緊急事態宣言から1週間、反政府一辺倒では危機は乗り越えられない

新型コロナ感染拡大の危機事態に医療、メディアは反政府活動を強めている様にしか見えない。これでは、危機は乗り越えられない。

危機管理の基本は、発生している危機事態を正確に把握し、刻一刻と変化している状態に対して、適切な対応策を次々とタイムリーに打っていくことだ。誰が言い始めたか巷で言われる、最初に最大の策を実行するというのは愚策であり大きな勘違いなのだ。極論を言えば、巨大隕石の地球衝突に備えないし、ガミラス船団の襲来に備えて宇宙戦艦ヤマト建造もしない。あくまで、実際に発生している危機事態に対して対応するのが危機管理だ。

一方で、リスク管理は、平時から発生しうるリスクを大小、確率の高い低い、様々に想定し、どこまでそのリスクに対応するか事前に低減策を講じ、発生した場合の対策を計画する。リスクは一般的に、発生確率と発生時のダメージの大きさの積で評価されるので、ガミラス船団襲来の確率は限りなくゼロに近いので、平時に莫大な費用を伴うリスク対応策は実行しない。それは即ち、万が一発生した場合は、絶滅や征服など最悪のシナリオも受容するという判断なのだ。

政府の新型コロナに対するリスク管理は、外部から想定する範囲では、欧米諸国の水準は想定外として、例年のインフルエンザ関連死をMAXとする想定で描かれている様に思える。意識しているかは別にして、ステージ4の数値設定自体がこの水準を前提にしている。感染者数自体はインフルエンザより低く設定し、最悪の死者数を年間1万人以下に抑える計画であれば、感染者数抑制も重要だが、病床占有率は更に重要なのだ。

モノづくり品質保証の基本は『発生源対策』と『流出防止対策』である。前者は、品質を安定させコスト効果も高いが、後者が伴わなければ市場品質を保証できない。感染症でも同様に後者の医療対策が最重要なのだ。つまり、病床占有率の分母の病床確保数を増やす事が絶対必要なのだが、春からこの対策で聞こえてきたのは、大阪コロナ重症センターぐらいではないだろうか。そのセンターですら、人的資源が集まらず苦労しているのである。これは、政府の責任なのだろうか。

世界に胸を張れる医療体制を誇る日本だが、平時のポリシーは皆保険制度と地域医療に根差したきめ細かなサービスの拡充だ。その為に、中小の開業医やクリニックを充実させ、人材資源が集中している。しかし、感染症有事には中小開業医・クリニックに資源が集中していることが仇になっている。本当は、緊急事態において、この中小クリニックの人的資源を大胆に再配置すれば医療崩壊など発生しない。少なくとも、自宅療養者に対するケアを、この豊富な資源で対応するべきだが全く進む気配すら見えない。

飲食店の時短、休業要請に強制力を持たすのなら、開業医やクリニックの半分を休業や時短して、それで浮かした人的資源を活用すれば良い。街を見渡して欲しい、数多くの医院・クリニックが存在するのだから、一時的なかかりつけ医体制のカバーは可能だろう。この策は、医師会がリーダーシップを発揮すれば出来るはずだ。医師会の構成会員は、大病院よりも、中小開業医・クリニックの会員で多数を占めるのだから。

しかし医師会は、医療資源の再配置に消極的だ。日本医師会長は昨年の選挙で政府に物申すと公約して、政府寄りの前任を破って当選した。東京都医師会長の支持を受けた結果だが、次期会長ポスト禅譲の密約が噂される程なので、同様に政府に協力的とは思えない。

誤解されない様に言うが、新型コロナに対応している医療の現場は本当に厳しい状態で、日夜奮闘して頂いている。だからこそ、その現場に必要な資源を投下するのが、リーダーの務めなのだ。ところが、電波に乗って発信されるのは、人材資源の再配置は不可能、医療崩壊から医療壊滅と、命のトリアージが必要になってくると。ある意味、国民の命を出しに強迫めいて聞こえるのは私だけだろうか。

