民主主義の恐怖政治 情報を制する者が民衆を扇動する最強権力を行使 結果としてGoToが生贄に

 菅政権の支持率が大幅に低下してきた。ここ最近の新型コロナ感染拡大第3波に対しての対応で指示率が落ちていると見るべきだろう。しかし、この構造自体は、良い言い方をすればポピュリズム、悪い言い方をすれば民衆の有無を言わさない暴力的な力であり、その方向性に空気感を導くメディア、特に電波系メディアの責任を問わざるを得ない印象を拭えない。このラインより上のエリアが無料で表示されます。

 感染症の流行自体は、政府の責任ではなく、自然災害と言っても良いが、人は自分達が被害を受けると精神的に他責要因を求めるのが人の性である。連日連夜、テレビのスイッチを付けると、感染者数過去最高、死者数過去最高、医療崩壊、命の選択が目の鼻の先と言われ続け、ウィルスに責任を問えない状態で、政府には明確な姿勢を取って欲しい、強力な感染症対策が必要だ、政府のメッセージが足りないと耳に入り続けると、大なり小なり影響を受け、政府への批判意見が増えるのは当たり前だ。

 耳に入る情報が偏っていることに気付く人は、ほんの一部だろう。大多数は、矛盾に気付かず、妄信して、心配になる。人の気持ちを誘導するために一番手軽な方法が、人を不安に陥れることだ。心配だったら、少し調べれば多種多様な情報が存在することは直ぐに分かる。その時点で、電波系メディアが伝える情報が一辺倒で、他の情報が排除されている異常さに気付けるだろう。更に踏み込んで、多様な情報を文書として確認すれば、自ずと客観的な判断が出来るのだ。しかし、大多数が調べる意欲を持たず、そこに労力を使おうとしない、或いはする能力を持たないから、電波で言い続けている事を鵜呑みにしてしまう。

 ここまでコロナ一色で危機感を煽られ続け、客観的判断すら喪失させられた状態で、責任の転嫁先、所謂犯人をあてがわれると、その犯人の一挙手一投足、箸の上げ下げにすら文句を言いだす悪循環が始まる。『ガースーです』や少し前の『お家に居よう動画』など、本質的には何ら批判の対象とはなり得ない事まで、緊張感が無いなどと脊髄反射的に攻撃の対象になる暴力的な悪循環がもたらされる。

 情報とはそれ程強力な力を持っている。現代はインターネット全盛期で様々な情報との距離が近くなり、誰でも多種多様な情報を取得することが出来る。しかし、インターネットの情報の力は現時点では極めて限定的なのだ。情報を取得することが出来ると、取得するとは莫大に大きな差がある。そして、情報の威力で言うと、相変わらず電波の力がその受動的に受けてしまえるという性格上、圧倒的に強いのが実態だと再認識させられるのである。

 インターネットでの情報発信では、仲間は集まるが、全ての情報を一色に染めることは事実上不可能、大衆を扇動するのは相当困難である。それは、多様性が存在するからだが、電波は多様性のある情報の中から、極めて一部分の情報だけを、それ以外の情報は存在しないと決め込んで1色に染めることは比較的簡単なのだ。それは、多くを語る時間が無い、視聴者はそれ程根気強く見聞きしておらず、ワンセンテンスメッセージのつまみ食いで分かった気になる。従って、伝える側も、視聴率を取るためにはこの傾向に逆らわず、印象だけで感情的に訴える。これがフェイクニュースの構造であるが、最近の電波系メディアはドンドン酷くなっている様に感じるのは私だけだろうか。

 政府を攻撃する際の語り口として、説明が充分でない、施策を打ち出して欲しいという言い方をよく聞く。しかし、実際のところ、政府各所からのメッセージは多数発信されており、施策も多数実行している。そのメッセージや施策はメディアが望む通りの発信、即ち一辺倒に偏った情報を元とするものでないので、発信が無いと言う言い方になる、極めて公正さに欠ける言い方なのである。

 テレビの報道で専門家が登場するのはいつのころからだろうか。確か、湾岸戦争時期に軍事専門家と称する方々が出演して、素人に分かり易く解説することが始まったように記憶している。最近では感染症の専門家がテレビに出ない日は1日たりとも無い。そして、口を揃えて、感染拡大の危機感を語り、行動制限が感染症を抑え込む対策だと語り、マスクやソーシャルディスタンスの必要性なども語る。そして、医療崩壊の危機を語り、GoToを停止しろと、政府に対する批判まで語っている。つまり、感染が拡大し、医療崩壊に繋がり、国民を命の危険に晒しているのは政府だと言わんばかりの印象を毎日発信していれば、支持率が低下するのは当然だろう。

 さて、では現実はどうなのだろうか。その答えは、インターネットに存在する多様な情報と数字を検証すれば自ずと出てくる。

 冷静に考えて欲しい。専門家といわれる人々は、全員の意見が一致しているのだろうか。そんな訳が無いことぐらい容易に想像できるだろう。異論異説、反対意見があって議論し、自説の信ぴょう性を高めるため、研究やデータ分析を科学的に行って、進歩していくのである。電波を通じて発信されている専門家からの情報が異口同音で同じことを言っていることに不思議さと違和感を感じて欲しいのである。

