菅政権の支持率が大幅に低下してきた。ここ最近の新型コロナ感染拡大第3波に対しての対応で指示率が落ちていると見るべきだろう。しかし、この構造自体は、良い言い方をすればポピュリズム、悪い言い方をすれば民衆の有無を言わさない暴力的な力であり、その方向性に空気感を導くメディア、特に電波系メディアの責任を問わざるを得ない印象を拭えない。このラインより上のエリアが無料で表示されます。
感染症の流行自体は、政府の責任ではなく、自然災害と言っても良いが、人は自分達が被害を受けると精神的に他責要因を求めるのが人の性である。連日連夜、テレビのスイッチを付けると、感染者数過去最高、死者数過去最高、医療崩壊、命の選択が目の鼻の先と言われ続け、ウィルスに責任を問えない状態で、政府には明確な姿勢を取って欲しい、強力な感染症対策が必要だ、政府のメッセージが足りないと耳に入り続けると、大なり小なり影響を受け、政府への批判意見が増えるのは当たり前だ。
耳に入る情報が偏っていることに気付く人は、ほんの一部だろう。大多数は、矛盾に気付かず、妄信して、心配になる。人の気持ちを誘導するために一番手軽な方法が、人を不安に陥れることだ。心配だったら、少し調べれば多種多様な情報が存在することは直ぐに分かる。その時点で、電波系メディアが伝える情報が一辺倒で、他の情報が排除されている異常さに気付けるだろう。更に踏み込んで、多様な情報を文書として確認すれば、自ずと客観的な判断が出来るのだ。しかし、大多数が調べる意欲を持たず、そこに労力を使おうとしない、或いはする能力を持たないから、電波で言い続けている事を鵜呑みにしてしまう。
ここまでコロナ一色で危機感を煽られ続け、客観的判断すら喪失させられた状態で、責任の転嫁先、所謂犯人をあてがわれると、その犯人の一挙手一投足、箸の上げ下げにすら文句を言いだす悪循環が始まる。『ガースーです』や少し前の『お家に居よう動画』など、本質的には何ら批判の対象とはなり得ない事まで、緊張感が無いなどと脊髄反射的に攻撃の対象になる暴力的な悪循環がもたらされる。
情報とはそれ程強力な力を持っている。現代はインターネット全盛期で様々な情報との距離が近くなり、誰でも多種多様な情報を取得することが出来る。しかし、インターネットの情報の力は現時点では極めて限定的なのだ。情報を取得することが出来ると、取得するとは莫大に大きな差がある。そして、情報の威力で言うと、相変わらず電波の力がその受動的に受けてしまえるという性格上、圧倒的に強いのが実態だと再認識させられるのである。
インターネットでの情報発信では、仲間は集まるが、全ての情報を一色に染めることは事実上不可能、大衆を扇動するのは相当困難である。それは、多様性が存在するからだが、電波は多様性のある情報の中から、極めて一部分の情報だけを、それ以外の情報は存在しないと決め込んで1色に染めることは比較的簡単なのだ。それは、多くを語る時間が無い、視聴者はそれ程根気強く見聞きしておらず、ワンセンテンスメッセージのつまみ食いで分かった気になる。従って、伝える側も、視聴率を取るためにはこの傾向に逆らわず、印象だけで感情的に訴える。これがフェイクニュースの構造であるが、最近の電波系メディアはドンドン酷くなっている様に感じるのは私だけだろうか。
政府を攻撃する際の語り口として、説明が充分でない、施策を打ち出して欲しいという言い方をよく聞く。しかし、実際のところ、政府各所からのメッセージは多数発信されており、施策も多数実行している。そのメッセージや施策はメディアが望む通りの発信、即ち一辺倒に偏った情報を元とするものでないので、発信が無いと言う言い方になる、極めて公正さに欠ける言い方なのである。
