ざわつく世間、危機煽りの限界露呈 冷静になれば為すべきことは明確だ

 東京都の新規感染者数が800人を超えて、この世の終わりの様な報道、感染拡大を政府の責任する無責任な専門家発言が相次ぐ。どうしたらいいか、政府のメッセージが欲しい、強力な対策が必要だ、と言い続けるメディアだが、同時に若者にはメッセージが届かないと責任を転嫁する。パニック状態の収拾がつかないデマが世の中を覆う危機的状態。ここは、冷静に原点に返るべきだ。原点とは、感染症対策の学術的原点ではなく、日本が当初より示した対応方針の原点である。

 感染症対策の学術的常識は、感染ゼロ化、完全封じ込めを目指すのが前提である。それは、致死率が高い、最悪の感染症を前提にするから当然と言えば当然だ。しかし、新型コロナ感染症は、感染力は高くとも、致死率は低いという事実は既に周知であるし、実は日本は当初より、その実態を見抜き、完全封じ込めでなく、管理抑制方針、つまりWithコロナを目指している。

 この管理抑制方針と完全封じ込め方針は根本的に異なるが、メディアの殆どは完全封じ込めから抜けられず、メディアで発信する専門家の多くも同様の発信に明け暮れている。国民目線から見て、分かり難いのは当たり前だ。この二つの違いで平行線となり、実際に取るべき策と、メディアから流れる情報が異り、交わるところが無いからだ。訳が分からない、どうしたらいいか分からないと、危機感を感じるのは当然と言えば当然なのだ。この二つの違いは、学閥、派閥の違いが強く影響を及ぼしているとの説もあり興味深いが、それは後日考察するとして、今現在、各個人はどういう行動を心がけるべきかを簡単に示したい。極めて簡単、次の二つを心がけるだけで良いのだ。

① 自分自身が感染者である前提で他人に感染させない予防策を実行する
② 市中どこにでもウィルスが存在する前提で、自身が感染・発症しない様に予防策を実行する

 この二つに尽きるのだ。上記2点を前提にすれば、会食はどの様に対応すれば良いか、普段の行動はどうするべきか、どういう店を選べばいいか、各個人が責任感を持った行動を心がければ良い。何をすればいいか分からない、というのは無責任と認識し責任ある行動を取る事。こんなこと既にやっている、というのであれば、今まで以上に継続すれば良い。

 この感染症は、感染力が高いと言っても、それ程無尽蔵に感染するものではないことも分かってきている。勿論、上記の行動を完全に実施しても、不幸にも感染してしまう可能性がゼロではない。世の中でゼロリスクはあり得ないのだから仕方がない。しかし、限りなくゼロに近くリスク低減する努力は出来る。それが上記2通りの行動指針だ。

 それでも、世の中は法律すら守らない事件も発生する。国民全てが良識ある行動を取る訳が無い。それ故、一定の不正行為のリスクは存在し、それ故の感染は発生するだろう。それは社会リスクとして一定受容しなければならないだろう。人権制限に及ぶ程の強制的な行使を実行しない限り防げないのだから。

 ワクチン接種がアメリカや欧州で始まった。まだ、安全性確認が不十分な状態でも、背に腹は代えられない状況で一定のリスクを受容することを国民も了解して始まっている。日本では、このリスクは取れないだろう。何故なら、ワクチン接種のリスクを受容する程、感染拡大のリスクが高まっていないからだ。この事実からも、日本の現時点の感染拡大状況は大騒ぎする状況ではないことを冷静に理解しなければならない。もし、本当に危機だというのなら、ワクチンを特別認可して年内にでも接種開始する様に各方面から迫るべきだろう。その気がないのなら、煽るべきではない。

 では、東京都の800という数字はどう考えるべきか。実は、忘れているかもしれないが、小池都知事は1か月前に1日1000人の新規感染を想定した医療体制整備を語っていた。肉薄してはいるが、そこからはまだ8割である。実は私の予測でも、東京都で1日1000、全国で5000というピークを想定していた。しかし、現実は拡大の中途で一旦収束に向かう兆候を確実に示した。そこから再拡大を示し、少しだけピークシフトした状態で現時点の東京都800という数値になった。このことは事実だ。

 私は不思議で仕方がなかった。一旦収束を示しながら、再拡大を示し始めた要因が必ずあるはずだと。それがあったのだ。そして、そのことを事実と受け止めた瞬間、愕然とした。私が『ファクターXの正体』でテーマとした事象が発生しているのだ。ここのところ民間の検査機関がビジネスとしてPCR検査をかなりの規模で始めている。そして、私はある場所で、GoToを利用した宿泊所でどんちゃん騒ぎをする団体と遭遇した。話を聞いてみると、全員PCR検査で陰性だから大丈夫だと言っていた。これなんだ、最大のリスクは、と確信した。

 症状の無い人は、本来検査など必要なく、自身が感染している前提で行動をすれば問題ない筈だが、陰性という大義名分を与えると、人とは弱い動物であり、大なり小なり緩みが発生する。その中に偽陰性者が存在する限り感染リスクが増大するのは当たり前なのだ。陰性という大義名分があれば、症状があろうとも大丈夫と思い、無理をする。だから、無暗なPCR検査は今すぐやめるべきなのだ。海外とのビジネス等、必要に迫られる場合に限り必要悪として認めるとしても、少なくとも陰性という結果は全員偽陰性と思え、ぐらいの注意喚起が必要だろう。だから、全員感染している前提の行動が必要なのだ。

