2021年9月1日、デジタル庁が発足した。電子政府が話題に上がったのは、もう昔の事、日本は諸外国に比べ政府のデジタル化周回遅れ状態に陥っている。国民の個人認証の基盤となり得るナショナルIDも過去幾度となくトライし暗礁に乗り上げた事だろう。今や、先進国の中でナショナルIDすら導入されていないのは日本だけという状況で、ラストトライと言われたマイナンバーも数々の批判を受け、未だ充分に普及しているとは言えない状況だ。
コロナ禍は、デジタル化の遅れを現実の問題として国民の前に突き付けた。給付金の支給遅れ、自治体或いは首長のリテラシー格差によるサービスレベルの格差、判断すべき統計データがリアルタイム集計・発信できない実態、バーコード読み取りすら出来ないでシステム忌避しながら自己正当化し政府批判に転ずる事を受け入れる社会環境、等。
市民生活はインターネットを基軸とし、Wi-Fiによる接続環境が充実、デバイスとしてのスマートフォン、タブレット、PCの一人複数台接続、家電も含めたIoT(Internet of Things)どころかIoE(Internet of Everything)へと進展している。
AI(artificial intelligence)人工知能は、ほんの数年前は夢物語の技術で極めて概念的な領域に留まっていたが、計算機能力の飛躍的向上により日常の中で普通に使われる技術になってきた。そして、間もなく量子コンピュータが更に飛躍的、否、爆発的な進化をもたらす。
量子コンピュータでは、従来のコンピュータが2進法で成り立っているのが、3進法に進化する。従来、16bitでは、65,536通り、32bitで43億通り弱なのが、量子コンピュータでは、32bitで1853兆通りとなり、たった32bitの世界で43万倍の処理能力を持つ事になる。64bitだと1861億倍と可能性はとんでもなくなるのだ。
この効果を享受するのは、デジタル化の浸透が前提である。そして、決して2番ではなく、1番を目指さないとこの成果を享受するのに大きな障害構造を生み出してしまう事も自明なのだ。
なのに、未だお役所は、FAXで情報交換しているらしい。バーコードすら読めないと恥ずかしげもなくシステムに責任転嫁する自治体も存在する。果たして、デジタル庁は、この問題状況を突破できるのだろうか?
<デジタル庁発進時の姿から見えてくるもの>
まず、デジタル庁平井大臣のメッセージを見てみたい。筆者が引っかかる言葉が「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」だ。極めて聞こえはよく、政治家的発信ではあるが、筆者には大問題発言に感じるのだ。
前述のデジタル化が進展できなかった問題は、ひとえに個々のリテラシーの差に帰結すると考えている。技術進展の著しい分野で、全ての年齢層、様々な個人の適応能力を考慮すると、同様の浸透を図る事は不可能なのである。もし、本当に全ての人を対象とした場合、最大公約数にレベルを合わせる必要があり、技術の進展に取り残される事になる。それこそが今までデジタル化が公的に進展してこなかった最大の原因ではないだろうか。
左派系反対勢力は、表向きは人権と平等を盾にして、進歩を批判し、殊更リスクを喧伝するだろうが、技術の進展が著しい場合は、着いて行けない人達へのケアは別途しながら、先端を走らなければ国際競争力を毀損する事に成り、回り回って全ての人のメリットが大きく目減りする事態に陥る。
そういう意味で、デジタル庁は、先端を独走する『トップランナー』になる必要がある。それが、「誰一人取り残さない」といった瞬間、出来る事はたかが知れてくるのだ。
本当に期待しているからこそ、厳しい言葉とならざるを得ない。
百歩譲って、最終的なケアも含めての「誰一人取り残さない」であったとしても、先端を走るメッセージが決定的に欠落している事は否定できない。
他にも様々な疑問がある。
その一番は、全省庁、自治体等のデジタル化統制を図るなら、実開発、実運用はどうやって責任を持たせるのだろうか。デジタル庁が単なるガバナンスを担うだけならば、政策投信とその実行監視、監査は可能だろうが、実務面での機能は今まで通りになり、強制力なければ大した変化は生み出せない可能性が高い。
実務面までデジタル庁が担うならば、一般企業で言う、情報システム部門の開発や運用機能、最低でもPM(プロジェクトマネジメント)やPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)機能を持たねば何も責任持って動かせず、調達も出来ない。それは、丸投げでしかなくなるからだ。
この辺りは、まだ実態不明なので、期待値を高く持って、見守る以外に無いだろう。
そして、早急に取り組むべきはWebページの改編だろう。デジタル化を推進する部門があのコンテンツでは少々寂しい。華々しくトップを走って、各省庁着いて来いと、言えるコンテンツ開発は名実共に重要なのだから。
システムは道具に過ぎない、デジタル化も方法論でしかない。問題はその中身であり、何の為にやるかが重要。技術が発展する中で、その技術を最大限活用し、より良い社会に成長させていく為に、道具を変え、方法を磨く必要がある。原始時代に回帰しないで発展し続けるために、先端を走る牽引力、現場レベルに落とし込む実行力とそれを支えるビジョンが最重なのだ。