まん延防止等重点措置が拡大、コロナ騒動はどこまで続くか

まん延防止等重点措置が大阪、兵庫、宮城に続き、東京、沖縄、京都などにも適用された。

吉村大阪府知事や橋下元知事などは、マスク会食を対策の要として、要は飛沫飛散を抑える事を重点的に実施する事を強調している。まさにその通りなのだが、その様な事は昨年当初から明らかだったのに、多くの専門家や野党の政府批判、メディアの煽り報道が、人流が問題と言い続け、PCR検査の強化が感染予防対策だとも言い続け、本質論から遠ざかっていただけではないのか。

<拡散された誤った認識とは>

どれだけ人が動こうが、飛沫を飛散させなければ感染は起き様がない事は、常識的に考えれば自明だ。勿論、呼吸で発生するエアロゾルもリスクがゼロではない。腸内感染の報告もあり、排泄物からの感染も報告されており、インドなどはその影響も疑われている。しかし、リスクの大小で言うならば、飛沫感染が最も大きく、接触感染等他の感染経路も飛沫飛散が無ければ起き様がないので比較的リスクは小さい。つまり、飛沫飛散を減少させる事が、最大の感染対策である。

もう一つ大きな勘違いは、PCR検査では感染は防げない事だ。中国など検査は関係なく、否応ない隔離で抑止しているだけで、検査自体で抑止出来ている訳ではない。無暗な検査で無症状感染者を発見できる確率は僅かであり、非効率で効果が薄い事は諸外国が実証している。寧ろ、偽陰性という誤った安心というリスクを膨大化させてしまう。有無を言わさぬ隔離で防げても、検査では防げないのは正常な思考回路があれば理解できる事なのだ。

<飛沫飛散防止が最大の対策>

神戸市などは、マスク会食に対して、マスクに付着しているウイルスからの接触感染リスクを訴えていたが、そのリスクよりも飛沫飛散を抑える効果の方が大きいという判断は出来る。但し、マスク着脱時の接触感染リスクを甘く見る事は間違いであり、注意は必要なのだ。ならば、会食時にマスク着脱でなく、一般的な咳エチケットと同様にハンカチ利用や手マスクも効果はある。あまり大仰に考えず、飛沫飛散を抑える目的思考を持つべきだろう。

ある番組で一部の専門家は、マスク着脱による接触感染リスクは問題ではないと言い切っていたが、耳を疑うしかない。いくら何でも、言い過ぎであり、そこまで言うのならば、今までの、マスクの着脱方法指導や手洗い、手指消毒励行なども全否定に繋がりかねない勝手な論理であり、やはり専門家の言うことは、余りにご都合主義過ぎて鵜呑みにできないと改めて確信させられる。

<数字を冷静に見れば分かる事>

感染抑止対策としては、飛沫飛散防止に絞られる訳だが、現実として抑えられないシーンが数々ある。その筆頭が、食事時であるので、マスク会食は、方法論はともかく、対策としての方向性は妥当である。

そして、食事以外では、マスク着用が困難な老人や小児なのだが、リスクとして考えると重症化リスクの高い老人施設の対策が実は最大の本丸なのだ。なので、各国ワクチンの優先順位として、出入り業者含めた老人施設関係者を対象としている。何故、日本は優先順位を上げないのだろうか不思議だが。

日本はワクチン後進国とメディアで叩かれている。確かに自国産ワクチン開発は後塵を拝しているが、軍事研究を忌避し、ワクチンの安全性に疑いを持ち、何年も安全確認が必要とされていたのではないだろうか。感染爆発している各国は、少々のリスクはあっても背に腹は代えられず、抑止効果を優先する考え方で先行しているだけで、同じ考え方を日本は持てるのだろうか。もしも、日本での接種が進んでいて、アストラゼネカ社製での血栓被害が日本で発生していたら、メディアは黙っている訳がないだろう、安全性を無視した勇み足と。

そもそも、イギリスなどワクチンの効果なのか、感染が収まりつつあるが、その状態で、今の日本とほぼ同じ感染状態だという数字の現実に何故目を向けないのだろうか。ワクチンの効果、90%や95%でようやく日本と同じ状態なのだ。米国CDCはワクチン接種で当人同士はマスクが不要だとまで言っている。つまり、日本の状態であればマスク不要と言うに等しいのだ。そもそも、日本の感染者数では治験すら十分な数の対応が困難であり、その事は即ち緊急性も低いという証左に他ならないのだ。

