女性蔑視発言に対する世間の反応から見えてくる本質的な問題

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の発言が国内外で炎上している。謝罪はしたが、辞任する考えもなく、会見では更に火に油を注ぐ様な印象を与えたのではないだろうか。全力で五輪開催に向けて、後ろ向き意見を乗り越え、どうやったら出来るのか、前向きな知恵を結集し、ある意味イノベーションを起こす必要がある状況だと考えているが、誠に残念である。

この発言自体、今の世界的な情勢、価値観の変容を理解しているとは思えず、決して許されるものとは思えない。日本は遅れている、認識が甘い、女性蔑視社会と思われる大きなマイナスなのだから。

五輪問題は一旦置いておいて、本質的な問題である、ジェンダー・多様性に関する事を考えたい。

昼の番組での信州大学特任准教授の山口真由氏の意見が秀逸であった。それは、男女平等を訴えるばかりに、本音では反対意見を持ちながら、言い出せない雰囲気で封殺し、解決に必要な反対意見が聞こえてこない事が問題であると指摘。そして、海外などの状況も表面上は女性の社会進出が進んでいる様に見えるが、反対意識も根強く存在し、臭いものに蓋をしているだけなので、この様な本音の意見は実は貴重で排除すべきではないとの趣旨だった。

男性陣の発言は、時代の変化を認識するべきだとか、思っていても言うべきでないとかの意見が主だったのが対照的だ。それは、実は本音では男女平等に対して反論はあっても、時代が変わったので仕方がない、言わない、言えないと聞こえて来た。その様な状況で、女性からの本質的な問題提起は貴重である。表面上ではなく、本質的な問題に目を向けないと、本来的な解決は出来ないからだ。

実際に、ポストへの登用数はガイドライン等で数値目標が定められる傾向が強いが、本当は、男女区別せずに、適任者を登用するべきはずだ。適任者の男女比率が実際には等しくない事が本質的な問題であり、その状態で無理に女性から選任する事も同様に不平等であることは疑い様がない。結果の平等と機会の平等のどちらを選択するかなのである。

理想的には、機会の平等を担保し、現実に男女ほぼ同数の人材が育っていて、結果としても平等になることだろうが、現実はそんなに甘くない。

機会の平等を優先すれば、結果としては同数にならない可能性が高く、今現在であれば間違いなくそうなるだろう。それは、女性の社会参画に対するハードルもあるだろうが、それ以外にも個々人の意思、モチベーション、それに伴う経験値や能力の差は現実にあるだろう。

女性側にも厳しい競争環境を戦い抜き、自分を磨き、成長する強い意志と実行力が必要になるのだ。ある意味、女性には厳しい条件かもしれないが、これが本当の平等である。

結果の平等を優先すれば、新たな差別が生じるし、そのことを言及する意見を封殺する環境が出来上がっていく。だから、失言に対して問題の本質を正すのではなく、排他的で、ある意味差別的な攻撃が始まってしまう。

森会長の発言された組織運営幹部からすれば、ガイドラインに合わせ様とすると、現実は無理が生じ、能力のある男性人材が逆差別を受ける事になるという事だろう。そうならない為には、女性人材も、ほぼ同数揃う環境が必要なのだが、現実にはそうなっていないのに、結果だけ合わそうとすると無理が生じるのだ。環境が整っていない事を問題視するべきなのだ。

繰り返しになるが、森会長の発言、会見での発言は批判に値し、女性蔑視と取られても言い訳のしようが無く、決して許されるものではない。しかし、排他的な原理主義による結果平等を絶対正義と称して、本質的な問題を見ず、反対意見を吊し上げ、封殺する行為も決して許されるとは思えない。

この問題意識は、男女平等だけでなく人種差別なども同様であり、日本は、余程、機会平等が進んでいるが、結果平等までには至っていないジレンマを抱えている。逆に、欧米は結果平等を形の上で作り上げる事で分断が深刻化しているとも感じる。

本当の意味での多様性に寛容になる必要があるのだ。人は人の数だけ考えがあり、身体的にも得手不得手があり、個々に尊重されなければならない。個々の意見に問題性があるなら、目を逸らさず、膝を突き合わせて、理性的な議論が必要だ。そこには、必ず真の問題が隠れているからだ。

ワクチン接種の個人判断に本質的に必要な情報

ワクチン接種に関しての報道が毎日繰り返されている。しかし、有意義な情報は少なく、本質的な情報は報じられていないのが実態だ。

まず、ワクチンの種類に関して。インフルエンザなどで馴染みの深いタイプが、不活化ワクチンであり皮下注射するタイプ。厚生労働省の公式コメントでも感染予防に効果は無いと言っているが、その理由は簡単で、感染は鼻、喉、目などの粘膜から感染するだ。皮下注射(筋肉注射でも同様)で獲得できるのはIgG抗体であり、これは血液中からあまり外へは出ないので、感染した後に効果が発揮できるカラクリだからだ。従って、感染予防よりも重症化防止の効果が高いのである。

不活化ワクチンの場合、ウイルスの弱毒化や不活化に時間を要するのと、製造時の大量培養に時間を要する為、パンデミックに即応する事は極めて困難であった。

では、感染抑止効果のあるワクチンは無いのか。それが、活性の生ワクチンを鼻粘膜や喉に塗布する方式だ。しかし、生ワクチンとは、まさにウイルスそのものなので、いくら毒性を弱めていたとしても、本当に感染させるので、リスクが高く、使われていない。

最新医療の遺伝子ワクチン

そして、最新医療分野の遺伝子ワクチンである。その中で、ファイザーやモデルナのメッセンジャーRNAワクチン、アストラゼネカのウイルスベクターワクチンが注目を浴びていて、日本が供給契約を結んでいる。

メッセンジャーRNAワクチンは、タンパク質生成の設計図を持つmRNAを体内に投与する事で、目的とするタンパク質を人工的に作らせる仕組みで免疫を獲得する。これは、ウイルスのゲノム配列が解読できれば、短期間で設計が可能という利点がある。また、ゲノムに挿入されて細胞がん化等を引き起こすリスクもなく、全ての目的タンパク質を対象と出来るので、感染症のワクチンだけでなく様々な医療に応用できる。