弁護士の八代英輝さんが、日弁連会長の例を挙げて、組織のトップの発言が、その組織の総意を示さない事が多いと語っていた。同様の事を、北村晴男弁護士も以前語っていた。最近の医師会長、TVで発言する医療専門家も医療従事者の総意を語っているとは限らない。

政治家の会食など非難しなくても良い。実際、私は、平時に一晩5人と会食しているのなら、今は10人以上と会食して、情報をより豊富に得て、政策決断に活かして欲しいとすら思う。会議で得られる情報とは種類の異なる本音の情報は絶対必要なのだ。何より、その様な非難の前に、使命を果たす事に全力を尽くすべきではないのか。

危機事態において、政府のメッセージ力が足りないと云うのであれば、それはメディアが補うべきだ。どんなに強く正しいメッセージも、朝から晩まで否定され続ければ、メディアの露出の方が圧倒的に多く、メッセージ性は弱まるのは当たり前だ。有事には、緊急事態に沿った、一致協力の情報発信が国家のためなのだ。政権の監視、政府への提言が使命というのなら、収束後に総括し糾弾すれば良い。今は、危機事態なのだから、考え直すべきだろう。

政府と医療、メディアが反目する状態。危機事態では絶対にあってはいけない状態なのだ。これは、日本が危機事態に対応する国力が無いと海外に露呈してしまう。即ち、国益に反するのだ。いや、この反目した状態が継続できるという事が、本当の危機事態ではない証左なのかもしれない。海外からは、その様に見えても不思議ではないだろう。

緊急事態宣言解除の出口戦略、バランスの取れた政治判断に必要な情報とは

緊急事態宣言が発出された。遅すぎた、もっと強硬策を採るべきだと政府を非難する意見と宣言は本質的な対策にはならず、医療崩壊に対しての本質的な対策が先だとの意見と両極端に分かれている。私自身は後者に与するが、その理由は明確で、前者の意見に論理性、蓋然性が感じられず、極めてバランスに欠いていると感じているからだ。両論併記での比較議論とバランス感覚が危機を乗り越えると信じているが、現実は偏った情報によるバランスの欠いた判断と言わざるを得ず危機感を抱いている。

再び8割おじさんによる最悪シナリオ発信が為された。春の最悪シナリオは実現せず、その反省もなかったので、非難も多く、しばらく鳴りを潜めていたが、ここにきての再発信だ。一定の数学的論理性はあるが、実行再生産数1.1継続と飲食時間制限の効果を10%と低く見ていることが現実と乖離、反省が活きておらず、首を傾げざるを得ない内容だ。

メディアが政府の対応を、経済優先と揶揄するのは、自身の説が感染抑止優先、いや感染抑止絶対、有無を言わさぬゼロ化絶対論だからである。一方、政府の基本姿勢は、経済と感染抑止をバランス良く政治判断しようとする、いわゆるWithコロナ策である。国家運営上どちらが最適かは言うまでもないが、政府の判断根拠とする情報にも唯一大きな問題がある。それは、経済影響の最悪シナリオが発信されていないことだ。

政府の分科会は、経済と感染をそれぞれの観点から分析、提言し、政府がバランスの取れた最適解、最善策を政治判断できる様にするために存在する。春の反省を活かして、経済の専門家も入ったはずだ。しかし、経済面の最悪のシナリオとその限界や防止策に対する提言は聞こえてこない。それどころか、感染抑止の素人意見まで発信する状態で、何の為に加わったのか意味不明だ。

これでは、バランスの取れた政策判断は出来様がない。これは人選が悪かったのか、構造的に組織体を別運用にすべきなのか、様々な原因は考えられるが、早急に改善しなければならないだろう。

分科会長尾身さんは極めてバランス感覚のある、良識的で論理的、科学的な発信をされているのだが、同様に、経済面の危機的状況を発信し、経済面で、このまま何もしない場合、経済停滞策を講じた場合、経済復興策を断行した場合のシナリオを提示する専門家が必要なのだ。そこまで尾身さんに負わせるのは無理がある。

