ざわつく世間、危機煽りの限界露呈 冷静になれば為すべきことは明確だ

 東京都の新規感染者数が800人を超えて、この世の終わりの様な報道、感染拡大を政府の責任する無責任な専門家発言が相次ぐ。どうしたらいいか、政府のメッセージが欲しい、強力な対策が必要だ、と言い続けるメディアだが、同時に若者にはメッセージが届かないと責任を転嫁する。パニック状態の収拾がつかないデマが世の中を覆う危機的状態。ここは、冷静に原点に返るべきだ。原点とは、感染症対策の学術的原点ではなく、日本が当初より示した対応方針の原点である。

 感染症対策の学術的常識は、感染ゼロ化、完全封じ込めを目指すのが前提である。それは、致死率が高い、最悪の感染症を前提にするから当然と言えば当然だ。しかし、新型コロナ感染症は、感染力は高くとも、致死率は低いという事実は既に周知であるし、実は日本は当初より、その実態を見抜き、完全封じ込めでなく、管理抑制方針、つまりWithコロナを目指している。

 この管理抑制方針と完全封じ込め方針は根本的に異なるが、メディアの殆どは完全封じ込めから抜けられず、メディアで発信する専門家の多くも同様の発信に明け暮れている。国民目線から見て、分かり難いのは当たり前だ。この二つの違いで平行線となり、実際に取るべき策と、メディアから流れる情報が異り、交わるところが無いからだ。訳が分からない、どうしたらいいか分からないと、危機感を感じるのは当然と言えば当然なのだ。この二つの違いは、学閥、派閥の違いが強く影響を及ぼしているとの説もあり興味深いが、それは後日考察するとして、今現在、各個人はどういう行動を心がけるべきかを簡単に示したい。極めて簡単、次の二つを心がけるだけで良いのだ。

① 自分自身が感染者である前提で他人に感染させない予防策を実行する
② 市中どこにでもウィルスが存在する前提で、自身が感染・発症しない様に予防策を実行する

 この二つに尽きるのだ。上記2点を前提にすれば、会食はどの様に対応すれば良いか、普段の行動はどうするべきか、どういう店を選べばいいか、各個人が責任感を持った行動を心がければ良い。何をすればいいか分からない、というのは無責任と認識し責任ある行動を取る事。こんなこと既にやっている、というのであれば、今まで以上に継続すれば良い。

 この感染症は、感染力が高いと言っても、それ程無尽蔵に感染するものではないことも分かってきている。勿論、上記の行動を完全に実施しても、不幸にも感染してしまう可能性がゼロではない。世の中でゼロリスクはあり得ないのだから仕方がない。しかし、限りなくゼロに近くリスク低減する努力は出来る。それが上記2通りの行動指針だ。

 それでも、世の中は法律すら守らない事件も発生する。国民全てが良識ある行動を取る訳が無い。それ故、一定の不正行為のリスクは存在し、それ故の感染は発生するだろう。それは社会リスクとして一定受容しなければならないだろう。人権制限に及ぶ程の強制的な行使を実行しない限り防げないのだから。

 ワクチン接種がアメリカや欧州で始まった。まだ、安全性確認が不十分な状態でも、背に腹は代えられない状況で一定のリスクを受容することを国民も了解して始まっている。日本では、このリスクは取れないだろう。何故なら、ワクチン接種のリスクを受容する程、感染拡大のリスクが高まっていないからだ。この事実からも、日本の現時点の感染拡大状況は大騒ぎする状況ではないことを冷静に理解しなければならない。もし、本当に危機だというのなら、ワクチンを特別認可して年内にでも接種開始する様に各方面から迫るべきだろう。その気がないのなら、煽るべきではない。

 では、東京都の800という数字はどう考えるべきか。実は、忘れているかもしれないが、小池都知事は1か月前に1日1000人の新規感染を想定した医療体制整備を語っていた。肉薄してはいるが、そこからはまだ8割である。実は私の予測でも、東京都で1日1000、全国で5000というピークを想定していた。しかし、現実は拡大の中途で一旦収束に向かう兆候を確実に示した。そこから再拡大を示し、少しだけピークシフトした状態で現時点の東京都800という数値になった。このことは事実だ。

 私は不思議で仕方がなかった。一旦収束を示しながら、再拡大を示し始めた要因が必ずあるはずだと。それがあったのだ。そして、そのことを事実と受け止めた瞬間、愕然とした。私が『ファクターXの正体』でテーマとした事象が発生しているのだ。ここのところ民間の検査機関がビジネスとしてPCR検査をかなりの規模で始めている。そして、私はある場所で、GoToを利用した宿泊所でどんちゃん騒ぎをする団体と遭遇した。話を聞いてみると、全員PCR検査で陰性だから大丈夫だと言っていた。これなんだ、最大のリスクは、と確信した。

 症状の無い人は、本来検査など必要なく、自身が感染している前提で行動をすれば問題ない筈だが、陰性という大義名分を与えると、人とは弱い動物であり、大なり小なり緩みが発生する。その中に偽陰性者が存在する限り感染リスクが増大するのは当たり前なのだ。陰性という大義名分があれば、症状があろうとも大丈夫と思い、無理をする。だから、無暗なPCR検査は今すぐやめるべきなのだ。海外とのビジネス等、必要に迫られる場合に限り必要悪として認めるとしても、少なくとも陰性という結果は全員偽陰性と思え、ぐらいの注意喚起が必要だろう。だから、全員感染している前提の行動が必要なのだ。

 数字に話を戻そう。800という数字に恐怖を感じる。しかし数字とは怖いもので、何が危機となる基準なのか、曖昧で感情に影響されてしまう、その原因は、目標としての設定数値、基準としての数値が設定できていないからだ。いやいや、ステージを分ける数値設定はしていると言われるかもしれない。しかし、その数字をよく見て欲しい。危機的状態を想定して設定したものではなく、その時点の数値を基準に、少し増やしたところの数字設定をしているに過ぎない。経営を少しでもかじった人ならお分かりだろうが、客観的理由のある目標数値設定ではなく、現状からの見えている範囲で積み上げた数値を目標にしてはならないのである。

 では、本来ステージ4などの危機的状態の数値をどう定めるべきか。現状ありきではダメで、諸外国の危機的状態から導いた数値設定にするべきなのだ。勿論、そこまでは行きたくない方針の元、諸外国の状況の半分や3割減などに設定すればよい。現状からすれば、遥かに余裕のある数値となるが、危機との差はそれだけ余裕があると言う現実を理解するために必要な数値なのだ。それでは、その前に医療体制が崩壊するというのなら、崩壊しないぎりぎりはどういう数値になるのか、を基準にしても良い。病床数、医師数は諸外国と比較して最優良なポジションを示す医療先進国である日本が、本当にどういう数値で医療崩壊が起きるのか、そこを数値設定すればよいのだ。

 医療崩壊、逼迫していると危機感を煽る。事実、医療の現場は大変だろう。箱モノを整えても、対応できる人間の数が少ないと専門家は言う。だから、現時点で既に医療崩壊なのだと。

 100歩譲って、今の状態で医療崩壊ということを認めてみよう。それは諸外国と比較して医療後進国、脆弱な体制である証になるだけなのだ。その事実に、真摯に向き合って、強化対策を計画するのは政府ではなく、医療業界の務めではないのだろうか。これは強力な皮肉だが。

 今、医療崩壊を防ぐ方法は簡単だ。大阪の様に、専門病院を作る事。そして、そこの医師や看護師を調達する強制力を政治が持つことだろう。任意で希望者を集めようと言う通常時の考え方では無理なのは当たり前で、危機管理状態であれば、危機対応に相応しい強制力が必要なだけだ。絶対数は不足していないのだから全体としては賄えるはずだ。現状ある病院の病床を少しずつ、コロナに割り当てて確保するのでは簡単に崩壊するのは当たり前だ。