デメリットとして指摘されていたのが、大まかに2点。1点目が本来mRNA分子は生体内では不安定であり、長続きしない事だった。体内で不安定な弱点を克服する工夫がなされ、実用化出来たのだろうが、本来体内に長期間残る事が出来ないものが残る様にすることで発生する弊害を懸念している専門家も存在する。ドラッグデリバリーシステム(DDS)という体内の薬物分布を制御するシステムは、まだまだ開発途上で課題満載の分野なのだ。そして、2点目が、mRNAを異物として異常な免疫反応を引き起こすリスクもあるとの事だが、これも凡そのレポートでは、乗り越えつつあるとの事だ。

ウイルスベクターワクチンは、運び屋となる病原性の無いウイルス(チンパンジーアデノウイルスなど)に対象となるウイルス(今回は新型コロナ)の遺伝子を搭載して投与する事で、免疫反応を促すものである。同様に、設計・製造に短期間で対応できる強みがある。実績もエボラ出血熱のワクチンとして実用化されており、先天性の代謝疾患やがん治療に応用されている。一方で、運び屋となるウイルス自体の抗体が出来てしまうので、2回目の接種は困難であり、一般的に安全性への懸念があると報告されている。

現在、日本で土俵に上がっている3社のワクチンは、mRNAとウイルスベクターだが、その特性を生かして短期間での実用化が出来たのだ。効果も、自然に発生する免疫反応任せではない遺伝子療法の恩恵だろうか、優れた成績が報告されている。そして、懸念される副反応も、短期的には他のワクチンと比較してもリスクが高い訳ではないとの結果が現時点では報告されている。

であれば、手放しに受け入れて良い、とは言い切れないのが、長期的な有害事象の可能性があるからだ。全く新しいワクチンが故に、長期的なデータが存在しない。本来は、数百万人規模の接種、数年にわたる観察が必要なのだ。また、ワクチン接種した人の方が、症状が悪くなるワクチン関連疾患憎悪(VAED)やワクチンによって誘導された抗体で感染が増強する抗体依存性増強(ADE)という現象のリスクもある。だから認可には通常相当な時間が要するのだが、今はその時間は無い。

個人の判断に必要なのは

ワクチンを接種するか、しないかは、最終的には個人の判断になる。しかし、今現在、個人が判断する為の情報が充分に提供されているとは言い難い。難しい専門的な内容もあるだろうが、このメリットとリスクを政府も伝える努力は必要だろうし、メディアにも責任がある。マイナス70℃の冷凍保存移送や模擬訓練などは、接種を受ける立場からは判断に必要な情報ではないので、伝える優先順位は低いはずだ。メディアは、情報の価値を理解していないとしか思えないのだ。

諸外国の場合、感染状況が日本とは大きく異なるので、ワクチンのリスクよりもメリットを重要視するのは当然である。ある意味、強制的接種もあり得る状況かもしれない。

しかし、日本は状況が異なる。メディアの煽り報道で状況を読み誤る人も多いだろうが、諸外国と比較して感染状況は桁違いに穏やかだ。ならば、ワクチンのリスクには敏感になる必要があるかもしれない。メディアや医師会が言う様に危機的状況だと信じるのであれば、ワクチンの少々のリスクは受け入れるべきだ。

どちらにしても、情報を正確に把握した上で、科学的、論理的思考なくして個人の判断は出来ないのである。

巷に広まる情報、世論調査などの違和感

国民の大多数が緊急事態宣言の発出が遅すぎ、もっと強力な対策が必要と考えているらしい。少なくとも世論調査ではそうなっている。一方で、緊急事態宣言が発出されても、人出はそれ程減ってないとメディアやテレビで発言して専門家は危機感を煽る。この現象が奇怪だと感じる人がどれだけ存在するだろうか。

緊急事態宣言が遅すぎ、対策が緩いと考えているのならば、発出された後は、もっと外出は減るのではないだろうか。行動変容しないという事は、必要性を感じていない証拠でもあり、矛盾するのである。

よく聞く話が、若者に届いていない、という事だが、若者に対する侮辱であり、本質的には筋が通らないのだ。世論調査は、若者も含んだ数字である。十把一絡げで若者を悪者にする事では説明が出来ないのだ。では、この矛盾を説明する理由は何だろう、仮説を下記に挙げてみる。

図は、縦軸に緊急事態宣言に関する考え方を示し、横軸に行動自制の必要性に関する考え方を示す。本来の矛盾ない姿は、左下から右上へ伸びる相関関係のあるゾーンにあるはずだ。しかし、現実は左上のゾーンに当たり、矛盾がある事を示している。これは、左下のゾーンにありながら、世論調査の回答を同調圧力で偽り、外向き発言を行っているか、右上のゾーンから自分だけは良いというエゴなのか、どちらかしかない。

■本音は緊急事態対応の必要はないと考えているが、同調圧力で外向き発言を行っている。

■自分は自由に行動して問題ないが、他人が抑制して感染を抑えて欲しいと考えている

後者の様な、エゴの塊とも思える心理は、日本では多数派とは考えたくない。もし、多数派であれば、罰則付きの強制力が必要不可欠になる論理の正当性が生じる。

やはり、普通に考えて、前者の可能性が高いのではないだろうか。であるならば、この同調圧力を生み出す元凶、メディアの政府攻撃、偏向煽り報道が諸悪の根源として、実態を隠しているのだ。

医療業界は風上に立っている場合ではない

首相が国会で検査が必要な時に対応出来ず自宅療養の際に不幸に至ってしまったとして陳謝した。責任者としては潔いし、反省を次の対策にフィードバックする姿勢が評価できる。しかし、医師会や医療従事者は、政府を攻撃し、国民に自制を促すだけで反省と改善の弁が聞こえてこない。当事者なのに、おかしいのではないのか。

