動が浸透した結果になる事だろう。

何のためにオリンピックをやるのか?

何のためにオリンピックをやるのか、この問いかけが昨今実しやかに語られている。尾身会長がその様に発信し、元大阪府知事橋下氏まで同調している。この問いかけに答えられないから、国民の納得が得られないと。

<目的は皆理解しているはずだが、敢えて語ると>

スポーツや文化を目的論で語る事に、私は違和感を感じざるを得ない。心豊かな暮らしを育む為、心身ともに健康である為、人間らしく生活する為、等という言い方でいくらでも語れるし、スポーツや文化、芸術を奪われた生活を無味乾燥とは思わないのだろうか。恐らく、緊急事態だから優先順位が低いと片づけられてしまうのだろうが、本当にそれでいいのだろうか。

本当に人間が究極の危機状態に晒された時に、すがるものが必要ではないのだろうか。ある意味、宗教も同様かもしれない。人間生活において様々な苦境を乗り越え、精神的な支えとする宗教を、こんな危機状態だから意味が無いと言う人はいないだろう。何の目的で神にすがるのかはっきりさせろ、と問われても論理的回答など有り様が無いだろう。

百歩譲って、目的は百も承知だが、緊急時なので優先順位が低くなるはずだと言いたいのならば、『何のため』という、そもそもの目的を疑う様な言い方は、間違いである。

東京五輪大会関係者は、およそ10万人だが、それはスポーツ界における頂点の人達だ。その頂点で戦う姿、活躍が無ければ、底辺の拡大は成立しない。トップ選手を見て、感動し、次の世代の子供達は自分もああなりたいと夢を抱く様になる。日本女子プロゴルフ界が黄金世代やプレミアム世代と活況を示し始めているが、これは宮里藍選手に憧れた世代(親も含めて)であり、大きく影響を受けている。そして、大リーグに挑戦し成功した野茂選手の活躍があって、今の大谷選手が存在する。

トップ層だけではない。ジュニアアスリート層などへの影響、底辺の拡大、普及に確実に繋がる。当然、ジュニア世代などは、人間教育の視点も含まれるし、他の世代では、自身の参加による健康促進、観戦による心の健康促進等様々な波及効果がある。この正の連鎖現象を長い目で見て支えるのがオリンピックに他ならず、底辺含めた多くのアスリートたちが夢として目指す場所であり、社会全体にも大きな影響をもたらしている。これを奪うべきではないだろう。

勿論、その中でスポーツビジネスと言う観点での経済活動も拡大するだろうし、そうする事で、トップ層の引退後や関連企画、周辺技術等も含めた多くの雇用も生み出す。金まみれと言う批判もあるが、スポーツがビジネス化し経済効果を産み出す事は、決して悪い事ではない。悪いとすれば、その利権を既得権益層が独占する事であり、効果を産み出す構造を破壊する方向に向かうのは本質的問題解決ではなく、産業構造としての自由化、オープン化を目指す事で解決すべきなのだ。既得権益構造が存在するから、その業界をつぶせと言うのは、暴論なのだ。

<非科学的な・・・かもしれない>

ここまでの話は、反対派の皆さんには聞く耳すら持って頂けないかもしれない。自身がスポーツ文化との関わりが薄かったり、興味が無ければ尚更そうだろう。その方々に理解を求める事は出来ないだろうし、価値観を変える等と奢った考えはさらさらない。しかし、よく考えて欲しい。そういう方々は、文化や芸能にもそういった理解を示さないのだろうか。宗教に拠り所を求めたりはしないのだろうか。少なくとも、五輪を夢見、目標とし、人生をかけている人々も選手だけでなく多数存在するのであり、その存在を認め、多様性を尊重すべきではないのか。五輪悪論で苦しみ、悲しむ人達が世界中に多数存在する事を忘れないで欲しい。

反論として、人の命が優先すべきと言う論をよく聞く。命より大切なものはない、それは間違いない。それが故、五輪開催におけるリスク評価をするべきとの提言もある。全くその通りだろう、だからこそ真っ当なリスク評価を是非行って欲しいのだ。しかし、電波メディアで発言する多くの専門家と称する方々の言はリスク評価と言えるものではない事も認識しておかないと本当のリスクを見誤ると考えている。

昨年からずっと専門家と称する方々の予測が発信されているが、殆ど実現していない。それだけならまだいいが、実現しなかった事実を検証しフィードバックをすると言う、科学的アプローチが一切為されていない。『・・・かもしれない』とリスク評価をする上で絶対必要な発生確率を無視した、可能性論だけで、次から次に材料を見つけ出して、過去の反省もなく危機を煽っているのが実態だ。

この点は明確にしておきたいのだが、『可能性がある』と言うのは極めて非科学的発言で、正確に言い直すと『起こるかもしれないし、起こらないかもしれない』程度の意味でしかない。科学的にリスク評価する為には『何%の確率で起こり得る』でなければならない。この理由は明確で、『・・・かもしれない』では、根拠も論理もなく、何でも言いたい放題であり、本来は評価出来ないのだ。これを非論理的勝手理論と言う。

人流が増えて感染増と言う論理を持ち出すのならば、例えば、今迄の人流と感染の相関関係をデータとして示して論理性を担保する必要がある。『エビデンスはないが遠因になっている事は否定できない』この論理破綻が理解できない人は義務教育から学びなおすべきだろう。

反対の為の反対、多様性を認めない排他的で攻撃的な反対、根拠の無い『かもしれない』という恐怖に縛られた思考は、もう止めませんか?

<医療の自己防衛による分断構造>

日本のコロナ禍における緊急事態とは医療崩壊を防ぐ事が主目的だ。世界に誇る医療体制の、ほんの2%~程度しかコロナ対応をしていないのだから、例えば5%に上げるだけで危機は大きく減じる。ロックダウンを経験した様な先進国は一説では、約20%の医療資源を柔軟に再配分して、医療崩壊を避けたとの事。

確かに新型コロナが単なる風邪でない事は、高齢者の致死率等のデータから見れば明らかだ。しかし、逆に言えば高齢者、基礎疾患者、若者でも肥満や糖尿病患者などリスクの高い人達へのケア、重症化抑止対応を強化すれば、緊急事態は回避できるだろうし、その他大勢は、経済を回し、社会を活況化することが出来る。オリンピックも同様だろう。

専門家と称する医療従事者は、国民に我慢を強いる前に、医療体制強化を本気で拡充する事が職業上の責務ではないのか。現時点で、コロナ対応に追われ、日夜戦っている医療従事者の方々は、国民に我慢を強いる前に、大規模パーティーや寿司会食に興じる同業の責任者とその組織を徹底的に糾弾するべきではないのか。

今、スポーツ業界と医療業界が分断して何も良い事は無い。

スポーツ業界は、その価値を高めつつ、課題となっている既得権益構造に各団体、組織等、本気で向かうべきだが、そういう意味では組織委員会の組織改革などは一つの大きな前進であり、大会規模種縮小や関係者への様々な規制も前向きに受け入れている。

医療業界も、どう言い訳しようとも、先進諸国と比較して脆弱で劣後している事は間違いなく、本気で向き合う必要がある。政府や制度の責任にしてはいけない。業界の責務として、政治への影響力も強いのだから。