 もう一つの方策は、高齢の入院患者、要介護状態の患者の介護を担当する介護師も雇用することだ。医療の聖域として、看護師が介護まで担当する様では、看護師の負荷が膨大に増えるだけでなく、サービス面の不備にもつながる。これは実は重要なポイントでもある。

 医療崩壊だ、とメディアで吹聴するのではなく、この様な対応をすればここまでキャパを拡大できると提案する役割を担うのが専門家ではないのか。他責を追求する前に、自責の範囲を全うする、或いは更に前向きに提案することが経営視点では生き残りの条件なのだから。

シブコ残念無念、だが来年リベンジを確信できるメンタル

 渋野日向子選手の戦いが終わった。全米オープン、メジャーの3日半、守り続けた首位を4日目に明け渡しての単独4位。単独4位は素直に称賛に値するし、やはり海外で勝負できて勝てる可能性を持っているナンバーワンがシブコだ!と知らしめてくれた。それでも悔しい、この悔しさは来年の五輪、そして海外メジャーの舞台で晴らしてくれると信じている。

 最終日、それまでと違い寒いということが、画面から伝わって来た。まず、意味不明なほど距離が出ていなかった。悪天候を考慮して、ティーを前に出し、全長400ヤードほど短くしているのに、ハイブリッドを使う率が極めて高かった。止めにくい厳しいグリーン、ピン位置が更に止めにくく、見ていても攻めきれる気がしない状態に感じた。そして、寒さだけでなく、緊張も併せて振れていないとしか思えないミスが連発していた。抜けない芝に突っかかり、かと言えば開いてしまい、トップもし、我々から見てもこれでは安定できないと感じざるを得ない状態だった。スマイルもいつもの心底から出てくるスマイルではなく、どこか無理したスマイルだった。

 その中でも5番ロングのサードショットは、本音を言うと打った瞬間、テレビの前で『あっ』と声が出るほどで、終わったとさえ感じさせられた。

 しかし、その状態で1日5ボギーに抑えたのは、逆に凄いと言っていいだろう。特に5番のグリーン奥からのアプローチは圧巻だった。ベアグランドから打ち上げ、球を上げて寄せる。しかも、一筋ズレていれば入っていてもおかしくなかった。あれは、ヘッドの入る位置がほんの1mmズレても、あれだけうまく打てない。随所に、凄まじい執念の粘りが見ることが出来て、寝不足でも眠たさを感じる暇がなく、息も出来ないぐらいの重たい雰囲気で最後の最後まで粘ってくれた。

 流れがあれば、あの粘りのアプローチのいくつかが、一筋ズレてカップに吸い込まれてもおかしくない。そうすれば、空気はかなり軽くなっていただろうが、流れも味方をしなかった。厳しい世界である。

 上がり3ホールを残し、2打差で可能性を残し、17番のバーディーパットをショートしてしまった時点で、気持ちが切り換えられていないというか、自分を責めていると言うか、パーパットが入る精神状態には見えなかった。そして結果はボギーで終戦。

 しかし、18番のバーディーパットは、勝負がついた後、全てのプレッシャーから解放された様に見事ロングパットを沈めてくれた。もう、ファンとしては、このパットを最後に見せてもらえただけで今日のところは充分満足。悔しいが、絶対次にはやってくれると確信できるからだ。

 感情をコントロールすることで、1打・2打を稼ぎ出す、そんなシブコを見せてもらえた。賛否両論あるだろうし、事の是非は分からないが、私の感覚的には、感情をコントロールする事を覚えた状態で、もう一度感情を表に出す様にすれば、無敵ではないだろうか。感情をコントロールするのは正直しんどい筈だ。それが4日間だけでなく、1年間、この先の選手生活と考えた時に、個人の適正であれば問題ないだろうが、シブコは違う様な気がする。

 確かに、若さに任せて、感情を出すだけでは、ムラが出て、大きな勝負には勝てなくなっていくだろう。しかし、シブコの本質は、スマイルシンデレラなのだ、それで大舞台を勝ち切った。更なるレベルアップのために感情のコントロールをこの1年間訓練出来た。この出し入れが出来る様になれば、無敵のスマイルシンデレラとなってくれるだろう。

そういう観点の、メンタルトレーナーは付いているのだろうか?

民主主義の恐怖政治 情報を制する者が民衆を扇動する最強権力を行使 結果としてGoToが生贄に

 菅政権の支持率が大幅に低下してきた。ここ最近の新型コロナ感染拡大第3波に対しての対応で指示率が落ちていると見るべきだろう。しかし、この構造自体は、良い言い方をすればポピュリズム、悪い言い方をすれば民衆の有無を言わさない暴力的な力であり、その方向性に空気感を導くメディア、特に電波系メディアの責任を問わざるを得ない印象を拭えない。このラインより上のエリアが無料で表示されます。

 感染症の流行自体は、政府の責任ではなく、自然災害と言っても良いが、人は自分達が被害を受けると精神的に他責要因を求めるのが人の性である。連日連夜、テレビのスイッチを付けると、感染者数過去最高、死者数過去最高、医療崩壊、命の選択が目の鼻の先と言われ続け、ウィルスに責任を問えない状態で、政府には明確な姿勢を取って欲しい、強力な感染症対策が必要だ、政府のメッセージが足りないと耳に入り続けると、大なり小なり影響を受け、政府への批判意見が増えるのは当たり前だ。

 耳に入る情報が偏っていることに気付く人は、ほんの一部だろう。大多数は、矛盾に気付かず、妄信して、心配になる。人の気持ちを誘導するために一番手軽な方法が、人を不安に陥れることだ。心配だったら、少し調べれば多種多様な情報が存在することは直ぐに分かる。その時点で、電波系メディアが伝える情報が一辺倒で、他の情報が排除されている異常さに気付けるだろう。更に踏み込んで、多様な情報を文書として確認すれば、自ずと客観的な判断が出来るのだ。しかし、大多数が調べる意欲を持たず、そこに労力を使おうとしない、或いはする能力を持たないから、電波で言い続けている事を鵜呑みにしてしまう。

 ここまでコロナ一色で危機感を煽られ続け、客観的判断すら喪失させられた状態で、責任の転嫁先、所謂犯人をあてがわれると、その犯人の一挙手一投足、箸の上げ下げにすら文句を言いだす悪循環が始まる。『ガースーです』や少し前の『お家に居よう動画』など、本質的には何ら批判の対象とはなり得ない事まで、緊張感が無いなどと脊髄反射的に攻撃の対象になる暴力的な悪循環がもたらされる。

 情報とはそれ程強力な力を持っている。現代はインターネット全盛期で様々な情報との距離が近くなり、誰でも多種多様な情報を取得することが出来る。しかし、インターネットの情報の力は現時点では極めて限定的なのだ。情報を取得することが出来ると、取得するとは莫大に大きな差がある。そして、情報の威力で言うと、相変わらず電波の力がその受動的に受けてしまえるという性格上、圧倒的に強いのが実態だと再認識させられるのである。

 インターネットでの情報発信では、仲間は集まるが、全ての情報を一色に染めることは事実上不可能、大衆を扇動するのは相当困難である。それは、多様性が存在するからだが、電波は多様性のある情報の中から、極めて一部分の情報だけを、それ以外の情報は存在しないと決め込んで1色に染めることは比較的簡単なのだ。それは、多くを語る時間が無い、視聴者はそれ程根気強く見聞きしておらず、ワンセンテンスメッセージのつまみ食いで分かった気になる。従って、伝える側も、視聴率を取るためにはこの傾向に逆らわず、印象だけで感情的に訴える。これがフェイクニュースの構造であるが、最近の電波系メディアはドンドン酷くなっている様に感じるのは私だけだろうか。