新型コロナの症状の急変は、急な悪化ではなく、自覚症状のないステルス性の悪化現象である事は、昨年春には明らかになっている。その対策として、パルスオキシメーターによるトレーサビリティや、尿検査でも血中酸素濃度の変化を早期検出する方法論が研究されていた。しかも、冬には感染拡大し、自宅療養が増えることも想定出来ていたはず。地域密着の医療体制を誇る日本の強みが活かせる場面なのだ。かかりつけ医、地域の民間病院、クリニックがメッシュの細かい地域一体化したサービスを供給する準備を夏秋に進めていなかったのは業界の問題ではないのか。保健所の責任も否定はしないが、民間も含めた地域医療を支える業界、地域医療を統括する立場の医師会の責任も大きいのは自明である。少なくとも、風上に立って、政府を批判する立場にはない筈だ。

実際に大阪では、専用病院を立ち上げたが、人材不足で自衛隊の出動まで依頼していた。政府や自治体が手を打とうとも、医療業界が非協力的だった現れである。

医者を聖職と言うべきか、言わないべきか。先生と呼ばれる立場は、兎角勘違いし易く、世間との意識乖離が起き易い。私は、医療は重要な仕事であり、社会に不可欠なエッセンシャルワークの一つである事は間違いないと思っている。しかし、他のエッセンシャルワークと何も違わないとも思っている。職業であり、特権階級でもなく、医師も人間であり、医院も経営上の課題を抱える立場に何ら変わらないと考えている。市場変化や、市場の要求、ステークホルダーへの対応と説明責任など、他の業界と何も変わらないはずだと思っている。

そして、日本の医療は世界に誇れるハイレベルのサービス提供体制を確立しているとも思っている。ならば、諸外国と比較して桁違いに少ない感染状況、例年のインフルエンザと同等レベルの感染拡大で、医療壊滅は起き様が無いと確信している。もし、本当に医療壊滅であるならば、その事態を招いた業界の脆弱性を反省し、サービス需要者である国民に謝罪する立場ではないのか。それが他の一般的な業界の行動パターンのはずだ。

医療従事者が不足しているというが、絶対数では決して諸外国に引けを取らない。リスクがある、経営が行き詰まるなどの理由も、飲食店には危機的状況の時短や休業を要請しておきながら、医院は経営の為に対応を拒否するのか。

諸外国と比較して不足しているのは、有事のボランティアの参加や柔軟な対応強化の為の権益打破としての介護師などの入院患者への対応などだろうが、いくらでも方法はある。経営の問題であれば、政府の財政出動を促せばよいだけだ。その代わり、自らの既得権益は剥奪され、聖域扱いは撤廃、ある意味国や自治体の指揮命令下に入るべきだ。

危機事態には既得権益による自己防衛は邪魔になり、撤去する事がスムーズに行かなければ、強制力も必要かもしれない。

また、地域の病院では、コロナ感染を警戒して、受診者が減少している事で経営難に陥っていると報じられている。しかし、それで来院しない患者は、不要不急の患者ではないのか。笑い話で、病院の待合室での井戸端会議に常連さんが来ていない事で、病気にでもなったのではないかと心配する話がある。であれば、今の不要不急を控えた来院数が経営の基本として、スリム化が求められるのではないのだろうか。

実際に、コロナ感染拡大後の超過死亡数など日本での死者数は減少している。つまり、不要不急の受診を控える事で、国民の健康に寄与しているとも考えられるのだ。

聖職でないとの仮定で話を続ければ、顧客である患者の変化、新型コロナの感情増と一般患者の受診控えは市場変化であり、その市場変化に対応した経営改革を断行する事が業界としての使命になる。

もしも、聖職だとの仮定に立脚するのなら、上から目線で国民に自粛を促すのではなく、聖職者たるものとして、有事において政府を批判せず一心同体の協力体制の元、結果としての医療サービス維持を目指すべきではないのか。命を守る崇高な使命の為に。

不織布マスク警察は科学を冒涜している

春はマスク警察、年が変わり今は不織布マスク警察。困ったものだ。

メディアが伝えるスーパーコンピュータ富岳のシミュレーションは、マスクの素材によるフィルター性能を強調している。しかし、フィルター性能と感染抑止の効果とは別の話である。その理由は複数存在するが、その事を理解する為に、感染のメカニズム、感染者からの飛沫を介して発生するという事を確認する必要がある。

飛沫が無ければ感染は起こらない

感染は、感染者から出されるウイルスが混じった飛沫が吐き出されることから始まる。排泄物からの発散を例外とすれば、呼吸器系から吐き出される飛沫が無ければ感染は起きない。飛沫を直接浴びる『飛沫感染』、飛沫が付着した物体を触る事で起きる『接触感染』、飛沫が微粒子化し空気中を漂うことで起こる『エアロゾル感染』。全ての元凶が飛沫なのである。

ということは、飛沫量の多少が感染リスクに直接影響する。飛沫量は常識レベルで考えると、最も飛沫量が多く、飛散距離も長いのが『咳、くしゃみ』であり、その次が『大声』、次に『普通の会話』、最少が『呼吸』ではないだろうか。分かり易く経験則から数値化すると、『呼吸』を1とすると、『普通の会話』が2、『大声』が5、『咳、くしゃみ』が10として良いだろう。

マスクは、この口から発する飛沫を物理的に遮ることで、飛沫飛散量を抑える効果がある。例えば、マスクを透過する飛沫量を50%抑制するフィルター性能があったとすると、咳・クシャミの10が5に減少し、70%抑制なら飛沫は3に減少する事を示す。これが直接、感染リスク低減に繋がる。

但し、飛沫は透過して発散されるもの以外に、漏れ出す飛沫も存在する。従って、感染リスクを伴う飛沫は、マスクを透過するものと隙間から漏れ出すものの総和であるはずだ。ここで考えて欲しい、フィルター性能が高いと、透過しようとするエネルギーは、はじき返され、隙間に漏れ出す方に向かう。つまり、フィルター性能が高い方が漏れ出す量が増えるのが物理の原則である。結果、飛沫飛散量の実際は、布でもウレタンでも不織布でも大差ないというのが現実なのだ。