それぞれが、それぞれの役割と責任を全うし、他に迷惑を掛けず、他を支え、そして別ステージではあっても競い合う。そうあるべきだろう。

大坂なおみ選手の全仏棄権問題に見るアスリートとメディアの関係式

テニスの4大大会、全仏オープンテニスの会見拒否から、心の健康を理由に棄権となった。各メディアやトップアスリートがそれぞれの立場でコメントを発しているが、ワイドショーという環境に守られた無責任コメンテイター達は相変らず、どこかポイントがズレている発言が多く感じる。

<心の健康は現代社会の問題>

この問題は、決してトップアスリートに限った問題事象ではないし、テニス特有の問題でもない。現代の社会問題なのである。

まず、棄権に関してだが、複雑に考える必要は無く、物事は単純化して整理するべきだし、そうでないと本当の問題は見えてこない。

大会の場は、大坂なおみ選手にとって職場であり、そこでの仕事は試合だけでなく、記者会見などのメディア対応、ファン対応なども含めて全て仕事である。その仕事を責任持って実行する事が出来ない健康上の事由が発生して、棄権(休暇)するという事だ。

心の病気も病気であるし、職場を離れざるを得ない立派な事由である。従って、しっかりと療養し治癒させ、復帰プログラムを経て復帰できることを心待ちにしたい。否、こういう期待も心の病の回復には障害に成り得るので静かに見守るべきだろう。メディアも朝から晩まで報道するのではなく、事ここに及んでは静かにするべきだろう。

確かに、会見拒否から、棄権声明のSNS発信など、正直叩かれてもおかしくない表現もいくつかあるが、そこは心の病が故の所作と考えて大目に見ても良いだろう。

これは、アスリートの世界特有の現象ではなく、一般の社会、企業でも多数発生している現象であり心の健康を取り戻すべく対応する以外にないだろう。

会見なしで、プレーだけ出来る様に周囲で配慮、時代遅れの規則を見直すべき等と無責任に言う向も多いが、それは根本的に違う。会見に耐えられない病状で、プレーのストレスに耐えられるとは到底思えない。プレーであっても、自身の思う通りに行かない厳しい場面に出会うだろう、そのプレッシャー、ストレスを乗り越えて、正常にプレーを続け様とする事も、病状を悪化させる要因になり得るのだ。

繰り返すが、プレーと会見等セットで仕事であり、その一部が耐えられない状態であれば、その原因に向き合い、まずは適応できる様に回復を目指すべきなのだ。

<アスリートとメディアの関係>

トップアスリート故のメディア対応の負担だとか、記者会見で浴びせられる心無いインタビューの数々、それらの問題性を殊更極大化して取り上げるのも、本質的ではない。

念のため断っておくが、筆者はメディアの姿勢に関しては、問題性を孕んでいると、憤りを隠せない。数々の上から目線で自身が絶対正義であるかの様な振る舞い、言葉狩、揚げ足取り、人格攻撃等も多く見受けられ、人間的にも、社会的にも決して許されるものではないと感じている。それでも、今回の件で記者会見の方法論や、ルール化等に安直に結びつけるのは、論点のすり替えであり、本質的な問題解決に向かわず、筋が違う論点と考えている。

メディアの問題姿勢に対しては、問題提起はしつつ、自分自身が変える事の出来ない社会悪として、その存在を認識し、自己防衛をする事で対処する必要があるのだ。事実、トップアスリートだけでなく、ジュニアアスリート時代から、メディア対応は教育訓練の対象になっている。

ジュニアアスリートによる、大人から見たら問題発言に思える、天狗の様な発言、振る舞いに対してメディアが総攻撃する事案が過去に幾例も発生していた。ある程度、年齢を重ね、社会に出れば、コミュニケーションの方法や不必要に事を荒げない振る舞いは自然と身に付いてくるが、ジュニアアスリートはその力を備える前にメディア等に晒されるリスクがある。

ジュニアアスリートに対しては、学校やチームの代表としての認識、責任感を持たせ、普段の振る舞いから、メディア対応等も教育している。筆者が代表としてコーチを務めていたクラブチームの選手達も同様に教育を受けていた。学生アスリートなどがテレビのインタビューで、『そうですね・・・』と、決まり言葉から入る事を意識された事はあるだろうか。突拍子もない質問が飛んでくる事も想定し、いきなり答えるのではなく、同意を示しながら、冷静に考える時間を稼ぐ手法、身を守る手法の一つなのである。

ジュニアが自己防衛せざるを得ないという問題は孕んでいるものの、今回の大坂なおみ選手の件とは別次元で検討する必要があるだろう。

<スポーツ普及における共存共栄関係>

スポーツの普及には、底辺の拡大とトップ選手の養成、その両輪が必要不可欠だ。底辺が拡大普及してこないと、トップ選手は出て来ない。トップ選手が活躍しないと底辺の拡大が図れない。そして、選手自ら、地域密着、ファンサービス、普及活動や広報活動にも前向きに取り組む事で競技自体の普及が図れ、それによってアスリート自身の活動の場が確保できるという繋がりがあるのだ。

アスリートだって、他の仕事と同様、全て自分の自由になる訳ではない。思い通りにいかない事も多いだろう。上に行けば行く程、周囲に対する責任も重くなる。それは至極自然の事ではないだろうか。

また、スポーツの普及の為にはメディアの力は必要不可欠だ。ネットの拡販力も相当高まってきてはいるが、まだまだ電波系メディアには敵わない。従って、アスリートとメディアは利害関係者であり、共存共栄が必須の関係なのだ。

そして、昨今の社会問題でメンタルヘルスの問題は更に拡大してきており、アスリートも例外でなくなっているのだろう。これは、別次元で対応するべき問題なのだ。例え、自分自身と思想信条や主義主張が異なろうとも、多様性も尊重し、リスペクトする事が重要。その上で、記者会見も含めた言論空間では、論理性を保つと言う最低限のルールの上、スポーツ競技に関しては競技ルールに則って、遠慮なく全力で戦うべきなのだ。

オリンピックはできるのに、なぜ僕らの運動会はできないの?

この子供の疑問、問いかけに応えられないと、ネットで語られ、メディアでも多くのコメンテイターが同調している。嘆かわしい、大人の責任放棄としか言い様がない。筆者ならこう応える。

子「ねえ、オリンピックはできるのに、なぜ僕らの運動会は中止になったの。僕、楽しみにしていたのに。」

親「そうだね、楽しみにしていたのに残念だけど、今のコロナの状況だと、仕方がないね、もう少しの辛抱だよ。オリンピックはバブルというコロナが広がらない対策をするからできるんだよ。」

子「ふーん。じゃあさあ、運動会もバブルってやつ、やって欲しいなあ。」

親「ははは、そうだね、バブルができたらね。バブルっていうのは、泡って言う意味で、オリンピックの間中は関係者がその泡の中に入って、泡の外の人たちとは接触をしないんだ。だから、泡の外の人たちにはコロナが広がらないんだよ。もちろん、泡の中は毎日のように厳重に検査もするし、自由な行動は出来ないように制限するんだ。運動会でそこまでのことはできないよね。」

子「へえー、バブルってすごいんだ。」

親「そうだね、同じことを運動会でもしやったら、運動会の2週間ほど前から泡の中に入って、運動会の後もすぐには出れないんだよ。その間、家に帰れないし、お父さんたちにも会えない。習い事も出来ないし、お友達とも遊べない。そこまでできないよね。」