 政府を攻撃する際の語り口として、説明が充分でない、施策を打ち出して欲しいという言い方をよく聞く。しかし、実際のところ、政府各所からのメッセージは多数発信されており、施策も多数実行している。そのメッセージや施策はメディアが望む通りの発信、即ち一辺倒に偏った情報を元とするものでないので、発信が無いと言う言い方になる、極めて公正さに欠ける言い方なのである。

 テレビの報道で専門家が登場するのはいつのころからだろうか。確か、湾岸戦争時期に軍事専門家と称する方々が出演して、素人に分かり易く解説することが始まったように記憶している。最近では感染症の専門家がテレビに出ない日は1日たりとも無い。そして、口を揃えて、感染拡大の危機感を語り、行動制限が感染症を抑え込む対策だと語り、マスクやソーシャルディスタンスの必要性なども語る。そして、医療崩壊の危機を語り、GoToを停止しろと、政府に対する批判まで語っている。つまり、感染が拡大し、医療崩壊に繋がり、国民を命の危険に晒しているのは政府だと言わんばかりの印象を毎日発信していれば、支持率が低下するのは当然だろう。

 さて、では現実はどうなのだろうか。その答えは、インターネットに存在する多様な情報と数字を検証すれば自ずと出てくる。

 冷静に考えて欲しい。専門家といわれる人々は、全員の意見が一致しているのだろうか。そんな訳が無いことぐらい容易に想像できるだろう。異論異説、反対意見があって議論し、自説の信ぴょう性を高めるため、研究やデータ分析を科学的に行って、進歩していくのである。電波を通じて発信されている専門家からの情報が異口同音で同じことを言っていることに不思議さと違和感を感じて欲しいのである。

 必ず反対意見は存在する。現実に、電波で言っていることに真っ向反対する専門家は多数存在する。しかし、電波では決して取り上げられないから、他に意見が無いような錯覚をしてしまう。こう言うと、公平に取り扱っていると言う反論が聞こえそうだが、趣旨と反する意見が出された瞬間に完全スルーし無視、無かったことの様に別の意見の説明を始める光景を私は幾度となく見ている。異論に対して反論すればまだましなのだ。その時点で異なる意見の存在を認めることになるからだ。だが、完全に無視をしてスルーし、発言自体を無かったことの様にするのである。その傾向の強い番組、キャスター、コメンテイターは数えたらきりがない。そういう目線で、見て頂ければある意味滑稽さすら感じてしまう筈なのだ。

 医師に対する取材でも、発言を部分的に切り取って、全く正反対の趣旨に利用され、その医師から抗議を受けた事件もあった。一応の謝罪は後日したものの、誤解を与えてしまった注意不足程度に留まっており、誤りを認めてはいなかった。無論、後日謝罪したところで、情報とは発信された時点で消せず、影響はその時点で与えるものなので、発信の何倍もの訂正と謝罪が無ければ謝罪にはならないのだ。ファクトチェックや取材相手の主張確認はメディアとしては当たり前の義務だが、どうも自分たちの大義の為には正義だと奢っている様にしか見えない。

 感染症対策は、検査をして隔離をする、行動が感染を拡大させるので行動制限が効果的な対策となるのが常識と言われている、それはその通りだろう。しかし、その根本的な意味を無視して、そう決まっていると言うのは間違いなのである。ある、条件の元に成立する話だからだが、その条件を無視しての強弁は、聞くに堪えないのだ。状況や環境条件によって実際は変わってくることも事実なのに、それらを無視しての決め込みは、極めて非科学的、感情的でしかない。

 政府は、実際に国民の命と生活を守るために、偏った意見ではなく、多様性のある意見に耳を傾け、その複雑な連立方程式とも言えよう数式の最適解を求めようと模索する責任がある。従って、ワンセンテンスで決め込んでくる説とは、意見が合わないのは至極当然であるが、どちらが、現実に対して最適なのかは自明であろう。しかし、民主主義において有権者の意見が、例え偏向情報に洗脳された結果だったとしても、意見が揃ってしまえば、ある程度納得させるための落としどころ案を創出するのが民主主義である。ある意味、最適解ではないが、間違っていようと、最適でなかろうと、苦渋の選択をせざるを得ない状態に追い込まれてしまうのだ。

 GoToを一時中止などする意思は政府には基本的にはないし、今まではなかった。その理由は明確で、GoToと感染拡大の因果関係はないからだ。感染を拡大させていないというエビデンスも無いと言うのは悪魔の証明であり、本来無理筋として論外なのだ。また、東京大学の症状の発出との関係アンケートもどう考えても結論ありきの無理筋である。緊急性があるので査読前の公表というのは、査読後であれば公表できる代物でないので査読前に公表したと考えるべきだろう。実際、GoToの人出でマクロ的に感染は拡大していないのは明らかだが、電波は認めずスルーしているだけなのだ。自分たちの主張と異なる情報や意見は無視する異常な姿勢なのだ。

 そうはいっても、ウィルスを持った人が無症状で行動し他人と接触することで、感染は広まるではないか、という人も多いだろう。確かに、その主張は正論だ。ミクロ的には何の間違いもない。但し、前提となるのは、人の行動をゼロにして接触ゼロ化出来ればその通りだろう。しかし、現実にはそれほど簡単に個を選別し行動ゼロ化を実現することは出来ないので、一般的には地域や場所を限定して、その境界を越えない隔離施策を取るのが通常である。その場合、隔離境界内は接触による感染は発生するのである。統計的には、隔離境界内は増加も減少も均一になっていくので、境界をまたいで非感染地域が存在する場合に限り、有効なのだ。逆に言うと、今の日本の様に全国に蔓延している様な状態では、行動制限は何の意味もない。いや、本当に中国が実施したような一時期完全に個の行動を強制的に制限できた場合は有効である。感染周期の期間、強制的に自由を束縛して個を隔離出来れば収束するのも当たり前である。しかし、通常の民主主義国家で語ることはできないのだ。

 実際に春の緊急事態宣言は、同様の情報偏向により世論が動かされ、その圧力で民主主義政権が追い込まれ発出せざるを得なかったのが実態だ。そして、結果の総括は行ったはずだが、その結果は曖昧にされてしまっている。それはそうだろう、緊急事態宣言は発出の必要が無かったと言うのが結論、発出時には感染は収束し始めており、発出と収束に因果関係が無いからだ。このことを誤解なく公表するのは、偏った情報との全面戦争になりかねず、混乱を更に深めるしかなくなり、敢えて公表を様子見にしているというのが本当のところかもしれない。本来は、その時点で指定感染症としての扱いを変更すれば今の医療崩壊直前状態は起こっていないだろうが、この扱い変更も大反対でとても切り出せる状態ではなかったのだから、誰の責任と言うべきだろうか。

 従って、今、GoToを中止しようが、行動制限しようが感染抑止に効果はない。一方で、行動制限に伴う生活への打撃は確実に被るので、政府としては生活を守る視点から効果もない施策を選択できるはずがないのである。補償で得られるのはその場しのぎでしかなく、充分な筈もなく、もし万が一充分であれば、事業の拡大意欲減退にも繋がりかねない最後の手段なのだ。GoToなどの景気刺激策の場合は、政府の支援と言いながら、事業拡大のカンフル剤となる投資であり、何倍もの経済効果を生み出すので、本来比較する方が間違っている。

 そうすると、何故今、感染拡大しているのか。一つには冬で寒くなり、乾燥している季節要因だとも言える。そして、何より原点に返れば感染抑止行動ニューノーマルの実行性が低下してしまっていると考える以外にないだろう。この事には対策は必要かもしれない。ドンチャン騒ぎを自制すればそれだけで大きな効果はあるだろうからだ。

