春はマスク警察、年が変わり今は不織布マスク警察。困ったものだ。
メディアが伝えるスーパーコンピュータ富岳のシミュレーションは、マスクの素材によるフィルター性能を強調している。しかし、フィルター性能と感染抑止の効果とは別の話である。その理由は複数存在するが、その事を理解する為に、感染のメカニズム、感染者からの飛沫を介して発生するという事を確認する必要がある。
飛沫が無ければ感染は起こらない
感染は、感染者から出されるウイルスが混じった飛沫が吐き出されることから始まる。排泄物からの発散を例外とすれば、呼吸器系から吐き出される飛沫が無ければ感染は起きない。飛沫を直接浴びる『飛沫感染』、飛沫が付着した物体を触る事で起きる『接触感染』、飛沫が微粒子化し空気中を漂うことで起こる『エアロゾル感染』。全ての元凶が飛沫なのである。
ということは、飛沫量の多少が感染リスクに直接影響する。飛沫量は常識レベルで考えると、最も飛沫量が多く、飛散距離も長いのが『咳、くしゃみ』であり、その次が『大声』、次に『普通の会話』、最少が『呼吸』ではないだろうか。分かり易く経験則から数値化すると、『呼吸』を1とすると、『普通の会話』が2、『大声』が5、『咳、くしゃみ』が10として良いだろう。
マスクは、この口から発する飛沫を物理的に遮ることで、飛沫飛散量を抑える効果がある。例えば、マスクを透過する飛沫量を50%抑制するフィルター性能があったとすると、咳・クシャミの10が5に減少し、70%抑制なら飛沫は3に減少する事を示す。これが直接、感染リスク低減に繋がる。
但し、飛沫は透過して発散されるもの以外に、漏れ出す飛沫も存在する。従って、感染リスクを伴う飛沫は、マスクを透過するものと隙間から漏れ出すものの総和であるはずだ。ここで考えて欲しい、フィルター性能が高いと、透過しようとするエネルギーは、はじき返され、隙間に漏れ出す方に向かう。つまり、フィルター性能が高い方が漏れ出す量が増えるのが物理の原則である。結果、飛沫飛散量の実際は、布でもウレタンでも不織布でも大差ないというのが現実なのだ。
マスクの着用状態で飛沫の漏れは大きく違ってくる
不織布マスクを、隙間なく着用すれば良いという意見もあるかもしれない。しかし、それは現実的ではないのだ。今、ほぼ1日中のマスク着用が必要になっているが、さて漏れ出さない着用状態でどれだけの時間継続が可能だろうか。メガネの曇りを考えれば明確だろう。飛沫は漏れているのである。
それでも概ね50%近くの飛沫を抑えることで感染リスクを低減するのがマスクである。マスクには、ワクチンと同等程度の効果があると言っている専門家がいたが、それはこのことによるのだ。しかも、どれだけウイルスが変異しようとも効果は同等なのである。
それでも、不織布以外はダメだと頑なな人には、是非N95マスクをお勧めする。我が家では東日本大震災以来、常備しているが、はっきり言って長時間装用は不可能だ。その事がはっきりわかるので使ってみれば良い。そうすれば、フィルター性能が高く、漏れない装着をしたら、息が出来ない事が理解してもらえるだろうし、長時間、息が出来るという事は、漏れている証明だと分かるはずだ。
マスクの被感染リスク低減への効果は限定的
マスク着用で、飛沫を抑え、他人に感染させるリスクは間違いなく減少できる。しかし、自分が感染しない防御には効果が薄いのだ。
飛沫を浴びても、マスクが物理的障壁にはなる。その時点では感染抑止になる。だが、一旦飛沫感染は抑止しても、その場合マスクにウイルスが付着しており、その後の接触感染のリスクが高まり、更に時間をかけてフィルター越しに息を吸うことで、付着しているウイルスも吸い込むリスクがある。
1日中、マスクを着用するニューノーマルの生活において、マスク表面を触らない事は、事実上困難と言っても過言ではない。それよりも、小まめな手洗い、うがい、洗顔の方が余程効果が高いだろう。出来ないルールは、寧ろ効果を落とす結果を招くのである。
本当に危険な非科学的思い込み
さて、ここまでの事を整理すると、マスク着用はワクチン並みの感染拡大防止の効果がある事は間違いない。しかし、現実的でないルールや非科学的な押し付けは、寧ろ効果を低下させてしまうリスクがある。
そして賢明な方はお気付きだろう。感染リスクのある飛沫飛散量を抑える、最大の方法は、咳・クシャミをする人が出歩かないことだ。無症状者も感染させるリスクがあるのは、新型コロナ感染症の特性だろうが、咳・くしゃみをする有症状者の方がハイリスクなのは当たり前なのである。
検査で偽陰性判定を受け、誤った安心をして、症状があるのに、市中に出歩く事も、非科学的思考、論理思考の欠落で発生する思い込みで起こり得る。この現象が、最も危険なのである。