マスクの着用状態で飛沫の漏れは大きく違ってくる

不織布マスクを、隙間なく着用すれば良いという意見もあるかもしれない。しかし、それは現実的ではないのだ。今、ほぼ1日中のマスク着用が必要になっているが、さて漏れ出さない着用状態でどれだけの時間継続が可能だろうか。メガネの曇りを考えれば明確だろう。飛沫は漏れているのである。

それでも概ね50%近くの飛沫を抑えることで感染リスクを低減するのがマスクである。マスクには、ワクチンと同等程度の効果があると言っている専門家がいたが、それはこのことによるのだ。しかも、どれだけウイルスが変異しようとも効果は同等なのである。

それでも、不織布以外はダメだと頑なな人には、是非N95マスクをお勧めする。我が家では東日本大震災以来、常備しているが、はっきり言って長時間装用は不可能だ。その事がはっきりわかるので使ってみれば良い。そうすれば、フィルター性能が高く、漏れない装着をしたら、息が出来ない事が理解してもらえるだろうし、長時間、息が出来るという事は、漏れている証明だと分かるはずだ。

マスクの被感染リスク低減への効果は限定的

マスク着用で、飛沫を抑え、他人に感染させるリスクは間違いなく減少できる。しかし、自分が感染しない防御には効果が薄いのだ。

飛沫を浴びても、マスクが物理的障壁にはなる。その時点では感染抑止になる。だが、一旦飛沫感染は抑止しても、その場合マスクにウイルスが付着しており、その後の接触感染のリスクが高まり、更に時間をかけてフィルター越しに息を吸うことで、付着しているウイルスも吸い込むリスクがある。

1日中、マスクを着用するニューノーマルの生活において、マスク表面を触らない事は、事実上困難と言っても過言ではない。それよりも、小まめな手洗い、うがい、洗顔の方が余程効果が高いだろう。出来ないルールは、寧ろ効果を落とす結果を招くのである。

本当に危険な非科学的思い込み

さて、ここまでの事を整理すると、マスク着用はワクチン並みの感染拡大防止の効果がある事は間違いない。しかし、現実的でないルールや非科学的な押し付けは、寧ろ効果を低下させてしまうリスクがある。

そして賢明な方はお気付きだろう。感染リスクのある飛沫飛散量を抑える、最大の方法は、咳・クシャミをする人が出歩かないことだ。無症状者も感染させるリスクがあるのは、新型コロナ感染症の特性だろうが、咳・くしゃみをする有症状者の方がハイリスクなのは当たり前なのである。

検査で偽陰性判定を受け、誤った安心をして、症状があるのに、市中に出歩く事も、非科学的思考、論理思考の欠落で発生する思い込みで起こり得る。この現象が、最も危険なのである。

アメリカ大統領選挙の結果は、世界の民主主義に大きな変容をもたらす

バイデン大統領が正式に就任し、融和を取り戻し、結束に向かうかの様に言われることも多いが、事はそんな生易しいものではない。分断は、トランプ大統領が産み出したものではなく、分断があったから誕生した大統領であり、この4年間は分断を見える様にしただけなのだ。即ち、大統領が交代したからといって融和は起きない、分断したままだ。もし、見た目に融和した様に見えるのなら、それは反対勢力を制覇し抑え込んだに過ぎないので、寧ろ分断したままの方が健全なのである

今回、交代劇が混迷したのは、コロナ禍の大統領選挙で郵便投票が大幅に採用され、不正が疑われたからだ。確かに、セキュリティ管理の立場から言わせて頂くと、今回の郵便投票は制度としては穴だらけで、不正は簡単に行えるだろうし、日本ではこの様式で公正な選挙は決して行えない。それでも、例え不正が発覚しなかっただけかもしれないが、制度として選択し、実行した結果なので、結果は覆らないのは当然の事だ。

しかし、郵便投票の結果が世界の民主主義に与える影響は、不正云々関係なく、圧倒的な投票率アップの手法が示されたという事だ。それは、埋もれている票を掘り起こせば簡単に結果を覆せるという現実を示したのであり、選挙の戦略に少なからぬ影響をもたらした。この事は、民主主義の根底すらを覆しかねないのだ。

全員参加選挙の時代の序章

世の中は、サイレントマジョリティという物言わぬ大多数で大部分が構成されている。しかしサイレントなので、世論調査などではカウントされるが、能動的意思表明が必要な選挙ではこれまで大きな票とはならなかった。あくまで、意思を持ったボーカルマイノリティ、少数の意見が選挙の結果に大きな影響を有していた。勿論、浮動層の取り込みも重要ではあったが、大勢は固定票で勝負がついていた。

構造的には、ボーカルマイノリティが、サイレンとマジョリティも含めた世論などの意見を汲み取って、見かけの多数派を形成して決定していく。それはそれで、賢明な思考による民主的思考なので機能はしていた。しかし、サイレントマジョリティの票が直接1票として同等に選挙に活きる様になれば状況は一変する。それこそ、全員参加の選挙に限りなく近づいていくのだ。それが郵便投票、或いはWeb投票という形でもたらされることを世界中に知らしめた。

このことは、表向きは決して悪いことではない。しかし、世の中そんなに簡単ではない。深い思考なく、思いつきや感情的な判断による1票が増えてしまうのも事実で、民主主義が故に好ましからぬ選択をせざるを得ない事態に陥るリスクが増える。そして何より、この層を掌握し、票として固める事が、政治の優先事項となり、最強の策になってしまう。これは民主主義どころか独裁への道なのである。

世界は大きく選挙制度改革に動く

今回の郵便投票は、コロナ禍という事情により実施されたが、投票率を大幅に押し上げた効果を前面に、アフターコロナでも採用される可能性が高い。そして、その延長線上には、Web投票があり、限りなく全員投票に近づく票が動き始める。

そうなれば、私の観測では、リベラル層が圧倒的に優位になるのではないだろうか。保守層は、それが見えていて選挙制度改革に後ろ向きになるかもしれないが、どこまで抗えるのだろうか、疑問だ。

保守であろうともリベラルであろうとも、それが多数の意見となれば、民主主義のルールとして従うのが当然だ。それが賢明な思考による選択であれば良いが、そうでなければ、不幸な選択となってしまう。そうならない様に、後悔しない様に、する為には、民主主義国家の国民が今まで以上に大きな責任を負う覚悟が必要になる。