 しかし、電波系の危機煽り報道のあまりの酷さにオオカミ少年状態になっている。ニューヨークの様になる、イタリアの様になる、死者何十万人、と煽り続けて、何か一つでも現実になったことがあるだろうか。来週には危機的状態になると言い続けるのには限界があり、逆効果となってしまう。
 実際数字を見ても、危機だと言う諸外国と比較して桁違いに規模は小さい。見習うべきという韓国でも感染は止まらない。検査と個に至らない隔離は効果が無いことは社会が証明している。この状態で自粛はあり得ないが、行動上の注意は喚起できる。実際、政府の発信は、マスク会食や3密、ソーシャルディスタンスを守った行動を強く託している。電波系メディアがその事を無責任と責任転嫁しているのでメッセージが弱くなってしまっているだけだ。

 素直に考えれば、感染抑止行動ニューノーマルのレベルを上げるのが最大の感染防止施策といっても過言ではないし、それ以外にないだろう。

 実は、電波系メディアもその事は理解している筈だ。行動制限を必要不可欠だとスタジオで専門家やキャスターが語っている姿を見て、今年の春と比較して違いを感じないだろうか。緊急事態宣言の総括、効果が見えない時点では、リモートを強化し、最低限の出演者に抑え、連続ドラマなどもかなりの部分が自制されていた。しかし、現在はそれ以前と比較して違いがあるとすれば、アクリル板が設置されているだけだろう。通常の飛沫飛散を考えると、それでは不十分なのだが、堂々とその状態で報道番組を放映し、他の行動は制限するべきと強弁している。
 様々な番組のご意見受付に、そこまで行動制限をうったえるのなら、まずあなた達がリモート主体にし、コメントの際にはマスクを着用しなさいと訴えているが、一切反応もなく、対応も変わらない。この程度では感染しないことは分かっている、とでも言いたいのだろうが、それなら他の感染拡大に繋がらない行動を攻撃してはならない。政府にメッセージ性を求め、GoToを生贄にしろと言うのなら、その姿勢をメディアが画面で伝えるべきだ。だが、絶対にしないだろう。自分たちの業界、タレントなど含めた関係者の損害が計り知れないからだと想像するが、それなら旅行業界、飲食業界の損害に目を向けないのは身勝手すぎる。

 日本の産業構造を変革するために、デジタルトランスフォーメーションやSDGs、アグリなど以外に注力していたのがインバウンドだ。残念ながら、インバウンドは海外交流なくして本当の拡大は困難だが、この状態なので内需でまずはイノベーションを起こす方策が目指せれば、それは大きな力になるはずだ。ピンチをチャンスに変えられるが、折角のチャンスをつぶすのも簡単なのだ。

 しかし、それでも世の中は合理的な判断が為されないのが常だ。特に民主主義国家では、情報を制する者が牛耳れるのが実態だ。それが故、電波系メディアは混乱に乗じて力を発揮し始めた。結果、政府はGoToを生贄として捧げざるを得なくなった。感染抑止効果は無いことは百も承知の上で。

 実際第3波は、12月中旬時点がピークで、ピークアウトしている。高止まりしている様に見えるかもしれないが、本来のピークは東京都で1日新規陽性者1000人を想定していた、全国規模で言うなら1日5000人規模だろう。その手前で上げ止まりしたのが実際で、そこまで上がっていないから下がっている様にも見えないピークの頭カットされた状態なのだ。年明けには一旦収束する予測だったが、春の緊急事態宣言の再現で、収束と対策に因果関係のないムダな策となってしまうだろう。私如きの予測では誰も信じないだろうが、大阪大学の専門家チームの提唱するK値でもピークアウトは検出されているのだ。しかし、メディアは決してまともに取り上げない。

 そして、情報を牛耳る権力が蔓延る状態で、我々が対抗する手段は、現代版学問のススメにあると信じて止まない。福沢諭吉先生の学問のススメは、一部誤解されていることもあるが、世の中は平等で公平と言っておらず、何故か実際は貧富の差など格差が存在し、不平等であるとし、それは学問で左右されると言っているのである、即ち、不平等な目に合わない為に、民主主義国家として自由と平等を勝ち取るために、学問をするべきだと主張している。

 現在版は、情報リテラシーを個々に高めることが自由で平等、成熟した民主主義の確立のために必要不可欠になってきた。従って、受動的な情報に流されず、能動的に情報を取得し、その多様性の中で自身の考えを作り上げていく、情報リテラシーを磨けと言いたい。

東京大学論文(GoToと感染の関係性)の考察検証

 東京大学の論文(GoToと感染リスクの関係性調査)が公開された。査読前だが、緊急性が高いと言う趣旨での公開になる。メディア、専門家、野党議員は挙って、結論として『GoToは感染リスク高い』が研究結果だと伝えている。同時に論文内記載の限界点も伝えてはいるが、充分伝わる言い方には思えないので、一般社会では誤解が広まっている様に感じる。
 従って、詳細の確認が緊急に必要と感じたので、通読してみた。結果、誤謬性の高い部分が存在したので下記に示す。確かに統計データ処理にはかなり気を使って精度向上しているが、データを元にした考察では、結論ありきの感が否めない。査読では、良識的な指摘が為されることが想定できる。

① a.GoToトラベル利用経験(過去1~2か月)とb.過去1か月以内の症状経験の関連を問うには、a.b.の時系列が明確である必要があるが、時系列は明確でないので関係性を問えない。


② 有症率の差をGoToトラベル利用の影響とした場合、GoToトラベルの母集団にも差分と同様の発生確率での有症状者が発生する必要がある。11/15までに5260万人泊の利用が報告されており、1人平均2回利用と割り引いて考えても、2500万人規模の母数に対して、1%の25万人規模の有症状感染者が通常より多く検出されて然るべきであるが、現実の感染者数規模は異なる状況である。


③ GoToトラベル利用者の内、高齢者の方が感染リスクを恐れているため、慎重に行動してリスクを増加させていなかったという考察は、即ち、非高齢者でも慎重な行動を実施さえすればGoToトラベルは感染リスクを増加させないとの考察にもなる。即ち、GoToトラベル中止による移動制限よりも、感染予防に対する慎重な行動の方が感染抑止に効果がある事になる。


④ 一方で、高齢者が慎重な行動をすると言う考察は根拠のない印象情報である。実際、GoToトラベル利用時の高齢者の行動は、むしろ感染抑止の認識が薄い印象すらある。それは日常行動においても同様に確認される。(但し、統計的に論ずるデータは存在しない)


⑤ 高齢者と基礎疾患のある人をGoToトラベルの対象外とする目的は、感染拡大のコントロールではなく、感染した場合の重症化リスクの高さを考慮し、直接感染機会の低下を目的としており、施策が有効でない理由にはならない。


⑥ 記憶による症状の自己申告と新型コロナ感染を直接関係性を持たせている論理に無理があり、そのことでGoToトラベル事業が感染拡大に一定の影響がある可能性があると論ずるのは飛躍し過ぎである。


⑦ 査読前にこの結論を公開することで各種メディアが結論を伝え、一般国民に不確かな部分が充分に伝わらず、飛躍した結論だけが伝わっていく現象は、フェイクニュースの類を免れず、後から誤謬性が報告されても、一旦広まった印象が消えないのが一般社会であり、査読前の公開は影響力の大きさを考えると慎重であるべきだった。


⑧ 感染リスクの高い人の定義が、感染抑止行動の甘い人、慎重な行動を心がけない人であれば、感染リスクが高い人がGoToトラベルを利用する傾向が強いと言う論理は一定の理解が出来る。しかし、その感染抑止行動の甘い人、慎重な行動を心がけない人は、例えGoToトラベルを利用しなくても、日常の行動にて同様の感染リスクを有するのであり、GoToトラベルを感染リスクの要因と論ずることは出来ない。


