巷に広まる情報、世論調査などの違和感

国民の大多数が緊急事態宣言の発出が遅すぎ、もっと強力な対策が必要と考えているらしい。少なくとも世論調査ではそうなっている。一方で、緊急事態宣言が発出されても、人出はそれ程減ってないとメディアやテレビで発言して専門家は危機感を煽る。この現象が奇怪だと感じる人がどれだけ存在するだろうか。

緊急事態宣言が遅すぎ、対策が緩いと考えているのならば、発出された後は、もっと外出は減るのではないだろうか。行動変容しないという事は、必要性を感じていない証拠でもあり、矛盾するのである。

よく聞く話が、若者に届いていない、という事だが、若者に対する侮辱であり、本質的には筋が通らないのだ。世論調査は、若者も含んだ数字である。十把一絡げで若者を悪者にする事では説明が出来ないのだ。では、この矛盾を説明する理由は何だろう、仮説を下記に挙げてみる。

図は、縦軸に緊急事態宣言に関する考え方を示し、横軸に行動自制の必要性に関する考え方を示す。本来の矛盾ない姿は、左下から右上へ伸びる相関関係のあるゾーンにあるはずだ。しかし、現実は左上のゾーンに当たり、矛盾がある事を示している。これは、左下のゾーンにありながら、世論調査の回答を同調圧力で偽り、外向き発言を行っているか、右上のゾーンから自分だけは良いというエゴなのか、どちらかしかない。

■本音は緊急事態対応の必要はないと考えているが、同調圧力で外向き発言を行っている。

■自分は自由に行動して問題ないが、他人が抑制して感染を抑えて欲しいと考えている

後者の様な、エゴの塊とも思える心理は、日本では多数派とは考えたくない。もし、多数派であれば、罰則付きの強制力が必要不可欠になる論理の正当性が生じる。

やはり、普通に考えて、前者の可能性が高いのではないだろうか。であるならば、この同調圧力を生み出す元凶、メディアの政府攻撃、偏向煽り報道が諸悪の根源として、実態を隠しているのだ。

医療業界は風上に立っている場合ではない

首相が国会で検査が必要な時に対応出来ず自宅療養の際に不幸に至ってしまったとして陳謝した。責任者としては潔いし、反省を次の対策にフィードバックする姿勢が評価できる。しかし、医師会や医療従事者は、政府を攻撃し、国民に自制を促すだけで反省と改善の弁が聞こえてこない。当事者なのに、おかしいのではないのか。

新型コロナの症状の急変は、急な悪化ではなく、自覚症状のないステルス性の悪化現象である事は、昨年春には明らかになっている。その対策として、パルスオキシメーターによるトレーサビリティや、尿検査でも血中酸素濃度の変化を早期検出する方法論が研究されていた。しかも、冬には感染拡大し、自宅療養が増えることも想定出来ていたはず。地域密着の医療体制を誇る日本の強みが活かせる場面なのだ。かかりつけ医、地域の民間病院、クリニックがメッシュの細かい地域一体化したサービスを供給する準備を夏秋に進めていなかったのは業界の問題ではないのか。保健所の責任も否定はしないが、民間も含めた地域医療を支える業界、地域医療を統括する立場の医師会の責任も大きいのは自明である。少なくとも、風上に立って、政府を批判する立場にはない筈だ。

実際に大阪では、専用病院を立ち上げたが、人材不足で自衛隊の出動まで依頼していた。政府や自治体が手を打とうとも、医療業界が非協力的だった現れである。

医者を聖職と言うべきか、言わないべきか。先生と呼ばれる立場は、兎角勘違いし易く、世間との意識乖離が起き易い。私は、医療は重要な仕事であり、社会に不可欠なエッセンシャルワークの一つである事は間違いないと思っている。しかし、他のエッセンシャルワークと何も違わないとも思っている。職業であり、特権階級でもなく、医師も人間であり、医院も経営上の課題を抱える立場に何ら変わらないと考えている。市場変化や、市場の要求、ステークホルダーへの対応と説明責任など、他の業界と何も変わらないはずだと思っている。

そして、日本の医療は世界に誇れるハイレベルのサービス提供体制を確立しているとも思っている。ならば、諸外国と比較して桁違いに少ない感染状況、例年のインフルエンザと同等レベルの感染拡大で、医療壊滅は起き様が無いと確信している。もし、本当に医療壊滅であるならば、その事態を招いた業界の脆弱性を反省し、サービス需要者である国民に謝罪する立場ではないのか。それが他の一般的な業界の行動パターンのはずだ。

医療従事者が不足しているというが、絶対数では決して諸外国に引けを取らない。リスクがある、経営が行き詰まるなどの理由も、飲食店には危機的状況の時短や休業を要請しておきながら、医院は経営の為に対応を拒否するのか。

諸外国と比較して不足しているのは、有事のボランティアの参加や柔軟な対応強化の為の権益打破としての介護師などの入院患者への対応などだろうが、いくらでも方法はある。経営の問題であれば、政府の財政出動を促せばよいだけだ。その代わり、自らの既得権益は剥奪され、聖域扱いは撤廃、ある意味国や自治体の指揮命令下に入るべきだ。

危機事態には既得権益による自己防衛は邪魔になり、撤去する事がスムーズに行かなければ、強制力も必要かもしれない。

また、地域の病院では、コロナ感染を警戒して、受診者が減少している事で経営難に陥っていると報じられている。しかし、それで来院しない患者は、不要不急の患者ではないのか。笑い話で、病院の待合室での井戸端会議に常連さんが来ていない事で、病気にでもなったのではないかと心配する話がある。であれば、今の不要不急を控えた来院数が経営の基本として、スリム化が求められるのではないのだろうか。

実際に、コロナ感染拡大後の超過死亡数など日本での死者数は減少している。つまり、不要不急の受診を控える事で、国民の健康に寄与しているとも考えられるのだ。

聖職でないとの仮定で話を続ければ、顧客である患者の変化、新型コロナの感情増と一般患者の受診控えは市場変化であり、その市場変化に対応した経営改革を断行する事が業界としての使命になる。

もしも、聖職だとの仮定に立脚するのなら、上から目線で国民に自粛を促すのではなく、聖職者たるものとして、有事において政府を批判せず一心同体の協力体制の元、結果としての医療サービス維持を目指すべきではないのか。命を守る崇高な使命の為に。

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