子「僕、バブルの中に入るのいやだ。でもさあ、オリンピックの選手たちは、いやじゃあないの。」

親「そうだね、うれしくはないと思うよ。でもね、選手たちは、自分のがんばりたいことを見つけて、ずっと前からがんばり続けて、ようやく世界の1番を決める場所でがんばることができるんだから、少々のことはがまんする意味があるんだよ。○○も何かがんばれることが見つかれば、将来できるかもね。でも、まずはいろいろ経験して、勉強も、運動も、習い事もがんばって、がんばれるものが見つかるといいね。」

子「うん、僕がんばる。でもさあ、お友達の△△君も言ってたんだけど、オリンピック反対だって言う人が多いのはなぜなの。」

親「そうだね。このバブルというルールをみんなが守ってくれるのか、本当にできるのか、心配なんだよ。」

子「ふーん。そういえば説明もないって言ってたよ。」

親「説明がないというのは間違いだね。プレイブックと言うルールブックが発表されていて、今でももっときびしくする必要があるかもって見直し続けているんだ。」

子「そうなんだ」

親「教科書にも書いてあって、授業でも教えてもらって、わからなかったら聞いていないと言ったらだめだよね。」

子「それはずるいね。復習しないとだめだって教わったよ。」

親「バブルのルールは、選手たちは守らないと試合に出れなくなるから、守ると思うんだけど、心配なのは新聞記者だとかマスコミだね。」

子「あ、僕知ってる。よく、人の家にまで押しかけたり、取材ってやってる人でしょう。確かに、あの人たち、ルールを守りそうにないね。」

親「そう、他にも守らなそうな人たちもいるんだけど、そういった人たちの人数を少なくするとか、ルールをもっときびしくするとか、最後まで考えているんだよ。」

子「でもさあ、大人なんだから、ルールは守らなくちゃ恥ずかしいよね。」

親「あとね、バブルっていうのは、今回が初めてではないんだよ。」

子「え、そうなの」

親「コロナが流行って最初は分からないことが多かったから、何もできなかったんだけど、この1年間でいろいろ試して、少しずつ、こうやれば感染を防いで、スポーツの試合ができるって分かってきたんだ。」

子「そうだよね。野球だとか、他の試合も今はやっているもんね。昨日、ジャイアンツの岡本選手のホームランすごかったなあ。」

親「そう、プロ野球などは完全なバブルではないけど、一部の選手でコロナを見つけたら、広めないルールを決めて、観客も入れてできているんだよ。サッカーだってワールドカップ予選とか国際大会もやれているよね。世界中で、いろいろ試していて、感染を広めないやり方は分かってきてるんだ。それに、オリンピックの他の種目もテスト大会をして本当にどこまでできるか確認してるんだよ。だから、他の試合と比べてもきびしいルールでやるんだよ。」

子「それなら安心だね」

親「それでも完全ではないし、絶対ではないから、最後まで、もっと安全にするにはどうすればいいか、考えているんだよ。」

子「わかった。それなら楽しみだね。」

親「うん、スポーツや文化は、人を元気にしてくれるよね。コロナの最初の頃は、不要不急ってひとくくりで言ってたけど、最近はスポーツや文化は人のくらしの中でとっても大切だって言われて、みんなが知恵を出しているんだよ。だから、緊急事態って言ってもイベントやスポーツの大会は感染対策を工夫して行われているんだ。」

子「ぼく、お芝居とかも好きだよ。おもしろかったり、楽しかったり、泣けたりするもんね。」

親「まだ、飲食店とかお医者さんとか大変なんだけど、もう少し、ワクチンが世界中に広まれば他のことも順番にできるようになってくるよ。そうすると、運動会もできるようになるね。じゃあ、まずは世界中の選手のがんばりを見て、応援して、元気になろうね。」

子「僕、◇◇を応援するんだ。メダル取れるかな?」

ワクチン接種、自己責任の判断基準について考える

ワクチン接種の是非について、各所からお問い合わせを受ける機会が増えている。ここまで明確な見解を避けてきたのは、余りにも判断基準とするデータや情報が少ない事による。しかし、いつまでも判断を避けられないので、現時点での情報を元に検討をしてみた。

マスコミがワクチンに関して発信する情報は、極めて偏向しており、知りたい情報、知るべき情報が殆ど発信されていない。ワクチンのデメリット面で発進され続けているのは、痛みだとか発熱程度の副反応とアナフェラキシーまでで所詮一時的なものばかりで、何故か本質的な問題に踏み込んでいない。

一般的に判断はメリットとデメリットを天秤にかけて評価する必要がある。まず、接種する事で得られるメリットに関して考察する。

<ワクチン接種によるメリット面>

メリットは、何と言っても感染抑止、感染した場合の重症化抑止、その結果としての致死率低下である。現在日本で承認されている、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカの3種だが、現在確認されている変異種に対しても、充分な効果が期待できる。一番低いアストラゼネカでも70%以上、他では90%以上というインフルエンザワクチンよりも高い効果が見込めるのだ。

但し、中和抗体が生成されると言う観点で前述の効果は語られているが、それで充分なのかと言う疑問は感じる。筆者は、その疑問を解消する文献や論文等に辿り着いておらず、現時点では効果は高いと考えている。

次のメリットは、集団免疫に近付く事だろう。間違ってはいけないのが、集団免疫を獲得したからと言って、新型コロナが消えてなくなる訳ではない。寧ろ逆で、常在化する状況だろう。つまり、普通の風邪と同じ様に、自然免役が弱った時に感染、発症し、数日で快癒する様になる。社会として、この状態になる事は大きなメリットであり、新型コロナを凌駕した、まさにWithコロナが実現できるので、集団免疫獲得は大きなメリットである。

最後に社会活動のパスポート化する事だろう。ワクチン接種証明を社会活動の認証に使う動きが海外で始まっている。日本でも間違いなく同調圧力により、同様の状況になるだろう。つまり、接種していないと、満足な社会活動に支障を来たすのだ。

筆者はこの社会構造に関しては問題意識を強く持っているが、だからと言って回避する事は難しいと考えている。拙著『ファクターXの正体Ⅱ』でPCR検査陰性証明書に関して問題性を語ったが、同様に、海外の場合特に、聖書一神教宗教圏の行動規範として、是か非か、契約で明確にする事で行動判断をする傾向がある。その悪影響で、PCR偽陰性の軽症状者が感染を拡大させ爆発的な感染をもたらしたと仮説した。そこに論理性は無くとも、文化の基盤を覆す事は困難である。ワクチンパスポートも同様だろう。これを持っていないと活動を是としない、契約の免罪符になる。日本では、社会的にそこまでは要求されないとしても、大なり小なり、個々人の活動内容によっては、持っていないと活動できない事も考えられるだろう。

<ワクチン接種によるデメリット面>

次に接種する事によるデメリットに関して論じる。

最大のデメリットは副反応、健康被害の可能性だろう。それも報道されている痛みや数日で解消する発熱、倦怠感ではなく、重篤な健康被害だろう。実は、この情報をメディアでは殆ど取り扱っていない。アメリカ、イギリスなどの報告を見る限り、凡そ100万回あたり18人から19人の死亡者が発生している。アストラゼネカの場合、100万人中2~16人で血栓症が発生しているとも報告されている。但し、ワクチン接種との因果関係が証明されている訳ではない。

また、ニューヨークタイムズが報じた情報によると、ファイザーなどのmRNAワクチン接種後の若年層から心筋炎が発生しているとの事だが、例年の同症発生頻度と大きく変わらず、関係性は見い出せていない。