⑨ 全体的に結論ありきでの論理展開の印象が拭えず、このデータからGoToトラベル事業の是非を論ずるのは無理がある。


⑩ 但し、感染抑止行動、慎重な行動が感染抑止に効果があるとの論旨は理解できるものであり、感染抑止行動としての会食時含めてのマスク着用や3密回避、ソーシャルディスタンス、手洗いうがい等の重要性を改めて示す結論には導くことが出来る。

東京五輪_全力応援宣言

 自国開催の東京五輪。ここを目指すアスリートは選手生活の全てをかけて、いや人生をかけて、様々な困難を乗り越えて臨もうとしている。そして、その競技姿勢を通じて我々に感動と元気を運んでくれる。であるならば、コロナ禍であろうとも、いやコロナ禍だからこそ、全力で東京五輪を目指すアスリートを全力応援しませんか。

 様々なネガティブ情報も多いのは事実だろうが、それを乗り越えて挑戦する人達を、ネガティブな『Noの論理』ではなく、どうすれば出来るのかというポジティブな『Yesの発想』で応援しませんか。

 いまだ中止を叫ぶ声も多い。その殆どは、リスクを語るが、様々な種目、プロスポーツにおいても、どうやれば安全に開催できるか、真剣に考え、トライアンドエラーが行われている。その結果、現時点でもリスク低減策はかなりのレベルで積み上げてきている。
 応援できなくとも、ネガティブな発信で、挑戦する前向きな人達の妨げになる事だけは、避けるべきと思って頂けませんか。

 個々に考え方も異なるだろうし、国民全員賛同して欲しいとは言わない。しかし、認識して欲しいのは、『中止すべき』という声が大きくなると、少なからず東京五輪を目指すアスリートの活動に負の影響が及んでしまうことだ。
 確固たる信念を持って『中止すべき』との発信をされるなら仕方がない、それはそれで意見として尊重しなければならないだろう。しかし、空気感、感覚論で『中止すべきだと思う』のであれば、是非発想の転換をして『感染リスクを最小化出来るのであれば開催できる』とポジティブな考えを少しでも持って頂けないだろうか。

 個々のアスリートは、感染抑止行動という通常の活動にプラスαした対応を余儀なくされ、苦難に挑み、乗り越えている。それらアスリートの支援のために、感染抑止対策も工夫されレベルアップしているし、これからも新たな策がどんどん追加されていくだろう。
 であれば、出来るだけポジティブな意見を応援メッセージとして発信して頂きたいし、出来なくても、確固たる意思の裏付け無く『中止すべき』という発信は控えてもらえないだろうか。マイナスが減少するだけでも、アスリート一人一人には大きな力になる。

 これは切実な願いである。多くのアスリート達の為、少しでもポジティブに『Yesの発想』で『どうすれば出来るか』『どうすれば安心出来るか』の考えで、応援をしませんか。

<政治家の皆さんへ>
東京五輪を政争の具とするのはもうやめて下さい。政治的国家イベントである事も間違いありませんが、今一度、個々のアスリートに目線を合わせて下さい。野党の皆さん、政権与党を攻撃する格好のネタかもしれませんが、しばらく攻撃は控えて頂けないでしょうか。いやむしろ積極的に政府と連携して開催に向けて全力でご尽力頂けないでしょうか。結果として開催出来れば、皆さんの政治成果となることは間違いないでしょうから。

<マスコミ、メディアの皆さんへ>
ネガティブな情報発信、政府監視の役割も重要でしょうが、東京五輪に向けては全力応援の姿勢を前面に出して頂けないでしょうか。人類の英知を結集した感染抑止を施し、ポジティブな大会にするためには、皆さんの情報発信が極めて重要です。むしろ、メディアの発信が前向きになれば、様々なイノベーションに繋がります。『ここまで対策は考えられている』『もっとこういうことが出来るのではないか』という情報発信を強めて頂ければ、一般国民の意識も前に向き、対応策も確実にレベルアップし、前進できます。国民を前に向かせイノベーションを生み出すのも、後ろに向かせるのも皆さん次第だと言っても過言ではありません。

 先日の体操内村選手のコメントを真正面から受け止めませんか。多くのアスリートが同様の感情を持ち、発信を憚っていた内容、勇気を持っての発信、問題提起です。『できない、ではなく、どうやったらできるのか』『どうか、できないと思わないで欲しい』です。

残念ながら、その後の調査でもネガティブな意見が多いのが現実です。

 過去に自身の責によらずチャンスを奪われた選手として、マラソンの瀬古選手や柔道の山下選手が語られる。彼らは、金メダル確実と言われた選手だったが、同様にチャンスを奪われた。しかし、実際にチャンスを奪われ、人生が狂わされたアスリートは代表以外も含めて大勢埋もれており、その何十倍、何百倍も存在する。

彼らに、歴史の不幸な繰り返しを経験させないで欲しい。

 どうやったらできるのか、それを追求して達成できた時に、得られる成果は有形無形で計り知れない。できない、と思った瞬間に前に進むことが出来なくなる。負のエネルギーは、前を向いて、障害を乗り越え、前進している正のエネルギーにも負の影響が生じる。

 このメッセージは、極めて感情論として、感情的に発信している。その理由は、世の中の『できない』『中止すべき』との声の多くは極めて感情論だと思っているからだ。

 論理的にリスクマネジメント観点で語る事、状況を統計的かつ客観的に分析する事は可能であり、前向きな情報として発信することも出来る。しかし、それだけでは社会の感情的なパワーには届かない。マイナスパワーの方が多いのが論理的であれば仕方がないが、極めて感情的であり、論理だけでは押し戻せない。

 東京五輪は開催して欲しいし、開催するべきと信じている。代表選手だけでなく、選に漏れた選手も含めて多くのアスリートの人生を支え、チャレンジする価値を高めてくれる。その姿を見ることで、多くの人は正のエネルギーを得ることが出来る。その結果が社会に還元される効果が大きいからだ。

鳥肌が立つレース連発の陸上日本選手権

 12月4日金曜日、大阪のヤンマースタジアム長居で鳥肌の立つレースが連発した。

 女子5000m決勝レースでオリンピック参加標準記録をクリアしている田中希実、廣中璃梨佳は優勝すれば即オリンピック代表内定。タイム的にはクリアしているが、除外期間(新型コロナの為公平性を保つ処置で2020年4月6日から11月30日が対象除外)の記録の為クリアしていないが実力はある萩谷楓の戦いと予測されていた。
 その中でも、先日の中距離レースにて、積水化学卜部さんに圧勝、800m、1500mで日本新記録の田中希実選手がどんな強いレースを見せるか、先日の実業団駅伝で1区独走の区間賞をマークした廣中璃梨佳選手がどこまで食い下がるか、楽しみなレースだった。

 序盤2000mまではスローで展開したが、そこから廣中選手がペースアップ、1周72秒を切るペース、3人の勝負に絞られ、3000m過ぎで2人に絞られる展開。後半更に切り替え、ラスト1周の鐘が鳴っても先頭廣中選手、直後の田中選手は変わらず、ラップは67秒の声。凄まじいペースでバックストレート直線に入り、田中選手が廣中選手を交わす。第3コーナーから突き放し、田中選手が強いレース、負けないレースを見せてくれた。中距離種目でスピード強化を行った成果がラストで活きた結果だろう。