テレビの報道で専門家が登場するのはいつのころからだろうか。確か、湾岸戦争時期に軍事専門家と称する方々が出演して、素人に分かり易く解説することが始まったように記憶している。最近では感染症の専門家がテレビに出ない日は1日たりとも無い。そして、口を揃えて、感染拡大の危機感を語り、行動制限が感染症を抑え込む対策だと語り、マスクやソーシャルディスタンスの必要性なども語る。そして、医療崩壊の危機を語り、GoToを停止しろと、政府に対する批判まで語っている。つまり、感染が拡大し、医療崩壊に繋がり、国民を命の危険に晒しているのは政府だと言わんばかりの印象を毎日発信していれば、支持率が低下するのは当然だろう。
さて、では現実はどうなのだろうか。その答えは、インターネットに存在する多様な情報と数字を検証すれば自ずと出てくる。
冷静に考えて欲しい。専門家といわれる人々は、全員の意見が一致しているのだろうか。そんな訳が無いことぐらい容易に想像できるだろう。異論異説、反対意見があって議論し、自説の信ぴょう性を高めるため、研究やデータ分析を科学的に行って、進歩していくのである。電波を通じて発信されている専門家からの情報が異口同音で同じことを言っていることに不思議さと違和感を感じて欲しいのである。
必ず反対意見は存在する。現実に、電波で言っていることに真っ向反対する専門家は多数存在する。しかし、電波では決して取り上げられないから、他に意見が無いような錯覚をしてしまう。こう言うと、公平に取り扱っていると言う反論が聞こえそうだが、趣旨と反する意見が出された瞬間に完全スルーし無視、無かったことの様に別の意見の説明を始める光景を私は幾度となく見ている。異論に対して反論すればまだましなのだ。その時点で異なる意見の存在を認めることになるからだ。だが、完全に無視をしてスルーし、発言自体を無かったことの様にするのである。その傾向の強い番組、キャスター、コメンテイターは数えたらきりがない。そういう目線で、見て頂ければある意味滑稽さすら感じてしまう筈なのだ。
医師に対する取材でも、発言を部分的に切り取って、全く正反対の趣旨に利用され、その医師から抗議を受けた事件もあった。一応の謝罪は後日したものの、誤解を与えてしまった注意不足程度に留まっており、誤りを認めてはいなかった。無論、後日謝罪したところで、情報とは発信された時点で消せず、影響はその時点で与えるものなので、発信の何倍もの訂正と謝罪が無ければ謝罪にはならないのだ。ファクトチェックや取材相手の主張確認はメディアとしては当たり前の義務だが、どうも自分たちの大義の為には正義だと奢っている様にしか見えない。
感染症対策は、検査をして隔離をする、行動が感染を拡大させるので行動制限が効果的な対策となるのが常識と言われている、それはその通りだろう。しかし、その根本的な意味を無視して、そう決まっていると言うのは間違いなのである。ある、条件の元に成立する話だからだが、その条件を無視しての強弁は、聞くに堪えないのだ。状況や環境条件によって実際は変わってくることも事実なのに、それらを無視しての決め込みは、極めて非科学的、感情的でしかない。
政府は、実際に国民の命と生活を守るために、偏った意見ではなく、多様性のある意見に耳を傾け、その複雑な連立方程式とも言えよう数式の最適解を求めようと模索する責任がある。従って、ワンセンテンスで決め込んでくる説とは、意見が合わないのは至極当然であるが、どちらが、現実に対して最適なのかは自明であろう。しかし、民主主義において有権者の意見が、例え偏向情報に洗脳された結果だったとしても、意見が揃ってしまえば、ある程度納得させるための落としどころ案を創出するのが民主主義である。ある意味、最適解ではないが、間違っていようと、最適でなかろうと、苦渋の選択をせざるを得ない状態に追い込まれてしまうのだ。