 必ず反対意見は存在する。現実に、電波で言っていることに真っ向反対する専門家は多数存在する。しかし、電波では決して取り上げられないから、他に意見が無いような錯覚をしてしまう。こう言うと、公平に取り扱っていると言う反論が聞こえそうだが、趣旨と反する意見が出された瞬間に完全スルーし無視、無かったことの様に別の意見の説明を始める光景を私は幾度となく見ている。異論に対して反論すればまだましなのだ。その時点で異なる意見の存在を認めることになるからだ。だが、完全に無視をしてスルーし、発言自体を無かったことの様にするのである。その傾向の強い番組、キャスター、コメンテイターは数えたらきりがない。そういう目線で、見て頂ければある意味滑稽さすら感じてしまう筈なのだ。

 医師に対する取材でも、発言を部分的に切り取って、全く正反対の趣旨に利用され、その医師から抗議を受けた事件もあった。一応の謝罪は後日したものの、誤解を与えてしまった注意不足程度に留まっており、誤りを認めてはいなかった。無論、後日謝罪したところで、情報とは発信された時点で消せず、影響はその時点で与えるものなので、発信の何倍もの訂正と謝罪が無ければ謝罪にはならないのだ。ファクトチェックや取材相手の主張確認はメディアとしては当たり前の義務だが、どうも自分たちの大義の為には正義だと奢っている様にしか見えない。

 感染症対策は、検査をして隔離をする、行動が感染を拡大させるので行動制限が効果的な対策となるのが常識と言われている、それはその通りだろう。しかし、その根本的な意味を無視して、そう決まっていると言うのは間違いなのである。ある、条件の元に成立する話だからだが、その条件を無視しての強弁は、聞くに堪えないのだ。状況や環境条件によって実際は変わってくることも事実なのに、それらを無視しての決め込みは、極めて非科学的、感情的でしかない。

 政府は、実際に国民の命と生活を守るために、偏った意見ではなく、多様性のある意見に耳を傾け、その複雑な連立方程式とも言えよう数式の最適解を求めようと模索する責任がある。従って、ワンセンテンスで決め込んでくる説とは、意見が合わないのは至極当然であるが、どちらが、現実に対して最適なのかは自明であろう。しかし、民主主義において有権者の意見が、例え偏向情報に洗脳された結果だったとしても、意見が揃ってしまえば、ある程度納得させるための落としどころ案を創出するのが民主主義である。ある意味、最適解ではないが、間違っていようと、最適でなかろうと、苦渋の選択をせざるを得ない状態に追い込まれてしまうのだ。

 GoToを一時中止などする意思は政府には基本的にはないし、今まではなかった。その理由は明確で、GoToと感染拡大の因果関係はないからだ。感染を拡大させていないというエビデンスも無いと言うのは悪魔の証明であり、本来無理筋として論外なのだ。また、東京大学の症状の発出との関係アンケートもどう考えても結論ありきの無理筋である。緊急性があるので査読前の公表というのは、査読後であれば公表できる代物でないので査読前に公表したと考えるべきだろう。実際、GoToの人出でマクロ的に感染は拡大していないのは明らかだが、電波は認めずスルーしているだけなのだ。自分たちの主張と異なる情報や意見は無視する異常な姿勢なのだ。

 そうはいっても、ウィルスを持った人が無症状で行動し他人と接触することで、感染は広まるではないか、という人も多いだろう。確かに、その主張は正論だ。ミクロ的には何の間違いもない。但し、前提となるのは、人の行動をゼロにして接触ゼロ化出来ればその通りだろう。しかし、現実にはそれほど簡単に個を選別し行動ゼロ化を実現することは出来ないので、一般的には地域や場所を限定して、その境界を越えない隔離施策を取るのが通常である。その場合、隔離境界内は接触による感染は発生するのである。統計的には、隔離境界内は増加も減少も均一になっていくので、境界をまたいで非感染地域が存在する場合に限り、有効なのだ。逆に言うと、今の日本の様に全国に蔓延している様な状態では、行動制限は何の意味もない。いや、本当に中国が実施したような一時期完全に個の行動を強制的に制限できた場合は有効である。感染周期の期間、強制的に自由を束縛して個を隔離出来れば収束するのも当たり前である。しかし、通常の民主主義国家で語ることはできないのだ。

 実際に春の緊急事態宣言は、同様の情報偏向により世論が動かされ、その圧力で民主主義政権が追い込まれ発出せざるを得なかったのが実態だ。そして、結果の総括は行ったはずだが、その結果は曖昧にされてしまっている。それはそうだろう、緊急事態宣言は発出の必要が無かったと言うのが結論、発出時には感染は収束し始めており、発出と収束に因果関係が無いからだ。このことを誤解なく公表するのは、偏った情報との全面戦争になりかねず、混乱を更に深めるしかなくなり、敢えて公表を様子見にしているというのが本当のところかもしれない。本来は、その時点で指定感染症としての扱いを変更すれば今の医療崩壊直前状態は起こっていないだろうが、この扱い変更も大反対でとても切り出せる状態ではなかったのだから、誰の責任と言うべきだろうか。

 従って、今、GoToを中止しようが、行動制限しようが感染抑止に効果はない。一方で、行動制限に伴う生活への打撃は確実に被るので、政府としては生活を守る視点から効果もない施策を選択できるはずがないのである。補償で得られるのはその場しのぎでしかなく、充分な筈もなく、もし万が一充分であれば、事業の拡大意欲減退にも繋がりかねない最後の手段なのだ。GoToなどの景気刺激策の場合は、政府の支援と言いながら、事業拡大のカンフル剤となる投資であり、何倍もの経済効果を生み出すので、本来比較する方が間違っている。