 次に女子10000m決勝。新谷選手がオリンピック代表と共に日本記録に挑む。序盤、積水化学の佐藤選手がペースを作る展開。リズムに乗った新谷選手がそこから、1周71秒とキロ3分を切るペースに上げる。マラソン代表の一山選手が途中まで追走するが、直ぐに新谷選手の一人旅に。流石にキロ3分切りのペースは継続できなかったが、1周73~74秒までで踏ん張り通す。5000m手前で既に周回し始める。日本選手権に出場する選手を半分手前で周回するなどトンデモナイことだ。7000m過ぎのあたりで少し足が鈍った様にも一瞬見えたが、周回遅れの集団をバックストレートで抜かす際に、上手くペースを上げリズムを立て直した様子。2番手は、一山選手、3番手グループに日本郵政の鍋島選手や序盤引っ張った佐藤選手などがいた。3番手グループとのタイム差、ラップを見た時に、一山選手以外の全選手、この3番手グループまで周回に出来る状況。実際、最終周に難なく周回に。あの鍋島選手も周回にしてしまった。結果は日本記録を28秒も上回る大記録で優勝、オリンピック代表内定獲得だ。

 この2レース、本当に鳥肌が立つ程のすごさを見せてくれた。オリンピックで海外の選手とどこまで戦えるか、本当に楽しみになってきた。2人のインタビューもしっかりした内容であったのも期待が膨らんで良かった。

 新谷選手は、単純にスーパーアスリートというだけではなく、女性アスリートの大きな問題、人間であり、女性であることを守る強い意志を持つことを発信し続けている。ジュニアアスリートの指導という立場からは、多くの間違った考えを持つ指導者が存在することを考えると、耳に痛い。古き良き指導者達は聞く耳持たない(持てない)だろうが、大きな問題提起をしてくれている。やはり、アスリートである前に人間であり、女性だと言うことは絶対に忘れてはいけないのだ。

 そして、新谷選手のインタビューでも再三名前が出た、横田コーチ。横田さん自身、長く日本中距離界、800mのトップに君臨し続けながら、現役時代から東京都高体連の強化コーチなども対応して頂き、多くの選手に影響を与えてくれていた。自身が無しえなかった、世界での勝利を教え子達が成し遂げる日が近いかもしれない。

 最終レース、男子10000mタイムレース決勝。日本記録を上回る参加標準記録を更に10秒上回る好記録で、相澤選手が優勝、オリンピック代表内定だ。男子も含めて、来年は風を起こしてくれる予感だ。

K値による感染ピークアウト宣言

 今日は、両極端な発表が為されている。

 吉村大阪府知事は事実上の緊急事態宣言を発出。しかし、地元大阪大学を中心とする『K値』推奨チームが、第三波の感染拡大は既にピークアウトしたと報告した。

 春の緊急事態宣言時、発出時点で既に感染はピークアウトしていた、従って、緊急事態宣言は何の意味もなかったと、『K値』での分析が示し、元大阪府知事橋下氏も問題提起していた。その総括、反省が必要と提言しながら、今回の吉村知事の宣言発出に橋下氏はどうコメントするのだろう。

 第三波の感染ピーク時期や収束などの予測を過去のデータから分析した結果を、11月23日に出稿した記事『新型コロナを正しく恐れよ』に示させて頂いた。そこでは、感染のピークは、12月初旬から中旬にピークと予測している。その想定の元、直近では丹念にK値ならぬT値を確認して、そろそろピーク、上げ止まり傾向が出てきていると読み取っていたが、K値推奨グループが先んじてピークアウトを宣言したのだ。

感染推移

 まずは、新規感染数の推移グラフを見て頂きたい。毎日、過去最高、曜日としては最高、等とメディアは危機を煽り続けているが、現実は上げ止まり状態にある。もちろん、減少している訳ではないが、明らかに上昇度合いは鈍っている。このことは数字を冷静に見れば疑い様がない。

K値

 次に、『K値』の推移をご覧頂きたい。確かに、曲線のトレンドが変わる変化点が発生している。この変化点を読み取れば、ピークアウトを迎えたと言えるのである。

T値

 次に、私の推奨するT値を示す。T値の詳細に関しては、拙著『ファクターXの正体』にて説明させて頂いているので、興味のある方はご覧いただければと思うが、同じく変化点の発生が確認できているが、本当の意味での下降トレンドに向かう臨界点である『1』よりはまだ若干上にあるので、様子を見ていたのが実態だった。

 確かに、この先別要因で再増加、という可能性がゼロとは言えないが、あくまで統計的にデータを読み取ればピークアウトを迎えトレンドが変化する状況にあることは、否定出来ないのである。

 私自身は、今週いっぱいから来週頭ぐらいの傾向を見て、と安全を見て、考えていたところ、K値グループがピークアウト宣言を先んじて発表した様だ。流石だ。今の状況で、なかなか勇気のある発表ではあるが、この発表の方が、多くの危機感を煽る根拠不明の情報よりも百倍信頼できる情報であり、科学的、統計的根拠があることを認識してもらいたい。

 そうすると、私の当初の予測は良い意味で若干外れた。それは、想定よりもピークアウトが若干早かったという事と、ピークの高さが想定よりかなり低く済んだという事だ。

 この先も、メディアや専門家は、まだいつ上がり始めるか分からない、増加していないとは言えない、など、数字を見ないで、根拠不明の話が今まで同様拡散されるだろうが、落ち着くべきだ。それらの声に動揺しなければ、マスコミはいずれ発言を控える様になる。国民の多数が冷静になれば視聴率の取れない扇動は出来なくなるからだ。

 そして、いい加減に気付いて欲しいのが、行動制限と感染の増減に何ら因果関係がないと言う事実に。専門家は、専門家故の常識に絡み取られ、どんなデータや事実が突き付けられても、とは言ってもと言って常識に縛られる。人の行動がウィルスを拡散させるのは常識かもしれないが、新型コロナは自然に広まり、自然に収束していく。まるで、旧型コロナウィルスが常在している様に、新型コロナも常在していて、自然条件や人の体調で感染周期を自然発生的に繰り返す。そんな傾向に見えて仕方がない。

 一部でGoToとの因果関係を示すエビデンスがないのは、データを取っていないからだという言いがかりも聞こえてくる。しかし、統計データとは、マクロなデータであり、マクロデータなら日々積み重ねたデータが存在する。だから第3波がピークアウトしたという分析も可能になるのだ。

 そうこうしているうちに、専門家の意地だろうか、自分たちの常識を裏付けるためのデータを出してきた。それは、若者の移動が多く、そして若者の移動が感染拡大に繋がっているというデータだ。しかし、少し冷静に見て欲しい。分母と分子を見て、年齢別の割合を正確に計算したわけではないが、有意差がある様には見えないのである。印象操作的に語って、統計的には語れていない様に見える。更に、あくまでミクロ視点のデータに過ぎず、ミクロ視点では数々の反証データも存在するので、一部のつまみ食いで語るべきではなく、マクロ的に移動と感染に相関関係が無い事実を覆せるものではない。

米国大統領選挙という権力抗争

 トランプ大統領の敗北宣言が為されず、未だ混沌とする米国大統領選挙だが、ニュースは相変わらず真実を伝えるのではなく、印象操作のフェークニュースに終始し、トランプ氏のダーティーで往生際が悪いという印象を発信し続けている。司法長官は、『重大な選挙不正の証拠なし』と発信したが、各種メディアは、あたかもトランプ氏の主張が言いがかりで不正はなかったと言わんばかりの裏付けとする報道に終始しており、聞きかじりの人は騙されてしまうだろう。では、この言葉の意味するところは何か冷静に考えて見よう。

 まず『重大な』であるがこれは、結果を覆すか否かが判断基準で、確認できている不正を合計しても結果が覆らない規模であることを意味する。例えば票差が1000票あったとして、不正が確認されたのが200票であれば、結果は覆らないということだ。
 そして『証拠なし』と言っているのは、証拠が確認できていないだけで、不正がなかったとは一言も言っていない。そもそも、証拠を押さえて確認する捜査が行われているかというと甚だ疑問であり、捜査していなければ証拠が確認出来ないのは当然である。
 原告側がいくら訴えても、原告側が掴める証拠など氷山の一角に過ぎず、本格的操作が大々的に行われない限り、覆す証拠は出るはずがないのだ。