<緊急事態宣言解除に向けた目標数値、出口戦略は>

とはいえ緊急事態宣言発出に伴って経済停滞策が各種強化される状況になった。そうすると、出口戦略を早急に組み立て、先手で発信する必要がある。

解除の目標値は、現時点では、ステージ4の脱却とかなりハードルが高い。この点は、建前上維持せざるを得ないだろうが、実質どこまで医療が持ち堪えられるか、医療資源再配分によるキャパ拡大はどこまで出来るか、真剣に進めて欲しい。これは、政府の責任ではなく、医療業界の提案として出すべきであり、最悪でも自治体の統制管理で実行管理するべきだ。今が限界で、既に崩壊していると云うのは説得力を失っている。緊急事態としての統制、事業継続計画(BCP)の発動こそが危機管理の基本なのである。

政府の検討すべきは、民間のPCR検査を全て厚労省の統制下に置き、医師の必要と判断する行政検査に切り替えてキャパを上げ、安心したいだけの検査を禁止する事と、死者数の数字を直接死因のみのカウントに切り替えることだろう。公平にインフルエンザなどと真っ当な比較をして、疑いの余地が無い判断の為に。昨年当初は、得体のしれない感染症だったので仕方がなかったのだろうが、現時点では可能なはずだ。

そして、なによりも経済のマイナス影響、最悪シナリオ検討を分科会に緊急要請し、自殺者数等も公にするべきだ。経済のマイナスは、国家、国民にとって長期的に命も含めた問題となる。何より歴史的には、戦争の主要因は経済低迷なのだから、本気で考慮すべきなのだ。

感染状況、医療体制強化状況、経済影響を公平に土台に挙げなければ、バランスの取れた政治判断は出来様がないのだ。

極論ではあるが、経済の指標で限界を超えた場合、例え今よりも感染者数が多くなっていても、国家としてのバランスを考慮に入れた最適解として緊急事態宣言を解除することがあっても然るべきはずなのだ。

絶対ゼロ化の主張者は、強力な感染抑止策は、短期間で終えることが出来て、経済面でも有利だと主張するが、感染がゼロ化出来る前提であり、諸外国の再拡大の現実を無視している。だからこそ、Withコロナ策を日本は当初より目指し、一定のリスクは受容しつつ、人権制限も最小限に留め、ブルームバーグでも世界2位の評価を得たのである。

何はともあれ、国民としてこの事態に前向きに対応すべきは、行動制限や飲食制限という方法論に縛られるのではなく、自身がウイルスキャリアである前提で、他人に感染させない、飛沫飛散をさせない事、徹底的に減らす事を目的とするべきなのだ。その為である、マスク着用や時短など個々の方法論は、自分の頭で考える事であり、その為のガイドラインとして要請が出ていると受け止めて考えるべきだ。間違っても思考停止は絶対にNGなのだ。

そして、単なる風邪もひかない様に体調管理を心がける事。医療の負担軽減という観点もあるが、何よりそこまで徹底した健康管理が新型コロナの感染も抑止できるのであり、健康第一だからだ。

2度目の民主主義の危機的緊急事態宣言発出直前

 世論調査という数字で、緊急事態宣言発出するべきという意見が60%を上回った様だ。民主主義体制における政権では、発出する以外に手が無くなってきた。例えどんなに意味が無く、効果が薄く、その癖、副作用による打撃は確実に国民が被るのに、正しい判断が出来ない感情論の数値が過半数を上回ってしまった。日本が好戦的な国内世論に圧され、軍部が台頭してきた歴史の繰り返しの様に、民主主義は時に論理性を欠いた、冷静とはとても思えない感情論に支配され、誤った道を選んで、自ら墓穴を掘る。どれだけ政府が懸命に抵抗しようとも、何を発信しても上から被せる様なメディアの情報という連続射撃で消され、発信力が無いと非難される。この場合の『発信力が無い』というのは、自分達と同じ意見の発信が無いことを云い、他の情報発信は全て間違いで血迷っていると否定され発信と見做さない事によって生じる現象。メディアという情報権力による有無を言わさぬ暴力的な政策誘導でしかない。