 数字に話を戻そう。800という数字に恐怖を感じる。しかし数字とは怖いもので、何が危機となる基準なのか、曖昧で感情に影響されてしまう、その原因は、目標としての設定数値、基準としての数値が設定できていないからだ。いやいや、ステージを分ける数値設定はしていると言われるかもしれない。しかし、その数字をよく見て欲しい。危機的状態を想定して設定したものではなく、その時点の数値を基準に、少し増やしたところの数字設定をしているに過ぎない。経営を少しでもかじった人ならお分かりだろうが、客観的理由のある目標数値設定ではなく、現状からの見えている範囲で積み上げた数値を目標にしてはならないのである。

 では、本来ステージ4などの危機的状態の数値をどう定めるべきか。現状ありきではダメで、諸外国の危機的状態から導いた数値設定にするべきなのだ。勿論、そこまでは行きたくない方針の元、諸外国の状況の半分や3割減などに設定すればよい。現状からすれば、遥かに余裕のある数値となるが、危機との差はそれだけ余裕があると言う現実を理解するために必要な数値なのだ。それでは、その前に医療体制が崩壊するというのなら、崩壊しないぎりぎりはどういう数値になるのか、を基準にしても良い。病床数、医師数は諸外国と比較して最優良なポジションを示す医療先進国である日本が、本当にどういう数値で医療崩壊が起きるのか、そこを数値設定すればよいのだ。

 医療崩壊、逼迫していると危機感を煽る。事実、医療の現場は大変だろう。箱モノを整えても、対応できる人間の数が少ないと専門家は言う。だから、現時点で既に医療崩壊なのだと。

 100歩譲って、今の状態で医療崩壊ということを認めてみよう。それは諸外国と比較して医療後進国、脆弱な体制である証になるだけなのだ。その事実に、真摯に向き合って、強化対策を計画するのは政府ではなく、医療業界の務めではないのだろうか。これは強力な皮肉だが。

 今、医療崩壊を防ぐ方法は簡単だ。大阪の様に、専門病院を作る事。そして、そこの医師や看護師を調達する強制力を政治が持つことだろう。任意で希望者を集めようと言う通常時の考え方では無理なのは当たり前で、危機管理状態であれば、危機対応に相応しい強制力が必要なだけだ。絶対数は不足していないのだから全体としては賄えるはずだ。現状ある病院の病床を少しずつ、コロナに割り当てて確保するのでは簡単に崩壊するのは当たり前だ。

 もう一つの方策は、高齢の入院患者、要介護状態の患者の介護を担当する介護師も雇用することだ。医療の聖域として、看護師が介護まで担当する様では、看護師の負荷が膨大に増えるだけでなく、サービス面の不備にもつながる。これは実は重要なポイントでもある。

 医療崩壊だ、とメディアで吹聴するのではなく、この様な対応をすればここまでキャパを拡大できると提案する役割を担うのが専門家ではないのか。他責を追求する前に、自責の範囲を全うする、或いは更に前向きに提案することが経営視点では生き残りの条件なのだから。

緊急事態宣言の総括が日本を救う

 日本医師会の会見で中川会長より『GoToが感染拡大のきっかけになったことは間違いない』『秋の我慢の3連休にして欲しい』と医療機関を代表する立場で悲痛感の伝わる発信がなされた。ああ、それだけ切迫した状況なのだ、と多くの国民は受け止め、3連休のGoToキャンセルが相次ぎ、折角の復興機運が大きく減退する事態に陥ってしまった。

 責任ある立場での発信は、特に日本においては大きな影響を及ぼしてしまう。思えば、春の小池東京都知事による『ロックダウン』発言による影響は、社会に大きな影響を及ぼした。結果として『緊急事態宣言』を発出せざるを得ない世論を形成し、はたまた宣言自体の内容の誤解を払拭するために一定期間必要だったなど、社会を動かし、大きく経済の減退を生み出してしまった。今回の日本医師会会長発信もそれに次ぐ影響を及ぼしそうだ。

 ある意味、政治がどれだけリスクをコントロールしようとも、場外からの発信で世の中が動いてしまうのであり、そのことは、政府よりも場外の影響力のある立場の発信が社会影響を強く持つ表れである。ならば、本来、自らの発信が通常の人と異なる影響力を持つ場合は、社会的責任を自覚する必要があるだろう。
 今回の日本医師会会長発信が良心的な意図での純粋な訴えかけであれば、それもある程度仕方がないのだが、立場を利用した政治的発信にも聞こえてくるのは私だけだろうか。後者であれば問題なのである。

 日本医師会の会長は今年の6月に選挙が行われ、前任の横倉氏が4期を務めていたが、今回は立候補をしないという意思を固めていたが、政府の強いプッシュで遅ればせながら5期目の立候補を決めたと聞いている。だが、その時点では既に中川氏の票固めが進んでおり初当選を決めた。
 この中川氏は、政府が慌てて横倉氏の立候補を託した様に、予てから政府との対決姿勢を露わにしている。