 そうすると、何故今、感染拡大しているのか。一つには冬で寒くなり、乾燥している季節要因だとも言える。そして、何より原点に返れば感染抑止行動ニューノーマルの実行性が低下してしまっていると考える以外にないだろう。この事には対策は必要かもしれない。ドンチャン騒ぎを自制すればそれだけで大きな効果はあるだろうからだ。

 しかし、電波系の危機煽り報道のあまりの酷さにオオカミ少年状態になっている。ニューヨークの様になる、イタリアの様になる、死者何十万人、と煽り続けて、何か一つでも現実になったことがあるだろうか。来週には危機的状態になると言い続けるのには限界があり、逆効果となってしまう。
 実際数字を見ても、危機だと言う諸外国と比較して桁違いに規模は小さい。見習うべきという韓国でも感染は止まらない。検査と個に至らない隔離は効果が無いことは社会が証明している。この状態で自粛はあり得ないが、行動上の注意は喚起できる。実際、政府の発信は、マスク会食や3密、ソーシャルディスタンスを守った行動を強く託している。電波系メディアがその事を無責任と責任転嫁しているのでメッセージが弱くなってしまっているだけだ。

 素直に考えれば、感染抑止行動ニューノーマルのレベルを上げるのが最大の感染防止施策といっても過言ではないし、それ以外にないだろう。

 実は、電波系メディアもその事は理解している筈だ。行動制限を必要不可欠だとスタジオで専門家やキャスターが語っている姿を見て、今年の春と比較して違いを感じないだろうか。緊急事態宣言の総括、効果が見えない時点では、リモートを強化し、最低限の出演者に抑え、連続ドラマなどもかなりの部分が自制されていた。しかし、現在はそれ以前と比較して違いがあるとすれば、アクリル板が設置されているだけだろう。通常の飛沫飛散を考えると、それでは不十分なのだが、堂々とその状態で報道番組を放映し、他の行動は制限するべきと強弁している。
 様々な番組のご意見受付に、そこまで行動制限をうったえるのなら、まずあなた達がリモート主体にし、コメントの際にはマスクを着用しなさいと訴えているが、一切反応もなく、対応も変わらない。この程度では感染しないことは分かっている、とでも言いたいのだろうが、それなら他の感染拡大に繋がらない行動を攻撃してはならない。政府にメッセージ性を求め、GoToを生贄にしろと言うのなら、その姿勢をメディアが画面で伝えるべきだ。だが、絶対にしないだろう。自分たちの業界、タレントなど含めた関係者の損害が計り知れないからだと想像するが、それなら旅行業界、飲食業界の損害に目を向けないのは身勝手すぎる。

 日本の産業構造を変革するために、デジタルトランスフォーメーションやSDGs、アグリなど以外に注力していたのがインバウンドだ。残念ながら、インバウンドは海外交流なくして本当の拡大は困難だが、この状態なので内需でまずはイノベーションを起こす方策が目指せれば、それは大きな力になるはずだ。ピンチをチャンスに変えられるが、折角のチャンスをつぶすのも簡単なのだ。

 しかし、それでも世の中は合理的な判断が為されないのが常だ。特に民主主義国家では、情報を制する者が牛耳れるのが実態だ。それが故、電波系メディアは混乱に乗じて力を発揮し始めた。結果、政府はGoToを生贄として捧げざるを得なくなった。感染抑止効果は無いことは百も承知の上で。

 実際第3波は、12月中旬時点がピークで、ピークアウトしている。高止まりしている様に見えるかもしれないが、本来のピークは東京都で1日新規陽性者1000人を想定していた、全国規模で言うなら1日5000人規模だろう。その手前で上げ止まりしたのが実際で、そこまで上がっていないから下がっている様にも見えないピークの頭カットされた状態なのだ。年明けには一旦収束する予測だったが、春の緊急事態宣言の再現で、収束と対策に因果関係のないムダな策となってしまうだろう。私如きの予測では誰も信じないだろうが、大阪大学の専門家チームの提唱するK値でもピークアウトは検出されているのだ。しかし、メディアは決してまともに取り上げない。

 そして、情報を牛耳る権力が蔓延る状態で、我々が対抗する手段は、現代版学問のススメにあると信じて止まない。福沢諭吉先生の学問のススメは、一部誤解されていることもあるが、世の中は平等で公平と言っておらず、何故か実際は貧富の差など格差が存在し、不平等であるとし、それは学問で左右されると言っているのである、即ち、不平等な目に合わない為に、民主主義国家として自由と平等を勝ち取るために、学問をするべきだと主張している。

 現在版は、情報リテラシーを個々に高めることが自由で平等、成熟した民主主義の確立のために必要不可欠になってきた。従って、受動的な情報に流されず、能動的に情報を取得し、その多様性の中で自身の考えを作り上げていく、情報リテラシーを磨けと言いたい。

東京大学論文(GoToと感染の関係性)の考察検証

 東京大学の論文(GoToと感染リスクの関係性調査)が公開された。査読前だが、緊急性が高いと言う趣旨での公開になる。メディア、専門家、野党議員は挙って、結論として『GoToは感染リスク高い』が研究結果だと伝えている。同時に論文内記載の限界点も伝えてはいるが、充分伝わる言い方には思えないので、一般社会では誤解が広まっている様に感じる。
 従って、詳細の確認が緊急に必要と感じたので、通読してみた。結果、誤謬性の高い部分が存在したので下記に示す。確かに統計データ処理にはかなり気を使って精度向上しているが、データを元にした考察では、結論ありきの感が否めない。査読では、良識的な指摘が為されることが想定できる。