海外のメディアまで日本の感染対策がまずいと言うのは、日本のメディアの報道が政府攻撃に終始している情報をソースにしているに過ぎない。日本は客観的に見て、感染症対策としては上位にランクする結果を残している。

<自分が感染しない為には>

人に感染させない対策としては、飛沫飛散を徹底的の抑える事、それは感染の有無に関係なく、全員が対象だ。そして、同時に自分が感染しない対策も必要だ。飛沫を浴びないソーシャルディスタンス確保、手洗いうがい手指消毒などだが、何よりも個々人の健康管理が最大にして最高の対策なのだ。人間、元気であれば少々のウイルスは撃退する免疫力を持っている。だから栄養補給、睡眠などで所謂風邪をひかない対策が最重なのだ。そういう意味で、心配なのは、春に向けて温かくなってきて日差しが強くなってくる季節に、巣ごもりして、紫外線を浴びてビタミンDを生成するチャンスを逸する事だ。昨年、この時期に巣ごもりをすることで、夏季にも感染は収まらなかった。検証はされていないが、この時期に日に当たらない事はリスクとしか言いようが無いと筆者は確信している。

<いい加減に目を覚ませ>

人流が増えても、飛沫を飛散させなければ、物理的に感染は発生しない。しかし、日に当たらなければ、体内でのビタミンD生成が不足する事は自明であり、ビタミンD不足は免疫力低下をもたらす。従って、不要不急の巣ごもりは害なのであり、皆、飛沫飛散抑止を心がけた上で、青空の下、出かけるべきなのだ。

42万人死ぬと恐怖を煽った結果はどうだっただろうか。最悪のシナリオ想定に過ぎないと云うのなら、感染状態のステージの考え方として、42万人死ぬ状況の1歩手前がステージ4になる筈だが、異次元の低さの数字を管理値としている。

東京都で、直ぐに1日4000人の感染のリスクがあるとのシミュレーションが公表された。可能性はあるという言い逃れは成立しない。不要不急の外出を避けろと非科学的に言い続けるのはいい加減にするべきだが、聞く側もいい加減に目を覚ますべきだ。交通事故死を無くすために世の中から車を無くせと行っている様なものだと、そろそろ気付くべきだろう。

目的思考でマスク会席を考える

 マスク着用が感染予防になるとされ、スーパーコンピュータ富岳での各種検証結果も出ている。しかし、現状を冷静に見ると、本質的な目的と効果を見失って、マスク着用が目的化してしまっている様に感じる。これでは逆にリスク増大してしまいかねないので、振り返り検証してみたい。

 マスク着用の効果としては、大別して2通り、自分が感染しないことと、人に感染させないこと。この二つは明確に分けて議論すべきなのだ。

 まず、自分が感染しないことに関して考える。感染には飛沫感染、接触感染、エアロゾル感染が言われているが、その中でも飛沫感染が全体の9割を占めるのが現実である。従って、直接飛沫を浴びた際の防御にマスクは物理的障壁として効果がある。これは富岳でも解析データが示されており、30%から70%の防御効果が確認されている。これだけ考えると大きな効果なのだが、実際に使う際のリスクを考えると、忘れていることがある。この場合、マスク表面にウィルスが付着した状態である事なのだ。その状態で、マスクを継続着用すると、時間をかけてウィルスはフィルターを通り抜け吸い込まれるのである。つまり、正確に表現すると、マスク着用は、ウィルスを吸い込む事をブロックするのではなく、吸い込む時間を遅らせる効果を持つだけであり、いずれ吸い込むのである。

 コロナ禍以前のマスク着用は、花粉症対策だとか、インフルエンザ発生時のリスクの高い空間に居る時だとか、あくまで限定的で一日中の着用は想定外だったが、今は皆が1日中着用前提である。つまり、着用時間は格段に伸びており、マスク表面に付着しているフィルターよりも粒形の小さい異物を吸引するリスクは高まっているのだ。
且つ、接触感染のリスクとして、マスクの表面を触らないことが求められているが、現実問題として1日中着用している状況で厳密な運用をしているとは思えない。私の周囲でも殆どの人はマスク表面を手で触ってしまっている。
つまり、直接浴びる飛沫を一時的にブロックするものの、時間をかけての吸引、接触感染リスクの増大で、結局、曝露するウィルス量はそれ程変わらない様に思えるのだ。