 この点難しいが、政府の姿勢に対して批判をすることが正義だと考えるのは不健全であり、政府の姿勢に対して専門組織としての提言を発信することは健全であろう。この違いが微妙だが重要なのだ。
 ただ、これまで4期務められた横倉氏は、政府と親密な関係を築き、本音では反発はあったかもしれないが、組織の為日本医療の為に政府と連携して様々な改革を進めてこられた。結果、厳しい状況でも医療崩壊なく、最悪の事態は避けられたのではないだろうか。
 その視点で考えると、政府に明確に日本医師会が反目する姿勢を取り始めると、国民を局外者にした政争になっていく危険性を感じてしまう。

 今回の中川会長の発言は、そういう意味では一線を越えている。GoToが感染拡大の原因とするエビデンスが無いのであれば、きっかけであったとするエビデンスも無いはずだ。それなのに、間違いないと断言してしまった。そして、感染抑止策の強化を求める発信までならいいのだが、そうでなく、事実上の外出自粛要請を発信したのは、絶対に間違いであろう。

 さて、メディア各社はここぞとばかりに、危機感を煽り、政府攻撃を強める一色だ。政府が無策だと。しかし、政府は明確に指針を発信し続けている。感染抑止と経済とどちらを優先するのか、と問い続けられるが、政府指針は明確に出されており、Withコロナであり、両輪偏らない政策の実行である。
 今、経済面の危機的状況、消費喚起の必要性は一刻の猶予も許されない事態であり、明確な施策が必要不可欠なため、GoTo事業はそのシンボルとして緩める訳にはいかない。しかも、ここまで分かってきている情報によると、GoToと感染拡大に因果関係は無い。既に蔓延状態にあるウィルスに対して、行動制限をしたところで感染抑止効果は限定的なのは当然である。ホワイトゾーンが存在する状態とは既に環境が異なるのだから、効果のないゾーニングによる悪影響は決して享受できない。
 感染抑止面でも政府は政策として医療支援を徹底的に強化している。補助が現状の法的には来年3月までの時限付きなのは法的には仕方が無く、その時点の状況で柔軟に法改正、予算配分も行われることは疑い様がないだろう。そして、国民に感染抑止行動を託するのに、メディアは『これが菅政権の自助か』『国は何もせず個人任せか』と非難するが、冷静に考えて欲しい。感染抑止行動とは個人の健康管理であり、店舗や組織の構成員保護であり、国がどうこう制限する類のことではない。
 国家権力の名の元、国民の行動制限、人権制限を行わないに越したことはないはずだ。

 東京都の小池知事は会見で、『5つの小(こ)とこころづかい』を発信した。これは、春のロックダウン発言の影響を反省したのか、状況を冷静に見極めた発信だった。あくまで、感染抑止は各人の行動変容で行うものであり、現時点で行動制限や規制を行わないことを明確にした。
 
 繰り返しになるが、感染抑止は、個々人の免疫力向上も含めて健康管理意識の問題であり、それでも病気になることはあるだろうが、それは他の病気も同じである。その場合は、医療の助けを借りる、そういう整理だろう。だから、政府としては医療機関を支援することが国民の健康支援につながるのだ。
 そして、こころづかい、という言葉にも込められる、他人への配慮として、自身が体調不良の場合に他人に感染させない様にする。無症状でもウイルスキャリアである可能性を前提にマスク着用などを心がける。
 このこころづかいには、不要な分断が一番悪影響を及ぼす。感染抑止に対してゼロ化するべきだと言う意見は今でもあるだろう。ロックダウンしてゼロ化した方が、むしろ経済的にもダメージが少ないと言う言質も聞く。しかし、それは一つの意見かもしれないが、絶対正義ではない。
 民主主義の手順に則った国家政府がWithコロナで進めようとしている状況で、反対意見を論ずるまでは良しとしても、最終的には決定に従うべきではないか。いつまでも、政府攻撃を強めるメディアは、政府の監視ではなく国家に分断を生み出す張本人になっている。今のメディアの報じ様は、情報発信や政府監視ではなく、電波を利用したデモ活動に近い。国家の危機に対するには挙国一致が必要、一方で国家転覆を目指す為には分断を形成し煽る方が近道である。メディアは後者を目指しているのだろうか。

 国家的危機状態だ、危機管理だと言うのであれば、まずは民主主義国家政府の指針に従い、その上で総括をすれば良い。
 これまでの施策の総括をしていない政府も問題だが、客観的事実、データの検証結果としては、『緊急事態宣言による感染抑止効果は限定的』『GoTo事業と感染拡大は相関関係にない』であり、総括を迫らないメディアは、攻撃するネタが失われるから、総括には消極的と感じてしまう。政府は『緊急事態宣言』が不要だった失敗政策となることを恐れる、双方の利益が一致して総括できていない様に見える。

 極めて危険なのは、論理的に裏付けが無くても、何か感覚的に嫌な気がするので情緒的に制限して欲しい、という感覚。非科学的ではあるがある意味人間的、人の感情の弱い部分をターゲットにする言いっぷりで、『そうはいっても心配だ』による根拠のない集団心理誘導は社会の破滅に繋がりかねない。