① a.GoToトラベル利用経験(過去1~2か月)とb.過去1か月以内の症状経験の関連を問うには、a.b.の時系列が明確である必要があるが、時系列は明確でないので関係性を問えない。


② 有症率の差をGoToトラベル利用の影響とした場合、GoToトラベルの母集団にも差分と同様の発生確率での有症状者が発生する必要がある。11/15までに5260万人泊の利用が報告されており、1人平均2回利用と割り引いて考えても、2500万人規模の母数に対して、1%の25万人規模の有症状感染者が通常より多く検出されて然るべきであるが、現実の感染者数規模は異なる状況である。


③ GoToトラベル利用者の内、高齢者の方が感染リスクを恐れているため、慎重に行動してリスクを増加させていなかったという考察は、即ち、非高齢者でも慎重な行動を実施さえすればGoToトラベルは感染リスクを増加させないとの考察にもなる。即ち、GoToトラベル中止による移動制限よりも、感染予防に対する慎重な行動の方が感染抑止に効果がある事になる。


④ 一方で、高齢者が慎重な行動をすると言う考察は根拠のない印象情報である。実際、GoToトラベル利用時の高齢者の行動は、むしろ感染抑止の認識が薄い印象すらある。それは日常行動においても同様に確認される。(但し、統計的に論ずるデータは存在しない)


⑤ 高齢者と基礎疾患のある人をGoToトラベルの対象外とする目的は、感染拡大のコントロールではなく、感染した場合の重症化リスクの高さを考慮し、直接感染機会の低下を目的としており、施策が有効でない理由にはならない。


⑥ 記憶による症状の自己申告と新型コロナ感染を直接関係性を持たせている論理に無理があり、そのことでGoToトラベル事業が感染拡大に一定の影響がある可能性があると論ずるのは飛躍し過ぎである。


⑦ 査読前にこの結論を公開することで各種メディアが結論を伝え、一般国民に不確かな部分が充分に伝わらず、飛躍した結論だけが伝わっていく現象は、フェイクニュースの類を免れず、後から誤謬性が報告されても、一旦広まった印象が消えないのが一般社会であり、査読前の公開は影響力の大きさを考えると慎重であるべきだった。


⑧ 感染リスクの高い人の定義が、感染抑止行動の甘い人、慎重な行動を心がけない人であれば、感染リスクが高い人がGoToトラベルを利用する傾向が強いと言う論理は一定の理解が出来る。しかし、その感染抑止行動の甘い人、慎重な行動を心がけない人は、例えGoToトラベルを利用しなくても、日常の行動にて同様の感染リスクを有するのであり、GoToトラベルを感染リスクの要因と論ずることは出来ない。


⑨ 全体的に結論ありきでの論理展開の印象が拭えず、このデータからGoToトラベル事業の是非を論ずるのは無理がある。


⑩ 但し、感染抑止行動、慎重な行動が感染抑止に効果があるとの論旨は理解できるものであり、感染抑止行動としての会食時含めてのマスク着用や3密回避、ソーシャルディスタンス、手洗いうがい等の重要性を改めて示す結論には導くことが出来る。

悪魔の証明

 GoToキャンペーンが感染拡大の原因となるエビデンスは無い。このことは、多くの専門家もメディアも認めている。当たり前だろう、数字は嘘をつかない、GoToを始めても第2波という感染拡大は減少に向かったからだ。素直に、人の移動があっても、適切な感染防止行動、ニューノーマルの生活様式が備われば、感染拡大抑止には繋がらないと言っても良いだろう。

 しかし、良く聞こえてくるのが、『GoToが感染拡大の原因となっていないエビデンスも無い』という言い方だ。国会では野党が政府の新型コロナ対策の追及の場で、医療の専門家はあらゆる情報発信ルートを使って、メディアは無責任なコメンテイターやアナウンサーまで、同じ口調で、どちらともいえないと印象を植え付け続けている。
あまり意識されない方も多く、騙されがちだが、この言い方は『悪魔の証明』という禁じ手である。

 この世に悪魔は存在しないと主張するならば、それを証明して見せろというものだ。存在することを証明する為には、1人でも悪魔を発見すれば存在を証明は出来るが、存在しない証明は、その時点で発見されていなくても証明にはならないのだ。たまたま、発見できていないだけかもしれないからだ。従って、永遠に証明は出来ないのだ。別名、消極的事実の証明ともいう。

 従って、『GoToキャンペーンが感染拡大の原因となるエビデンスは無い』という時点で、統計的にも科学的にも因果関係は無いと言うべきなのである。もちろん、何らかの相関関係を示すデータが確認されれば、そのデータを検証して、結論が覆る可能性がゼロという訳ではない。しかし、エビデンスはない時点で科学者なら、『きかっけになったのは間違いない』『原因となっていないエビデンスも無い』とは絶対に言えないのだ。

 メディアも事実を伝える大原則が、もし、今でもあるのなら、この『悪魔の証明』は直ぐに訂正するべきだ。軽々しく発言している方々も、電波に乗せる責任を持って謝罪と訂正が必要だろう。