では、日本ではどうなのだろうか。以下の表が、厚生労働省が公表している、ワクチン接種後死亡者(~2021.5.7)のリストから抽出して作成したものだ。

既に、39人の死亡が確認されているが、対象と筆者が付け加えた欄は、流石に溺死や誤嚥性肺炎はワクチンと因果関係は無いだろうと素人考えでも判断できる事案に×を付けさせて頂いた。その8人を除けば31人になる。

表を見れば分かるが、高齢者の死亡者が多く見えるが、これは対象の母数分布による可能性を考慮すると一概に評価は難しい。4月末までの総接種回数(厚労省及び首相官邸ページから取得)がおよそ400万回弱なので、100万回あたりの死亡は、10人前後と計算出来て、アメリカ、イギリスのデータと同等かそれ以下である事が分かる。

勿論ここまでのデータは、まだまだ接種初期の段階のデータに過ぎないが、接種の進む他国と比較してもそれ程異なる結果が出ている訳ではない事は言えるだろう。

また、この死者数は因果関係が明確ではないという問題はあるが、日本のコロナ死者数のカウント方法も同様に、陽性者の死者数をカウントしており、直接の死因に言及していないので、この数と比較してリスクを評価しても大きな間違いでは無いだろうと言う前提で比較評価する。

下表は、5月19日時点の年齢別死亡者数情報と人口統計の情報を元に作成した。

一番右の欄が、人口に対する死者の割合である。あくまで現時点での数字を示しており、今後増える事も考えなければならないだろうが、マクロ的にはこの数字でも参考になる。明らかに60台以上の年齢ではワクチンのリスクを上回る数字である。

一方で、日本の40台以下の層で、果たしてデメリットをメリットが上回るのだろうかと言う疑問がある。変異種で変化する可能性もあるが、可能性を言い始めるとキリが無い。現時点の変異種は、確かに大阪はリスク増に思えるが、拡大している他地区、特に東京では、今までと大きな変化が確認できないのだ。

誤解が生じ易いので繰り返すが、ワクチン接種後の死亡事案は、直接の関係性は示されておらず、例えワクチンを接種してなくても全く関係なく死亡していた事案かもしれない。恐らく、その可能性の方が高いだろう。しかし、一方でコロナ死者数のカウントも同様のカウントをしており、直接死因となる死者数ではないので、比較評価も可能と考える。正確な評価には、双方直接の原因となる数字に是正するべきだが、それは叶わないだろう。

G7先進諸国の場合、このコロナ死者数は桁が違う多さなので、デメリットが少々大きくても、ワクチンが救世主、ゲームチェンジャーになるのであり、日本が同じ評価を妄信するのは間違いで、状況に応じた判断を冷静に行う必要があるだろう。

健康被害のデメリットはこれだけではない。ファイザーやモデルナの様なmRNAワクチンは今回が人類初の大規模トライアルである。元々、mRNAは不安定で実用化が出来なかったのであり、一定期間安定した状態を保つ技術が施されて実用化に至っている。この安定化させる処理の悪影響の懸念は一部専門家から聞こえてきており、その評価は10年単位でしか確認できないだろう。その未知のリスクも僅かかもしれないが存在する事は知っておく必要がある。薬害とはそういうものだ。

<総合判断>

ここまでの評価では、高齢者は、接種のメリットが一定レベルあるだろうことが数字で示せた。基礎疾患者も同様だろう。しかし、若年層でのメリットは個人のものと言うより、社会安定性面にあると結論できるだろう。接種のデメリットは、未知の健康被害に尽きるが、これは、未知が故、正しい評価はできないが、社会活動にはリスクが付き物だと考えるべきかもしれない。それよりも、接種しない場合の同調圧力による社会活動上の制限を自分自身の活動に照らし合わせてどう評価するかが、残念ながら最も考慮する必要がある様に思える。

<心配すべきは日本の非論理的な同調圧力>

今の日本の社会情勢は、政治も含めて、冷静に科学的合理性による判断が行われず、少し数字に基づいて実態を語ると、揚げ足を取った言葉狩りの私刑が執行される不健全な世の中になっている。自殺者増や超過死亡数の減少など総合的に多方面から事態の緊迫度合いを検討すべきだが、その様な声はほぼ聞こえてこないし、完全にスルーされている。

しかし、そういう人達程、アフターコロナ時においては、不公正な訴訟が発生したり、10年後に薬害が発生した時など、掌を返して感情的に逆上するのだろう。今、これだけの同調圧力で他を圧するのなら、合理的には、その結果のリスクは受容されたはずなのだが、非論理的な感情論は刹那的なのだ。

ワクチン接種も、表向きは自己責任であるし、本当に接種出来ない人も存在する。それでもその様な見極めも充分に行わず、社会的な同調圧力は極めて強くなるだろう。

ワクチン先進国の接種後感染が収まったとはいっても、緊急事態下の日本とほぼ同じ感染状況なのだ。それでも社会は活性化しつつある。つまり、日本がワクチン接種後、ほぼ同じ感染状況であった場合でも、騒がず、社会活性化に向かうメンタリティーを持てるのであれば、集団免疫に向けた全員接種は意味があるだろう。その為には、メディアが今までの様に朝から晩まで、感染拡大だ、医療逼迫だと危機を煽り続ける事を止める必要がある。

この様な数字の場合、どこまでも無条件に相関性を有する変化を示す訳ではない。感染抑止対策でも、どこかで下げ止まる様に、飽和と言う現象が必ず自然発生する。過去の統計予測による最悪の事態等が一つも実現しなかったのは、この飽和と言う現象を考慮していない単純計算しているからだ。その様に考えると、アメリカやイギリスのワクチン接種による感染抑止効果と同じ率を日本が出せるとは、筆者は思っていない。これはあくまで予測なので、外れる事を期待するが、ワクチン接種後、それ程感染が減少しない事もあり得る。万が一欧米と同じ様な率で感染が減少しなかった場合、日本の同調圧力は、どこに向かうのか、心配で仕方がない。

大規模接種センター予約システムの脆弱性について

大規模接種センターの予約システムに朝日新聞出版と毎日新聞の記者が架空の接種券番号などで虚偽の予約をしたとして、防衛相が抗議した。

これに対して立憲民主党の枝野氏、福山氏などは、各メディア記者の行為を擁護し、防衛相を「システムの欠陥を指摘したメディアに『早い段階で気付かせてくれてありがとう』というのが本来の姿だ。意味不明な対応をしている」等と批判した。

筆者はセキュリティ管理の専門家として、この件に対して複数の観点から指摘させて頂く。

<サイバー攻撃は許されない行為>

まず、両社記者の行為だが、端的に申し上げて『サイバー攻撃』であり、違法行為である。誤って申し込めてしまった、とかではなく意図的にシステムの脆弱性を突こうとした行為である事。脆弱性を検出した結果を、システム運営当事者に通達せずに、記事にして公表した事も、所謂ハッカーがダークサイトに脆弱性を公表するのと同等の行為である。

そうやって考えると、防衛相の抗議は、実は甘く、訴えても少しもおかしくない事案なのである。国民に知らしめ、知る権利を守る為、政府の監視という正義の大義名分があれば何でも許されると考えるのは異常である。

そして、サイバー攻撃を是として容認し、防衛相の抗議を批判する国会議員が世の中に存在する事自体筆者には信じがたい事実である。政府を攻撃する事が絶対正義で、その為の手段は全て容認される事を貫く思考回路は、法治国家として決して許されない。

<システムの脆弱性はどこにある>

次に、この脆弱性の発生原因と対応策の方向性に関して考察したい。但し、筆者はシステム設計の全容を把握している訳ではないので、想像の部分が多分に含まれる事はご容赦願いたいが、大きな間違いは無いだろうと考えている。