 この総括さえすれば、『Withコロナ』が方針の軸になるのは自明なのである。
 そして、毎日過去最高の新規感染者数と言うが、例年のインフルエンザ感染による感染者数、死者数にも、いまだ遠く及んでいない事実を認識するべきである。その上で、個人の健康管理、医療含めた健康支援、健康国家運営が重要なのである。

第3波到来に適切に対応する考え方

 ここしばらく、毎日どこかの道府県で過去最高の検査陽性検出数が報告され、本日ついに東京都も過去最高をマークした。マスコミはこぞって危機感を煽り、医師会は次の3連休の自粛要請を発信した。

 検査陽性数に一喜一憂するべきでないと言っていたはずだが、大騒ぎである。しかし、冷静に数字を見極めてもらいたい。過去最高と言いながらも、全国でも1000の桁、10の3乗オーダーでしかない。欧米の第3波と比較して相変わらず2桁違う状態は、何も変わっていない。確かに、増加傾向にある事は間違いないが、どこかの番組で1週間前に連呼していた様な指数関数的増加では決してない。10の4乗、5乗と変化するのが指数関数であるのだから、今の増加は以前から言い続けている、1次関数的増加に過ぎないのだ。

 1次関数とは、y=ax+bで表され、第1波より第2波、第2波より第3波の定数bの値が徐々に大きくなっているのだ。つまり、基本的にウィルスの市中蔓延度合いが高まって、基礎数が高まっていると言うことだろう。市中蔓延状態にありながら、この増加傾向ということは、それ程大騒ぎするべき状態ではないとも言えるだろう。

 そもそも、寒くなり、乾燥環境になると、普通に上気道感染症のリスクが高まるのは自然の摂理である。諸外国との比較ではなく、例えば日本の過去との比較で語っても、例年のこの時期から流行し始めるインフルエンザの患者数と比較して、今年の新型コロナ+インフルエンザの総数で見ても、まだまだ少ないのが現実だ。
 インフルエンザの患者数は、新型コロナと違って発熱して医療機関の受診を受けなければ数にカウントされない。実際は、無症状、軽症状の患者も多数発生していることは、経験的にも理解できるが、その数はカウントされていない。その数字よりも、必要以上に検査を実施し多くの無症状者もカウントする今年の新型コロナ+インフルエンザの数は少ないのだ。

 インフルエンザとの同時流行リスクも噂されたが、これも何を根拠に言っているのか疑わしい。経験則から考えて欲しい。冬の初めはA型が流行し、A型が終息してから次はB型が流行するなど、入れ替わりで流行するのではないだろうか。若干のオーバーラップはあっても、大きく同時流行と言う経験は余りないのではないだろうか。そういう話が為されないのは何故だろう。だから、新型コロナが蔓延しつつある状況でインフルエンザは流行していないのだろう。

 そして何より、陽性者数が問題ではなく、重症者数や死者数を問題視するべきなのだ。ここで注意すべきなのが、公表されている死者数の定義であろう。新型コロナの死者数は、死に至る要因ではなく、死者が陽性者かどうかでカウントされている。しかし、通常の致死数と言うのは、死の主要因でカウントされるものである。例年のインフルエンザの死者数は、通常通りのカウントだが、何故か新型コロナは違う。この要素を考え合わせると、例年のインフルエンザの致死数と同等かそれ以下だとする見解がある。数字が公開されていないので断言はできないが、どちらにしても、大騒ぎする程の状況では決してないのだ。

 勘違いしないで頂きたいが、新型コロナであろうと、インフルエンザであろうと、はたまた流行性感冒であろうとも、病気であることは間違いなく、健康を維持するための努力は絶対にするべきなのだ。その為に、マスク着用や手洗いうがい、3密回避、ソーシャルディスタンス確保などの努力はするべきであろう。健康のために。しかし、GoToキャンペーンを諸悪の根源とする説には賛同できない。

 GoToキャンペーンが感染拡大の要因になっていると言う統計的根拠はどこにも存在しない。マスコミやマスコミで専門家として語る方々は、根拠はないかもしれないが、人の移動が感染リスクだと言い続け、休止を提言する。エビデンスは無いが、きっかけになったのは間違いないと根拠なく言うのは科学者としては如何なものだろう。
 不正の確固たる証拠を示せていないトランプ氏を非難するマスコミが、同じ口で、根拠を示せないのにGoToをやめろと言う。ダブルスタンダード、自分の都合のいい勝手論理とは気付かないのだろうか。

 最近ようやく、GoToのお陰で経済が回り始め、何とか耐え凌げている状況で、もし休止でもしようものなら、もう耐えられないという声が大きい。致死率の低い感染リスク対策の為に経済死の増加は決して容認できないのだ。
 無責任なコメンテイターは、行動制限を実施して、その分の補償をすれば良いと言うが、それもおかしいのだ。GoToで投下する税金は投資であり、投資であるからサービス開発、事業拡大等にもつながる回転を生み、経済効果としては何倍にもなるのである。休業させて補償しても、その額で一時は凌げてもジリ貧である事には変わりがない。つまり、同じ額で同じ効果ではなく、同等に語るべき性格のものではない。補償はセーフティネットでしかなく、経済復興を支える効果として語るべきではない。