封建社会から近代国家を目指す明治維新において、福沢諭吉先生は、『学問のススメ』で、近代的民主国家に成長する為に、国民に学問を勧め、一人一人が考える力を身に着ける事を促した。

今、時代は大きく変動し、全員参加型の民主主義に限りなく近づいていくだろう。その環境下で、国民が民主主義における本当の意味での責任を果たし、後悔しない為には、刹那的・感情的な思考を控え、科学的・論理的思考を1人でも多くの国民が心がける必要がある。現代版の『学問のススメ』が求められるのだ。

事業継続計画(BCP)の対応を怠っていた医療福祉業界の実態

東日本大震災などの大規模自然災害を受け事業継続計画(BCP)の必要性が再認識された。特に日本は欧米先進国と比較して、このBCP、更にはマネジメントにまで発展させたBCMの取り組みが東日本大震災当時は遅れていて、対応が後手後手となりサプライチェーンなど様々な脆弱性が露呈した。

多くの方は記憶にあるだろうが、震災直後、製紙工場の被災により新聞のページ数が減少し、石油化学コンビナートの被災により、カラー刷りが無くなった。私自身、何の因果か、その時は調達部門の責任者だったため、全国の工場に対して生産材料の欠乏無き様、統制管理を実施、東奔西走の毎日で事業継続の必要性を肌で感じている。また、その直後タイの洪水により、ハイテク部材の日本への供給が逼迫する状況が発生した時も同様だった。

これらの事案は、日本企業の経営課題として事業継続の重要性を突き付け、2重調達や従業員が通勤できない状態の対応策等、各社相応の企業努力を実行している。その想定事案として、基本は大規模震災であったが、パンデミックも想定すべきとの議論も盛んに行われていた。今回、急な在宅勤務によるリモート対応などの対応がスムーズにできた企業は、これらの対策が出来ていたからだ。

企業の経営課題は即ち日本としての国家課題でもあり、政府としても国土強靭化を目的として、平成28年にガイドラインを制定し、『レジリエンス認証』という認証制度を創設している。次に示す表は、内閣官房国土強靭化推進室が公表している、認証取得の業界別の団体数である。

この認証制度は2年更新であり、年3回の更新機会を設けているので、過去6回分の審査における新規と更新の団体数が全認証団体数となり、現在207団体認定取得している。その全体の半分以上が製造業と建設業で占めているのが表から分かる。確かに、サプライチェーンという課題に対して直接向き合う必要性から頷ける数字だが、それとは別に、目を疑うのが医療福祉分野の認定取得がたったの7団体、認証全体の3.4%に留まっていることだ。

本来、医療福祉業の事業継続は国民の生命・健康に関わる為、優先順位は高い筈なのだ。実際に、内閣官房国土強靭化推進室として、事業継続シンポジウムと銘打って、全国キャラバン方式で『医療・福祉分野の事業継続』を開催し拡大強化を目指している。そこまでやっても、賛同し認証取得に至っている医療福祉の団体が、たったの7団体なのだ。

認証取得が全てではない。認証取得してもISOの様に、形だけで運用が形骸化してしまう問題点も指摘されている。認証取得しなくても、運用さえ確実に行えば問題ない。しかし、今回のパンデミックに対する医療業界の対応を見ている限り、そもそも事業継続に関心すらなかった、自分事としては考えていなかった、内閣官房から言われても馬耳東風だった、と言わざるを得ないのだ。何故なら、ガイドラインを少しでも認識していたら対応は変わっていたと思えるのである。では、簡単にガイドラインを確認しておきたい。

まず目的に記載されている文言からいくつか抜粋する。

『大規模自然災害等への備えを最悪の事態を念頭に置きつつ、平時から様々な政策分野での取組を通じ、いわば「国家百年の国づくり」として行う』

『いかなる事態が発生しても機能不全に陥らない経済社会システムを確保しておく』

国や地方公共団体のみならず、経済社会活動の担い手である民間事業者の普段からの取組・活動が極めて重要となる』

『民間事業者の行う国土強靱化のための努力には、自己の事業継続に関するものと社会貢献としてのものとが考えられる』

次に具体的な基準だが、大きく2項目あり、『事業継続関係』と『社会貢献関係』から成立しており、前者は自助、後者は共助として定義されている。

『事業継続関係』には、簡単に言うと、方針の策定、分析・検討、対策の検討・決定、計画の策定、見直し改善の仕組み、事前対策の実施、定期的教育訓練、経験者・知見者の担当、法令順守と詳細項目が定義されている。

『社会貢献関係』には、社会貢献の定義、社会貢献実績、従業員の社会貢献支援と実績、他の社会貢献実施と定義されている。

どうだろう、医療業界がこの活動に積極的に関わっていれば、現在の医療崩壊はあり得なかったのではないだろうか。その様な活動を政府は目指していたのである。そして欧米先進諸国は、日本よりはるかに事業継続計画に関しては民間にも浸透していることが、あれだけ感染拡大してパニック状態でも医療崩壊にはなっていない一因でもあるのだ。

日本は政府の指導力が弱いとメディアは言いそうだが、それは筋が違う。あくまで、自らの意識向上による優先順位の高い経営課題と認識し、自助・共助を明確に意識した地に足の着いた活動を平時から行う必要があり、業界団体として横連携も含めた強化活動が不可欠なのだ。

中井学、飛ぶ鳥跡を濁してのUUUM退所に物申す

UUUMゴルフは私も楽しく視聴させて頂いているYouTubeメディアである。看板娘のなみきちゃんの100切挑戦、としみんの白ティーから70台挑戦、こころちゃんのミッドアマ挑戦、進藤大典プロキャディとなみきちゃんペアによるスクランブル競技挑戦、プロバド、各種レッスンなどなど、豊富な企画がウリだ。

そのUUUMゴルフと立ち上げ時期から3年間契約していた中井学プロが、昨年末契約を継続せず、独自のチャンネルを立ち上げた。円満退所、ではなく、3年間の不満を曝露した動画を投稿したのだ。その内容に対して、UUUMゴルフ側は事実と反するとして、法的措置も検討すると発表した。