 国会の野党議員に関してだが、冷静に判断できる有権者を増やさないと、民主主義を崩壊させかねない。政権を攻撃するのが野党の役割だと、非論理的な言いがかりばかりで『悪魔の証明』を殊更求める傾向が強い様ではダメなのだ。論理性の無い攻撃は、野党だから結果に責任を持つ必要が無いと割り切っているから出来るのかもしれない。それでは、決して与党に押し上げようと思えなくなるだけであり、永遠の野党、永遠の無責任集団でしかなく、健全な民主主義には必要ない集団になってしまう。日本の為にも健全な議論を期待したいし、そうでないなら投票行動で示すべきだろう。

 悪魔なんて存在するはずが無いのは、常識だ。それと同じ論理で、人が動けばウィルスも動き、感染が拡大するのは常識だと言いたいのだろう。しかし、日本のニューノーマルの生活様式、感染抑止行動が伴えば、移動のリスクは充分低減され受容可能なレベルになるのだ。常識は、覆るものであり、ある条件を掛け合わせることで覆せるものなのだ。そして、このことは日本が諸外国に胸を張って誇るべき事象なのだ。

 では、なぜ今、感染拡大しているのだろうか。その問いには、なぜ昨年までのインフルエンザはこの時期に感染拡大が始まっているのだろうかと問いたい。また、風邪は何故冬に流行し、夏風邪も一定数発生するのかと問いたい。問いに対して、必ず1対1の解が存在するわけではないのが実社会。しかし、季節性の要因があることは間違いないのだ。つまり、気候を人為的に操作出来ない領域であり、冬季のリスクは、当初から認識するべきリスクなのだ。

 また、逆の言い方をすると、因果関係のないGoToを停止したところで、或いは営業時間短縮要請をしたところで、感染抑止効果は無いと言っても過言ではない。効果のない策を打つことで、被害を受ける観光業界、各種店舗は補償されたところで、必要のない被害を受ける事に違いは無いのだ。いくら補償があっても、事業継続とは全く次元が異なるのだ。これほどバランスの悪い策に対して、政府が消極的なのは当たり前で、経済か感染対策かという言い方や経済優先という解釈は本質的に間違っている。間違ったメッセージに踊らされる国民の声が民主主義社会では諸悪の根源となってしまうのであり、間違っていることは間違っていると是々非々の考察が必要不可欠だ。

 そうこうしているうちに、『GoToを推進することで国民の緩みに繋がるリスクがある』という言い方に専門家の一部は変わってきた。『悪魔の証明』に気付いて反省したのであろう。しかし、ならば打つ手は、GoTo停止ではなく、ニューノーマル、感染予防対策の徹底の訴えかけであり、法的措置が必要ならば、感染抑止対策の不備に対して行政指導、罰則規定を設けるなどが有効である。条件として、感染発生の有無に関わらず、あくまで対策の内容を評価するべきではあるが。
 そして、何と言っても医療体制の強化が一番重要な対策だろう。医療崩壊を防ぐ具体的な方法論、税金を使ってでも実効性のある対応策を提言するのが分科会、医療専門家の役割ではないのだろうか。ベッドが不足する、人が足りないとテレビで不安を煽って、政府が何もしてくれないと言っても何も前に向いて動かない。具体的に何をするべきか、論理的な発信を期待して止まない。

感染拡大と因果関係のない対策

 因果関係のない対策は対策ではない。当たり前だ、結果と関係ないことを実施しても結果を変えることは出来ないからだ。

 GoTo と感染拡大に明確な因果関係がない、証明するエビデンスはない、にも関わらず、多くの識者は、感染対策としてGoToの一時停止を呼びかけ、世論が形成され、民主国家としての政府は、一時停止せざるを得ない空気に動かされた。これは春の緊急事態宣言時の再来である。GoToを停止すべきと提言するのであれば、その成果もコミットするべきだが、出来るはずがない。

 エビデンスはないがきっかけになったのは間違いない。GoTo を実施している環境では、感染予防に対して緩む方向の空気を形成し、感染予防対策が疎かになっていると言う。だから、一時停止という空気感で引き締めようと言うのだ。冷静に考えて、国民をバカにした考えであり、国民としては怒って然るべきではないのだろうか。ある意味、直接効果は無いが見せしめとしてGoToがスケープゴートになった様なものだ。と思っていたら、素直で正直な日本人は、恐怖で煽られると頭で分かっていても、理解を示し、仕方がないと受け入れる空気を産み出しつつある。
 その根底にあるのが、感染症は人の移動で感染拡大すると言う、疫学上の常識であろう。エビデンスが無かろうとも、事実を無視してでも、常識なのだから移動制限は効果があるはずだと。

 では、その常識を論理的に検証していきたい。移動制限とは、ゾーニングによってホワイトゾーンを継続的に確保する目的で行われるものである。その前提で、下図を見て頂きたい。

ゾーニング

 上図の様に、着色部分がまばらで、区分できる状態であれば、境界線を設置してゾーニングを行えば白地の部分は確保できる。しかし、下図のように白地の中に全体的に着色部分が分布している状態で境界線を引いて移動制限しようとも、全面的に着色ゾーンになり白地は確保できない。春先と違って、今や蔓延状態なので、中途半端な行動制限に何の意味もないのだ。

 模式的に図示したが、ウィルスの蔓延状態は、今やどこを切っても白地は無く、まばらに濃淡はあれども、全面グレー状態である。それは境界の切り方や、ゾーンの大きい小さいは関係ない。マクロで見ても、ミクロに切っても同様のまばら着色状態なので、どこに行動制限を実施しても結果は同じである。小さなゾーン内に行動が制限されても、人の接触はそのゾーン内で発生するので何も変わらない。