 自分達と異なる意見の発信には、馬鹿にしてスルーする。問われた質問にも答えず、一方的に断定して捲し立てる。そして、未だにそんな事を云う奴がいると上から目線で見下して一方的に話を断定的に進める。こうすると、確固たる自信を持っていない、自己判断を論理的に独自思考できない大多数は、この意見に従わなければ、周囲から冷たい目で見られると言う強迫観念を抱いて同調させられてしまう。

 結論から言うと、新型コロナは怖い病気である事は事実だが、即死亡とか、根治不可能の難病、いつ急変して死に至るか分からないといった類の病気ではない。だからこそ、正しく恐れなくてはならないのだ。そして、ゼロ化は出来ない事も理解する必要がある。

 どれだけ強制力のある抑止政策を実施して一旦ゼロにしても、再び感染は拡大する事は世界で実証されている。日本は、その事をいち早く理解し、Withコロナ施策に舵を切っており、正しく感染予防行動を行い、バランスの取れた現実的な政策実行を目指していた。それなのに、諸外国で失敗している、ゼロ化政策を絶対神の様に語り続けるのは、余りにも酷すぎる。

 ゼロ化絶対、PCR絶対信者は、欧米で無症状者に対しても無暗に検査を実施した結果、日本より桁違いに多い感染者数をマークしている現実を無視してはいけないし、全員検査を主張するなら、その原因を説明する責任がある。同じ様に検査を無症状者に拡大して同じ轍を踏むことを日本は避けなければならない。欧米の場合は、避けては通れない宗教的行動基盤のため、白黒はっきりさせないと前に進めない為に分かっていても悲劇を招いているとの仮説の説得力が高いのだ。

<医療崩壊は起こり得ない、本当に怖いのは2極化現象である>

 医療崩壊も日本では起こり得ない。何故なら、日本の新型コロナに割いている医療資源は、たかだか全体の3%に過ぎないからだ。ドキュメンタリー調で、ミクロな現場を放映すれば、その現場の厳しさは視聴者には伝わる。厳しいのは当然だ、医療現場なのだから。それは、他の病気治療現場でも同様の厳しさがある事を忘れてはいけない。

 この3%は、たった1ポイント医療資源を割り振るだけで、4%になる。この時点で占有率80%という数字は、60%に減るのは簡単な算数の問題だ。ましてや、昨年比較で、インフルエンザ激減、上気道感染系の肺炎は半減以下、他の肺炎も減少、という状況で、昨年比では余裕があるはずで、それを回すだけで、平気で6%までは可能なはずだ。そうすれば占有率は40%なのだ。そこまで資源再配分は不要だろう、地域ごとに最適な配分を断行すれば良いだけなのだ。それを許さないのが現在の医療業界の既得権益構造であるならば、有事の危機管理対応として法制化すれば良いだけだ。

 それよりも医療業界の構造を問題視するべきだろう。メディアの電波に出て、医療崩壊を訴えるのは、綺麗ごとではなく、医師会長ポストなどの勢力争いの売名行為や、自身の勢力範囲、例えば開業医の領域を守るためであったり、政治的には政治家の票固めであったり、様々な裏側の視点も考慮する事が必要だ。上記の医療崩壊の謎に、正面から答えないで、これまで感染症の経験が無かったことを理由にした体制整備の問題にすり替えているのは、論理すり替え、矛盾と見極める必要がある。

 だからと言って、繰り返しになるが、新型コロナは怖い病気である事は間違いなく軽視できない。しかし、世の中に出回るデマの多さに、騙されるか、あまりの酷さに聞く耳を持たずに軽視するかの2極化現象が最も恐れる危機なのだ。

 感染力は間違いなく強い、そして、肺炎や血栓症などに繋がり一定の重症化リスクも伴う。それに従って致死率も現状でも1%前後の数字を示している。無症状の、感染非確認者が一定数存在する事も想定できるが、実際の感染者が10倍までだろうと想定すると、致死率も0.1%までしか下がらない。風邪と同等には出来ない理由がここにある。