まず、『早い段階で気付かせてくれて・・』というのは根本的な認識違いだろう。この脆弱性に関してシステム設計者は把握していただろうし、設計レビューで承認を受けている筈だ。このリスクに気付かないシステム設計者は世の中に存在しないと言っても過言ではない内容なのだ。

本リスクを受容した判断理由は、各方面からも既に発出されており、早期システム立ち上げ、防衛相への個人情報、個人データの提供を最小限に抑え様とした結果であり、地方自治体の分散システムに接続するには、スケジュール感もコスト感も現実的でなかったのだろう。それでも本脆弱性を看過するのではなく、何らかのリスク低減策は検討すべきだっただろう。

更に問題の主要因は、接種券番号の設計思想だと考えられる。クーポンの画像がネットに上がっているが、予想通り、見事にバラバラなのである。せめて、番号体系は国側の全体設計が必要なはずだが、その点の実態は不明であり、セキュリティ面の機密事項であろう。システム連携による照合が無く、誤入力や正統性・正確性を確認する為には、不充分であったと言わざるを得ない。

通常例えばクレジットカード番号の様に、不正入力や誤入力防止にはチェックでジットを番号に組み込む方法がある。また、ランダムに入力する不正に対応するには、飲料メーカーのべた付けキャンペーンで缶などに貼ってあるシールを剥がした際の番号の様に、確率的に不正入力を抑止する技術も存在する。その他にも多種多様の番号設計は存在し、それ程高度でもないのだが、残念ながら、省庁の壁を超え、トータルで考える全体最適設計思想と技術的工夫が不足していると言わざるを得ないだろう。

日本らしさというのだろうか、不正やいたずらの無い様に、良心に委ねる形でのアナウンスが為されている。実際の接種まで含めたリスク対応策は講じられているとはいえ、システムとして脆弱だとの誹りは免れないだろう。

<脆弱性対策の方向性>

では、対策の方向性はどう考えるべきか。デジタル担当大臣はデジタル庁設置による対策推進を語っているが、まさにその通りであろう。

まず、マイナンバーをキーとした接種情報管理を言う人が多いが、これは特定個人情報の取り扱いを知らない人の空論であろう。あくまでマイナンバーカードによるシステムへのログイン認証に留め、接種情報自体は個人番号と紐づけ可能な状態で発番した接種券番号で管理するべきだろう。そうしないと、影響が大きく、管理運用体制も不必要に莫大になってしまう。この点が、マイナンバーを必要以上にセキュリティ面の問題を語りたがり、システム実装上の現実に知見が無さすぎる証拠だろう。個人情報管理と特定個人情報管理を分けて考えるべきだからだ。

では何が対策の入り口かというと、省庁や自治体など含めて壁を越えた全体最適設計を可能とする機能であろう。正に、デジタル庁の真価が問われる部分だ。その上で、今回の脆弱性は古典的な番号設計に起因する部分も多分に含まれるが、もしその機能が無いなら補完する必要がある。

筆者の疑念事項が杞憂であれば、このチェックロジックを付け加えるだけで一定レベルのセキュリティ性向上は見込めるのだが、そうでなければ、次期システムまで本質的な改善は困難なので心配だ。

今後に向けての抜本策として、セキュリティの基本である『機密性』『完全性』『可用性』で設計する必要があるだろう。認証は、手っ取り早くマイナンバーカードによる認証であろう。これで不正アクセスは防げる。

そして、接種券番号をキーとするDB構築は細心の注意を要するだろう。接種予定と接種日時、副反応履歴情報などが全国一元管理できる様にしなければならないからだ。あくまで接種番号を主キーとして、個人を特定する属性情報は最小限にする、政府が閲覧できるのは匿名加工化した切り離された情報に限定するなど、様々な対応策の検討が必要だろう。そしてブロックチェーン等の技術利活用は必須である。

セキュリティの要点は『機密性』『完全性』『可用性』で語られるものであり、リスクとのバランスで検討しなければならない。

リスクとはゼロリスクで語った瞬間、全ての検討が無となってしまう。リスク対策とは、考えられるリスクを評価し、受容できないリスクに対して低減策を検討するものであるが、それでも低減でありゼロ化ではない。

殊更、感情的にゼロリスクを唱える風潮が未だ支配的だが、その事で寧ろリスクに向き合い対応策を講じる事を阻害してしまい、結果としてリスクが増大してしまうのだ。

心配だ、心配だと言い続けても、心配は解消されず、寧ろリスクが高まってしまう。その人間心理を政治利用して足を引っ張る行為は、国益を損なう結果に繋がる事を理解し、その様な行為に対して異議を唱え、合理的な範囲のリスクは納得する事も重要なのだ。

有事対応の地方自治と中央集権のバランスの問題が決着

河野大臣がワクチン接種予約の初期混乱に対して、BS報道番組で混乱を発生させた原因を、自分自身の指示が甘い、ミスだったと謝罪した。

ワクチン接種の順番は様々な議論が存在した。一番公平なのは、先着順。しかし、この場合のデメリットは初期の混乱であった。何らかの順位をつけると、混乱を防ぐ効果はあるが、デメリットとして公平性の担保が難しい。

その状況で、全国一律に決める事は困難で、地域毎の事情に合わせて、バランスを取る様に政府からは指示が発せられたが、これが地域任せで充分な機能が果たせず、もっと中央から細かな指示を出すべきだったとの反省の弁なのだ。

つまり、地方自治における判断能力、執行能力に問題があり、国が権限行使し統制する形にしないとダメだと判断した事になる。百歩譲っても、有事においては中央政府が責任と権限を握って采配を振るう必要があると、問題提起しているのである。

この1年、国と地方の対立が数々指摘され、結局地方では有事対応は無理だと、一定の結論が出された事になる。この考え自体が、次期総理候補から発せられた事も重要であろう。

橋下元知事や片山元知事などは、地方の事情を熟知した知事に、もっと権限を委譲するべき趣旨の発言が多かったが、知事経験者からは確かに実権(法的根拠のある)を持たないと何もできないと言うのは分かるが、この1年間、全国を見ても執行能力の差などが顕著な状況が露呈し、無理がある事は明らかだろう。

日本のコロナ禍における最大の問題は医療崩壊である事は疑い様が無いだろう。さざ波状態の感染者数で、医療資源は世界に誇れる程豊富であるにもかかわらず、コロナ対応に割ける資源が枯渇すると言う状態である。様々な言い訳は聞こえてくるが、所詮言い訳に過ぎず、やるべき事は明確なのに、やっていない、やれない事は誰も否定できないはずだ。

医療体制の強化に関して、政府が何もしていないとメディアは騒ぐが、実行責任は地方自治側にある。都道府県、市町村と地域医療との協力体制において必要な資源配分を決める必要があるのだが、これが全く機能していない。法的強制力が無い、地域医師会が非協力的、無理強いすると次回選挙で組織票が逃げる等の問題があろうとも、有事対応はそんな平時の感覚で対応していては破綻するのは至極当然の事なのだ。

法的整備とは、各地方での具体策が検討された上で必要な整備を行うものである。実運用上の必要性を訴えて初めて俎上に上がるのだ。つまり、受け身ではダメで、現場の具体策なくして法整備など進む訳がない。