GoToを一時中止などする意思は政府には基本的にはないし、今まではなかった。その理由は明確で、GoToと感染拡大の因果関係はないからだ。感染を拡大させていないというエビデンスも無いと言うのは悪魔の証明であり、本来無理筋として論外なのだ。また、東京大学の症状の発出との関係アンケートもどう考えても結論ありきの無理筋である。緊急性があるので査読前の公表というのは、査読後であれば公表できる代物でないので査読前に公表したと考えるべきだろう。実際、GoToの人出でマクロ的に感染は拡大していないのは明らかだが、電波は認めずスルーしているだけなのだ。自分たちの主張と異なる情報や意見は無視する異常な姿勢なのだ。
そうはいっても、ウィルスを持った人が無症状で行動し他人と接触することで、感染は広まるではないか、という人も多いだろう。確かに、その主張は正論だ。ミクロ的には何の間違いもない。但し、前提となるのは、人の行動をゼロにして接触ゼロ化出来ればその通りだろう。しかし、現実にはそれほど簡単に個を選別し行動ゼロ化を実現することは出来ないので、一般的には地域や場所を限定して、その境界を越えない隔離施策を取るのが通常である。その場合、隔離境界内は接触による感染は発生するのである。統計的には、隔離境界内は増加も減少も均一になっていくので、境界をまたいで非感染地域が存在する場合に限り、有効なのだ。逆に言うと、今の日本の様に全国に蔓延している様な状態では、行動制限は何の意味もない。いや、本当に中国が実施したような一時期完全に個の行動を強制的に制限できた場合は有効である。感染周期の期間、強制的に自由を束縛して個を隔離出来れば収束するのも当たり前である。しかし、通常の民主主義国家で語ることはできないのだ。
実際に春の緊急事態宣言は、同様の情報偏向により世論が動かされ、その圧力で民主主義政権が追い込まれ発出せざるを得なかったのが実態だ。そして、結果の総括は行ったはずだが、その結果は曖昧にされてしまっている。それはそうだろう、緊急事態宣言は発出の必要が無かったと言うのが結論、発出時には感染は収束し始めており、発出と収束に因果関係が無いからだ。このことを誤解なく公表するのは、偏った情報との全面戦争になりかねず、混乱を更に深めるしかなくなり、敢えて公表を様子見にしているというのが本当のところかもしれない。本来は、その時点で指定感染症としての扱いを変更すれば今の医療崩壊直前状態は起こっていないだろうが、この扱い変更も大反対でとても切り出せる状態ではなかったのだから、誰の責任と言うべきだろうか。
従って、今、GoToを中止しようが、行動制限しようが感染抑止に効果はない。一方で、行動制限に伴う生活への打撃は確実に被るので、政府としては生活を守る視点から効果もない施策を選択できるはずがないのである。補償で得られるのはその場しのぎでしかなく、充分な筈もなく、もし万が一充分であれば、事業の拡大意欲減退にも繋がりかねない最後の手段なのだ。GoToなどの景気刺激策の場合は、政府の支援と言いながら、事業拡大のカンフル剤となる投資であり、何倍もの経済効果を生み出すので、本来比較する方が間違っている。
そうすると、何故今、感染拡大しているのか。一つには冬で寒くなり、乾燥している季節要因だとも言える。そして、何より原点に返れば感染抑止行動ニューノーマルの実行性が低下してしまっていると考える以外にないだろう。この事には対策は必要かもしれない。ドンチャン騒ぎを自制すればそれだけで大きな効果はあるだろうからだ。
しかし、電波系の危機煽り報道のあまりの酷さにオオカミ少年状態になっている。ニューヨークの様になる、イタリアの様になる、死者何十万人、と煽り続けて、何か一つでも現実になったことがあるだろうか。来週には危機的状態になると言い続けるのには限界があり、逆効果となってしまう。
実際数字を見ても、危機だと言う諸外国と比較して桁違いに規模は小さい。見習うべきという韓国でも感染は止まらない。検査と個に至らない隔離は効果が無いことは社会が証明している。この状態で自粛はあり得ないが、行動上の注意は喚起できる。実際、政府の発信は、マスク会食や3密、ソーシャルディスタンスを守った行動を強く託している。電波系メディアがその事を無責任と責任転嫁しているのでメッセージが弱くなってしまっているだけだ。