 しかし、風邪と同様の対応方法で抑止は確実にできる。これを正しく伝えられない原因は電波系メディアによって生じている2極化現象なのだ。どれだけ、正しいメッセージを伝えても、言う事を聞かない一定の率は絶対に存在する。それは民主主義国家では、少数意見という云われ方もするし、犯罪がゼロ化出来ない理由かもしれない。それはある程度は、社会悪として受け入れる必要があるが、デマでかき回された結果、多数を占めると危険なのである。

<正しく恐れて、正しい抑止行動が重要>

 自分が感染者のつもりで、人に移さない様に行動を心がける。うつさないと言うのは、まずは、飛沫を飛散させない事。通常時はマスク着用だろうが、勿論、話さない、クシャミや咳をしなければ飛沫は飛ばないのでマスクは不要。逆に、食事中の会話は飛沫飛散に繋がる最大のリスク、という事を理解した行動を徹底すればよい。そして、何よりも、風邪気味の時に、通常以上に気を付ける事。当たり前だろう、飛沫にウイルスが含まれる確率が増えるのだから。

 この点を忘れがちなのだ。無症状者全員に検査をして隔離するなんて非現実的な事よりも、ウイルスの拡散リスクの高い人の行動抑制、無症状者含めた全員に自分がウイルスを保有しているつもりでの行動抑制以上の感染抑止は存在しない。無症状者全員に検査をする意味などないのである。ましてや、検査結果の陽性の内、30%~40%が偽陰性であれば、安心してはいけない人に安心させてしまい、寧ろ、リスクが高まるのである。

 そして、何よりも、ウイルスの真っただ中にいても感染を防ぐ行動を心がける事が重要なのだ。マスクは無いよりも有るに越したことはないが、予防効果は万能ではない。それよりも、小まめな手洗いうがい、手指消毒の方が有効だ。それよりも大切なのは体調管理だ。受験勉強中、試験直前のケアは相当のレベルで実行しているはずだ。同様以上のケアをすれば良い。まず、初期免疫を高めるためのビタミン摂取、水分摂取で喉や鼻を常に潤す、マスクはこの保湿効果に有効だ。僅かな変調に敏感になることも大切。早めのケアで自分を守る。

 それでもゼロはあり得ない。不幸にも感染してしまうこともあるだろう、発症する事も100%は防げない。その場合は、発熱外来、保健所やかかりつけ医に相談をして対応を決めるのは義務である。自分の勝手な判断で、医療と関係ない検査を受けても義務は果たせない。素人判断ではなく、医師の判断を仰ぎ、指示に従う以外にないのだ。

旅行もOK、会食もOK、但し、前述の注意事項を守ることが前提で。

 ここまでのことを考慮すると、特措法で定める強制力のある措置として必要なのは、第一に医療資源の再配分に関する強制力。第二は、医療以外の検査で誤った認識を持たせない様に制限する検査の統制管理。第三は、情報の統制である。休業要請の強制力と補償など4番目以降で充分。

 よく考えて欲しい、マスコミの無い時代に、新型コロナが流行したら果たして、パンデミックになっただろうか。感染力が高いと言っても、身の回りでの患者数はどれほどだろう。無症状や軽症状が殆どであれば、普通の風邪と見極めることは出来ないのではないか。毎日、感染者数最高と言われ続けるから、必要以上に恐れているだけではないだろうか。実際に患者が発生していると言っても、新型コロナは実は2019年に既に上陸していたとの説もあるぐらい見極めがつかないのだから。全く、マスコミが感染状況を伝えなければ、同じ様に緊急事態宣言を出すべきに60%もの人が賛同するだろうか。