唯一、大阪府吉村知事は、集中治療センターを開設して対応強化を図ったが、結局人的資源の獲得、医療業界の協力が得られず、自衛隊の投入まで要請された事は記憶に新しい。

ワクチン接種も同様。政府の調達が成功しても、打ち手がいないと後ろ向きな姿勢が全般を締めていた。結局、政府が集中接種センターを開設し自衛隊まで投入する決断を下し、更には、超法規的措置、明らかな法律違反である歯科医にも接種をさせる方向まで覚悟を決めて打ち出し、医療業界に突き付けた形だ。

この相次ぐ措置は強力だ。抵抗勢力であった、医師会に対し、表向き全面協力を要請しながら、『非協力的であれば貴方達を充てにしなくてもやって見せるけど、どうするの?』という姿勢なのだ。そして、医師会長のパーティー事件に対しても、政治からは特段の追及は野党も含めてなく、政治資金と既得権益は維持する方向である。この状況でも非協力的、抵抗を続けている様では、自らの既得権益を根本的に失う事態も招きかねない状態にまで追い込んでいる。これで、協力しなければ身を滅ぼすだけだろう。

ここまで国がやって、地方行政は何もできない。様々な知事がパフォーマンスはご立派でも、本質的な医療体制にメスを入れる行動は出来ず、住民へのしわ寄せに終始するだけでは、地方自治は、夢のまた夢としか言い様がない。最小から国が強権発動していたら、それはそれで反発も大きかっただろうし、潰されていたかもしれないと考えると、民主主義とはかくも面倒なものだと改めて痛感する昨今である。

五輪の医療体制も、コロナ対応とは全く別の90%以上の資源で協力体制が確立しつつある。国民の命を犠牲にする医療資源を割く必要は全くなく、バブルという一種の隔離対策で、感染の抑止を行えば、五輪開催反対の理由は、元々の反対、五輪の政治利用以外に存在しなくなる。

唯一、観客をどこまで入れるかという問題はあるが、最悪無観客まで覚悟すれば、何も問題ない。医師会も左翼政治活動系団体以外は反対できないだろう。寧ろ、反対せずに、リスクを最小化する為に全面協力すると宣言すれば、立場の挽回も可能だろう。

夢の祭典を純粋に応援する。スポーツが与える感動は、文化と同様、不要不急ではなく、心を豊かにし活力をもたらす、現代社会にとって欠くことが出来ない要素である事を、もう一度、コロナ禍だからこそ、全世界に訴える、その様な意義のある大会に出来るだろう。

感染対策を実施すれば、大規模パーティー開催も安全と証明された

日本医師会中川会長のパーティー主催という文春砲で世間が騒がしい。医師会の常勤役員14人全員出席との事だ。

でも、これでようやく真の実態が垣間見える事にもなった。あらゆるコロナ渦情報を入手し、専門知識もあり、かつ、感染抑止対策としては極めて強硬論を展開する、権限を持つ人物が取った行動なのである。間違いなく裏付け、確信は持っているはずなのだ。

何故なら、万が一にもパーティーがクラスターとなって自身が感染した場合に隠し切れないから、クラスター化しない確信があったと考えるべきである。例え、今後どの様な言い訳をしようとも、その点に1点の曇りもない。

文春を甘く見た、敵を作りすぎた、スクープのリスクを考慮出来なかった等、脇の甘さは仕方がないとしても、医師会トップとして、最悪感染した場合でも言い訳できる範囲を考えての行動である事は当然だ。従って、このパーティーでは感染はしないという確信があったと考えるべき。それは、感染対策が万全だと考えたからだろう。

即ち、医療を守るために、不必要な自粛や休業、経済負担を負わされた国民としては、感染対策を万全にしさえすれば活動は容認されるべきである。但し、事はそう簡単ではなかったのだろう。

その理由は、ここまでやれば万全とのガイドラインをいくら示しても、守らない層は一定数存在するからだ。ここまで危機感を煽っても、軽い症状があっても活動する人が、7~10%存在すると言うデータもその事実を示している。筆者自身も、軽い症状の人が出歩いている事実を幾例も目撃している。それ故、無症状者ではなく、軽症状者が感染拡大のキーファクターだと昨年当初から主張し、拙著でも訴えてきたのだ。

今迄は、その様なルール破りに対処する為に、その事実を隠蔽し、専門家集団が挙って危機感を煽り、実際必要な基準よりも遥かに過剰な基準を求める世論を形成し、政治が世論に耐えられなくなり、その結果として、過剰な要求を国民に強いてきたというのが実態だろう。しかし、国民も馬鹿ではなく、ステイホームを訴えられても、その科学的合理性に疑問を持ち始め、表向きの発言は大人の発言をしながらも、それ故世論に変化はないが、行動は活発化させてきている。

今回の医師会長の事件は、良いターニングポイントとするべきであろう。実質、感染対策すれば変異株だって問題ないと周知し、その代わり、対策履行の強制力を伴う法制化、罰則化を整備すればよい。同時に、医療資源の再配分に対しても緊急時対応として政府に権限を集中することだろう。簡単である、政府が用意した、集中治療センター、集中ワクチン接種センターに医療資源を強制的に供給できる様に、その為に、開業医も含め、休業率を設定、輪番制でセンターへの人材資源供給を行える様にすることだろう。それだけでいい。抵抗勢力であった医師会も抵抗力は弱まっただろうし、組織票を気にせず、強行できるだろう。

良く考えて欲しい。あれだけ危機感を煽っているが、テレビ出演のコメンテイターでマスクをしている人は存在しない。アクリル板1枚で、大声で過激な発言を繰り返し、危機を煽り続けている。見ていて、可笑しい、言っている事と行動が矛盾すると誰も思わないのだろうか。

筆者は、決してコロナは何の問題もなく、安心だとは言わない。しかし、今の日本の騒ぎ方が異常だという事はデータから明らかである。然るべき、事実を周知している人物、組織の行動を見ても明らかだ。その事に気付き、多くの人が目を覚ます事を期待したい。

安全ではないから、症状のある人は出歩くべきではない。その様な事は出来ない、会社は休めない、ではなく、有症状者が出歩く行動こそが、最悪の行為だという事を認識するべき。

そして、感染対策の実行を強制化し、通常の活動は解禁。但し、ルール違反には休業勧告を実行。チェック体制として口コミを1次的に利用し、怪しきは行政検査だろう。

そして、高齢者施設(職員・出入り業者含む)に対する、ワクチン接種最優先化、感染対策の強化は、今出来ていないのが不思議だが、確実に実行すべきだ。

加えて、正確なデータを判断基準とする為にも、PCR検査のCT値は25~30までに再設定。感染力のない陽性者を無暗に増やさない。死者数も、直接死因に限定したカウントに変更するべきだろう。

最後に、病気なのだから、自己防衛が基本である事を忘れてはならない。ワクチン接種による獲得免疫の前に、自然免疫の強化が最重要個人課題である。その為にも睡眠や栄養補給に加え、日中の外出による日光浴でビタミンD生成は重要と考える。特に今の時期、紫外線量が増え、免疫強化される時期なのだから、決して巣ごもりしては、ならないのだ。

他説を封殺するのではなく、受け入れないと議論にはならない

違和感の塊。この閉塞した、重苦しい空気感が息苦しすぎる。

さざ波発言に対する攻撃は過激化している。グラフを見れば、FACTは諸外国と比較して明らかに平穏な状態である事をデータが示している。さざ波という表現に何も間違いはない。但し、最後の(笑笑)という表現が不謹慎で、不適切という感情論的指摘はあるだろう。しかし、攻撃はその範囲を大きく逸脱し人格攻撃に至っている。これは中世の魔女裁判だ。