素直に考えれば、感染抑止行動ニューノーマルのレベルを上げるのが最大の感染防止施策といっても過言ではないし、それ以外にないだろう。
実は、電波系メディアもその事は理解している筈だ。行動制限を必要不可欠だとスタジオで専門家やキャスターが語っている姿を見て、今年の春と比較して違いを感じないだろうか。緊急事態宣言の総括、効果が見えない時点では、リモートを強化し、最低限の出演者に抑え、連続ドラマなどもかなりの部分が自制されていた。しかし、現在はそれ以前と比較して違いがあるとすれば、アクリル板が設置されているだけだろう。通常の飛沫飛散を考えると、それでは不十分なのだが、堂々とその状態で報道番組を放映し、他の行動は制限するべきと強弁している。
様々な番組のご意見受付に、そこまで行動制限をうったえるのなら、まずあなた達がリモート主体にし、コメントの際にはマスクを着用しなさいと訴えているが、一切反応もなく、対応も変わらない。この程度では感染しないことは分かっている、とでも言いたいのだろうが、それなら他の感染拡大に繋がらない行動を攻撃してはならない。政府にメッセージ性を求め、GoToを生贄にしろと言うのなら、その姿勢をメディアが画面で伝えるべきだ。だが、絶対にしないだろう。自分たちの業界、タレントなど含めた関係者の損害が計り知れないからだと想像するが、それなら旅行業界、飲食業界の損害に目を向けないのは身勝手すぎる。
日本の産業構造を変革するために、デジタルトランスフォーメーションやSDGs、アグリなど以外に注力していたのがインバウンドだ。残念ながら、インバウンドは海外交流なくして本当の拡大は困難だが、この状態なので内需でまずはイノベーションを起こす方策が目指せれば、それは大きな力になるはずだ。ピンチをチャンスに変えられるが、折角のチャンスをつぶすのも簡単なのだ。
しかし、それでも世の中は合理的な判断が為されないのが常だ。特に民主主義国家では、情報を制する者が牛耳れるのが実態だ。それが故、電波系メディアは混乱に乗じて力を発揮し始めた。結果、政府はGoToを生贄として捧げざるを得なくなった。感染抑止効果は無いことは百も承知の上で。
実際第3波は、12月中旬時点がピークで、ピークアウトしている。高止まりしている様に見えるかもしれないが、本来のピークは東京都で1日新規陽性者1000人を想定していた、全国規模で言うなら1日5000人規模だろう。その手前で上げ止まりしたのが実際で、そこまで上がっていないから下がっている様にも見えないピークの頭カットされた状態なのだ。年明けには一旦収束する予測だったが、春の緊急事態宣言の再現で、収束と対策に因果関係のないムダな策となってしまうだろう。私如きの予測では誰も信じないだろうが、大阪大学の専門家チームの提唱するK値でもピークアウトは検出されているのだ。しかし、メディアは決してまともに取り上げない。
そして、情報を牛耳る権力が蔓延る状態で、我々が対抗する手段は、現代版学問のススメにあると信じて止まない。福沢諭吉先生の学問のススメは、一部誤解されていることもあるが、世の中は平等で公平と言っておらず、何故か実際は貧富の差など格差が存在し、不平等であるとし、それは学問で左右されると言っているのである、即ち、不平等な目に合わない為に、民主主義国家として自由と平等を勝ち取るために、学問をするべきだと主張している。
現在版は、情報リテラシーを個々に高めることが自由で平等、成熟した民主主義の確立のために必要不可欠になってきた。従って、受動的な情報に流されず、能動的に情報を取得し、その多様性の中で自身の考えを作り上げていく、情報リテラシーを磨けと言いたい。