 今の感染状況が収束するとは、どういう状態を指すのだろう。誰も、恐れず、騒がなくなると、メディアは視聴率が取れないので必要以上に危機を煽るのをやめるだろう。メディアが報じなくなると皆は忘れていくだろう。鶏が先か、卵が先か。そのトリガーになるのがワクチンであり、治療薬であった。ワクチンや治療薬に効果は必要なかった、その存在で安心をして必要以上に騒がなくなる効果の方が高い。インフルエンザに対する意識がその事を示している。現状の新型コロナ以上の感染者数、死者数を毎年出していても、ワクチンと治療薬の存在で何故か精神的安定を得ている。よく考えて欲しい、ワクチンと治療薬が揃っていて、新型コロナよりも死者数が多いのだ。何故、安心できる?何故、新型コロナは必要以上に恐れる。

 つまり、ワクチン開発で新型コロナの精神的安心を得て、必要以上に騒がなくなり、結果メディアも報じなくなっていき、収束に向かう。例え、同様の感染者数、重症者数、死者数が発生したとしてもだ。

 しかし、緊急事態宣言やむなしの状況では、それまでに払う代償はとてつもなく大きい。懸命に、情報を見極め、冷静に論理考察できれば、払う必要のない代償なのだから、残念でならない。

医療崩壊の数値的検証とその対策提言

 諸外国に比べて圧倒的に少ない感染者数、重症者数にも関わらず、医療崩壊の瀬戸際に立たされる日本。愕然とさせられる事象だが、本当であれば国家的に医療体制の脆弱性を真剣に改善しなければ、枕を高くして眠れないだろう。その実態を検証してみなければ、対策の方向性も検討できないので、オープンデータから検証をしてみる。
 
 まず、グラフをご覧いただきたい。このグラフは、感染者総数から死者数と療養解除者数を引いた推移である。つまりマクロな観点では、指定感染症であれば全て入院必要な患者となる。

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 ご覧いただければ分かるのがピークを2回経ながら3回目のピークへと向かって行く傾向の中で3万人というラインに近づいているのが分かるだろう。この3万人という数字が重要である。

 なかなか、減少しない傾向があるのは、一旦療養に入ると他の感染症と比較して療養解除まで長期間必要になる。即ち、他の感染症より病床占有率が高くなるのである。そして、3万人に迫ろうとしている。

 日本の病床数は、概ね100万床と言われているが、新型コロナに備えて準備可能とされたのが、その3%にあたる3万床である。即ち、マクロ的には逼迫している事を数値は示しているのである。

 いやいや、無症状者などホテル隔離、自宅療養も増えているという意見もあるだろうが、現実問題として3万床とはMAXであり通常の回転率、全国に散らばっている総数だと考えると、実質は約80%の2万4千床あたりで、そこいらじゅうでベッドがないと言う調整が必要になり、所謂逼迫状態になる。その分をホテルや自宅でカバーしていると考えれば、3万人に近接してきたという数字は、逼迫と言っていいだろう。

 一方で、今インフルエンザの患者は激減している。例年なら週当たり10万人前後の感染者だったのに対して、今年は数百人に収まっている。この中から入院患者はどれだけいたのだろうか?仮に1割と想定すると、1万人規模となるのであり、その分は病床に余裕があるはずだ。

 また、危機管理の基本中の基本だが、危機に備えて準備した資源(この場合病床であり、対応人数である)3万床で不足する事態が発生する場合、残りの97%から適宜資源の再配分を行うのである。3万から4万、5万というと相当なリスクを孕む規模に感じるかもしれないが、97%を96%,95%に調整すると考えるとそれ程困難には感じないのではないだろうか。現実、企業における危機管理対応時には、普通に当たり前に実行する資源の再配分なのだ。

 私自身、東日本大震災時の企業における危機管理対策本部や、その他のインシデント発生時の組織運営管理者として幾多の危機管理体制に対応した経験から言うと、資源の再配分は権限さえ備わればそれ程難しくないし、通常業務に影響を及ぼさずに対応可能なのである。危機管理体制やプロジェクトに必要不可欠なのは資源の確保に対する権限なのだから。しかし、厄介なのが、権限が付与されていないことを想定する場合なのだ。それでも、その体制をの責任者がまず実行すべきことは、資源の確保なのである。