 不思議なのは、強制的に休業させると言うことは、明らかに人権侵害であるのだが、何故か人権問題にうるさいリベラル系の方が人権侵害すべきと言う傾向が強い。奇怪に感じるのは私だけだろうか。

 そもそも、春の緊急事態宣言の効果検証、振り返りが何故か行われていない。統計的、数学的検証を真っ当に行えば、緊急事態宣言による感染抑止効果は極めて限定的であったと結論されるはずだ。だからこそ、政府は悪影響の方が大きいと言う予測からだろうか、緊急事態宣言発出には当時後ろ向きで、慎重であった。それでも、マスコミが煽り続け、世論が形成され、民主主義の政府としては、宣言を発出せざるを得ない状況に追い込まれたのが現実だろう。だから政府としては、第3波に対してもGoToを止めようとはしないのであり、1本筋が通っている。

 春の緊急事態宣言の総括を行えば、効果の無かった事実に対して政府は糾弾されるかもしれないが、上述のプロセスを考えれば理解は得られるだろう。むしろ、総括して困るのは、それでも危機を煽り続ける勢力でしかないはずだ。

 最後に新型コロナが死に至る病ではない、風邪と同等とまでは言わずとも、インフルエンザと同等かそれ以下のリスクである事実を示したい。スウェーデンの対策と結果が示しているのである。
スウェーデンでは行動制限などの対策は行わず経済を回し続け、集団免疫獲得を目指した。当初は感染者数の爆発的増加と死者数の多さに問題視する声も多かったが、結局、死者数は欧米他国と同等レベルに収まっている。そして、何より、多くの死者が発生したにも関わらず、平均寿命に影響が出ていないのである。つまり、言葉を選ばずに言うと、それほど遠くない将来に寿命を全うする運命の老人が少しだけ寿命が縮まっただけと考えないと辻褄が合わないのだ。

 今の市中蔓延状態は、ウィルス常在に近づいているのは間違いない。ウィルス常在と言うのは、流行性感冒の原因である旧型のコロナウィルスも常在しているが、常に風邪を患う訳ではない。同様に、新型コロナ常在状況で、感染予防、体調管理が徹底できると、比較的安全に集団免疫にも近づく。

 この冬を乗り越えるポイントは、風邪をひかない様な体調管理の徹底である。
 変な行動制限は、経済への悪影響だけでなく、不必要なストレスによる健康影響のリスクが高いので良いとは思えない。風邪をひかない為に、栄養を適切に取り、睡眠・休息を十分に取り、日に当たり、適度な運動を行う。その上で、基本的な手洗いうがい、マスクなどの感染対策。それ以上でも、それ以下でもない。

第三波到来と騒ぐメディアだが

 北海道で新型コロナウィルスの感染者と称する検査陽性者が増加し、東京の1日の数を上回る状態になってきている。マスコミ各報道は、第三波の到来と騒ぎ始め、知ったかぶりの識者たちが、GoToキャンペーンの制限などまで言い始める状態だ。相変わらず、『お化け怖い』と根拠もないのに、公共の電波を使って尤もらしく危機感を煽り始めた。なんとも、いい加減にして欲しいものだが、多様性を尊重する世の中において、人の口に戸を立てられないので、冷静かつ、客観的に真相を考察したい人に向けて、発信したいと思う。このラインより上のエリアが無料で表示されます。

 まず、GoToキャンペーンが人の動きを活発化させる感染拡大の諸悪の根源であるかのような説だが、これには全く根拠がない。人が動けば、確かに接触機会は増え、感染リスクは高まるのは確かだが、データ上その様な兆候は見えていないのである。

 例えば、東京都がGoTo解禁になり初の週末の賑わいがあったのが10月の3・4日。だが、筆者自身も経験したが、その前週の9月末の4連休、この時の高速道路の渋滞は凄まじいものであった。群馬にGOLFに出かけ、普通に帰路に就く予定が、高速道路の渋滞が、年末年始と同等、それ以上の渋滞で、往路1.5時間の道が、6時間要したのだ。つまり、その時期から東京地区でもデジタル的に人の動きが活発になったのだ。その後、週末毎の高速道路状況を確認していたが、流石にそこまでの混雑は無くとも、明らかに人出は多くなっていた。つまり、GoToが原因であれば、10月中旬には飛躍的デジタル的に感染増になって然るべき状態だったが、実際は影響がなかった。

 東京解禁の前も、GoToによる感染影響は顕著ではないと言う状態だったのだ。従って、今、感染数が増加した原因としてGoToを持ち出すのは、荒唐無稽と言っても良いだろう。

 では何が原因で感染者数が増えているのだろうか。そのことを理解するには、基礎知識としてPCR検査は何を検出しているのか、その仕組みを理解しておく必要がある。

 PCR検査は、採取された検体に存在する該当のウィルスを化学的に繰り返し処理にて増殖し、その量を測る。その量が予め決めた量を超えたら陽性で、それ以下であったら陰性と判定される。お気付きだろうか、人に対する感染の有無ではなく、ウィルスの存在の検出、量の測定でしかないのだ。