 唯一可能性があるのは、個人単位で区切ること。つまり、全ての人の行動を制限すること、完全なロックダウン、ステイホームで人との接触をゼロ化すること。これは、一定時間でウィルスが死滅する効果があるかもしれない。しかし、それは日本ではできない。そして必要ない。また、一旦死滅しても、必ずどこかから流入する、阻止できない類のウィルスだからだ。

 陽性者をあぶり出して、行動制限すると言う考え方もある。その為に徹底検査が叫ばれ続けた。しかし、徹底検査を実施した諸外国も今は再感染拡大している。その理由は簡単、検査で白黒区分することが出来ないから、境界の意味がなくなるのである。日本でも、体操の内村選手偽陽性などの現象は記憶に新しいのではないだろうか。検査で白黒、デジタル区分は出来ないのである。

 確か、このウィルスの絶滅は現実的でなく、Withコロナ、共存を目指すと合意していたのではなかったのだろうか。少し感染が増えると、直ぐに情緒的に、ゼロ化、ゼロリスクを前提とする議論に発展してしまう。あり得ないゼロリスクを追求する結果、国民の人権を制限し、生活を犠牲にし、富を失する結果を招く責任を、ゼロリスク信者は責任を取ってくれるのだろうか。多分、他のリスクが顕在化した時点で手のひらを返して、失政だと追求し始めるに違いない。

 ウィルスは人類を絶滅させない。共存の道を選択する。従って、蔓延状態が続けば、ある一定期間で勢力は弱まる。もちろん、ウィルスに曝露されても、感染しないで健康を維持する可能性を高める対応は可能である。それが、個人の免疫力強化、体調管理、栄養補給、睡眠確保などなど。ウィルスが存在して健康も維持できている、これが人類にとってもウィルスにとっても最善であり、真の共存状態である。

 ブルームバーク通信で日本は、新型コロナ対策でニュージーランドに続く2位に評価された。3位台湾、4位韓国、と言うことで、実質的な感染数、死者数の少なさだけでなく、必要以上の人権制限を行わずに達成していることが評価のポイントだろう。日本国民はその内容に自信を持つべきなのだ。

新型コロナを正しく恐れよ

 11月の3連休、私は日本国民の賢明さを確信した。あれだけメディアで不安と恐怖を煽り、行動自粛しなければ破滅でもしそうな勢いと喧伝し、それがモラルだと言わんばかりに煽り続けていた。日本医師会会長まで医療の範囲を超えて経済停止を直接国民に求める越権行為の自粛要請発言までしたが、3連休の人出は陰らなかった。ニュースで報じる人出の状況、私自身が繁華街で感じた肌感覚でも、鵜呑みにしていない行動だと感じられる。少しだけ安心した。

 これだけ感染者数が増えている、毎日の様に過去最高をマークしているのに、何故その様に呑気な行動がとれるのかと言う声が聞こえてきそうだが、正しく情報を読み取れば、行動制限に大きな意味は無く、感染予防さえしっかり実施すれば行動しても大丈夫、であれば、経済復興のためにも、経済テコ入れ策であるGoToはフルに活用するべきなのだ。

 でも不安だ、という方々に正確に状況を把握してもらうために、数字も示しながら確認していきたい。

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 まず、現在までの新型コロナの感染者状況を全国と東京都に別けて2本の折れ線グラフで示す。縦軸は、新規感染者数の移動平均値だが人口10万人あたりの数字にしている。細かいグラフの遷移から数々の読み取れる事実があるのだが、それは拙著『ファクターXの正体』をご覧頂ければと思うが、ここではピークの期間を読み取りたい。ウィルスが人と共存していく知恵なのだろうか、ピークが永遠に続くと言う訳ではなく、一定期間でピークアウトして流行が収束していくのだ。グラフから見て取れるのは、およそ2か月が流行の期間だと言うことだ。このことは、過去のインフルエンザなどの流行を見ても、ほぼ同様の傾向が見られるのである。

 即ち、最初の感染ピークが減少したのは、緊急事態宣言のお陰ではなく、自然の摂理なのだ。であれば、この冬の感染拡大もおよそ2か月で一旦収束を見るだろうと推測できる。あくまで予測だが、12月上旬から中旬に向けてピークとなり、1月上旬から中旬に落ち着いてくるのだろう。では、ピーク時の感染者数はどのぐらいなのだろう。1波、2波とピークは上昇傾向にあるため、当然ながら3波のピークは更に高くなるだろう。

 ここで、過去のインフルエンザの感染状況を確認してみたい。厚生労働省発表のインフルエンザ報告数は2020年11月9日から11月15日までの1週で、23人だが、昨年同期は9107人なのだ。お気付きだろうか、今年の新型コロナと昨年のインフルエンザは感染開始時期と感染者数が、ほぼ同じなのだ。昨年のインフルエンザの場合で1日1万人から2万人程度の感染者が記録されているが、その程度までは今年の新型コロナでも可能性があると思われる。

 それは大変なことだ!と思う人もいるかもしれないが、重症化率や致死率など公平に比較してインフルエンザとの差がないのも事実である。唯一、違いがあるとすれば、法律上の取り扱いであり、新型コロナと診断されると原則入院が必要となり、医療機関を逼迫させてしまうことだろう。これは早急にインフルエンザと同等レベルにする法改正を行うか、少なくともホテル療養や自宅療養を普通にすることは必要だろう。急速に悪化する傾向があると不安視する向きには、パルスオキシメータで血中酸素濃度をトレースしておけば大丈夫だと言うことを理解して欲しい。急速な悪化と言う現象のカラクリは拙著『ファクターXの正体』で詳述している。