 そもそも危機管理体制に資源確保の権限が付与されていない時点でお終いなのだ。資源を再配分しようと、全体最適を考えて采配を振るおうとしても、既存組織は既存のミッションを保有し、自組織防衛の為の防御反応が出るので、権限が無ければ、部分最適に引っ張られ、全体最適が犠牲になってしまうのである。

 今の医療界が発信している、既存の医療に影響が出ると言う言い方は、この部分最適の防御反応の象徴なのである。構造的に、医療業界全体を統制管理し全体最適を指揮できる権限機能が存在しないことが、危機管理体制として脆弱である所以なのだ。

 正直言って、冬の感染ピークは想定された現象であり、その時点で3万床の医療資源で間に合うかは極めて心もとなかったと言わざるを得ない。そもそも、諸外国の感染状況を鑑みた場合、当初3万であったとしても、柔軟に増床する資源再配分を想定しておくのが当たり前だ。3万が限界だから、3万以内に感染を抑えるべきだと言うのは、その通りだろうが、収まらなかった時点の策を用意していないのは、余りにも稚拙、怠慢の誹りを免れないだろう。

 特措法で有事の強制力が議論されるが、命を守る医療に対しての国家としての強制力は何よりも最優先するべき事項のはずだ。少なくとも、医療業界の善意による危機管理能力は限界があることが今回露呈しているのだから。

この件も含めて、政府の採るべき対策、法的な対処をまとめると

① 感染症指定時に予め想定できる感染状況を定め、それに対応する、医療体制確保、医療資源配分の要請を医療業界(医師会?)に要請できること
② 予め想定した感染状況を超える事態と感知した際には、医療緊急事態宣言を発出し、医療資源の再配分の指示を強制力を持って出来ること
③ 医療資源再配分とは、病床数、ICU数のみならず、それを運用する医師、看護師も含むものである
④ 当該指示における設備運用費、人的資源費用の通常以上にかかるコストは政府が負担するものとする
⑤ この際必要な、ホテル療養や自宅療養に必要な介護師の人的資源確保とサービス維持を指示し、コストは前期同様政府負担とする

 以上のような内容を、法律としてブラッシュアップして特措法に組み込めば、飲食店などの休業要請よりも、もっと現実的な政府対策になる事は間違いないし、この部分が不足していては、本当の意味で命を守る体制にはなり得ない。

 繰り返しになるかもしれないが、日本の医療資源は世界に堂々と胸を張れる水準であることは疑いようがない。そして、医療のレベルもトップレベルである。皆保険制度に支えられている医療サービス体制も万全だ。日本の医療がこの程度の感染拡大で崩壊することがあろうはずがない。あるとすれば、資源の配分が硬直的で偏っていることに原因がある。であるならば、少なくとも緊急時には、医療業界に不足しているだろうノウハウ、経営のノウハウを注入しなければならない。即ち全体最適を見据えた資源の有効活用のノウハウを注入しさえすれば、今発生している様な動脈硬化現象は必ず解消できる。確かに医療業界は不可侵かもしれないが、崩壊し、国民の命が危機に晒される事態であるならば、背に腹は代えられないはずだ。

 何故、分科会や専門家会議に経済の専門家が入っていながら、この種の提言が出ないのか不思議でならない。経済の専門家という学者は、結局実践力が伴わず、机上論で経営のプロではないとするならば、学者でない本当の経営のプロ、或いは現場指揮を経験した、企業には存在するバリバリの再建人材を入れて議論すべきだろう。

感染拡大と因果関係のない対策

 因果関係のない対策は対策ではない。当たり前だ、結果と関係ないことを実施しても結果を変えることは出来ないからだ。

 GoTo と感染拡大に明確な因果関係がない、証明するエビデンスはない、にも関わらず、多くの識者は、感染対策としてGoToの一時停止を呼びかけ、世論が形成され、民主国家としての政府は、一時停止せざるを得ない空気に動かされた。これは春の緊急事態宣言時の再来である。GoToを停止すべきと提言するのであれば、その成果もコミットするべきだが、出来るはずがない。