 いや、そんなこと言っても、ウィルスが検体から検出されたと言うことは、感染だろう、という誤解がものすごく多いだろう。ウィルスが存在しても、その時点で感染では決してないという真実から目を背けてはならない。感染とは、鼻やのど、目などの粘膜を通じて、増殖され、人体に侵入して初めて感染となるのだ。

人は、流行性感冒のウィルスに接していても、その時点で風邪をひく訳ではない。不摂生や体力低下などで、粘膜で外敵を防ぐ免疫反応が機能低下して体内への侵入を防げず、感染する、つまり風邪をひくのだ。

 ウィルスは非感染の状態でも存在するのは、接触感染のカラクリを考えれば分かるだろう。人体に関係なく存在するウィルスを手で触り、口や鼻に運んで、粘膜から人体に侵入して感染するのだ。
 そうやって考えると、感染する前の状態のウィルスが検体に紛れ込んで検査で検出され陽性判定されることだってあるのだ。それこそ極論を言えば、手すり等の表面を採取しPCR検査にかければ陽性判定されることだってあり得る。まさか、手すりが感染したとは誰も言わないだろう。これは科学的誤差による偽陽性ではなく、正常な検査判定であり、実は無症状感染者と言われる多くは、この現象による陽性判定者なのだ。無症状なのは、当たり前、感染していないのだから。

 冬季に突入し、気温も下がり湿度も下がっている。この状態では、ウィルスの生存期間は伸びるのであり、検査によって前述の非感染の陽性検出数が増えるのは自明なのだ。

 また、当然ながらウィルスの生存期間が伸びるのと、体調不良に陥りやすい季節であることを合わせると、感染リスクが高まるのも当然であり、冬季に感染が増加するのは至極当然のことなのだ。

 つまり、今現在の感染拡大は気候条件によるものであり、GoToの要因があるとは到底思えないのだ。だから、本来原因ではないGoToは制限するべきではないし、活動自粛も必要ない。もちろん、だからと言って感染予防対策を怠ることはあってはならない。

 緩みと言う言葉は使いたくないが、夏場マスクでの熱中症リスクを必要以上にメディアで煽った結果、気温が下がり熱中症リスクが低下しても、マスク着用率は戻るどころか低下の一途だと、肌感覚で感じる。マスクの効用は長短あるが、飛沫拡散防止、この1点において、感染リスク低下に効果があり意味がある。しかし、目の前でマスクを外し、大声でしゃべるシーンを見かけることが実際に増えてきたのは、リスクが拡大している現象なのだ。

 更に、軽い体調不良でありながら、大丈夫という自己判断で濃厚接触者を増やす行為も増えてきている。

 これらの行為は、GoToとは全く関係ない。ニューノーマルの定着が問われる局面である。ニューノーマルの定着のためには、不必要に無根拠のリスクを煽ることが逆効果であり、正しく対応することに尽きるのだ。

 そして、個々人の心がける最大のポイントは、風邪をひかない様に体調管理を心がけることだ。ウィルスの存在確率は確かに高まっているだろう、であれば感染しなければ良いのだ。粘膜を通じての人体侵入を防ぐ、これは第一免疫機能なのだ。体調面を万全にし、免疫力を高める。実は、この免疫力はワクチンでは高めることが出来ない。栄養管理であり、充分な睡眠や適度な運動、日光浴そしてビタミンD摂取が効くだろう。
 そして、日常の手洗いうがい、鼻洗浄などなど、一般的な感染予防行動、これで感染リスクをできうる限り下げる。

 現在の重症化率や致死率を考えると、新型コロナウィルスだけを考える必要は無く、むしろインフルエンザも含めた冬季を健康に過ごす、ニューノーマルで乗り越えるべきであろう。

内村選手偽陽性事案検証~『ファクターXの正体』緊急報告~

 拙著『ファクターXの正体』をお読み頂ければ、小生が指摘する問題性はご理解いただけるとは思うが、その典型的な事例がまた発生してしまった。体操の内村選手に対するPCR検査での偽陽性判定事案である。PCR検査で陽性判定を受け隔離処置が施されたが、あまりにも身に覚えがなく症状も全くない為、翌日に3か所での再検査を受け、偽陽性であったと結論された。

 偽陽性と結論される前、本大会の日本の参加辞退の可能性やオリンピックでの感染防止策は難しいと、危機感を煽っていた。それこそ、何万人に最低でも3日に1回、徹底検査をしなければならないと。そんなことをすれば、単純に被害者は膨大に膨れ上がることになるのが誰の目からも明らかなのだが、その後無責任な発言をした反省もなく、識者やマスコミは反省もなく報道もしていない。

 この件は、間違いなく、個人の活動・行動に対する不正制限事故であり、人権侵害問題である。表向きは事なきを得た様に、マスコミでは多くを語ってはいないが、数日間の隔離生活を強いられたことは、大切な大会直前のコンディションを整え、調子を上げていくピーキングが重要な時期に行動制限されることが、どれだけアスリートの成績に影響を及ぼすか、想像に難くない。アスリートにとって、その先の人生に及ぼす重大問題なのである。この様な事案が繰り返されると、多くの被害者が発生し、同時に多くの訴訟事案が発生してしまうだろう。