新たな中井学チャンネルには驚異的な登録者(13日時点で15万人超)が集まっているとのことだ。しかし、ゴルフを愛する立場から、そして、危機管理経営の観点から言わせてもらうと、中井学プロは、早急にUUUMゴルフに対して謝罪し、謝罪動画を投稿して円満に和解するべきだ。争って得られるものは感情面以外に何もなく、失うリスクは計り知れない。

逆に、UUUMゴルフの立場から言うと、この言われ様には黙っている訳にはいかないだろう。明らかな損害が生じるだろうからだ。実際、既に何万という登録減が発生している様だ。

では、正しい認識の為にも、中井学プロの言い分を動画からの情報で客観的に検証してみよう。

<退所を決断した理由>

  • 本当に苦しい3年間だった、苦しみの方が勝ってしまった
  • やりたい仕事が出来ない、やりたいレッスンが出来ない
  • ゴルフの楽しさを伝えて、ゴルフに恩返しがしたいが、理想から離れていく

ゼロからの立ち上げに賛同して、協力した立場としての苦悩が推し量れる。創業から軌道に乗っていく過程でありがちなビジョンや方向性の乖離なのだろう。この内容だけなら、新たなステージに向けて双方とも理解し合って、リスペクトした状態での独立はあり得る。

<3年間の契約内容>

  • 契約は専属マネジメント契約であった
  • 対価の条件は固定給でインセンティブはなし

事実関係は、これだけだ。従って、チャンネル立ち上げのリスクを中井学は被らないが、逆にどれだけ成果が上がろうとも、その成果はUUUM側にあるという、ありがちな契約であり、文句の付け様は無い。途中、契約内容変更の話し合いはあった様だが、結論としてこの契約を更新している限り、固定給以外にインセンティブが無いのは当然である。

<契約変更の協議とその心情的背景>

  • 2年弱で赤字は解消したが、中井学はその事実を知らされなかった
  1. リスクのない固定給契約相手に知らせる義務は無いので問題は無い
  2. 累積損失解消しこれから収益拡大基盤に乗せる時期に、黒字化したから即インセンティブをよこせと言うのは虫が良すぎる
  • 頑張った事を認めてもらえなかった、ありがとうの感謝もない
  • お金の面は我慢していた、言い出せない空気感があった
  1. 極めて感情的で、真偽の程は定かではなく、立証も困難?
  • イベントなどの仕事の依頼は3年間で数件のみ
  1. このことで何が言いたいかは不明だが、動画制作の仕事は多数ある
  • マネージャーは付いていなかった
  1. 専属マネジメント契約だからと言って、必ずマネージャーが付いている必要性は無いはず
  2. 赤字立上げ、固定給で了解し契約していることからも了解の上に思える
  • 個人のスポンサー契約の一部もUUUMに共有を要求された
  • アドセンス、案件動画の収入は受け取らない条件で折り合う
  1. 専属マネジメント契約とは、事務所に所属した芸人の芸能活動を支援する一方、権利等の帰属を事務所側が持つ事が多いので、個人のスポンサー契約と言い切れるかどうかは協議が必要
  2. 対価は個々の交渉事項であり、固定給のみの契約もあり得る。
  3. どちらにしても、契約締結時点で双方了解している事項のはず
  • 3年間収入減、UUUMを敵対視するメディアが多く他の仕事が減少
  1. 事実としても、UUUM側に責がある事項ではない

まとめ

総論として、契約事項に関して、様々な協議はあったかもしれないが、少なくとも3年間に関しては、双方合意の契約として締結されているので、契約不履行などの問題性は感じられない。

勿論、今後の契約条件で合意できず、契約できない事はあり得るが、それは過去の契約に遡らない。従って、契約が合意に至らず、円満退所、というのは通常の話なのだ。

中井学プロは、UUUMとの契約前から知名なレッスンプロである。しかし、少なからずこの3年間、UUUMの中井学プロというブランドは確立されている。合意に至らずとも、静かに独立すれば、良かっただけなのに、周囲には賢明なアドバイスをする人間がいなかったのだろうか?残念である。

よくある専属マネジメント契約でのトラブルは、契約破棄後の権利の帰属に関する事が多い。契約時のブランドである芸名の使用禁止などである。しかし、今回その様な訴えはUUUM側から聞こえてきていない。中井学プロさえ、あんな告発をしなければ、少なくとも表面上は円満であり、双方に損害は生じなかったはずだ。

しかし、実際にUUUMは登録数が減少し、損害を被ってしまった。偽計業務妨害として訴える事も可能に思える。係争になって、どちらが勝つかまでは不明だが、争えば、間違いなく双方に悪印象、ダメージが残ることになる。そう、裁判の勝敗に関わらず、中井学ブランドもUUUMブランドも毀損する、いや、既にあの動画で一定の毀損はしているのだ。

ここに至っては、まずは、中井学プロからの謝罪が望ましいだろ。その上で、スポット契約でなみきちゃんの100切企画を継続し最後までやり遂げれば、双方のブランド力も回復するのではないだろうか。1ファンとしてなみきちゃんの100切は見てみたく、期待して止まない。

緊急事態宣言から1週間、反政府一辺倒では危機は乗り越えられない

新型コロナ感染拡大の危機事態に医療、メディアは反政府活動を強めている様にしか見えない。これでは、危機は乗り越えられない。

危機管理の基本は、発生している危機事態を正確に把握し、刻一刻と変化している状態に対して、適切な対応策を次々とタイムリーに打っていくことだ。誰が言い始めたか巷で言われる、最初に最大の策を実行するというのは愚策であり大きな勘違いなのだ。極論を言えば、巨大隕石の地球衝突に備えないし、ガミラス船団の襲来に備えて宇宙戦艦ヤマト建造もしない。あくまで、実際に発生している危機事態に対して対応するのが危機管理だ。