 エビデンスはないがきっかけになったのは間違いない。GoTo を実施している環境では、感染予防に対して緩む方向の空気を形成し、感染予防対策が疎かになっていると言う。だから、一時停止という空気感で引き締めようと言うのだ。冷静に考えて、国民をバカにした考えであり、国民としては怒って然るべきではないのだろうか。ある意味、直接効果は無いが見せしめとしてGoToがスケープゴートになった様なものだ。と思っていたら、素直で正直な日本人は、恐怖で煽られると頭で分かっていても、理解を示し、仕方がないと受け入れる空気を産み出しつつある。
 その根底にあるのが、感染症は人の移動で感染拡大すると言う、疫学上の常識であろう。エビデンスが無かろうとも、事実を無視してでも、常識なのだから移動制限は効果があるはずだと。

 では、その常識を論理的に検証していきたい。移動制限とは、ゾーニングによってホワイトゾーンを継続的に確保する目的で行われるものである。その前提で、下図を見て頂きたい。

ゾーニング

 上図の様に、着色部分がまばらで、区分できる状態であれば、境界線を設置してゾーニングを行えば白地の部分は確保できる。しかし、下図のように白地の中に全体的に着色部分が分布している状態で境界線を引いて移動制限しようとも、全面的に着色ゾーンになり白地は確保できない。春先と違って、今や蔓延状態なので、中途半端な行動制限に何の意味もないのだ。

 模式的に図示したが、ウィルスの蔓延状態は、今やどこを切っても白地は無く、まばらに濃淡はあれども、全面グレー状態である。それは境界の切り方や、ゾーンの大きい小さいは関係ない。マクロで見ても、ミクロに切っても同様のまばら着色状態なので、どこに行動制限を実施しても結果は同じである。小さなゾーン内に行動が制限されても、人の接触はそのゾーン内で発生するので何も変わらない。

 唯一可能性があるのは、個人単位で区切ること。つまり、全ての人の行動を制限すること、完全なロックダウン、ステイホームで人との接触をゼロ化すること。これは、一定時間でウィルスが死滅する効果があるかもしれない。しかし、それは日本ではできない。そして必要ない。また、一旦死滅しても、必ずどこかから流入する、阻止できない類のウィルスだからだ。

 陽性者をあぶり出して、行動制限すると言う考え方もある。その為に徹底検査が叫ばれ続けた。しかし、徹底検査を実施した諸外国も今は再感染拡大している。その理由は簡単、検査で白黒区分することが出来ないから、境界の意味がなくなるのである。日本でも、体操の内村選手偽陽性などの現象は記憶に新しいのではないだろうか。検査で白黒、デジタル区分は出来ないのである。

 確か、このウィルスの絶滅は現実的でなく、Withコロナ、共存を目指すと合意していたのではなかったのだろうか。少し感染が増えると、直ぐに情緒的に、ゼロ化、ゼロリスクを前提とする議論に発展してしまう。あり得ないゼロリスクを追求する結果、国民の人権を制限し、生活を犠牲にし、富を失する結果を招く責任を、ゼロリスク信者は責任を取ってくれるのだろうか。多分、他のリスクが顕在化した時点で手のひらを返して、失政だと追求し始めるに違いない。

 ウィルスは人類を絶滅させない。共存の道を選択する。従って、蔓延状態が続けば、ある一定期間で勢力は弱まる。もちろん、ウィルスに曝露されても、感染しないで健康を維持する可能性を高める対応は可能である。それが、個人の免疫力強化、体調管理、栄養補給、睡眠確保などなど。ウィルスが存在して健康も維持できている、これが人類にとってもウィルスにとっても最善であり、真の共存状態である。

 ブルームバーク通信で日本は、新型コロナ対策でニュージーランドに続く2位に評価された。3位台湾、4位韓国、と言うことで、実質的な感染数、死者数の少なさだけでなく、必要以上の人権制限を行わずに達成していることが評価のポイントだろう。日本国民はその内容に自信を持つべきなのだ。