 1日1万以上なんて、と言う前に、既に昨年その数字は経験しており、更にその前年はその倍以上の感染者数を経験している。しかし、誰もインフルエンザで緊急事態宣言が必要だとか、行動自粛だとか、人権制限を容認し、経済を停滞させ貧困に向かわせる様な考えは持っていなかったはずだ。新型コロナでも同様に考えれば、この程度の数字で一喜一憂する必要は無いのだ。

 本日は勤労感謝の日。確かに医療関係者の努力には感謝をするべきだが、旅行業者や飲食店経営者の努力にも感謝するべきであり、勤労に違いは無い。その感謝の気持ちを持てば、折角戻りつつある状況で、簡単に行動自粛など言えないだろう。

 もう一つ予測しておくと、今年度のインフルエンザは、新型コロナの3波がピークアウトした頃に、感染開始し遅れてピークが来るのではないだろうか。コロナと入れ替わりでの流行と想像している。例年で言うと、B型が先に流行し、入れ替わりでA型が流行する様に、新型コロナとインフルエンザが入れ替わるのでは無いだろうか。これはあくまで予想であって、状況を確認してみたい。

 各国の状況を見ても、新型コロナ感染症は根絶させることは出来ないウィルスである。あれだけ見習えと言っていた韓国でも現在同様に流行が始まっている。つまり、ほぼウィルスは常在しており、環境要因などで流行が発生するタイプの感染症であることは間違いないだろう。人の移動を制限して感染が抑止できるのは、ウィルスが常在していないからであり、常在している状況では人が動こうが関係ない。つまり流行る時には流行るし、健康管理を怠り抵抗力が低下すると感染するのだ。

 医療的な対処ノウハウも既に蓄積されており、医療成績は格段に向上している。無駄に病院のベッドさえ占有しなければインフルエンザと大きな違いは無い。インフルエンザでも死に至るリスクの保有者が、同様に新型コロナでもリスクが高いだけなのである。
 但し間違ってはいけないのは、インフルエンザだって感染を少しでも抑え、致死率を下げるのは国家課題であるのと同様、国民目線でも安易に考えるべきではない。健康経営が企業の経営課題であるのと同様、国家運営上も国民の健康が最優先されるべき事項なのであり、国民一人一人の責任でもある。従って、今回会得したニューノーマルの感染抑止行動は、確実に定着させ、国家のノウハウとするべきである。

 更に人類がたくましいのは、この状況でも医療は進歩し、メッセンジャーRNAという新しいタイプのワクチンが開発された。これまで開発に向けた話は聞いたことがあるが、遠い未来の様に聞こえていたのが、新型コロナのお陰と言ってもいいだろう、開発が一気に進んだ。まだ、安全性や保存性などの問題は山積だろうが、この様な上気道感染症に対してではなく、がん等他の病気への対応力として大きな価値ある進歩を遂げたと感じている。良い意味で緊急事態を利用したと前向きに考えて良いだろう。

 こういう混乱期は、後ろ向きに、思考停止状態で、不安を煽る声を鵜呑みにして不安だと言うのでなく、状況を冷静に捉え、情報を自ら選別し、前向きに対処していく、そういう姿勢が必要不可欠であり、その結果が大きな飛躍につながるのだ。

第3波到来に適切に対応する考え方

 ここしばらく、毎日どこかの道府県で過去最高の検査陽性検出数が報告され、本日ついに東京都も過去最高をマークした。マスコミはこぞって危機感を煽り、医師会は次の3連休の自粛要請を発信した。

 検査陽性数に一喜一憂するべきでないと言っていたはずだが、大騒ぎである。しかし、冷静に数字を見極めてもらいたい。過去最高と言いながらも、全国でも1000の桁、10の3乗オーダーでしかない。欧米の第3波と比較して相変わらず2桁違う状態は、何も変わっていない。確かに、増加傾向にある事は間違いないが、どこかの番組で1週間前に連呼していた様な指数関数的増加では決してない。10の4乗、5乗と変化するのが指数関数であるのだから、今の増加は以前から言い続けている、1次関数的増加に過ぎないのだ。

 1次関数とは、y=ax+bで表され、第1波より第2波、第2波より第3波の定数bの値が徐々に大きくなっているのだ。つまり、基本的にウィルスの市中蔓延度合いが高まって、基礎数が高まっていると言うことだろう。市中蔓延状態にありながら、この増加傾向ということは、それ程大騒ぎするべき状態ではないとも言えるだろう。

 そもそも、寒くなり、乾燥環境になると、普通に上気道感染症のリスクが高まるのは自然の摂理である。諸外国との比較ではなく、例えば日本の過去との比較で語っても、例年のこの時期から流行し始めるインフルエンザの患者数と比較して、今年の新型コロナ+インフルエンザの総数で見ても、まだまだ少ないのが現実だ。
 インフルエンザの患者数は、新型コロナと違って発熱して医療機関の受診を受けなければ数にカウントされない。実際は、無症状、軽症状の患者も多数発生していることは、経験的にも理解できるが、その数はカウントされていない。その数字よりも、必要以上に検査を実施し多くの無症状者もカウントする今年の新型コロナ+インフルエンザの数は少ないのだ。