 なんとか、少しでも理解を広め、この様な事象を回避できることを願って止まない。

 さて、PCR検査の仕組みからおさらいしよう。明確にしておかなければならないのは、検査には誤差、誤判定が付きまとうことである。一部の識者、マスコミでは、PCR検査の精度が高く、誤差など無視できると言い続けているが、仕組みを考えれば、あり得ないことは明白なのである。

 採取した検体の中に微量でも存在する当該のウィルスを増幅する処理を複数サイクル繰り返し検出可能量まで増幅する。増幅されたウィルスの量が、ある閾値を超えると陽性、超えないと陰性という判定が為されるのが、PCR検査である。
 上述のことから常識的に考えて欲しい、増幅させるサイクル数によってウィルス量が増減することは自明なのだが、現在の検査は必要以上に増幅サイクルを増やしている。つまり出来るだけ陽性判定を多くするための検査設定なのである。今の検査方式では、感染などしていない、接触して存在しているだけのウィルスも同様に検出する。当然ながら、不活性化したウィルスであろうがお構いなしに増幅され検出されるのだ。

 そして、閾値を超えるか否かでの判定と言う、極めてアナログ的な判定であることも注意する必要がある。閾値を高く設定すれば、偽陽性は減少するかもしれないが、偽陰性が増加する。閾値を低く設定すればその逆である。
増幅処理で誤差が発生しないことはあり得ない。化学処理で反応に個体差が出ることは当たり前であろう。そして、増幅された結果、閾値近辺のウィルス量が検出された場合はどうなるのだろうか。陰性か陽性か、そんな簡単かつ明確に判定出来るはずが無いのである。

PCR検査の特性を整理すると
1. 検体を増幅処理した結果のウィルス量が閾値を超えたか否かの判定しかできない
2. 検出されたウィルスが不活性であっても活性ウィルスと区別は出来ない
3. 検出されたウィルスが感染したものか単に存在しているだけかを区別できない
4. 増幅サイクルにより検出するウィルス量は大きく変化しうる

 従って、個々人の人生に大きく影響を与えうる行動の許認可判定に、PCR検査の結果を利用するなど、本来はあり得ないのである。

 ここまで記述したのは偽陽性に関する問題点だが、偽陰性に関する問題は更に深刻なのである。多くの人、マスコミの報道も伝えているのが、PCR検査をして、陰性判定を受けた人が安心して経済を回す、或いは、GoToで旅行に行く、と考えられている。極めて危険な思考なのである。
 前述した様に、PCR検査結果が絶対でないだけではなく、感染の有無を示せるものでもないのだ。つまり、陰性と判定されても、非感染の証明にはならない。
 偽陰性は一定の確率で発生する。この確率は、偽陽性よりも遥かに高く、一般的には感染者の内30%もの人が間違って陰性と判定されるのである。

 詳細の統計的分析は拙著『ファクターXの正体』をご確認頂きたいが、この確率で偽陰性が発生し、間違った安心を与えてしまうと、検査をすればする程、感染は拡大する。先進諸国の感染爆発は、このカラクリで発生しており、日本の感染が桁違いに少ないのは、検査を医師が必要と判断した感染を疑う患者に限定されているからである。逆に言うと、先進諸国並みに積極的検査拡大を行うと、同様の爆発的感染につながる危険性が高いのである。

 ならば、何故先進諸国は積極的検査を推奨するのか、アジア諸国など感染が比較的抑え込まれている要因は何なのだろうか。ここでは詳しくは説明しないが、先進諸国の文化的、宗教的背景を考慮する必要があり、結局検査云々ではなく、非民主的な隔離政策が打てれば物理的に抑え込むことは出来るだけなのだ。日本は、文化的にも、民主国家としても同様に考える訳にはいかないのだ。

 従って、PCR検査を実施できるケースとして

1. 医師が他の臨床診断、検査結果と合わせて必要と判断した場合、確定診断として実施する
2. クラスター等、感染が疑われる人を対象に感染経路追跡のために実施する
3. ビジネス等で海外取引上、他国の要請に基づいた検査は実施を容認するが、陰性結果であっても非感染を証明するものではないことを理解した行動を誓約させると同時に陽性判定の結果被る損害も一切関知しないことの了承を受けて実施する

 こういうことを言うと、では無症状の感染者は野放しでいいのか、という反論が予想される。しかし、その通り、野放しで良いのである。
 その理由は、無症状の感染者による感染リスクは、確かにゼロではないが、確率的に極めて低くなるからである。無症状者でありながら他人に感染させるのは、発症の3日前から徐々にリスクが高まるのであり、それ以外は全て有症状者からの感染なのである。それは、ウィルス量が少ない場合や、多くても不活性の場合は他人に感染させないからだ。つまり、無症状の感染者と一般的に呼ばれている人達の大多数が、ウィルス量が少なく発症していない人や不活性ウィルスを保持していただけの人なのである。