本気で、自分が感染することを予防する考えでマスクを着用するのなら、不織布マスクなら小まめに新しいマスクに交換するか、洗い替えできる布、ウレタンマスクは、定期的に表面を洗浄することだろう。現実には、それ程簡単だとは思えないが。従って、自分自身が感染しない効果は、薄いというのが現実だろう。

人に感染させない効果は、物理的に大きな飛沫拡散を防止するのは間違いなく、このことは大きな効果があるだろう。あくまで、自分自身がウィルスキャリアであることが前提ではあるが。
確かに、僅かに透過するだろう、漏れ出して拡散する飛沫も存在するだろうが、明らかに量は減少しているはずだ。エアロゾル拡散というリスクもあるかもしれないが、リスク低減していることは疑い様がない。そもそも、感染の大部分は飛沫感染であり、換気だとか殊更大騒ぎしてはいるが、特殊でレアな感染経路であり、飛沫感染に加えて接触感染までの対応策を優先的に考えるのが真っ当なリスク管理なのだ。

マスクを透過する飛沫の量を富岳でシミュレーションした結果、不織布マスクが布やウレタンと比較して少ないという結果が出ているが、だからと言って他人への感染抑止効果が高いとは言いきれないのが難しいところなのだ。
例えばN95マスクの場合、ほぼフィルターを通しての飛沫透過は無い。しかし、その事は即ち、呼吸も出来難く、長時間の使用が出来ない。もし、長時間使用出来ているとしたら、正確な着用ではなく、隙間があって息が漏れ出しているのは間違いない。その場合、飛沫も大粒で飛散してしまうことになる。不織布マスクも、そこまでではなくとも、1日の連続着用で呼吸が苦しくならないとは思えないのだ。実際、私の周囲を見ても不織布マスク着用をしている人の方が顎マスクや鼻だし等多数見かけるし、実質効果として布やウレタンと比較して高いとは決して思えないのだ。

マスクは物理障壁としての飛沫飛散防止の効果があり、他人への感染リスクを低減する効果は間違いなくある。しかし、そもそもマスクは、1日中着用という長時間利用の形態は想定されていない。その為、適切な着用を求めても、現実的にはそれに応じる性能に欠けるし、長時間着用が比較的安易な布マスクでは、飛沫の透過量が多くなる。この様に、製品の性能だけではなく、実際の運用状況におけるリスクと合わせて評価する必要があるのだ。

それらの事実を前提に本題である、マスク会席を考えよう。確かに、飛沫拡散防止の効果はある。会席の場での飛沫感染リスクが高いと言う論理は、確かに正しいので、会話時にマスクをすることは効果があるだろう。しかも、今や1日中マスク着用の例外となるのが、食事中である事は間違いなく、他には顕著な例外事例が無いのも事実だから、尚更マスク会食が最終兵器とされるのだろう。

しかし、対策と言うものは、実行可能性も一つの指標になり、出来もしないことをルール化しても効果は得られない、実行性が低いから当然なのだ。理想的な環境によるシミュレーションと実運用を誤解してしまいそうなので、注意が必要なのだ。
左手でお茶碗を持ち、右手でお箸、という習慣は、マスク会席には大きな障害になる。左手でマスクの紐を持っていたら食べられないのだ。それであれば、マスクの着脱をその度に行うしかなくなる。つまり、食事中の小まめなマスク着脱が必要になるが、本当に可能だろうか疑問なのである。

食事と会話を明確に分けるのも効果はあるだろう。しかし、定食ならまだしも、会席やコース料理の場合は難しいだろう。

それよりも、飛沫拡散を抑えるだけで考えると、発声時に、せきエチケットと同様に口を手で覆う行為を行うことの方が効果大であることは間違いないだろう。この程度なら、実行可能ではないだろうか。実行性のある対応策が実は一番効果があるのだから。