<アスリートが発信し始めた内容の一部解釈>

アスリート達も声を出しつつある。錦織選手は、人が死んでまで五輪を開催させるべきでないと言う趣旨の発言、新谷選手は、アスリートは特別な存在でなくワクチン接種優先される事への違和感を語った。

人がバタバタ死んでいく様な状況では、その通りだろうし、欧米の感染ピーク時ならば考える必要があるだろう。しかし、日本はデータを冷静に比較するとワクチン接種が進み活況に沸いている英国などの状況と同レベルなのだ。逆に、だからこそ、この状態で医療逼迫となる脆弱性が一番の問題なのだが。

流石に1人も死なない状況でないと開催できないとは言わないだろう。そんなことを言っていたら、車に乗る事すら出来ない、いや、外出など出来様がないからだ。入浴中の溺死が年間5000人発生している現状では、風呂すら入れない事にもなる。

ワクチン接種の優先順位も確かに日本は少々疑問を感じざるを得ない。

医療従事者が最優先と、日本では誰も疑問を持たないし、発言できない空気がある。しかし、国際的には、この基準は日本だけであり、百歩譲って医療体制の事を考えると、10%もいないコロナ対応医療従事者が最優先とするべきなのだ。

日本の医療資源の数%しかコロナ対応していない。ワクチン接種も、政府が調達に成功しても、今度は接種に非協力的、非建設的な発言がメディアで吹聴されている。90%以上のコロナ非対応の医療従事者が協力すれば可能だろうし、少なくともワクチン接種者は協力するべきだろう。一般企業で社長からトップダウンの指示があったら、無理と言わずに、やる方法を徹底的に工夫しイノベーションを起こすべく努力する。何故、その姿勢が取れないのか。

高齢者も順番が違う。データから見れば明らかで、ぴんぴんしている高齢者よりも高齢者施設に入所している高齢者の方が明らかに致死率が高い。大阪などはその典型例なのだ。つまり、全ての高齢者を公平に接種するのではなく、施設入所者と施設への出入り関係者を優先接種すれば効果は大きい筈だ。実は、多くの国はこの考え方を取っている。

アスリートも優先接種の対象ではあり得ない。しかし、水際対策でバブル対応を実施したとしても確保できるのは安全であり、安心を確保する為には、入国者をワクチン接種者に限定すると考えれば、論理性が高い。そういう意味での優先接種なのだ。

新型コロナを恐れる必要は無いとは思わない。正しく恐れるべきなのだが、今の風潮は、恐怖で煽られ、事実に目を向けず、他説に対して排他的で攻撃的に絶対正義を押し付ける、極めて危険な状況なのだ。

正しく恐れるためには、正しく事実に目を向けて、他説にも耳を傾け、冷静な議論・考察を繰り返し、対処を判断していく必要がある。まさしく、冷静な議論が必要なのだが、国会審議でも排他的絶対正義での糾弾しかなく議論にならない。冷静な議論に必要なのは、データが示すFACTであり、そこから論理的、科学的考察を行う必要があるのだ。

<オープンデータが示す日本の感染状況>

日本の2021年5月10日時点での状況を、NHKのサイトから確認する。

累計感染者数は646,699人、死亡者が10,981人、重症者が1,152人である。

しかし、まず感染者数というのは大きな嘘である。正確に表現すると、検査陽性者である。正確に表現しているサイトもあるが、メディアなどは全く出鱈目なのだ。何が違うのか。感染に関わるステップを時系列で示すと下図の様になる。

つまり、公表されている感染者数というのは、ウイルス暴露以降の人の数を示しており、正確に言うと検査陽性者なのだ。陽性者とは、感染すらしていない人や感染後も無症状のまま発症しない人も含むので、実際の感染者より相当数多い数字になる。また、感染後も発症直前までは他人に感染させるリスクは極めて低い、逆説的に言うと、近い将来発症する人でないと他人に感染させないのだ。

ここで他のデータも確認する。2021年4月29日に朝日新聞デジタルで報道された世田谷区の実態調査である。無症状者に感染力のある人が存在したと騒いでいるが、その実態は、21,710人を対象に検査した結果、117人が陽性(陽性率0.54%)。その無症状陽性者78人の内、約3割の27人が感染力のある状態である事が分かった。つまり、0.18%の人が感染リスクを持っていると言う計算だ。

よく言われる無症状者からの感染リスクとは、この僅かの近い将来発症する人だけであり、その他大勢の無症状者を対象とした検査は不効率極まりない事が理解できるだろう。

次に死亡者数だが、これは厚生労働省の定義を示す必要がある。それは、陽性者で死亡した人であり厳密な死因を問うていない。極論言うと、ウイルス暴露しただけで陽性判定されれば、他の死因で死亡した場合もコロナ死に含まれるのである。当初は正体不明の為、広く確認する必要があったのだろうが、例年のインフルエンザ死者とは定義範囲が異なるのだ。インフルエンザ死者は、直接死因の死者がおよそ3,000人、関連死含めると10,000人である。コロナは関連死よりも更に定義範囲は広いので、現状の10,000人でもインフルエンザと同等以下であることになる。

では、実際の直接死者数はどうなのだろう。推定する情報があった。それは、日本COVID-19対策ECMOnet、COVID-19重症患者状況の集計の数字を流用する。ECMO治療成績の2021年5月4日現在の累計数では、

ECMO離脱  339件

死亡     194件

ECMO実施中 61件

この数字は、日本のおよそ80%をカバーしているとの事なので、ECMO装着後死亡に至ったのは、194÷0.8で243人が推定値となる。

そして人工呼吸治療の累計は

軽快  3046件

死亡   877件

実施中  520件

同様に80%カバーなので、人工呼吸治療後の死亡者は、877÷0.8で1096人。

ECMOと人工呼吸器を合わせると、1,339人が推定値となる。

1万人を超える死者をカウントしているのに、重症化からの死者がたったの1,339人なのだ。例外的に重症化せずに死に至るケースもあるが、それにしてもカウントされている死者数は多すぎる。これは何を意味するのか。

もう一つ他のデータだが、第三波の大阪における死亡事例をまとめたデータを見てみる。2021年4月13日時点の集計で、36,065人の陽性者中、重症で入院療養対象となったのが1,148人で内、229人が死亡している。その他の重症化していない入院療養者から704人が死亡しているのだ。入院して、重症者にカウントされる前に死に至るとはどういったケースなのだろうか。仮説として考えられるのが、看取りではないだろうか。

ここまでのFACTから想定できるのは、日本の新型コロナ感染者数は、60万人より遥かに少なく、最大でも感染率0.2%程度で、全人口で考えると25万人以下と想定できる。直接死因の死者数は、直接死因と推定である1,339人に、残念ながら天寿を全うした看取りの方が、その3倍4,000人程度、足すと、およそ5,300人という推計が算出できる。

メディアの多くは情報が少ない、説明が少ないと言うが、それは自分達の意見と異なる説明に対しては批判に終始し、感情的に攻撃するからであり、オープンデータは転がっている。ここに示した様なデータは、誰でも入手できるし、説明も繰り返されているが、何故か聞く耳を持たれていない。メディアを主流とする、一方通行の情報統制となっているのである。