 最後に、もうひとつ。PCR検査結果として、毎日、『今日の新規感染者数』と報道されているが、これは全くの誤報道なのである。正確には、『本日の陽性判定された検査検体数』であり、この場合の陽性判定とは、『増幅されたウィルス量が予め設定した閾値を超えた場合』なのである。感染とは全く関係ない。

詳しくは拙著をご一読頂ければ幸いです。

『ファクターXの正体;新型コロナウィルス感染症の日本における感染実態』
http://www.amazon.co.jp/dp/B08H1JGVYQ
『ファクターXの正体Ⅱ;VOL1-PCR検査の実態』
http://www.amazon.co.jp/dp/B08KSFT239

感染症に関する情報発出の規制

 8月末電子出版発売を目標に執筆し、なんとか目標達成の8月31日にAmazonのKindle版として発売出来た。題名は『ファクターXの正体:新型コロナウィルス感染症の日本における感染実態_多田芳昭著』。http://www.amazon.co.jp/dp/B08H1JGVYQ

 しかし、発売までに一山二山あって、痛感させられたのが、この旬のネタは有象無象の出所不明、意味不明、論理矛盾の情報があまりにも多すぎるということだ。

 この情報氾濫の結果、現在では、基本的に、公式に発表された情報以外の発出を規制する動きがあり、情報発出は厳しい状況である。そのため、本書も当初は発刊を断られていたのである。確かに、情報氾濫による混乱を起こさせないためには必要なのだろう。しかし、その判断基準が不明である。想像でしかないが、医療系の肩書のない人間からは基本的に内容確認などせずに、いい加減な内容と勝手に判断されて審査さえされない。ましてや、無名の著者の著作物であれば相手にしないのだろう。

 今回発売した『ファクターXの正体』は、使っているデータは、厚生労働省や都道府県の公式データであり、そのデータを冬から蓄積し、独自に集計したものである。加えて、医大や研究所、マスコミなどの公式発表データも参考にしている。その上で、著名人の説や、論文などの考え方も検討させて頂いている。統計処理自体は著者の独自視点も加わり、論理展開して仮説を立て、検証するという極めて科学的なアプローチを主とさせて頂いている。
 つまり、どこからどう言われても、公式でない情報を元にしていると言う謂れはないと胸を張れるのだ。もちろん、科学には反論、異説が存在してしかるべきだが、他の意見を意味もなく排除する姿勢は、絶対に良い状態とは思えないし、科学的ではないのである。
 その結果、再審査して頂き、無事出版にこぎつけられたのだ。

 本書で展開されている説の多くは、一般的には異論があるかもしれない。であれば、議論を戦わせれば良いだけではないだろうか。むしろ、出鱈目な感情論に支配されている事態を憂いて筆を執っている内容なので、感情論で封殺せずに、議論を戦わすことは好ましい事態なのである。

 簡単に申し上げる。諸外国は、日本より桁違いに多くのPCR検査を実施したのは事実である。そして、感染者数・死者数は日本より桁違いに多かったのも事実。この二つの事実を原因と結果の因果関係と結び付けただけである。
 この状態で、多くの識者、モーニングショーなどの報道は、日本でPCR検査を諸外国と同じ様に増やして、徹底検査を実施しなければ、感染を抑え込めないと言う。PCR検査を増やせば感染を抑え込めると信じて疑っていないのだ。これを論理破綻と思わない方が不思議で仕方がない。
 PCR検査は医療目的で医師が診療方針を確定させるために行うのが基本だ。それ以外にも、クラスター対策など濃厚接触者の追跡には有用だろうし、日本ではこの必要とされる検査体制すら整っていなかったのも現実であった。そのための検査体制強化は当然必要である。しかし、諸外国のPCR検査はそこに留まっていない。PCR検査をして安心したい、と多くの人は言うが、検査で安心は決して勝ち取れない。

 常識という枠で、極めて感情的・情緒的に論理矛盾を無理に通す。検査という方法、手段の科学的事実を曖昧にしてしまい、極めて感覚的な安心と結び付けるのは、間違っている。この姿勢に異を唱えたのである。巷で感情的に危機感を煽る情報は、ウィルスや細菌に曝露される状態と感染との違いすらごちゃまぜにされて、時により都合よく使い分けている様にしか見えない。PCR検査は、そこにウィルスが存在することは検出できても、感染の有無は分からないと言っても、聞く耳を持ってすらもらえない。

 本書内では、PCR検査を増やすことによる影響を、様々な視点で分析し、結果としてオーバーシュートに至ってしまうからくりも解明している。それでも、検査を増やさざるを得なかった諸外国の事情を、単純な感染症の視点だけでなく、人間が活動する上での判断の基準となる宗教や文化・文明の影響も考慮して解明している。実は、日本と諸外国を論じる際に、この相違点を考慮しなければならないのだ。
 そして、感染状況の予測として提唱されている『K値』の改良版として『T値』を提唱してみたり、現状のデータの不足、不備から、トレーサビリティシステムやデジタル化運用の考えなども広範囲な視点で紹介させて頂いている。

 論より証拠、一度読んだ結果のご意見を頂き、議論に繋がることを期待しております。http://www.amazon.co.jp/dp/B08H1JGVYQ