一方で、リスク管理は、平時から発生しうるリスクを大小、確率の高い低い、様々に想定し、どこまでそのリスクに対応するか事前に低減策を講じ、発生した場合の対策を計画する。リスクは一般的に、発生確率と発生時のダメージの大きさの積で評価されるので、ガミラス船団襲来の確率は限りなくゼロに近いので、平時に莫大な費用を伴うリスク対応策は実行しない。それは即ち、万が一発生した場合は、絶滅や征服など最悪のシナリオも受容するという判断なのだ。

政府の新型コロナに対するリスク管理は、外部から想定する範囲では、欧米諸国の水準は想定外として、例年のインフルエンザ関連死をMAXとする想定で描かれている様に思える。意識しているかは別にして、ステージ4の数値設定自体がこの水準を前提にしている。感染者数自体はインフルエンザより低く設定し、最悪の死者数を年間1万人以下に抑える計画であれば、感染者数抑制も重要だが、病床占有率は更に重要なのだ。

モノづくり品質保証の基本は『発生源対策』と『流出防止対策』である。前者は、品質を安定させコスト効果も高いが、後者が伴わなければ市場品質を保証できない。感染症でも同様に後者の医療対策が最重要なのだ。つまり、病床占有率の分母の病床確保数を増やす事が絶対必要なのだが、春からこの対策で聞こえてきたのは、大阪コロナ重症センターぐらいではないだろうか。そのセンターですら、人的資源が集まらず苦労しているのである。これは、政府の責任なのだろうか。

世界に胸を張れる医療体制を誇る日本だが、平時のポリシーは皆保険制度と地域医療に根差したきめ細かなサービスの拡充だ。その為に、中小の開業医やクリニックを充実させ、人材資源が集中している。しかし、感染症有事には中小開業医・クリニックに資源が集中していることが仇になっている。本当は、緊急事態において、この中小クリニックの人的資源を大胆に再配置すれば医療崩壊など発生しない。少なくとも、自宅療養者に対するケアを、この豊富な資源で対応するべきだが全く進む気配すら見えない。

飲食店の時短、休業要請に強制力を持たすのなら、開業医やクリニックの半分を休業や時短して、それで浮かした人的資源を活用すれば良い。街を見渡して欲しい、数多くの医院・クリニックが存在するのだから、一時的なかかりつけ医体制のカバーは可能だろう。この策は、医師会がリーダーシップを発揮すれば出来るはずだ。医師会の構成会員は、大病院よりも、中小開業医・クリニックの会員で多数を占めるのだから。

しかし医師会は、医療資源の再配置に消極的だ。日本医師会長は昨年の選挙で政府に物申すと公約して、政府寄りの前任を破って当選した。東京都医師会長の支持を受けた結果だが、次期会長ポスト禅譲の密約が噂される程なので、同様に政府に協力的とは思えない。

誤解されない様に言うが、新型コロナに対応している医療の現場は本当に厳しい状態で、日夜奮闘して頂いている。だからこそ、その現場に必要な資源を投下するのが、リーダーの務めなのだ。ところが、電波に乗って発信されるのは、人材資源の再配置は不可能、医療崩壊から医療壊滅と、命のトリアージが必要になってくると。ある意味、国民の命を出しに強迫めいて聞こえるのは私だけだろうか。

弁護士の八代英輝さんが、日弁連会長の例を挙げて、組織のトップの発言が、その組織の総意を示さない事が多いと語っていた。同様の事を、北村晴男弁護士も以前語っていた。最近の医師会長、TVで発言する医療専門家も医療従事者の総意を語っているとは限らない。

政治家の会食など非難しなくても良い。実際、私は、平時に一晩5人と会食しているのなら、今は10人以上と会食して、情報をより豊富に得て、政策決断に活かして欲しいとすら思う。会議で得られる情報とは種類の異なる本音の情報は絶対必要なのだ。何より、その様な非難の前に、使命を果たす事に全力を尽くすべきではないのか。

危機事態において、政府のメッセージ力が足りないと云うのであれば、それはメディアが補うべきだ。どんなに強く正しいメッセージも、朝から晩まで否定され続ければ、メディアの露出の方が圧倒的に多く、メッセージ性は弱まるのは当たり前だ。有事には、緊急事態に沿った、一致協力の情報発信が国家のためなのだ。政権の監視、政府への提言が使命というのなら、収束後に総括し糾弾すれば良い。今は、危機事態なのだから、考え直すべきだろう。

政府と医療、メディアが反目する状態。危機事態では絶対にあってはいけない状態なのだ。これは、日本が危機事態に対応する国力が無いと海外に露呈してしまう。即ち、国益に反するのだ。いや、この反目した状態が継続できるという事が、本当の危機事態ではない証左なのかもしれない。海外からは、その様に見えても不思議ではないだろう。

我が娘、競技ゴルフデビュー、スクランブルゴルフで発進

コロナ禍で素振り特訓に明け暮れ、飛躍的に競技力を伸ばした光里の競技デビューとして、本日スクランブルゴルフのウィンターWinterOpen予選大会に私と組んで出場。なんと、光里を最初に教えてくれたワンダーゴルフの支配人、チーチングプロの大坪さんと再会した。大会の競技役員として来られていた様で、声をかけて頂いた。なんとも、ゴルフ界は広い様で狭い、こんな所で再開できるなんて。今後も時々出場させて頂くつもりだが、また再会できそうだ。

競技はミックスダブルス戦、ティーショットを最低でも7回セレクトしなければいけないのが最大の関門だったが、それは簡単にクリア。肝心の成績だが、午前中は、1バーディー、3ボギーの2オーバー。午後は1バーディー、4ボギーの3オーバー。トータル77で6位。4位までが決勝進出なので残念ながら予選敗退。でも、初競技でダブルスとはいえ、77は、まずまず。と思っていたら、光里は、相当悔しそう。家族も、なんだ77か?という反応。いやいや、77は相当頑張っているはずなんだけど・・・・・。

私にとっても、今年のゴルフ、打ち初め。朝の練習時は手が悴む状態で、練習グリーンがカチンコチン、これではスコアをまとめるのは相当困難と思ってのスタートだったので、まずまずと思っている。確かに、アプローチはこの様な状況で、寄らなかった。風も強く、2クラブ以上の影響もあって、縦の距離感に苦労した。その状況でも凌げたのは、ドライバーの調子が良かったお陰だろう。