<コロナ対策の基本>

それでも、問題なのは、この様な(敢えて使うが)さざ波状態でも、医療崩壊が起きている事が最大の問題である。

従って、筆者の自説では医療資源の緊急事態、有事対応における強制的資源再配分が可能な法整備が最大にして最高の対策になるのだが、時間もかかる事から(協力体制もしくは強制力を持てば今すぐにでも比較的容易にできると確信はしているのだが、現実は抵抗勢力の岩盤は厚いのだろう)、感染抑止対策が重要になる。

これも他の投稿で多く語っているが、人流抑止は直接の抑止力にならない。

まず第一に、各人の免疫力向上が最大にして最高の対策だろう。ワクチンによる獲得免役ではなく、自然免役である。個々の健康管理、自己防衛、昔から言う、風邪をひかない様に徹底的に養生する事だ。適切な運動、睡眠、栄養補給などなど。

そうはいっても、個々人の健康度は異なるので、社会的な対策も必要になる。

何と言っても、飛沫感染対策だろう。決して人流抑制ではない。即ち、感染抑止対策を実施している施設は営業を行っても良く、逆に、どういった施設であろうとも、飛沫飛散抑止の対策が不充分であれば、強制的に休業させるというメリハリを利かせた法整備が必要だ。そんなのチェックできない、というのは大きな間違いだ。例えば、スピード違反や飲酒運転は全てをチェックしている訳ではない。抜き打ちで確認するだけでも、飲酒運転などは罰則の厳しさから相当減少している。同様で良いのだ。

加えて、口コミサイトでの対策の公開と利用者による口コミ投稿、そして怪しい所への役所立ち入り確認だろう。

新たな情報で、飛沫感染以外に排泄物からの接触感染のリスクの高さを示す情報がある。確認は出来ていないが、このことが事実であれば、実際に今まで感染経路的に不明だった事もある程度の説明が出来る。この場合、マスク会食も接触感染リスクが高いことになる。笑い事ではなく、神戸市長の主張が正しくなるのだ。

やはり、究極の対策は、手洗いうがい、手指消毒なのだろう。

路上飲み、若者、夜の街、新宿・池袋、パチンコなど、非科学的にターゲットにして攻撃するのは、本質的な対策が疎かになってしまう。

そういった意味で、五輪はバブル対策を実行するとの事であり、これは隔離と同様なので、選手団から一般国民への感染抑止対策としては有効であろう。この方式であれば、理論的には周囲の感染状況が逼迫していても関係なく、大会運営が可能だ。後は、その理論的な対策が、現実の運用でどこまで可能かの検証であろうし、そういう意味でテスト大会による、シミュレーションと課題のフィードバックは重要なのだ。

五輪テストマッチに対する批判は国益毀損行為である

札幌で五輪マラソンのテストマッチが開催され、沿道メッセージ等でも批判が殺到した。政治利用や国益棄損を目的としている意思を持った行動は仕方がないだろうが、危機と煽られ、脊髄反射的に踊らされている人達は目を覚まして欲しい。それは、いじめに加担する無自覚・無責任層と同じ、加害者でしかないからだ。そこには、反対する論理的理由も持たず、その事により、アスリート個人を苦しめ、日本に大きな国際的悪影響をもたらす事を理解して欲しい。

恐らくここまでで、脊髄反射的に反論、暴論が発生し、以降は全く聞く耳を持たない、読みもしない誹謗中傷が、ワンセンテンスで飛び交うかもしれないが、まずは、冷静になって読んでもらいたい。

まず、最初に語るべきは、五輪開催は日本の国際公約である事。そして、開催の是非を決める権限は日本になく、IOCにある。つまり、日本の勝手な理由で五輪開催準備を滞らせる事は、国際公約を守らない、信用できない国になる事に等しいのだ。従って、現段階では粛々と開催に向けて準備を進める責任が日本にはある。

勿論、国内事情的にも感染対策を万全に行い、万が一にもクラスターを発生させない事を前提で、実際の大会時のシミュレーションをしっかりこなし、成功させるための準備にあたる必要がある。

3回目の緊急事態宣言において、プロ野球やサッカーなど、無観客や一部中止も発生しているが、機構側はあくまで決定には従うものの、感染対策は1年間のノウハウの積み上げもあり、観客を入れての開催にも自信を持っており、抗議の姿勢も示している。実際、実績としても感染拡大には繋がっていない。海外のスポーツイベントに関しても同様のノウハウの積み上げがある。これは、論文が出されていなくても、科学的実証と呼べるものであり、中止する科学的、合理的理由は存在しないのだ。

更に、五輪開催まで2か月ある。今、緊急事態宣言下である事は、先の中止の理由として説得力に欠け、ましてや感染状況の数字的にも、ワクチン接種が進み収束してきている国と同レベルの状況に過ぎない。こんな状態で、医療崩壊と騒いでいると、諸外国から嘲笑され兼ねないのだ。

『2週間後にはニューヨークと同様の状態になっている』、『死者は42万人になる』等、脅され続けてきたが、これまで何一つ実現していない。今度は、変異株の猛威で、『従来の対策では全く効果が無い』と危機を煽っているが、そろそろ化けの皮が剥がれてきた。思えば、昨年の緊急事態宣言1回目も変異株であり、繰り返される自然現象だが、初めて発生した脅威の様に危機を煽っている。報道にある様に、人流はそれ程減少していないが、爆発的に感染拡大している訳ではなく、均衡状態、下降トレンド推移が実態だ。変異と淘汰は自然現象であり、イコール脅威ではない。

それよりも、準備を怠り、実際の大会開催時に問題を起こす方が余程問題が大きくなる。少なくともIOCが中止と決定するまでは、準備を怠らず、開催に向けて努力する義務があるのだ。

その準備の足を引っ張る行為は、即ち、国益棄損に繋がり兼ねない事を理解するべきだろう。

そして何より、主人公であるアスリートは悩み、傷付いている。国民世論が反対しているという報道は、少なからずアスリートの心を傷付けているのだ。彼らは、不用意な発言が出来ず、とは言え、自分の人生をかけた戦いに臨むべく準備を進めている。外野の雑音を無くし、静かに専念出来る環境を提供するのが、開催国としての責務だろう。

今回の緊急事態宣言において、政府は人流抑制を前面に押し出した。それは、1回目の宣言と同様である。しかし、人流は報道にある通り、1回目と同様の減少は起きていない。

この理由は筆者には明確に思える。報道や専門家が言う、気の緩みや、もう我慢できないと言うのとは少し違って、人流抑制による具体的効果、合理的な必要性の説明が無く(非科学的でエビデンスが無いので説明のしようがない)、納得性が無い事だと思っている。賢明な国民の多くは、感染抑止のノウハウを1年積み上げてきた。情報不足時には盲目的に従ったが、今では8割削減の必要性が無いと判断しているのだ。

日本人は、それ程馬鹿ではない。本当に人流抑制が必要だと信じていれば、補償はなくとも、苦労してでも自粛する。人流がそれ程減少していないのは、必要性の乏しさを察知しているからに他ならない。声として聞こえてこないのは、同調圧力で本音を言えないだけであり、世論調査と実際の行動に矛盾が生じているのだ。政治は、声に出せない多数の声に耳を傾けないと政策を誤ってしまうだろう。

それでも盲目的に危機感だけ抱き、正しい恐れ方が分からなくなっている層は、一定数存在する。その中の一部がボーカルマイノリティとして、声を上げ、攻撃的で過激になっているに過ぎない。正しい恐れ方が分からないという事は、正しく感染抑止行動が出来ないという事であり、感染拡大の最大の要因となる。

諸外国から嘲笑されない様に、自爆だけは避けたいものだ。