 冷静に考えて欲しい。こういう話を客観的に事実検証する際の思考方法は、逆の立場で考えてみる事だ。トランプ陣営の不正が指摘され、一部、それ程大きな規模でなくとも発覚した場合を想定するのである。恐らく、メディアはこぞって、トランプ批判に徹底するだろう、発覚しているのは氷山の一角であり、一部でも不正が発覚したのであれば、選ばれる資格は無いと。

 えー、だったら不正で選ばれたバイデンは、大統領としては認められないじゃあないか、というのも間違いで、極論言えば、どんな不正をしようが、結果の選挙人獲得数で上回れば勝ちなのである。綺麗ごとではない、権力闘争、昔なら殺し合いなのだから。法的にも、立証できる不正で逆転できない時点で、現代の権力闘争では、それが結果であり、決定となる。

 事実として、数々の不正は立証されている。死者や不在者の名義での投票があったり、投票数が有権者数を上回っていたり、明らかな不正だが、結果を覆す規模ではないだけなのである。私が以前出稿した原稿でも、統計的な根拠と推論を書かせて頂いたが、ほぼ間違いなく、郵便投票が無ければトランプ氏が圧勝していたと推定できる。しかし、郵便投票なるものの実施を防げなかった時点で、この選挙、いや権力闘争の勝敗は決したのである。共和党陣営としては、極論を云うと、リアルの投票で有権者総数の過半数を獲得しない限り勝てないのだ。いや、ひょっとすると過半数を超えても、何故かそれ以上の郵便投票が作り出されるかもしれない。

 そもそも、郵便投票を大規模実施させた時点で、民主党の勝利なのだが、今回は新型コロナ感染抑止を口実に導入を阻止できなかった。しかし、この勝ち方が出来るのなら、あの手この手を使って、郵便投票の制度定着化が叫ばれるだろう、尤もらしい理由を付けて。投票率が格段に向上できたことを成果とするなど、民巣主義として進化出来る方法だとか、何とでも理由は付けられる。

 従って、4年後の大統領選挙、権力闘争は既に始まっており、トランプ氏のうったえは、その入り口に過ぎない。早ければ、来週早々にも4年後に向けての宣戦布告が発信されるのではないだろうか。敗北宣言ではない、次への宣戦布告として。

日本は、他国の出来事と達観するのではなく、そのことを前提に、自国の進む道、戦略を見極め、戦術を立てることを考えるべきだ。次期米国大統領は、日本人の感覚における、民主主義に則った、公平な投票制度で選ばれた政権ではないことだけは間違いなく、目的のために手段を択ばない政権を相手にすることになる。しかし、世界では、民主主義的に選ばれた為政者の方が少ないとも言えるのであり、綺麗ごとでなくその現実を前提とするべきだ。尤もらしく、メディアも使って、法的にも外堀を埋めてくる相手と、それでも同盟国として振舞いながら水面下での攻防は熾烈になる。それは国家レベルだけでなく、民間も含めてだろう。そして、一般国民も、米国メディアの発信がどれだけ偏向しているか、という現実を認識して鵜呑みしない、同時に、米国メディアをニュースソースとして発信する国内メディアも同様であり、鵜呑みせず、自らの頭で考える必要性が高まってきた、そういう時代なのだ。

悪魔の証明

 GoToキャンペーンが感染拡大の原因となるエビデンスは無い。このことは、多くの専門家もメディアも認めている。当たり前だろう、数字は嘘をつかない、GoToを始めても第2波という感染拡大は減少に向かったからだ。素直に、人の移動があっても、適切な感染防止行動、ニューノーマルの生活様式が備われば、感染拡大抑止には繋がらないと言っても良いだろう。

 しかし、良く聞こえてくるのが、『GoToが感染拡大の原因となっていないエビデンスも無い』という言い方だ。国会では野党が政府の新型コロナ対策の追及の場で、医療の専門家はあらゆる情報発信ルートを使って、メディアは無責任なコメンテイターやアナウンサーまで、同じ口調で、どちらともいえないと印象を植え付け続けている。
あまり意識されない方も多く、騙されがちだが、この言い方は『悪魔の証明』という禁じ手である。

 この世に悪魔は存在しないと主張するならば、それを証明して見せろというものだ。存在することを証明する為には、1人でも悪魔を発見すれば存在を証明は出来るが、存在しない証明は、その時点で発見されていなくても証明にはならないのだ。たまたま、発見できていないだけかもしれないからだ。従って、永遠に証明は出来ないのだ。別名、消極的事実の証明ともいう。

 従って、『GoToキャンペーンが感染拡大の原因となるエビデンスは無い』という時点で、統計的にも科学的にも因果関係は無いと言うべきなのである。もちろん、何らかの相関関係を示すデータが確認されれば、そのデータを検証して、結論が覆る可能性がゼロという訳ではない。しかし、エビデンスはない時点で科学者なら、『きかっけになったのは間違いない』『原因となっていないエビデンスも無い』とは絶対に言えないのだ。

 メディアも事実を伝える大原則が、もし、今でもあるのなら、この『悪魔の証明』は直ぐに訂正するべきだ。軽々しく発言している方々も、電波に乗せる責任を持って謝罪と訂正が必要だろう。

 国会の野党議員に関してだが、冷静に判断できる有権者を増やさないと、民主主義を崩壊させかねない。政権を攻撃するのが野党の役割だと、非論理的な言いがかりばかりで『悪魔の証明』を殊更求める傾向が強い様ではダメなのだ。論理性の無い攻撃は、野党だから結果に責任を持つ必要が無いと割り切っているから出来るのかもしれない。それでは、決して与党に押し上げようと思えなくなるだけであり、永遠の野党、永遠の無責任集団でしかなく、健全な民主主義には必要ない集団になってしまう。日本の為にも健全な議論を期待したいし、そうでないなら投票行動で示すべきだろう。

 悪魔なんて存在するはずが無いのは、常識だ。それと同じ論理で、人が動けばウィルスも動き、感染が拡大するのは常識だと言いたいのだろう。しかし、日本のニューノーマルの生活様式、感染抑止行動が伴えば、移動のリスクは充分低減され受容可能なレベルになるのだ。常識は、覆るものであり、ある条件を掛け合わせることで覆せるものなのだ。そして、このことは日本が諸外国に胸を張って誇るべき事象なのだ。

 では、なぜ今、感染拡大しているのだろうか。その問いには、なぜ昨年までのインフルエンザはこの時期に感染拡大が始まっているのだろうかと問いたい。また、風邪は何故冬に流行し、夏風邪も一定数発生するのかと問いたい。問いに対して、必ず1対1の解が存在するわけではないのが実社会。しかし、季節性の要因があることは間違いないのだ。つまり、気候を人為的に操作出来ない領域であり、冬季のリスクは、当初から認識するべきリスクなのだ。

 また、逆の言い方をすると、因果関係のないGoToを停止したところで、或いは営業時間短縮要請をしたところで、感染抑止効果は無いと言っても過言ではない。効果のない策を打つことで、被害を受ける観光業界、各種店舗は補償されたところで、必要のない被害を受ける事に違いは無いのだ。いくら補償があっても、事業継続とは全く次元が異なるのだ。これほどバランスの悪い策に対して、政府が消極的なのは当たり前で、経済か感染対策かという言い方や経済優先という解釈は本質的に間違っている。間違ったメッセージに踊らされる国民の声が民主主義社会では諸悪の根源となってしまうのであり、間違っていることは間違っていると是々非々の考察が必要不可欠だ。