光里も本来初競技で緊張するはずだが、朝一のティーショットぐらいだろうか、緊張の影響があったのは。つま先下がりのライを選ばざるを得なかった時も、確実にグリーンをとらえたり、超ロングパットを沈めたり、最終ホールのバーディーパットを沈めるなど、結構貢献してくれた。

光里は、これで、自信もついてくれただろうし、悔しさも味わった。どこかでリベンジできるだろう。そして、個人としてもパーソナルベスト更新、90切は年内に達成できるだろう。楽しみだ。

緊急事態宣言解除の出口戦略、バランスの取れた政治判断に必要な情報とは

緊急事態宣言が発出された。遅すぎた、もっと強硬策を採るべきだと政府を非難する意見と宣言は本質的な対策にはならず、医療崩壊に対しての本質的な対策が先だとの意見と両極端に分かれている。私自身は後者に与するが、その理由は明確で、前者の意見に論理性、蓋然性が感じられず、極めてバランスに欠いていると感じているからだ。両論併記での比較議論とバランス感覚が危機を乗り越えると信じているが、現実は偏った情報によるバランスの欠いた判断と言わざるを得ず危機感を抱いている。

再び8割おじさんによる最悪シナリオ発信が為された。春の最悪シナリオは実現せず、その反省もなかったので、非難も多く、しばらく鳴りを潜めていたが、ここにきての再発信だ。一定の数学的論理性はあるが、実行再生産数1.1継続と飲食時間制限の効果を10%と低く見ていることが現実と乖離、反省が活きておらず、首を傾げざるを得ない内容だ。

メディアが政府の対応を、経済優先と揶揄するのは、自身の説が感染抑止優先、いや感染抑止絶対、有無を言わさぬゼロ化絶対論だからである。一方、政府の基本姿勢は、経済と感染抑止をバランス良く政治判断しようとする、いわゆるWithコロナ策である。国家運営上どちらが最適かは言うまでもないが、政府の判断根拠とする情報にも唯一大きな問題がある。それは、経済影響の最悪シナリオが発信されていないことだ。

政府の分科会は、経済と感染をそれぞれの観点から分析、提言し、政府がバランスの取れた最適解、最善策を政治判断できる様にするために存在する。春の反省を活かして、経済の専門家も入ったはずだ。しかし、経済面の最悪のシナリオとその限界や防止策に対する提言は聞こえてこない。それどころか、感染抑止の素人意見まで発信する状態で、何の為に加わったのか意味不明だ。

これでは、バランスの取れた政策判断は出来様がない。これは人選が悪かったのか、構造的に組織体を別運用にすべきなのか、様々な原因は考えられるが、早急に改善しなければならないだろう。

分科会長尾身さんは極めてバランス感覚のある、良識的で論理的、科学的な発信をされているのだが、同様に、経済面の危機的状況を発信し、経済面で、このまま何もしない場合、経済停滞策を講じた場合、経済復興策を断行した場合のシナリオを提示する専門家が必要なのだ。そこまで尾身さんに負わせるのは無理がある。

<緊急事態宣言解除に向けた目標数値、出口戦略は>

とはいえ緊急事態宣言発出に伴って経済停滞策が各種強化される状況になった。そうすると、出口戦略を早急に組み立て、先手で発信する必要がある。

解除の目標値は、現時点では、ステージ4の脱却とかなりハードルが高い。この点は、建前上維持せざるを得ないだろうが、実質どこまで医療が持ち堪えられるか、医療資源再配分によるキャパ拡大はどこまで出来るか、真剣に進めて欲しい。これは、政府の責任ではなく、医療業界の提案として出すべきであり、最悪でも自治体の統制管理で実行管理するべきだ。今が限界で、既に崩壊していると云うのは説得力を失っている。緊急事態としての統制、事業継続計画(BCP)の発動こそが危機管理の基本なのである。

政府の検討すべきは、民間のPCR検査を全て厚労省の統制下に置き、医師の必要と判断する行政検査に切り替えてキャパを上げ、安心したいだけの検査を禁止する事と、死者数の数字を直接死因のみのカウントに切り替えることだろう。公平にインフルエンザなどと真っ当な比較をして、疑いの余地が無い判断の為に。昨年当初は、得体のしれない感染症だったので仕方がなかったのだろうが、現時点では可能なはずだ。

そして、なによりも経済のマイナス影響、最悪シナリオ検討を分科会に緊急要請し、自殺者数等も公にするべきだ。経済のマイナスは、国家、国民にとって長期的に命も含めた問題となる。何より歴史的には、戦争の主要因は経済低迷なのだから、本気で考慮すべきなのだ。

感染状況、医療体制強化状況、経済影響を公平に土台に挙げなければ、バランスの取れた政治判断は出来様がないのだ。

極論ではあるが、経済の指標で限界を超えた場合、例え今よりも感染者数が多くなっていても、国家としてのバランスを考慮に入れた最適解として緊急事態宣言を解除することがあっても然るべきはずなのだ。

絶対ゼロ化の主張者は、強力な感染抑止策は、短期間で終えることが出来て、経済面でも有利だと主張するが、感染がゼロ化出来る前提であり、諸外国の再拡大の現実を無視している。だからこそ、Withコロナ策を日本は当初より目指し、一定のリスクは受容しつつ、人権制限も最小限に留め、ブルームバーグでも世界2位の評価を得たのである。

何はともあれ、国民としてこの事態に前向きに対応すべきは、行動制限や飲食制限という方法論に縛られるのではなく、自身がウイルスキャリアである前提で、他人に感染させない、飛沫飛散をさせない事、徹底的に減らす事を目的とするべきなのだ。その為である、マスク着用や時短など個々の方法論は、自分の頭で考える事であり、その為のガイドラインとして要請が出ていると受け止めて考えるべきだ。間違っても思考停止は絶対にNGなのだ。

そして、単なる風邪もひかない様に体調管理を心がける事。医療の負担軽減という観点もあるが、何よりそこまで徹底した健康管理が新型コロナの感染も抑止できるのであり、健康第一だからだ。