 インフルエンザとの同時流行リスクも噂されたが、これも何を根拠に言っているのか疑わしい。経験則から考えて欲しい。冬の初めはA型が流行し、A型が終息してから次はB型が流行するなど、入れ替わりで流行するのではないだろうか。若干のオーバーラップはあっても、大きく同時流行と言う経験は余りないのではないだろうか。そういう話が為されないのは何故だろう。だから、新型コロナが蔓延しつつある状況でインフルエンザは流行していないのだろう。

 そして何より、陽性者数が問題ではなく、重症者数や死者数を問題視するべきなのだ。ここで注意すべきなのが、公表されている死者数の定義であろう。新型コロナの死者数は、死に至る要因ではなく、死者が陽性者かどうかでカウントされている。しかし、通常の致死数と言うのは、死の主要因でカウントされるものである。例年のインフルエンザの死者数は、通常通りのカウントだが、何故か新型コロナは違う。この要素を考え合わせると、例年のインフルエンザの致死数と同等かそれ以下だとする見解がある。数字が公開されていないので断言はできないが、どちらにしても、大騒ぎする程の状況では決してないのだ。

 勘違いしないで頂きたいが、新型コロナであろうと、インフルエンザであろうと、はたまた流行性感冒であろうとも、病気であることは間違いなく、健康を維持するための努力は絶対にするべきなのだ。その為に、マスク着用や手洗いうがい、3密回避、ソーシャルディスタンス確保などの努力はするべきであろう。健康のために。しかし、GoToキャンペーンを諸悪の根源とする説には賛同できない。

 GoToキャンペーンが感染拡大の要因になっていると言う統計的根拠はどこにも存在しない。マスコミやマスコミで専門家として語る方々は、根拠はないかもしれないが、人の移動が感染リスクだと言い続け、休止を提言する。エビデンスは無いが、きっかけになったのは間違いないと根拠なく言うのは科学者としては如何なものだろう。
 不正の確固たる証拠を示せていないトランプ氏を非難するマスコミが、同じ口で、根拠を示せないのにGoToをやめろと言う。ダブルスタンダード、自分の都合のいい勝手論理とは気付かないのだろうか。

 最近ようやく、GoToのお陰で経済が回り始め、何とか耐え凌げている状況で、もし休止でもしようものなら、もう耐えられないという声が大きい。致死率の低い感染リスク対策の為に経済死の増加は決して容認できないのだ。
 無責任なコメンテイターは、行動制限を実施して、その分の補償をすれば良いと言うが、それもおかしいのだ。GoToで投下する税金は投資であり、投資であるからサービス開発、事業拡大等にもつながる回転を生み、経済効果としては何倍にもなるのである。休業させて補償しても、その額で一時は凌げてもジリ貧である事には変わりがない。つまり、同じ額で同じ効果ではなく、同等に語るべき性格のものではない。補償はセーフティネットでしかなく、経済復興を支える効果として語るべきではない。

 不思議なのは、強制的に休業させると言うことは、明らかに人権侵害であるのだが、何故か人権問題にうるさいリベラル系の方が人権侵害すべきと言う傾向が強い。奇怪に感じるのは私だけだろうか。

 そもそも、春の緊急事態宣言の効果検証、振り返りが何故か行われていない。統計的、数学的検証を真っ当に行えば、緊急事態宣言による感染抑止効果は極めて限定的であったと結論されるはずだ。だからこそ、政府は悪影響の方が大きいと言う予測からだろうか、緊急事態宣言発出には当時後ろ向きで、慎重であった。それでも、マスコミが煽り続け、世論が形成され、民主主義の政府としては、宣言を発出せざるを得ない状況に追い込まれたのが現実だろう。だから政府としては、第3波に対してもGoToを止めようとはしないのであり、1本筋が通っている。

 春の緊急事態宣言の総括を行えば、効果の無かった事実に対して政府は糾弾されるかもしれないが、上述のプロセスを考えれば理解は得られるだろう。むしろ、総括して困るのは、それでも危機を煽り続ける勢力でしかないはずだ。

 最後に新型コロナが死に至る病ではない、風邪と同等とまでは言わずとも、インフルエンザと同等かそれ以下のリスクである事実を示したい。スウェーデンの対策と結果が示しているのである。
スウェーデンでは行動制限などの対策は行わず経済を回し続け、集団免疫獲得を目指した。当初は感染者数の爆発的増加と死者数の多さに問題視する声も多かったが、結局、死者数は欧米他国と同等レベルに収まっている。そして、何より、多くの死者が発生したにも関わらず、平均寿命に影響が出ていないのである。つまり、言葉を選ばずに言うと、それほど遠くない将来に寿命を全うする運命の老人が少しだけ寿命が縮まっただけと考えないと辻褄が合わないのだ。

 今の市中蔓延状態は、ウィルス常在に近づいているのは間違いない。ウィルス常在と言うのは、流行性感冒の原因である旧型のコロナウィルスも常在しているが、常に風邪を患う訳ではない。同様に、新型コロナ常在状況で、感染予防、体調管理が徹底できると、比較的安全に集団免疫にも近づく。

 この冬を乗り越えるポイントは、風邪をひかない様な体調管理の徹底である。
 変な行動制限は、経済への悪影響だけでなく、不必要なストレスによる健康影響のリスクが高いので良いとは思えない。風邪をひかない為に、栄養を適切に取り、睡眠・休息を十分に取り、日に当たり、適度な運動を行う。その上で、基本的な手洗いうがい、マスクなどの感染対策。それ以上でも、それ以下でもない。