 そうこうしているうちに、『GoToを推進することで国民の緩みに繋がるリスクがある』という言い方に専門家の一部は変わってきた。『悪魔の証明』に気付いて反省したのであろう。しかし、ならば打つ手は、GoTo停止ではなく、ニューノーマル、感染予防対策の徹底の訴えかけであり、法的措置が必要ならば、感染抑止対策の不備に対して行政指導、罰則規定を設けるなどが有効である。条件として、感染発生の有無に関わらず、あくまで対策の内容を評価するべきではあるが。
 そして、何と言っても医療体制の強化が一番重要な対策だろう。医療崩壊を防ぐ具体的な方法論、税金を使ってでも実効性のある対応策を提言するのが分科会、医療専門家の役割ではないのだろうか。ベッドが不足する、人が足りないとテレビで不安を煽って、政府が何もしてくれないと言っても何も前に向いて動かない。具体的に何をするべきか、論理的な発信を期待して止まない。

新型コロナ感染症の医療体制整備

 新型コロナ分科会は、『個人努力だけに頼るステージは過ぎた』と状況分析し、経済停滞策を提言で要請した。しかし、ここに大きな疑問を私は感じている。個人努力だけに頼るステージでなくなり、ある程度の感染拡大リスクを受容せざるを得ない状況になっている現実は同意するのだが、だから即経済停滞策実行というのは論理が飛躍し過ぎている。経済停滞策は即ち経済死というリスクに直結するのであり、どちらのリスクによる被害が大きいか比較評価なく軽々しく言うべきではないのである。しかも、他に取るべきリスク低減策はあるはずなのだから。

 今、リスク低減策として取るべき最優先の策は、医療体制強化のはずである。そんなこと既にあの手この手で実施している、という声が聞こえてきそうだが、長年企業の組織再生やⅤ字回復、事業再生、再構築を実行してきた身から言わせて頂くと、根本策に着手出来ていないと感じざるを得ないのだ。少なくとも、あらゆる手を打ち尽くしたという、数字での説明を聞いたことが無い。

 企業再生や組織改革を断行する観点で言うと、まずはあるべき姿を描く。そして現状分析の結果とのギャップを明確に認識し、数値目標を設定してギャップを無くす策を実行していくのが基本中の基本である。そうやって考えると、新型コロナ対策として必要な医療体制は、欧米諸国の2桁上の感染状況とまでは言わなくとも、インフルエンザの例年の感染数ぐらいは想定必要ではないだろうか。昨シーズンを除けば、1000万人規模の感染者を出しているインフルエンザ、その規模の新型コロナに備えるにはどうすれば良いのか、何故考えていないのだろうか。それは、政府や政治の問題でなく、医療業界の問題のはずだ。

 年間1000万人規模の新型コロナ感染者が発生した場合の医療体制を整えるために、これこれが必要だから、予算規模〇兆円必要だと提言し、体制整備の具体化を推進するのが分科会の役割であり、これが達成できない場合は、これだけのリスクが顕在化する、と数字で発信するべき。それを受けて、経済打撃と天秤にかけて判断するのが政治の役割であり、民主主義を前提にすると、国民の判断である。
 この場合の提言の数値は、非科学的、非論理的な数値ではならないのは理解できるだろう。コロナ怖いと言い続けるための、死者何十万人という奇想天外な数字は逆効果でしかない。あくまで科学的根拠と論理性のある、現実的な数値で表現する必要がある。そんなの分からない、未知の部分が多いので仕方がないというのは無責任である。あらゆる仮説は想定であり、現実的な仮説、リスク想定をして、改革を立案するのが専門家であり、出来ないのなら発信する能力はありませんと宣言しているに等しいのだ。

 さて、何故ここまで医療に対して強硬な意見を発するのかと感じられる方も多いだろうが、その理由は複数ある。

 まず一つ目は、インフルエンザの毎年の感染状況に対して、抑制策は課題とされても、医療崩壊の危機とまで言われたことは聞いたことが無い。新型コロナの場合、指定感染症の法的な違いが問題だというのであれば、インフルエンザと同等の法的医療対応にした場合、どの様な事態が発生するのか、シミュレーションした結果を出すべきで、それが議論のベースになるはずだ。
 例年のインフルエンザの場合、発熱があって受診しないと検査を受けない。新型コロナの様なクラスター追跡や濃厚接触者として検査を受けることは無いので、実際は隠れ感染者が数倍から一桁上で存在するはずなのだ。新型コロナは、多くの無症状者や非感染者まで検出しているのであり、公平に数字を比較すればインフルエンザの感染規模よりも遥かに少ないのが現実である。死者数も超過死亡まで考えれば、新型コロナの現状は、まだまだ少ないのだ。何故、医療崩壊の危機なのか、意味が分からないのである。

 二つ目は、新型コロナに対して検査の体制不足が叫ばれ続けてきたが、政府発信では、この冬には1日20万件の検査体制に強化とのことであった。この数値は、インフルエンザと同等の数値である。即ち、インフルエンザと同等の感染拡大まで想定した検査体制としているはずである。にもかかわらず、病床数など医療体制はそこまでの想定をしていないのだろうか、不思議なのである。メディアで発信される専門家の主張では、設備やベッドを増やしても人の体制は、そんなに簡単に増やせないとのこと。それはその通りかもしれないが、では検査1日20万件の受け入れ態勢を問題視せずに検査だけ増やせと言っていたのか、もしそうなら、無責任過ぎるか、計画思考が無さすぎないだろうか。

 三つ目は、そうはいっても欧米諸国と比較して、未だ感染者数、重症者数、死者数は桁違いに少ない。そして、日本の医療体制は、諸外国と比較しても間違いなく優秀であると確信している。欧米諸国で医療体制崩壊しているとはいえ、今の日本のレベルで医療崩壊云々と言うのは余りにもおかしいのではないだろうか。日本が医療崩壊寸前であれば、諸外国はとてもじゃないが今の程度の医療崩壊に止まらず、国家破綻してもおかしくないだろう。しかし、そこまでは行っていない。日本の医療キャパ、能力が、諸外国と比較して劣後していれば仕方がないが、そんな筈はないと信じている。

 四つ目が、医療機関の多くが赤字経営に陥り、経営破綻しそうだとのこと。まず、既往症や他の病気の患者の来院数が激減、入院も減少し経営難との説明があるが、本音を言うと、来院を控える患者は、本来来院の必要が無かった患者ではないのだろうか。必要以上の診療を受け、投薬を受けることで寧ろ健康を害していた可能性も指摘されており、むしろ健康国家経営に近づいており、健康保険財政面でも健全化に近づいている方向なのだ。
 そして、医療機関の収益が悪化しているというが、一般国民の感覚としてほぼ同意いただけるのは、医師は高収入であるということ。収支構造を明確にした上で経営改革の断行が必要なのかもしれない。その上で、収益を維持する為には、経営効率化やムダ取り、ロス排除できる要素が山積している様にも感じる。少なくとも、一般事業では改革無ければ継続はあり得ないのだから。

 最後に、そうはいっても数々の医療体制強化策は打っているとも言えるだろう。しかし、あるべき姿と現状のギャップから導いた施策では無く、現状ありきの出来ることを積み上げる施策、経営の世界では積み上げ施策と揶揄される策に過ぎないと感じられるのだ。策を打っても、目標に到達しないのなら、何のための施策だろうかとなる。それこそ、行き当たりばったりの、泥縄と言われても仕方がない。企業が改革できない最大の原因がこの要素であり、出来ることしか考えないで目的意識を持たないと破綻するのは至極当然なのだ。

 医療体制強化の策は、専門的見地が必要であり、その為に分科会なるものが存在する。医療先進国としての誇りを持った、データ分析と提言で、前向きで実効的、目標意識の高い、強化策に必要な投資資源を政府から引き出す動きが必要なのだ。
 それでも諸外国と比べて医療体制が脆弱なので危機は防げないのだと、論理的数値を示していうのなら、その時点で初めて経済停滞策を土壌に挙げて天秤にかけるのだろう。